■カメラ越しのサンタクロース

▼『岸辺露伴は動かない』時空/スマートフォン表現あり

 澄んだ寒空の下。深夜の空には、満点の星が浮かんでいる。それにはどこか、街にいる中では普段見ることのない、どこか非日常的なものを感じられた。
 だけど――今の私は、ひたすら苛立っていた。そんな美しい景色が、逆に憎たらしくなるくらいに。
 そして、そんな私のことなんて気にかけず、目の前にいる漫画家の男――岸辺露伴は、空を見ながら私に話しかけてきた。彼の吐き出す息はどこまでも白く、周りの雪景色にただただ溶けていった。
「星の数ほど女はいる……って常套句、あるだろ。フラれた男によく使われる言葉だ。――なら、星と女の共通点、何だと思う」
 露伴先生は、こちらをチラリとも見ないで問いかける。それが無性に腹立たしく思えて、私は真面目に答えようと思えなかった。
「さあ。数の多さですか」
 彼は少し、私の方に目を向けた。その瞳には、呆れが表れていた。
「相変わらずセンスない受け答えするよなァ、君。仮にそれが本当に答えだって言うなら、ぼくが聞いた意味がないだろ」
「じゃあ何なんですか」
「そうだな」
 露伴先生は突然、空にスマートフォンを向けた。そしてその後、私の方へもスマートフォンを向ける。カメラを向けられていると分かったけれど、それでも私は、不機嫌をあえて表現するための仏頂面を崩す気はなかった。
「カメラを通すと、全然違うものに見える、ってことさ」

「はあ」
 曖昧な返事しかできなかった。だが彼は、私の様子を特段気にかけた様子はない。
「もちろん、それなりに良いカメラを使えば、星だって綺麗に撮れるだろう。だが」
 岸辺露伴はそこでもう一度、自分のスマホを夜空に向けた――今度は向けただけではなく、ディスプレイをしっかり起動させた。夜の暗さの中では、液晶の光がどうも眩しく、一瞬顔を顰める。
 そして、少し画面を操作したと思ったら――シャッター音が鳴った。スマートフォンのカメラで、夜空を撮ったのだ。
「見ろよ。素人が、何の工夫もなしに夜空を撮ろうとして――そんなの、上手くいくはずもない。しかもスマホだと余計にだ」
 彼が私にディスプレイを見せてきたので、渋々それを見る。
 なるほど、彼の言う通り――スマートフォンで撮った写真には、上手く星が写っていなかった。
 月はぼんやり光っているだけで模様はよく見えないし、星はいくつか明るいものが光っているだけで、あまり写っていないように見える。今、ここでは街中では見ることのできないくらい、満点の星が見えているというのに。
「じゃあ、女はどうなんですか? さっき言ってましたよね、女もカメラを向けると全然違うものに見えるって」
「フン、それは女である君のほうがよーくわかってんじゃあないのか? プリクラに自撮りに、女がカメラの向こう側で素顔を見せることなんてないだろ」
 これに対しては、別に反論することもなかった。女がカメラの向こうで素顔を見せるなんて、証明写真くらいなものだろう。――否、たとえ証明写真でも、顔を多少つくることくらいはあるか。確かに、カメラの向こうで、素顔を見せることなんてない。
「もちろん、夜空を撮ることが仕事な人間だっているだろう。女を撮るのが仕事のカメラマンもだ。加工して全然違うものに見せることの方が多いだろうが、ありのままを写し出すこともある。だが」
 露伴先生はそこで、スマートフォンをポケットの中にしまい込んだ。そして、敢然と言い放つ。
「ぼくは漫画家だ――星を撮る時も、女を撮る時も、あくまで取材をするときだけだ。それに」
 そこで露伴先生は、スケッチブックとペンを取り出した。そして、絵を描く体制に入る。
 この、暗くて手元の見えない、寒くて手のかじかみそうな冬の夜では、描けるものも描けなくなるんじゃないかと思ったけれど――
「眼の前にある星も、女も――ありのままを表現したいなら、ぼくの場合、『スケッチするほうが早い』」
 ――心配は無用だったようだ。白かったキャンバスには、夜空を背景にした私の姿が、見事なまでに表現されていた。
 ほとんど月明かりしか明るさがない中では、彼の描いたイラストはあまりよく見えなかったけれど。それでも、彼の絵が持つ『力』は、ありありと伝わってくる。
 それはもはや、『芸術』だ。彼がスケッチブックをしまってしまったのを見ながら、私はそう理解するしかなかった。

 だけど、それを認めてしまうのは、なんとなく悔しかった。いつもの私だったら、素直に感嘆して終わりだろう。だけど今、露伴先生に苛立っている私は、そうもいかない。
 私は感嘆する代わりに、恨み言を言った。今の私にはそれ以外、言葉が出てこなかった。
「で、何で私をこんなところに連れてきたんですか? まさか、そんなことを聞かせるためだけに、こんな夜にこんなところへ、私を連れ出したんですか」
 私はゆっくりと、周りを見渡した。町外れの、雪景色が広がるだけの野原。今ここにあるものと言えば、乗ってきた車だけ。
 街灯すら、かなり遠くにあるのがギリギリわかるくらいだ。しかも冬の夜は、かなり冷え込んでいて、何回も身震いしてしまう。
 それに――そう。今日はしかも、よりにもよって、クリスマス前夜なのだ。
 気になっている人に、聖なる夜に呼び出されて、期待しない人間はいないだろう。だけど、呼び出されたのは、周りにほとんど何もないただの野原。星空を見るといっても、色気のひとつすらない。
 期待をことごとく裏切られた気分になっていた私は、どうしようもなく腹が立っていた。
 折角のホワイトクリスマスだと言うのに、周りの人間たちは家族や恋人と大切な時間を過ごしているというのに――私はこんな寒い思いをしながら、彼の話に付き合わされている。それがどうも、むかっ腹が立った。
 実際は、勝手に期待していた私が、愚かだっただけなのかもしれないけれど。


「いいや、むしろ本題はここからなんだ、名前」
 露伴先生は、ニヤリと笑って言う。
 どういうことかと、私は露伴先生の顔を見た。期待する心はとっくに消え失せていたけれど、それならそれで、それなりの理由が欲しかった。
「カメラを通すと全く別のものに見えるものは、まだあるんだぜ――わかるか」
「わかりません」
 私が何も考えずに即答すると、彼は眉をひそめた。そして、答えを告げる。
「ちょっとは考えてから物を言ったらどうだ――まあいい。それは、『心霊写真』だ。なんせ、基本的に肉眼じゃあ見ることのできないものだからな」
 それは、あまりに突飛だと言って良い言葉だったと思う。
 彼の言っていることが一瞬理解できず、私は首を傾げるしかなかった。

 心霊写真。それに――幽霊。
 その言葉に、どうもひっかかるものはあったけれど――彼が言いたいことがよく分からなかったので、私は彼に聞いた。
「どういうことですか?」
 彼の言っていることはわかる。だけど、彼の言わんとしていることはわからない――あの岸辺露伴が、意味もなくこんなことを言うはずもない。
 怪訝に思いつつも、私は彼の言葉の続きを待った。すると露伴先生は、何気なく言った。
「まあ、ちょっとした取材だよ。君にもちょっと、手伝ってもらいたくてな」
 岸辺露伴は、さっきしまい込んだスマートフォンを、もう一度取り出した。そして彼は、私に液晶を見せる。
「ほら、こうやって、星が映るように写真を撮ると――サンタクロースが、現れるんだ」
「サンタクロース?」
 また、突飛な言葉が飛び出した。確かに今は、クリスマスイブではあるけれど――それでも、それだからこそ、彼の言っている意味がわからない。
 私は、露伴先生が私に見せたスマホを覗き込んだ。液晶に写っているのは、確かにさっきの写真だ。一見、月の光だけがぼんやり写っていて、星の良く見えない、写りの悪いただの写真だ。
「先生、何を言っているんですか? 私にはよく分かりません」
「ちゃんと見ろよ。よおく確認してから、質問したらどうだ」
 一見、写りの悪い、ただの空の写真。先生に言われた通り、渋々目を凝らして良く見てみる。すると。
 今、気が付いた――写真に写る空を良く見ると、赤い点のようなものがくっきり写っていた。
「えッ?」
 訝しく思って――画面に触って、写真に写る赤い点を拡大した。それは確かに――サンタクロースの服装に身を包む男が、ソリに乗っているように見えた。
 でも、こんなの。こんなのって。――まさか、露伴先生が私をだましているのでは? それとも――
「ウソ、でしょ」
「君ねェ」
 露伴先生は呆れたように声をあげる。だけど混乱する私の耳には、ほとんど入ってこなかった。
「ぼくのこと何だと思っているんだ? 君相手にウソなんかついてもしょうがないぜ。疑うなら、自分でも写真を撮ってみろよ」
 私は慌てて、自分のスマートフォンを取り出した。そしてカメラを起動させて、空を撮ろうとする。
 インカメになっていたカメラの設定を切り替えて、空にスマートフォンを向けた。すると――予想外のことが起こった。
 ある意味では、予想通りと言っても、良かったかもしれないけれど。
「やっぱり、本当に……サンタクロースが写っている……」
 何回写真を撮っても、何回確認しても、サンタクロースはそこにいた。当然、肉眼で空を見ても、どこにもサンタクロースなんていないのに。
「だから言ったろ。君にウソなんかついてもしょうがないってな」
 露伴先生の言う言葉。手元に残る写真。
 彼の言葉を聞いて、写真を見て――私は、理解した。理解せざるを得なかった。
 これは、この場所の――絶対的な、ルールだと。


「露伴先生。……さっき、心霊写真が云々って言ってましたよね」
「ああ、そう言った」
「じゃあ、このサンタクロース……幽霊だとでも言うつもりですか?」
「少なくとも、ぼくはそう思っている。現段階ではの話だが。もしかしたら、違うものかもしれないがな」
 露伴先生は、もう一度だけ空に向けて写真を撮った。そして、その写真を確認する――やはり、サンタクロースが写っていたのだろう。彼があえて、何かを言うことはなかった。
「でも先生、どうしてこんなことを知ったんです?」
 何となく呆然としながらも、私は露伴先生に聞いた。このときには、自分が不機嫌だったことなんて、とうに忘れていた。
「……偶然だった。本当に偶然だったんだ――別件で取材に行ったとき、道案内をしてもらうついでに、若い男の記録を覗いたんだ」
「またそういうことしたんですか?」
「あくまでリアリティの追求のためだ」
 岸辺露伴は悪びれない。そこで、少し気になった――この人はまたいつか、私の記憶を覗くのではないか?
 だけど、まあいいかと、彼の言葉の続きを待った。彼に記憶を覗かれたとして、またはもはや既に覗かれていたとして――その時はその時だ。
 それに。彼は、私の気持ちに気づいているのだろうか? もし気づいていないのなら、記憶を覗いてくれるのたということは、逆にありがたいかもしれない。まあ、気づいていてこんな仕打ちをしている可能性も、ゼロではないのだけれど。
「その男の記憶には、大体こんなことが書いてあった――『ぼくの父さんはサンタクロースになった』」
 露伴先生の声に、急に現実に引き戻された。私は、慌てて彼の言葉を耳に入れる。
「サンタクロース……?」
「そうだ」
 露伴先生は一呼吸置いて、続きを話す。
「『サンタクロースは夢に出てきて、ぼくが良い子か悪い子か聞く』、『父さんが事故で死んだ場所に行った。父さんが好きだった空を撮ると、父さんが居た』、『クリスマスの朝、欲しいものが枕元にあった。母さんがくれているものだと、ずっと思っていた。だけど、一人暮らしをしているのに、ここにあった』……まあ、ざっとこんなことが書いてあったな」
 彼の言うことを、まとめるなら、それはつまり。
「つまり――この写真に写るサンタクロースは、もともとはただの、子どもを持つ父親だったと?」
「そういうところだろうな」
「信じたんですか?」
「『ヘブンズ・ドアー』はウソをつかない。ただの狂人の妄言として片付けるにしてはもったいない話だ。実際、写真を撮るとサンタクロースが写ったわけだからな」
 彼の話に、納得いかけたところで――ふと、別のことで納得できないことがあった。
「……待ってください。今の話が本当なら、私は人が亡くなった場所に連れてこられたってことですか?」
「それが何だ?」
「…………」
 全く悪びれない岸辺露伴に、私は何と言い返せば良いかわからなかった。
 だけど――『クリスマス前夜に、こんなところへ連れてこられた』という怒りが、蘇ってきたのはわかった。しかもよりによって、人が死んだ場所でなんて!
 すると、私の不満が伝わったのか――露伴先生もまた、何となく不満げに言った。
「あのねェ――。ぼくにとって、漫画家にとって最も大切なのは、体験だ。リアリティだッ! それに、この世で人が死んだことのない場所なんてないだろ。人に限った話じゃあない、生命はいずれ、どこかの場所で死ぬ――地球に生命が誕生して、何億年経ったと思っているんだ?」
 彼の言っていることはわかる。露伴先生はこういう人だ。それは理解しているつもりだった。だけど。
 それでも、私にとって大切なものはそれじゃない、そういう問題じゃない――そう言い返すことは、私にはできなかった。

「で、このサンタクロースは、一体何をするんです?」
 今は言い争う気もなかったので、無理やり話を修正しようと、私は露伴先生に聞いた。だけど彼は、淡々とこう告げるだけだった。
「写真に映るだけだ」
「は?」
 思わず素っ頓狂な声が出た。わざわざ、こんな寒い夜に連れてこられて――それだけだって言うの?
 それはさすがにあんまりだ。文句の一つか二つでも言ってやろうと思ったところで――彼は不意に、呟いた。それは、今の会話の流れで、全く予想していなかった言葉だった。
「だが、そのサンタクロースが実際に見える可能性はある」
 その言葉は、私にとってあまりに不意打ちだった。私は思わず、文句を言おうとして開いた口を閉ざしてしまった。

「どういうこと、ですか」
「現にあの若い男は、あのサンタクロースからプレゼントを貰っている。サンタクロースがいつまでも、空に漂っているだけ、ってことはないはずだ――呼ぶことは可能なはずだ」
「……どうやって? プレゼントでも祈りますか?」
 ほんの軽口のつもりで、私は彼に言ってみた。だけど彼は――どうも、本気にしたようだ。
「フン――なかなか良いアイディアじゃあないか。やってみろ、名前」
「……えーッ? 先生がやればどうですか?」
 冗談のつもりだったのに。
 しかも、私がやるの前提なんて、あまり気が進まない。この行動が、本気でサンタクロースを――しかも、もともとはただの、死んだ人間を――呼び寄せることができるなんて、私には思えなかった。本当に、冗談のつもりだったのだ。
「残念だが――ぼくは生憎、良い子なんて年じゃあないんでね。君のほうが子どもだろ」
「そこまで、子どもなつもりないんですけど」
 露伴先生の方がよっぽど子供っぽいでしょう、と言うのはやめておいた。事実、これを言ってしまった途端に、私が彼の言った通り、子どもになってしまうことはわかっていた。


「で、何を祈れば良いんです?」
「適当で良い」
 本当に適当だ。
 もうちょっと考えてくれても良いのではないかと、ちょっぴりむっとなったけど、当て付けのつもりで祈ってみることにした。
 目を閉じて、両手を組む。そして、一心に祈る。半分は冗談のつもりだったけれど、半分は本気で祈った。
『嗚呼、サンタさん。もし、本当にいるのなら――この、デリカシーのない男の心を、私にください』
 半分本気とはいえ、半分は冗談だ。こんなことで彼の心を手に入れられるとは、最初から考えていなかった。
 そもそも、本当にこれでサンタクロースが来るなんて、微塵も考えていなかった。
 だけど。


 ふと見上げると、ぼんやり赤い影があった。
「おまえは、良い子か?」
 ぼんやりとした視界に、ぼんやりとした声が響く。
「それとも、悪い子か……?」
 ぼんやりした赤い影。ぼんやりした赤い服。
「良い子なら、願いを叶えてやろう。だが」
 これが――
「おまえが悪い子なら――おまえの血で、私の服は赤くなる」
 ――本物の、サンタさん?
「もう一度、おまえの願いを聞こう」
 私の、願い。
 さっき祈った願い。半分冗談のつもりで、半分本気で祈った願い。
「私は――」
 半分は冗談のつもりだったけれど、半分は本気だった。願いそのものは、私の心から望むものであった。
 だから、私は――半分ではなくて――全て、冗談にしない、本気にする選択肢をとった。
 私は、露伴先生の、心が――
「おまえは」
 ぼんやりした視界。ぼんやりした赤い影。その中で、急に男の低い声が、はっきりと鼓膜を揺らした。
「おまえは――良い子ではない。悪い子だ。悪い女だ!」
「ッ!?」
 いきなり、首を絞められる感覚に襲われた。今まで朦朧としていた意識が急に明瞭になる。
 突如、正気を取り戻せたような気がした。そしてその引き換えに、どうしようもない息苦しさを感じた。


「露伴せ……」
 私は身動きが取れなくて、露伴先生に助けを求める。私一人では、どうしようもなかったから。
 明瞭な視界の中でも、サンタの姿自体は未だぼんやりしていて、はっきりと見えない。そして、確かに首を締められている感覚はあるのに――その締めている手に、触れることはできなかった。
「名前……? 何をしている?」
 露伴先生は、私の状況を理解していないようだった。そこで理解した。彼にはきっと、サンタクロースが見えていない――
 だけど、私のこの状況を知らせようにも、上手く声が出せない――どうしようもない。一体、どうすれば……。
 ――そ、そうだ、カメラ……!
『カメラを通せば、サンタクロースを見ることができる』
 きっと、カメラを通せば、この状況を露伴先生に伝えることができるはずだ――
 自身のポケットから、なんとかスマートフォンを取り出す。そして、スマートフォンのカメラを目の前に向けた。
 すると――目の前に立つ、真っ赤な服を着込んだ『サンタクロース』が、液晶越しにはっきりと見えた。
 私は、悪い子なんかじゃない。少なくとも、こんなところで殺される理由があるほどの、悪い子ではない。
「私は――『良い子』よ!」
 なんとか絞り出すようにこう言うと、さらに強い力で首を締められた。
 苦しい――腕から力が抜け、スマートフォンが地面に落ちる。
「グッ……」
「名前ッ! 君、何をしているッ!?」
 ――露伴先生、カメラを見て!
 声は出ない。しかし、訝しげに思ったのか、彼は私のスマートフォンを手にとった。――防水のスマホを買ってて良かった、ここで雪に濡れてスマホが壊れていたら、全てが終わっていた。
 おそらくこれで大丈夫だろうと、安堵の息を吐きたかった。だけどどうも息苦しくて、それどころではなかった。

 露伴先生は私のスマホ拾い上げ、液晶に写る写真を見ると――憔悴の声をあげた。
「な、何ィィ――ッ!? こ、これは! 『ヘブンズ・ドアー』ッ!」
 露伴先生は、およそ私の首を締めている『サンタクロース』がいるであろう場所に、スタンドを発現させた。
 だけど。
「か、書けないッ! 否! 『触れることができない』ッ! 『見ることもだ』!」
 当然だった。私も、露伴先生も、サンタクロースには指一本触れることはできない。『ヘブンズ・ドアー』で書き込めないのも、当然であった。
「グッ……クッ……」
 露伴先生が『ヘブンズ・ドアー』を使えないとなると、状況は悪くなる一方だ。さっき安堵したのは、間違いだったか――私は、この首を締めてくるサンタクロースの手から、逃れることができない。
 非常にまずい――意識が、半分飛びかけている。
 もうダメかもしれない。本気でそう思い、諦めかけたところで――
「カメラを向けないと見ることすらできないのなら――『カメラに向かって、書き込む』ッ!」
 露伴先生は――カメラに向かって、『ヘブンズ・ドアー』を向けた。この一瞬は、永遠にも思えた。
 永遠に思える一瞬が過ぎた後――サンタの動きが、止まった気がした。
「おまえは――名前のことを『良い子』だと認識するようになる」
 滔々と告げる、岸辺露伴の声。
 その静かな声は、さながら宣告寸前の処刑人のようだった。

 その声が響いた途端――禍々しい雰囲気が、急に消え去った。締められた首は開放され、息苦しさも消える。ぼんやりしていた赤い影も、今となってははっきり見えた。
 赤い影の正体は――優しい微笑みを浮かべ、赤い服を着て白いひげを蓄える、ふくよかな男だった。その姿は、全世界の子どもたちが思い浮かべる、『サンタクロース』のイメージそのもの――
「『――』。今年のプレゼントだ。今年も良い子でいるんだぞ」
 サンタクロースは、どこまでも優しい声で、私に向かって知らない人の名前を呼んだ。それは、まるで――
「私にとっての良い子は、おまえだけだ。『――』」
 まるで、親が、この世で一番大切な子どもに向かって、語りかけるような――
「たとえ、星の数ほど女がいようとも――良い子は、一人だけだ。私の子は、一人だけだ」
 そして、サンタクロースはゆっくりと消えた。悪い子を懲らしめたサンタクロースは、良い子に向かってプレゼントを渡したらしい。
 『良い子』――それが誰なのかは、そして本当にプレゼントが渡ったのかは、わからないけれど。


 私たちは、暫く無言だった。何を言うべきなのか、私には分かりかねていた。
 現代人の悪い癖で、人と会話が途切れると、どうしてもスマートフォンが気になってしまう。私は、ほとんど無意識的にそれを起動させた。
 すると。
「これって……? 先生、ちょっと見てください」
 何故かスマートフォンに、撮った覚えのないムービーが残っていた。
「……再生させてみろ」
 慌てて再生させてみると――とある男の人生が、断片的に収録されているようだった。私と露伴先生はスマートフォンを覗き込み、食い入るようにその映像を観た。

 それは、サンタクロースになりたい男の話だった。
 しかもそのサンタクロースとは――グリーンランドに認められる、公認サンタクロースだ。
「聞いたことはある」
 露伴先生は、ムービーを見ながら呟いた。
「公認サンタになるためには、試験を受けなくてはならない――結婚していて、子どもを持ち、体重も百キロは軽く超えていないと試験すら受けることができないらしい。試験内容も、なかなかハードなものらしいな」
 ムービーに目を移す。まだ若かった頃の男だ。体型は普通。痩せっぽちで、およそサンタクロースのイメージとはかけ離れている。それでも彼は、子供のことが好きだったらしい。
 子どもたちのために、本気でサンタクロースになろうとした男。女嫌いだったが、結婚して、子どもを持った。無理して大食いにもなった。
 全ては、サンタになるためだけに――
 だけど、その願いは叶わぬまま――男はこの場所で、死んだのだ。どんな事故だったかまではわからない。
 ただ、自分の子ども――『良い子』に対して、本物のサンタクロースとなってプレゼントを渡すことができなかったのが、何より強い未練となっていたことは――はっきりわかった。
 良い子にプレゼントを渡すサンタクロースになりたかった男にとって――いつの間にか、『良い子』は、自身の息子だけとなっていた。サンタクロースになることが、未練になったわけではなく――本物のサンタクロースになった状態で、自分の子どもにプレゼントをあげられなかったのが、未練となっていたのだった。

「あの男――マジにサンタクロースになろうとしていたのか。グリーンランドで認められる、本物のサンタクロースに」
 ムービーが終わった後、露伴先生は長く息を吐いた。そして彼は、ぽつりと呟く。
「けど、生前サンタクロースにはなれないまま――あの男は、死んだ」
 あの男は星になった。幽霊になった。サンタクロースになったのだ。
 世界でたった一人だけの、良い子のためだけの。
 星の数ほどの女がいた。その中から一人の、女を選んだ。
 けど、彼にとって、女は無数いるものでしかなかったけれど――その女との子供は、唯一無二のものであった。
「きっと彼は、今になって、サンタクロースになっているんだと思いますよ」
 そう。今も、星空にサンタクロースが飛んでいる、そんな気がした。
 実際にそうなのだと思う。
 彼は死んで――本物のサンタクロースになったのだ。
 それらの事柄全ては、カメラを向けないと分からなかった。
 否、もしかしたら、本当はわかっているつもりで、わかっていないのかもしれない。星でも女でもなくても、カメラの向こう側で素顔を見せるものなんて――結局のところ、存在しないのだから。


「名前、消せ。本来、君が見て良いもんじゃあない」
「先生……」
 露伴先生は俯いて、私に向かって言った。私は、そうですねと言って、スマートフォンに残っていたムービーを削除した。
「……って、先生?」
 自分のスマートフォンからムービー消した後で――私は、露伴先生が自身のスマホを握っていることに気がついた。
 そして、その画面をよく見ると――露伴先生のスマホにも、同じ動画があった。
「え、待ってください、『私が見ちゃダメ』……ってことは、先生は見ても良いんですか?」
「まだ必要だ、ぼくにはな。これはリアリティの追求に必要なことだ」
「先生も消しましょうよ、人には偉そうなこと言っておいて」
「この体験を漫画に生かさないでどうするって言うんだよッ! 何のために、わざわざクリスマスなんかに取材に来たと思っているんだ」
「もう」
 ここでやっと、緊張が抜けたのだと思う。軽口を叩けるくらいの心の余裕は、出てきたようだ。
 ここで、文句のひとつでも言ってやろうか、と思ったところで――ふと、空で何かが動いた気がした。
「え……?」
 空を見上げると、やっぱり、何かが光った。
 じっと目を凝らしていると――流れ星だとわかった。しかも一度や二度の話ではない。大量の星が、空に流れていく。
「これは……?」
「ああ、こぐま座流星群だな。だが、それにしても良く流れるな――今年のピークは、昨日だったはずだが」
「流星群……」
 決して、それだけではない気がした。
 空が涙を流しているのだと、あのサンタクロースが泣いているのかと――そう、思わざるを得なかった。


「あの人は――『良い子』は、今年もプレゼントを貰えるんでしょうか」
「さあな。そんなことは知ったことじゃあない……帰るか、名前」
「そう、ですね……」
 帰ると言ったって、なんだか、今更家に戻る気にもなれなかった。
 何となく、お互い何も言えずにいると――急に私の口からくしゃみが飛び出てきて、沈黙を破った。
「オイオイオイオイ、風邪でもひいたんじゃあないか」
「――本当に風邪を引いたとしたら、こんな真冬の夜中に連れ出した、露伴先生のせいですね」
 思わす、憎まれ口を叩く。すると露伴先生は、急に私に向かって言った。
「そうだ。今日くらい泊まっていけよ」
「はあ……?」
 素っ頓狂な声が飛び出た。一瞬、何が起こったのか、よくわからなかったのだ。
 そして一瞬の後――私は、理解した。
『この男の心を、私にください』
 あのサンタクロースは、もしかして――本当に、私の願いを叶えてくれたのだろうか?
 もしかしたらそうかもしれないし、違うのかもしれない。――だけど。
「今日が何の日か知らないのか? クリスマス・イブだぞ。聖なる夜だ」
「大切な人と一緒に過ごす日……です、よね」
「……まあな」
 クリスマスくらい、奇跡を期待しても良いかもしれない。そう思った。
「ほら、行くぞ」
「……はい!」
 露伴先生の後に続いて、私は歩いた。大切な人と一緒に過ごす日に、気になる人と過ごすことができる――顔が緩みそうになるのを堪えるのに、必死だった。
 だから、それを誤魔化すように――私は露伴先生に、笑って言った。
「メリークリスマス、露伴先生!」
「今さら言うのか? 遅いだろ」
 露伴先生は呆れつつも、彼の口角は上がっていた。それを確認すると、どうしても私は、嬉しくなってしまうのだった。


 もし、サンタクロースが、流れ星が――もうひとつだけ願いを叶えてくれるのなら、私はこう祈るだろう。
 どうか、どうか。私と露伴先生が、楽しいクリスマスを過ごすことができますように。


- ナノ -