■君の首を絞めて

※特殊性癖夢主。吉良に絞め殺されたい人向け

 第一印象は―――何だこの女、だった。
 そして第二に―――とても美しい手の持ち主だ、と思った。


「あー。首絞められたいなー」
 カフェでコーヒーを飲んでいると、近くの席に一人で座っている女が突拍子もなく呟いた。恐らく無意識だったのだろう、口に出してしまったことに軽く驚いたようにハッと目を見開き、キョロキョロ周りを見回した。どうやら誰か聞かれていないか不安だったようだ。しかし、誰にも聞かれていないと判断したらしく、女は気だるそうに、ふ、とため息を吐き出した。―――この吉良吉影がその言葉を聞いていたことには、気が付かなかったようだ。
 しかし、首を絞められたい、というのはどういった感情なのだろうか。少しの好奇心と共に、ギシ、と爪が伸びたことを確かに感じた。
 バレない程度に女を伺うことにしてみる。『彼女』に怒られるだろうか、と胸ポケットを思わずまさぐるが―――前の『彼女』とは、昨日『手を切った』ばかりだということを思い出した。ここに、『浮気』を咎める『女』はいない。安心して女を眺めることができる、とコーヒーに手を伸ばした。
 女の手首は、よく手入れがされており、ほっそりとしていて美しい。彼女はおもむろにその美しい手で髪をかきあげ―――そして髪が邪魔だったのだろうか、無造作に高く結った。
 髪の毛に隠れていた、女性特有の細く白いうなじが露わになる。伏し目がちな表情も相まって、それは情欲のそそる光景であった。ゴクリ、と思わず唾を飲み込む。
 髪をまとめ終えた彼女は暫く物思いに耽っていたようだが、おもむろにカフェの席から立ち上がった。そして、代金を支払うために歩き始める。
「……………………」
 彼女に悟られないように、自然を装って彼女のあとをつけることにした。自分のコーヒーをまだ全て飲み終えてはいなかったが、そんなことに構ってなどいられなかった。

「あの女……首を絞められたいそうだ。そういう性癖か? それともただ死にたいのか? 誰かに殺してほしいのか? そこまではわからんが、彼女は美しい手首を持っている―――利害の一致、ってヤツだな。『キラークイーン』、あの女を追うぞ」
 我が『キラークイーン』に向けてそっ、と語りかけたが、無口な殺人女王は口を開かなかった。


 暫くあとをつけて歩いていると、女はマンションの一室に入っていった。家の鍵を締めた形跡はない。女性の一人暮らしにしては不用心と言えるが……、それとも他に誰かいるのか?
 ちら、と標識を確認する。『苗字』……これでは、この女の名字が『苗字』であることしかわからない。一人暮らしかどうかは、これでは判断することが出来ない。チッ、と思わず舌打ちが飛び出る。
 もし部屋にいる人数が多いと少し面倒だな、とは思ったが、まあいい、と部屋の扉を開けることにした。
 呆気なくドアが開いたと思ったら、その向こうに立ち尽くした女がひとりいた。彼女は驚愕しながらこちらを見てきたので、この私とバッチリ目が合った。

「君…………名前は?」
「…………名前」

 女は驚いてはいたが、こちらからの質問に素直に返答した。そこら辺にいる、質問に対して答えようともしなかったり、質問を質問で返すようなテスト赤点女とはズレたような雰囲気を感じとる。少しだけ、この女に好感を持った。

「……えっと、どちらさまですか? 私に、何か用ですか?」

 女は、困惑したようにこちらに問いかけた。しかし、その表情に恐怖は感じられない。―――普通こういった場面では、私のことをウスラボケと罵ったり、悲鳴をあげて逃げ出そうとするような喧しい人間が多い。やはりこの女、どこか他人と思考が『ズレて』いるようだ。

「私の名前は吉良吉影。……君の首を締めに来た」
「―――ッ! ……聞いてたんですか」

 女の顔が一瞬で青ざめる。だがその後すぐに、ふと彼女の表情から絶望の色が抜けていった。そうして、青くなった顔は一瞬で上気し始める。

「―――首、絞めてくれるんですか」

 そう言った彼女は、半分泣きながら微笑んでいた。彼女の頬を伝った透明な雫が、反射して輝いていた。


「ずっと、誰かに首を絞められたかったんです」

 彼女は聞いてもいないのに、勝手に語り始めた。正直言ってお望み通り早く絞め殺し、手首だけにしてやりたかったが、折角だから聞いてやろうじゃあないか、と黙って聞くことにする。

「何故そうなのかは、わかりません。別に、死にたいわけじゃないけれど、どうせ死ぬなら誰かに首を絞められて殺されたいなって、いつも思うんです。けど、こんなこと彼氏ができても言えなくて……言えないフラストレーションが溜まっていって、結局首を締められないまま、別れてしまいました」

 ふう、と彼女は物憂げに息を吐き出した。その言動には、どこか人生への諦めが感じられる。

「……吉良、さん。あなたの手は―――美しい、とは言わないけれど。適度にゴツゴツしていて、骨ばっていて素敵。私はいつか、そんな手を持つ人に、私の首を絞められたかったんです」

 彼女は、恍惚とした表情で私の方に忍び寄ってきた。そして、どうぞ首を絞めてくださいと言わんばかりに立ち止まった、かと思いきや―――突然、私に襲いかかってきた。彼女の美しい手がわたしの喉に向かって、勢いよく伸びてくる。あまりに突然のことだったので、防御するのが一瞬遅れてしまった。本来ならば、こんな娘から攻撃を受けたって、『キラークイーン』を使うまでもないのに、だ。

「……ッ! この、女……」
「さあ、吉良さん、早く、早く私の首を絞めて! こうやって、誰かと首を絞め合うのが私の夢だったの! 先に死ぬのは、どっちかしら?」

 女の細腕にしては、彼女には力があった。酸素が頭に回らず、脳ミソ中に警告が鳴り響く―――これは、ちょっぴりマズい。

「早く! 早く! 早く! 私の首が締まる前にあなたが死んでしまっては意味がないでしょう? さあ吉良さん、早くッ! 早く私の首を絞めてッ!」

 女の顔は、狂気に歪んでいた。心から楽しそうな、陶然たる面持ちで私だけを見つめてくる―――私は、彼女の手を払いのけずに、ガッ、と彼女の首に手をかけた。その勢いで私たちは、バランスを崩して床に倒れ込む。

「…………」

 私の首に手をかけたままの女は少しキョトンとしたと思ったら、心底幸せそうに口角を上げた。わたしはそれが何故だか気に入らなくて、私は手に強く力を込め、彼女の首を思い切り締める。女は少しだけ大人しくなった。

「グッ……クッ……」
「いい子だ」

 彼女はそこでようやく、苦しそうに顔をこわばらせた。思うように息ができないのか、酸素を求めようとしているようだが、それはもはや無駄な行為と化している。
 しかし、彼女はそれでも興奮しているらしい。口許が緩んでいることを、彼女は隠そうともしていない。彼女は着々と死に近づいているというのに、それには全く気がついていないようだ。もしくは、この興奮と引き換えならば彼女自身の生死はどうでもいいのかもしれない。

「吉良、さ」

 彼女が私の首にかけていた手の力は段々と弱まっていたのだが、急に彼女の手に強い力が込められ、私は思わず呻き声を出してしまう。
 しかし、彼女の手に力が入ったのは、たった一瞬のことであった。彼女はトロンとした目で私を見つめてくるも、もう力は入らないらしい。やがて、彼女は気を失ってしまった。しかし、まだ死んではいない。

「…………」

 彼女の手を優しく払い除ける。この手に首を絞められ苦しかったが、本気で見惚れてしまうほどの美しい手首だ。彼女の手にそっと頬擦りをする。滑らかな感触が心地よく、下品ながら下半身に熱を持ったのがわかった。

「『キラークイーン』……第一の爆弾」

 そして私は、彼女の手首以外の全てを爆弾に変え、爆発させた。気を失っていた彼女は少しも苦しむ暇もなく、手首を残してただ逝った。

「さて」

 私は『彼女』をエスコートする。証拠は残さない。部屋を少し見回した後、私は『彼女』の部屋から優雅に外へ出た。周りに人がいないことを確認すると、私は『彼女』に向かってそっと語りかける。

「君の名前はなんだったか……そうそう、名前だ。君とは色々あったが、これからは清い心で私と仲良くしようね」

 私はこうして『彼女』と付き合い始めた。『彼女』が臭ってくるまでの短い間の話ではあるが。いつか『彼女』と手を切った時私は、彼女との出会いに何があったのか、『彼女』と付き合った時に何をして楽しんだのかも、忘れてしまうのだろう。ただ―――名前。この名前だけは、何故だか忘れられそうにない。

「まあでも……。たまには君の美しい手で首を締められるのも、悪くないかもな。その時は頼むよ、『名前』」

 無口で大人しい『彼女』は、返事をしなかった。そんな『彼女』を見て私は満足したあと、一度だけ『名前』に口付けを落としたのだった。


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