■カミキリムシのお味はいかが

※R15/虫ネタ・グロ/露伴が気持ち悪い

 普通、初めて恋人を家に招く時は、緊張したり、甘いムードが漂ったり、その他もろもろ、それらしい空気が漂うのが相場だろう。
 彼の家に遊びに行くのは慣れていたとはいえ、最初に私の家へ招くことはとても緊張した。たとえ相手があの岸辺露伴とはいっても、多少はそういう雰囲気に呑まれるだろうと思っていたし、私も一線を越えることに対しての覚悟はしていた。
 けれど―――彼の人間性と、私の家の『穴』が、全てを台無しにする。

 露伴先生を家に招き入れ、私の緊張はピークに達する。露伴先生は普段通りに見えるが、私は全く普段通りとはいかないだろう。つっかえながら、私はなんとか告げた。
「こ、……ここが、私の部屋です」
 先生に何か言われることは覚悟している。もし、ここにいるのがラブラブな恋人同士ならば「女の子らしくて可愛い部屋だね」「そ、そんなことないわよ!」とかなんとかゲロを吐くぐらい甘い会話が飛んできそうなものだが、この人に限っては絶対ない。良くて「これがリアルな女の部屋ってやつか、スケッチしておこう」、悪くて「趣味の悪い部屋だな」といったところだろうか? 私は既にそのようなシチュエーションを何度も経験している。だけど、今日こそは、何を言われても、どうにかして甘いムードに持ち込んでやる!

「おい、名前……」

 露伴先生が何かを言いかける。来た、と私は目を瞑った。さあ、どんな感想でも言ってみろ。何と言われようとも、どうにかしてやるわ!
 だが、私のその決意は―――全く、予想外の出来事によって崩れ去ることになった。

「君の家では昆虫を飼っているのか? 随分でかいヤツだな」

 ……は? 思わず間抜けな声が飛び出た。先生が何を言っているのかすぐに理解出来ず、彼の顔を見る。そして、彼の視線の先には―――

「ヒッ…………!!」

 つやつや光る茶色の身体。そこから、昆虫独特な折れ曲がった形の脚が、六本生えている。茶色がかった頭の上には、おぞましいほど鋭い触覚が、二本。そんな、拳の大きさほどある「何か」が、部屋の壁に引っ付いていた。
「な、なな、なんですかアレ……ッ!!」
「なんだ、君が飼ってたものじゃあないのか。カミキリムシだな、アレは」
「か、カミキリムシ……?」
 蚊や蝿などならともかく、なんで部屋にカミキリムシなんて沸いて出てくるんだろうか。しかも、恋人を初めて部屋にあげた日に。壊れた網戸をもっと早く直すべきだった、と後悔する。
「フム……矢張り、虫に遭遇した女子の反応というのは千差万別で興味深いな。君のような色気もへったくれもない悲鳴は実にリアリティがあってよかったよ」
「……先生、そんなことをメモしてないで助けてください……」
 ここまできたら、もう彼と一線を越えるとかどうとか、そういう次元ではなくなってくる。露伴先生が虫に遭遇した時にどうするかくらい、私も知っているのだ。
「ム、それもそうだな」
 露伴先生がそう言った途端、『カミキリムシ』は空を飛んだ。ブーン、と不快な音が耳元に響き、全身が粟立つ。
「ヒィッ……!」
 『色気もへったくれもない悲鳴』をあげて、私は思わず先生にしがみついた。彼の腕に私の胸が当たったような気がしたが構う余裕はない。いつもだったら先生に対して過度なスキンシップをとったりできないけれど、どうしても身体が反応せざるが得なかったのだ。
「……全く、大袈裟だよなァ〜〜〜。君はもうちょっと冷静さを身につけるべきだと思うぜ」
「だ……、だって…………」
 ほとんど涙声になっている私のことなんか気にかけずに、先生は動いた。カミキリムシはいつの間にか、机の上に止まっていた。
 露伴先生はどこからかカッターを取り出し、そして、慎重に、それでいて躊躇いなく『それ』を刺す。
 グジュ、という音とともに、茶色い液体が『それ』から飛びでた。『それ』はもう身体を動かすことは出来ないようだが、羽と脚はまだ動いている。
 私は、今までにないくらい猛烈な吐き気に襲われていた。多分、彼がこれからどう行動を取るか、無意識的にわかっていたのだろう。

「フム……。こんなところでカミキリムシに遭遇することもあるんだな、これからカミキリムシを漫画に出す時に参考になるぞ。こいつはこんな風に死んでいくのか……どれ、味も見ようじゃあないか」

 そう言って、露伴先生はカミキリムシを口に含んだ。茶色い液体と、折れ曲がった脚が、先生の口から漏れ出ていた。


 私は、露伴先生の方を見ないように必死に後ろを向いていたし、音も聞かないよう耳を塞いでいた。どうせ先生は暫く、『家でカミキリムシに遭遇した』というリアリティを、隅から隅まで自分の経験として取り込むのだろう。そこに私という存在は必要ない。仮に私が必要だったとして、こちらから願い下げである。

「――い、名前」

 あーあ、折角、初めて露伴先生を私の家に招いたのに。先生は私のことなんか無視をして、漫画のネタばかり探すんだわ。別に、無理して身体の関係に持ち込みたかったわけではないけれど……でも、期待していたのに。なんだか私が、とんでもなく馬鹿みたいじゃあないの!

「おい、名前! 聞いているのかこのスカタン」

 え? と私は振り向いた。そこにいるのは岸辺露伴だけであり、カミキリムシはどこにも見当たらない。
「せ、先生……」
 虫はどうしたんです、とは聞けなかった。『食べた』と言われるのが怖かったからだ。
「ぼくは君の家に上がらせてもらって、まだ何もしてもらってないんだが。まさかお茶も出せないなんて言うつもりはないだろうな」
 先生になんでもないことのように言われ、震え声で、今出します、としか言えなかった。

 お茶を入れている間も、私はあの時の光景を思い浮かべていた。そしてこみ上げる吐き気。私はこれから、この人と上手くやっていけるのだろうか? 不安が溢れてくる。

「先生、お茶を入れてきました……」
 いつもよりトーンが低いことは自覚している。先生は私のベッドに勝手に腰掛け、私の部屋の様子をスケッチしていた。いくら片付けて綺麗にしてあるとはいえ、描かれるのは気恥ずかしい気持ちがある。
「来たか。とりあえず、隣座れよ」
「え? あ、はい……」
 この時の私は、何も警戒していなかった。あの岸辺露伴が、こんなタイミングで女の子を襲うなんて、思ってもいなかったのだ。

「……せ、先生?」

 既に私の上に乗っている先生を見て、私は困惑して問いかけた。押し倒された、ということは理解できるのだが、この先生に限っては、それが性的な意味を持つと思えなかったのである。何故だろうか。
「……君が悪いんだぜ。名前が、わざと胸を押し付けたりするからだ」
 え、ええ? と首を傾げ、記憶を辿って……ようやく気がついた。もしかして、カミキリムシが飛んできた時に、思わず先生にしがみついてしまった時のことを言っているのだろうか?
「あのカミキリムシも、仕込んでやったことか? 名前がそこまでするとは思えないが、もしそうなら拍手してやりたい気分だね。名前、君はぼくと一線を越えたくて家に呼んだんだろう? 合格だ、タップリと愛してやるよ」
 露伴先生の言っていることは、半分合っていて、半分間違っている、と言ったところだろうか。本来私は確かに先生と愛を確かめたかったのだし、これでよかったのかも。
 呑気にもそう思った所で、重要なことに気がついた。さあっ、と血の気が引いていく。
「あの、先生……虫を、食べて、口ゆすいでませんよね? あの、露伴先生、せめてお茶を飲んでから……」
 青ざめたまま私は言うが、先生は至って冷静なまま囁いた。

「ダメだね」

 露伴先生は私に、触れるだけのキスを急に落とした。ヒッ、と小さく悲鳴を漏らしてしまう。

「フム……こうするのも、犯しているような感じがして、悪くないな。いっそうリアリティのある、女が男に襲われているシーンを描くことができそうだ」
 ―――そんなシーン少年漫画で描かないでよ! 先生の漫画ならやりかねないけど!
 心の悲鳴は届かずに、露伴先生は私に深い口付けを落とす。テクニックだけで言えば決して悪くは無いのだが、悪寒が止まらなかった。

 私は泣いていた。何に泣いているのかはもうわからない。こうやって身体を重ね合わせることは望んだことなのに、何故だか辛く思っているからなのか。犯されているような気分がして屈辱的に思っているのだろうか。いや、単に虫に犯されているような気分で不快になっているのかもしれない。
 岸辺露伴は笑っていた。私と身体を重ね合わせるのが嬉しいのだろうか。他人と虫の味なんて共有できたことが嬉しいのだろうか。いや、多分彼は、漫画のネタを沢山手に入れられたのが嬉しいだけだろう。彼は、私より、虫より、漫画が第一なのだ。

 そして私は、露伴先生の口移しで味わったカミキリムシの味を、一生忘れることはないだろう。
 できればもう二度と、味わいたくはないのだが―――彼と一緒にいる限り、それは避けられないことなのかもしれない。


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