「レン、入るね?」 「……っ、どうぞ」 待ち兼ねていた来訪に声が上擦りそうになるけど、なんとか堪えて返事した。 ノブの回る軽い音と共に風呂から上がったばかりのリンが入ってきて、無機質な部屋の空気にシャンプーとお湯の甘い匂いが混じる。 「ごめんね、待たせたかな?」 「いや、大丈夫」 嘘だけど。本当は待ち遠しくて仕方なかった。あの昼下がりの悶着からこっち、自分でも恥ずかしくなるぐらいにそわそわしていたし。リンに怪しまれなかったのが不思議なぐらいだ。 「今日はごめんね。レンのタルト勝手に食べちゃって…」 「もう怒ってないよ。それより約束のことだけど」 「うん、忘れてないよ。レンのお願いなんでもきくから」 なんの疑いも躊躇いもなく頷くリン。普通ならどんな無理難題を吹っ掛けられるかビクビクしそうなもんだけど、俺の片割れは危機感がないというか、楽天家というか。 俺のことを信頼してるからなんだろうけど、これから裏切る身としてはその手の信頼は嬉しくないし、いっそ気の毒だ。 今から嫌でも思い知ることになるよ、リン。恋人だからって男を簡単に信じたらぱくりと食べられてしまうんだって。 「リン、こっち。そこに立って」 「ここ?」 「そう、そこ」 ベッドから二、三歩の距離のところを示す。俺はベッドに腰掛けていたので、間近に来たリンを見上げる形になった。 「次は?どうすればいいの?」 「…リン」 期待に逸る心臓を抑える為に一度言葉を途切り、深く呼吸をすれば、近くなった分だけ強まったリンの香りが肺を満たして余計に体温が上がってしまった気がした。 …ここまで来たら、理性なんて邪魔なだけか。 俺は隠す必要のなくなった劣情を唇の端に浮かべて、短く、はっきりと『お願い』を告げた。 「脱いで」 「………………え?」 「脱いで。服、あと下着も」 「え、え、えええええええええええっ!!!!!!」 時刻も憚らない大声が夜の静寂に木霊する。 …まあ、大方そんな反応が返ってくるだろうとは思っていたけど。 にしたってそこまで驚くことだろうか。ずっと言い続けてたことなんだし、俺の『お願い』なんて少し考えればわかりそうなもんだけどなあ―――――リンの裸が見たいってさ。 でも、今回はその鈍さに感謝だ。もし先読みされていたら今頃はマスターの所にでも逃げ込まれていただろうから。 「お願い…きいてくれるんでしょ?」 「えっと、でも、ぬ、脱ぐって」 「早くしないと俺が脱がしちゃうよ」 「ぴゃっ!ちょ、レンっ、やだ」 後ずさり始めていたリンの腰を抱き込み、襟元のボタンを食む。そのまま歯と舌先を使ってゆっくりと前を肌蹴させれば、リンは短く悲鳴を上げて身を捩り、腕の囲いから抜け出そうと暴れ出した。そうはさせるか。 前回の教訓を活かして、ぐっと腕に力を込めリンの動きを封じる。これでリンも簡単に反撃はできない。 「で、電気を、」 「ダメ。それじゃ意味がないだろ」 リンだってここまですれば俺が何をしたいかわかっているはずだ。 そりゃあ俺だってこんなやり方はちょっと卑怯だとは思うけど、こうでもしないとリンはいつまでたっても首を縦に振ってはくれないだろうし、こっちもそろそろ我慢の限界なんだ。折角掴んだチャンスを活用しないでどうする。 完全に開き直っている俺は、照明のスイッチに伸ばされたリンの腕を押さえ込んで甘い匂いのする首筋に噛みついた。 「ひっ、やだぁ、おねが…」 「悪いけど今日は逃がしてあげないから……いい加減覚悟を決めろよ」 耳元で低く囁きを落とせば、リンは襟首を掴まれた子猫みたいに身を竦めて抵抗を止めた。 昼間の負い目がある分、普段のような強気に出られないんだろう。これもわかっていたことだ。実際の場面になればリンが拒んでくることなんて想定済みだった。だからこそ必要以上に追い詰めたんだ。 弱みに付け込むようなやり方は褒められたものではないが、こうなるきっかけをつくったのはリンの方なんだ。おとなしく観念してもらおう。 「ほら、リン…脱いで」 「あ……う……っ」 緩く耳たぶに吸い付きながら追い打ちをかければ、リンの指は散々の逡巡の末に震えながらパジャマのボタンを摘まんだ。 「……っ」 スローモーションのような緩慢な動きで小さな円形のプラスチックが布地の隙間を通り抜けていく。焦らすようにして覗いた肌色に鼓動が大きく跳ねた。 これは……思った以上にヤバいかも……。 広がった襟元に手を潜り込ませ、思うままにまさぐりたくなるのをぐっと堪え、先を促す視線を送る。リンは俯いたままだったが、目を向けずとも痛いほど突き刺さってくる劣情を感じとったのか、次のボタンに手をかけた……けどそこから先が動かない。 あとほんの少しだけ前の合わせをずらせば、リンの胸を包む下着が見えるだろう。でもそこでリンの指はぴたりと動きを止めてしまった。 ……おいおい、これだけ昂ぶらせておいてまだごねる気か。 「リン、いい加減に、」 「…………め…」 「え、なに聞こえな…」 「やっぱりだめええええええええーーーーーー!!!!」 「っ」 み、耳が…っ、耳がキーンって………っ! 「おまっ…耳元でなんつー声を…っ」 なんだよ今の声量!マイクもスピーカーもなしにハウリングを起こすなんてパワフル&チャーミングどころじゃねーぞ!? 「うう…だってぇ…」 「…なんだよ、そんなに嫌?」 自分の声に拗ねたような色が混ざる。 大人げないのはわかってるけど、ここまで力いっぱい拒まれて平然としていられるほど思春期男子のハートは頑丈に出来ていない。いっそ泣き出したいのを堪えてる自分が健気に思えるぐらいだ。 「だって…やっぱり……」 「恥ずかしいの?何回も言ってるけどそれ今更だから。いつももっと恥ずかしいことしてるだろ?こないだだってほら、後ろの、」 「ちょ、それ以上言わないで!っていうかそういう意味じゃなくて!」 「え、違うの?恥ずかしいから嫌がってるんじゃないの?」 「え、えっと、恥ずかしいのもあるけど…その、だから…」 「リン?」 さっきからリンの言葉は要領を得ない。 そんなに言いにくいことなんだろうか。でも何か理由があるならハッキリさせておかないと。 「なあ、他に理由があるなら言ってくれよ。そしたら俺だって納得するかもしれないし」 「…怒らない?」 「多分」 内容によるけど。 「…………あのね」 気まずそうにリンが口を開く。普段ストレートな物言いが多いこいつがここまで言い渋るのは珍しい。恥ずかしがっているだけかと思っていたけど、実は俺の知らない深刻な事情でもあったのだろう…、 「……………………………………………………………ちっちゃいから」 か…?………………は? 「………えーと、なにが?」 まずい。思ってたのとは違う角度からの答えに思わず聞き返してしまった。 いや、いちいち聞かなくても身長や足のサイズでないことはわかっているんだけど…………つい。 「…………………………………胸」 「………………………………ああ、いや」 「……………」 「……………」 なに、この気まずい空気。 今度は予想通りすぎる答えだというのにどう反応していいかわからない。リンは自分で言った言葉にダメージを受けて落ち込んでるし、俺もなにが地雷になるかわからないから肯定も否定もフォローもできない。 うう、なんで聞き返したんだ、さっきの俺。そもそもなんでこんな話に…。俺はリンが裸を見られたくない理由を聞きたかった、だけ……え、待て、まさか……… 「理由って…それ?」 「……うん」 ………マジですか。 それは想定していなかった。いや、リンが貧乳に並々ならぬコンプレックスを抱いているのは知っていたけど、でも本当にそんなことで? 「えっと、それこそ今更じゃない?俺、リンの胸なんて今まで散々触ってきてるんだけど」 「…暗いところで触られるのとは違うもん」 「いや、まあ、そうだろうけど。でも胸の大きさなんてどうでもいいっていうか…俺、気にしないよ?」 「それは…わかってる…けど…っ」 「…リン?」 リンは呻くように呟いてまた俯いてしまった。何かを堪えるように。吐き出すように。 「…………わかってるもん。レンがそんなことで私を嫌ったりしないってわかってる……わかってても怖いんだもん。胸だけじゃない。私より可愛い子もスタイルのいい子も歌の上手い子もVOCALOIDにだって人間にだってたくさんいる……自信がないの。比べてもしょうがないことだってわかってるのに」 「……リン」 苦しそうに想いを吐くリンに咄嗟に差し伸べた手は、かぶりを振られ、拒まれてしまう。 「こんなこと考える自分がいちばん嫌いなのに…とまらない。怖いよ…全部見られちゃったら…わたし…わたしは……」 ……そっか、だからあんなに嫌がったのか。 リンがいらない劣等感を抱えているのは知っていた。職業柄、いつだって誰かと比べられてきたし。特に俺たちは生まれた時からずっとあの『初音ミク』と比較されて、リンはミクと同じ女の子だから余計にその差を感じることも多かった。 それが今でもリンにこびり付いて、いろんなところに影を落としている。貧乳だってそれも『リンらしさ』だと俺は気にしていなかったけど、リンは面白半分にからかわれ続けて、ずっと悩んでいた。だから明るみに晒されることをあんなに怖がったんだ。 誰だって自分の嫌な部分を見せたくなんてない。その相手が好きな奴なら尚更だ。 「レン…ごめん…っ、わたし、臆病で…ごめん、ね…っ」 「リン」 振り絞るようなか細い声は嗚咽を隠しているから。 俺の手を拒んでつま先を睨み続けているのは泣き縋ってしまいたくなるから。 リンはすぐに意地を張るくせに強がるのがへたくそだ。 「リン」 もう一度君の名前を呼んで、もう一度君に手を伸ばした。 今度は逃げられないようにしっかり腕の中に閉じ込める。 「レ、レン?」 この意地っ張りを上手に甘えさせてやれるのは俺だけだ。 「好きだよ、リン。リンが自分のこと嫌いでも、そんな卑屈なとこも含めて全部好き」 腕の中でリンが息を呑む音がする。もう何度となく伝えた気持ちは、錆びつくことなくまた何度でも君と俺をつなぐ。 「リンも俺のこと好きだろ?」 「……だいすき」 「ならそれでいいじゃん。俺の好きは全部リンのものだ」 リンのコンプレックスは俺からしたらどれも見当違いも甚だしいし、俺がいちばん可愛いと思うのも、こうやって抱きしめたいのも、ずっと一緒に歌いたいのも目の前のリンだけなんだって伝えることは簡単だ。でもこういうのって他の奴が言ってもどうにもならないもんなんだ。 俺たちの年頃にとって『劣等感』はどうしたって付き纏う存在だし、それを完全に取り払うことは俺にもきっとリン自身にだってできやしない。でも、それでもいいんだ。 「リンが自分の嫌いだと思っているところも俺がリンの分まで愛するよ。だから…」 俺が欲しいのはありのままの君だから。 「リンの全部、俺にちょうだい」 「………っ、レンっ」 ぎゅっと抱き返された腕が不器用な君の精一杯の返事。怖がりながらも受け入れようとするその姿が嬉しくて、シャンプーの香りが残る柔らかな髪にそっとキスを落とす。君への惜しみない愛をありったけこめて。 愛は惜しみなく (2) 14歳って思っていたよりもずっと難しい。リンも、俺も。 ぬ、濡れ場に行かない…だと…っ。リンちゃんどんだけめんどくさい女なんだ! あ、まだ続きますからね!次こそエロいお話です。 |