夜も更け、寝室に俺とリンのふたりきり。しかも明日は久々のオフで多少の夜更かしは誰にも咎められない。 となればすることはひとつしかないわけで。 俺はベッドの上でリンの顔中にキスの雨を降らせながら、上機嫌で彼女の寝間着に手をかけた、………はずだったが。 「ちょ、レン!ストップストップ!」 「っ」 その手はリンに拒まれた。弾かれて行き場を失くした左手が宙を彷徨う。 「なんだよリン、ここまできておあずけは聞かないからな」 最近はお互いに新曲の収録が忙しくてこういう事が出来なかった。 寝不足になっても、それで仕事に支障を来たしたとしても、リンを抱きたいって思いもあったけど、やっぱり仕事はきちんとこなしてこそのVOCALOIDだし、それでリンにまで迷惑かけて、万が一にでも嫌われるようなことになったら生きていけない。だから今日まで必死に欲望も押さえ込んで耐えてきたのだ。 そんな苦労の末にやっと手に入れたオフ。これで何も気にせず存分にリンと愛し合えると思った矢先に、この仕打ちはないんじゃないだろうか。 「……ひょっとして、あの日?」 「そうじゃないけど…」 「じゃあ問題ないな」 今は一刻でも早くリンに触れたい。さっさと行為を再開させるべくリンの首筋に手を添えて顔を埋める。 甘い匂いが一気に強くなって鼻腔を刺激し、そのまま誘われるようにゆっくりと舌を這わせて…… 「や、ばか、だから待ってってばあ!」 「うわっ、あぶねっ!」 渾身の力を振り絞ったリンに体を押し返されて、無理矢理に行為を中断させられる。体は後ろ向きに傾いで、もう少しでヘッドボードに頭を衝突させるところだった。 「なんなんだよ、一体」 流石に今のはムッとして上半身を前に戻しながらリンを睨みつける。だがリンはそれ以上の剣呑さでこちらを睨んでいた。 「レン、わざとやってるでしょ」 「…………」 リンは低い声を出して精一杯凄んでくるけど、元が可愛いのでちっとも怖くない。怖くはないのだけど反論もできない。言っていることに心当たりがあるから。 リンはビシッと効果音がつきそうな勢いで人差し指をこちらに突き出す。 「えっちなことする時は電気消してからっていつも言ってるじゃない!!」 ……ちっ、流されなかったか。 心の中だけで盛大に舌打ちをかます。はいはい、わかってましたよ。リンが嫌がっているのはつまりこういうことだ。明るいなかでエッチしたくない。以上。 わかっているなら最初から暗くしてやればいいんだけど、でもそこは俺だって主張したい。 「俺は電気点けたまましたいんだけど」 こういう関係になってからそれなりに経つし、いくらラブラブな俺達でも、いやっ!ラブラブだからこそっ!マンネリや倦怠期を危惧し、そろそろ新しい要素を盛り込んでいった方がいいと思うんだ!…………というのは建前でリンの裸とか最中の顔とか見てみたいというのが本音です。はい。 「やだ」 …………こんな感じでずっと断られ続けてるけど。 いつまでたってもリンが恥ずかしがるので、俺はまだ一度も彼女の裸を見たことがない。 こういう事は暗くなってからじゃないとさせてくれず、僅かな灯りさえも許してくれない。終わった後もリンはさっさと服を着てしまうし、いっしょにお風呂も断られている。 憧れてるんだけどなあ。お風呂でイチャイチャするの。 「やることやってんだし、もう今更だろ」 「それでも嫌なものは嫌なの!」 「なんで?俺らもう結構経つし、そのぐらい試してもいいと思うんだけど」 「よくないっ!そーゆうのって変態プレイっていうんだからね!」 変態って……や、このぐらいの性癖は健全な男子なら誰もが持っているはずだ。 別に縛らせてとか外でヤりたいとか言ってるわけじゃあるまいし…………そっちも興味あるけど。 「レン、今変な事考えたでしょ」 「いや全然まったく」 「強すぎる否定は肯定なんだってね」 「…………」 鋭い切り返しにまた二の句が継げない。リンはいっそう眉間の皺を深くした。 「図星かよっ!もうっ、レンのばかっ!えっち!」 「…………っ、エッチで何が悪い!!!!」 「え、ちょ、逆ギレ!?」 急に声を荒げた俺にリンは戸惑っている。 ああ、そうだ。逆ギレだ。悪いか?!…や、悪いよな。自分でもカッコ悪いのはわかってる。でもしょうがないだろ。好きなんだから。 リンのこと好きだから全部見たいし、全部愛したい。他の奴らが知らないリンも俺だけは知っておきたい。もっとリンからたくさんの特別をもらって俺だけのリンでいてほしい。だから見たい。俺に抱かれるリンが見たくてたまらないんだ。 ここしばらくリンに触れるのをじっと我慢してきた反動か、自分でも驚くぐらいあっさりと理性が吹っ飛んでセーブしていた気持ちが決壊する。溢れだす。 終いにはこんなに頼んでいるのにどうしてリンは聞いてくれないんだとか、愛が足りないんじゃないかとか、俺はリンが望むならどんなことでもしてあげたいのにリンはそう思ってくれないのかとかもう半分泣き落としみたいにしてリンに詰め寄った。 好きって言葉は免罪符なんかじゃないのに、そんなこと冷静に考えればすぐにわかるのに、冷静じゃない今の俺はリンのこと好きって気持ちを大義名分みたいにしてくだらない我が儘を押し通そうとしてる。まるで駄々っ子だ。 本当にカッコ悪い。最低だ。でも止まんない。止まれ。止まれ。止まれ。止めて。 「レン」 止まった。いや、リンが止めてくれた。 リンは静かに、だけど強く俺の名前を呼んで頭を抱いてくれる。シャンプーの匂いがふんわりと鼻を掠めてそれだけで奔流のようだった心がするすると凪いでいった。 リンの小さな手が子供をあやすような手つきで髪を撫でて、その心地よさに目を細める。 「レン……私、レンのことちゃんと好きよ。そもそも好きじゃなかったらこんなことしないもん」 「……うん」 そんなことわかってるよ。リンの愛情を本当に疑ったりなんてしない。するわけない。 いつだってリンは不器用だけど一生懸命俺のことを愛してくれている。 「レンは今のままだとダメ?満足できない?」 「それだけはない。断じてない」 「ほんと?」 「……ごめん。リンに不満があるわけじゃないんだ。ただ俺が欲張りなだけで」 「レン…ごめんね。でも、やっぱり」 「……いいよ。無理強いしたいわけじゃないし」 これは半分嘘。正直なところ、無理矢理に押さえ付けてでも欲望を遂げてしまいたいと思うこともある。いろいろと後が怖いからできないだけで。 「レン」 名前を呼ばれる。今度は男を絡め取る蜜のような甘さを含ませて。 「電気、消して…」 「……………………」 カチリ あー、今夜も押し切れなかった。リンに酷いことも言ってしまうし。最悪だ。もしかして俺の方が愛が足りてないんじゃないだろうか。 ほんの少し不安になって、でもすぐに浮かんだ考えを否定した。 それはないだろう。俺はこれ以上ないくらいリンのことを愛している。それだけは自信を持って言える。じゃあ、足りていないのは愛情じゃないのか。それってなんだ。 思い当たることは山ほどある。とりあえず強靭な理性。あとリン曰くデリカシー。それから……他にもまだまだありそうだ。キリがない。 ああもう、わかってるんだよ。こんなことにこだわるなんてくだらないって。わかってるんだけど止まらないんだ。 リンを愛している。リンが望めば俺は首でも心臓でもこの声ですらも喜んで銀の皿に載せて差し出すだろう。でもこの愛は無償じゃない。見返りはいらないなんてそんなの嘘っぱちだ。少なくとも恋愛でそんなことはありえない。 俺は、俺のすべてがリンのものであるように、リンのすべてを俺だけのものにしておきたい。リンが嫌がっているとわかっていても、むしろ彼女が拒めば拒むほどに欲望は膨れ上がっていく。リンのこと、もっともっと欲しくなるんだ。 これじゃまるで俺がサロメじゃないか。俺がリンに望むのは生首とか心臓とかそういう大層なもんじゃなくて、年頃の男子なら誰もが夢みる桃色がかった馬鹿な妄想だけど。 「ん、ふっ、レン…っ」 手探りでリンのパジャマのボタンを外していく。肌に触れるたびに漏れる息づかいや暗闇にぼんやりと浮かび上がる輪郭までもが愛おしい。 ほんとに俺は何が足りないんだろうな。リンと恋人になって、こうして身体を重ねてそれで充分じゃないか。どこにも不満なんてないはずなのに。 「……………………やっぱり見たいなぁ」 洩らした呟きはリンには届かずに、独り善がりな欲望は暗がりの中で彼女の柔らかさに溶かされて霧散していった。 それから数日後、好機は突然に訪れる。 「ただいま」 「おかえりなさい、レン」 ノブを引きながら家の奥に向かって声をかければ、ぱたぱたと軽い音を鳴らしながら玄関までリンが駆けてきて、その小犬のような健気さに思わず顔が綻ぶ。 出迎えなんていつものことだけど、自分を待っていてくれる存在というのはいつだって嬉しいものだ。それが最愛の人なら尚の事。 「今日は早かったんだね」 「うん、今日は修正だけだったし、リテイクもほとんど出さなかったから」 簡単な仕事ではあったが、自分でもなかなかスムーズに終わらせることが出来たと思う。 早くリンが待つ家に帰りたかったのと、今日はもうひとつ楽しみがあったから。 「お疲れ様。お茶淹れようか?」 「いや、俺が淹れるよ。リンはゆっくりしてな」 鞄と上着だけリビングに運んでおいてもらうように頼んで、足取りも軽くキッチンに向かう。 備え付けの食器棚から揃いのマグカップとケーキ皿を二人分用意して、水道水を満たした薬缶を火にかけ、鼻歌交じりで冷蔵庫の取っ手に手をかけた。 お目当ては収録中から待ち兼ねていたもうひとつの楽しみ…美味しいと評判の店のフルーツタルトだ。昨日の夜遅くになって出張から帰ってきたマスターがお土産にと手渡してくれた。俺にはバナナと胡桃のチョコレートタルト、リンにはブラウニーとオレンジムースのタルトで少し遅いバレンタインも兼ねているらしい。 受け取った時、俺は譜読みのために起きていたがリンは既に就寝していて、どうせなら二人で一緒に食べたいから明日までとっておこうとリンには内緒のまま冷蔵庫にしまっておいたのだ。きっとその方がリンも喜ぶだろうから。 リンの驚く顔を想像しながら取っ手を手前に引く。真っ白な庫内に弱い明かりが灯った。 「…………あれ?」 ない。 扉を開けた先にはバターや卵、牛乳、ウィンナーなど日頃からお世話になっている食料品たちが冷気を浴びて佇んでいるが、昨日しまったはずの白いケーキボックスはどこにも見当たらなかった。 おかしい、確かにここに入れたはずなんだけど。 シンクの周りや戸棚のあたりも確認するが、それらしき物はない。念のためにリビングまで行って、ざっと見渡してみるけど、やっぱりない。何も言わずにキョロキョロと首を巡らせる俺を訝しんでリンがこちらを見遣る。 「レン、どうしたの?」 「あー…いや」 「…?」 驚かせたかったんだけど、仕方ないか。 「あのさ、冷蔵庫にあったケーキ知らない?箱に消印みたいなのが描いてあるやつなんだけど」 「えっ!」 「知ってるの?」 リンは問いかけには答えず、かわりに気まずそうに視線を逸らした。え、ちょっと、待て、まさか……… 「リン、おまえ……」 「…………ごめんなさい」 ………ああ、そうだった。なんで忘れてたんだろう。 俺の片割れは甘党なんて言葉じゃきかない、どこぞの青い毛むくじゃらお化けも裸足で逃げ出すほどのスイーツモンスターだってこと。 「そのぅ、飲み物を取りに行ったときに見つけちゃってね、レンが帰ってくるまでちゃんと待つつもりだったんだけど、あんまり美味しそうだったから、つい……」 「つい、食べちゃったってわけ?俺の分まで」 「…………………………はい」 「………ああそう」 リンは必死に弁明を重ねているけど、もうなんというか、呆れてものも言えないというか、実際さっきから溜め息交じりの声しか出てこない。 俺だって甘いものは好きだが、リンはそれを三倍にして七乗しても足りないぐらいの超VOCALOID級のド甘党だ。普段は結構しっかりしている部分もあるんだけど、甘いものが絡むともうだめだ、手が付けられない。理性も自制もない怪物、まさしくモンスターだ。 いったい何度こうやって俺のおやつがリンの胃袋に納まってきたことか。食べた後で反省して謝ってはくれるが、結局また繰り返されてしまう。 「レン、怒ってるよね?……ごめん、明日同じの買ってくるから」 「……や、あれ店舗限定だし。東京まで行かないと」 「…………ごめんなさい」 身も蓋もない物言いをしてしまい、リンはすっかり黙り込んでしまった。普段ならもう少し大人な対応もできるんだけど、今回は楽しみにしていた分がっくりきた。 あーあ、こんなことになるなら昨日のうちに食べておけばよかった。肩を落としてまたひとつ大きな溜め息をつく。 「レン」 恐る恐るという言葉がぴったりくる声で呼びかけられれば、いっぱいに涙を湛えた瞳がこちらを見上げている。 ああ、泣かせてしまったな。黙ったまま見つめれば少しの後悔と、それとは別の感情……タルトにありつけなかったからだろうか、青い瞳を覆う透明な雫がシロップみたいに煌めいて、美味しそうだなんて。 「レン、ごめんね。ほんとうにごめんなさい」 「……ん」 ……ここらが潮時か。ちょっと冷たくし過ぎたかもしれない。こんなのいつものことじゃないか。お菓子を食べられたぐらいで、いちいち目くじら立ててたらこいつとは付き合えない。リンも反省しているし、そろそろ許し、て…………………………………待てよ。 瞬間、脳裏に閃いた「口実」に解きかけていた眉間の皺を深く刻み直す。緩みかけていた空気が不穏なものになったのを感じ取ったリンがびくりと大げさに肩を震わせた。 「レ、」 「そうやって謝れば許されると思ってる?口先だけなら何とでも言えるだろ」 何か言いかけていたリンを強い口調で遮った。先程よりも辛辣さを増した言葉に、大きく見開かれた瞳からまた一筋涙が頬を伝っていく。 「わ、わたし、そんなこと…」 「どうだか……ふたつあるんだから片方は俺の分だってわかるはずじゃん?それでも食ったんだろ?人の物横取りするなんて悪いと思わなかったわけ?」 「それは…」 「今までだって何回もこういうことはあった。その度にリンは謝ってくれたけど結局同じこと繰り返してる。これじゃリンのこと信じたくても信じられない」 弁明すら許さずに、冷たい言葉と視線でリンを詰る。俺が声を発するごとにリンの瞳からぽろぽろと涙が零れていった。グシャグシャの泣き顔に思わず手を差し伸べたくなる。 …いや、まだだ。もっと追い詰めなくては。確実に仕留めるために。俺は何も言わずにリンから背を向けた。 「っ、待って、どこに行くの?」 「…………………」 「レン…リンのこと嫌いになった?だから出て行っちゃうの?」 「…………………」 そんなことあるはずがない。俺がリンを嫌うなんて天地がひっくり返ったってあり得ない。そう言いたいのを我慢してあくまで無言を貫く。もう少し、もう少し。 「…っ、ごめん、なさい、本当にもうしないから、これからずっと甘いもの食べれなくてもいい、全部レンにあげる!だから、だからぁ……」 「……リン」 「ひっく、ごめ、んなさ…うっ、れ、っいか、ないでぇ…っ」 しゃくりをあげながら必死に許しを請うリン。一生大好きなお菓子が食べられなくなってもいいとまで言う。 …………………仕掛けるか。 身体の向きはそのままで、努めて出した平坦な声を背後に投げる。 「そこまで言うならさ、ひとつだけ俺のお願いきいてくれる?」 「ぐすっ…おねが、い?」 「うん、お詫びのしるしってことで。そしたらリンのこと信じて許してやるよ」 「……ほんと?」 「うん、本当」 「……わ、かった。レンの言う通りにする」 ここでやっと振り向いて視線を合わせてやると、リンは俺が思いとどまったことに安心した様子で肩の力を抜いた。本気で俺が家を出ると思ってたんだな。タルトぐらいでそこまでするわけ……いや、リンが逆の立場だったらやりかねないな。 「いいの?どんなお願いするかわからないよ?」 「…それでレンが許してくれるなら」 「……っ」 ここまで追い縋ってもらえると、罪悪感もあるものの、嬉しくなってしまう。リンにとって俺はなくてはならない存在になれているんだって。 もう隠す必要もない。俺は思惑がうまくいった喜びと溢れる愛しさのままに目元を緩ませた。 「よかった。じゃあ、仲直り」 「っ、んっ…」 喧嘩の最後は仲直りのキスでしめなくては。 軽く唇を啄んで、目の縁に留まっている涙も吸い上げる。塩味のはずのそれはどこか甘く感じられて、やっぱりシロップみたいだ。 「ねえ、お願いってどんな…」 「ああ、今じゃなくていいよ。夜になってから、ね」 お楽しみは後にとっておかなくちゃ。 愛は惜しみなく (1) また長くなったんで分割します汗 後半はがっつりR指定です。 |