(※)OSTER project様の名曲「ドロッセルの剣」「レツェルの騎士」の二次創作作品です。 ――――――ゆめをみていた。 黄昏色に染まる庭園。 城の奥深く、長い長い通路を抜けた先にある其処は決して大きくはないけれど、とても美しい庭だった。 その庭ではどの季節も可憐な花が咲き乱れ、泉の水面が風に揺れてきらきらと輝き、木立の隙間からは軽やかな鳥の囀りが耳を擽った。 小道に沿って奥に進むと小さな東屋があり、屋根を支える細い石柱に絡まる蔦からは紅薔薇が咲いていて、柱の石の白さと相まってより優美に気高く見えた。 そして、この庭でなによりも美しかったのが薔薇の花だった。 物を言わぬ老練な庭師がことさらに愛情を注いだ薔薇たちは美しく誇らしく香り咲き、庭に訪れる者の心を魅了せずにはいられなかった。 蒼水晶の泉、翡翠の梢、真紅の薔薇。この世界の美しい色彩をすべて集めて織られた夢幻のような花園。 その場所にドロッセルはぼんやりと佇んでいた。 ああ、懐かしい―――― 花々の甘い香りを孕んだ初夏の風がドロッセルの髪を悪戯に揺らす。乱れた前髪に指先で触れながら、湧き上がる懐かしさに彼女はそっと目を細めた。 この庭の、この風景を見るのは随分と久しぶりのことのような気がする。 思い出がたくさん詰まった大切な場所ではあるけれど、最近は執務に追われて足を運ぶことも少なくなってしまった。 昔は訪れない日のほうが少なかったのに。 ドロッセルはこの庭をとても気に入っていて、幼い頃は毎日のように薔薇咲く木々の隙間を弟と共に駆けていた。 時を重ねるごとに此処で過ごす時間は短くなっていったけれど、座学や稽古の合間に訪れれば木陰には弟の優しい微笑みが待っていて、それだけで難しい政治の話も教育係だった侯爵夫人の眉間の皺もすべて忘れることができた。 「夢中で遊んで、ドレスを泥だらけにして、それで侯爵夫人によく叱られたっけ」 お転婆だった子供の頃を思い浮かべて、くすりと笑みを零す。 「本当に懐かしくて………優しい夢」 ――――――――――ゆめ? ほとんど無意識のうちに紡いだ言葉に、彼女は自分がどういう状況下にあるのかを認識する。 そう、これは夢だ。 咲き乱れる薔薇の芳しい香りも、頬を撫でる柔らかな風の温度も、生々しいほど感じることができるのに、決してここが現実の世界ではないと夢のなかのドロッセルははっきりと理解していた。 夢。現実には起こりえない―――或いはすでに起こってしまった記憶の残滓たち。 「……夢だとわかったところで、どうなるわけでもないのだけれど」 現状を認識できたからといって現実に還るわけでもなく、無意識の海のなかで彼女が何を思ったところで、それは小さな波紋に過ぎず、ここではなんの意味も持たない。 やがて訪れる目覚めの刻まで、この懐かしい風景を傍観し、微睡み、深く、深く、埋没していくだけ…………のはずだった。 『わあ!これ、レツェルがつくったの?』 『うん。姉さんに似合うだろうなって思ったから』 『うれしい!ありがとう、レツェル!』 不意に聞こえた小鳥の囀りのような声に、沈んでいた意識が急速に浮上する。 声のする方に目を向ければ、そこにはよく似た面差しの幼い少年と少女がいた。 少女は夕日を受けて柔らかく輝く金髪に真っ赤な薔薇の冠を戴いている。 よほど贈り物が嬉しかったのだろう。大きな瞳をキラキラと潤ませ、頬は上気して自らの髪を飾る薔薇のような紅色に染まっていた。 『どういたしまして。姉さんが喜んでくれてよかった。うん、思った通りだ。とてもよく似合っているよ、ドロッセル。とても可愛い』 冠を授けた少年はうっとりと目を細めて、目の前の少女のことが可愛くて仕方ないといった表情をしている。 慈愛と憧憬を瞳に宿して少年は甘く、柔らかく微笑んでいた。 「あれは………私と、レツェル?」 それは幼い日のドロッセルと双子の弟の姿だった。 この夢はドロッセルの過去の記憶の再生らしい。 幼い想い出のふたりは夢を見ている『ドロッセル』を感知しない。何者の介入も許さず、ただ、在りし日の姿を繰り返す。 『ねえ、レツェルの冠はないの?』 『ぼくはいいよ。これはドロッセル姫のための冠なんだから』 『えー、でも……』 少女はその小さな唇を尖らせる。 王族でありながら常に謙虚な態度のレツェル。それは彼の美徳でもあったが、時には甘えてくれてもいいのに、と姉として寂しく思うこともあった。 『……そうだ!なら私がレツェルのための冠をつくるわ!』 『え!?ダ、ダメだよ!怪我でもしたらどうするの!?』 『花を編むだけよ?なにも危ないことをするわけじゃないわ』 花を編むことはそれほど危険な行為だっただろうかと小首を傾げる。 『バラのトゲが刺さるかもしれない』 『気を付けていれば大丈夫よ。それとも…レツェルは私の編む冠なんかいらない?』 『っ……』 不安げに覗き込んでくる姉の眼差しに、レツェルは言葉を詰まらせる。 先に折れるのはいつだって弟のほうだった。 『…そういう言い方はずるいよ、姉さん』 『ふふっ、じゃあ決まり!』 幼いドロッセルは花を摘むために庭を駆け出す。 足元で蝶の羽のように翻るドレスの裾を気にも留めずに。 『本当に気を付けてね。トゲの大きなものは僕が抜くから、一度こちらに渡して』 『大丈夫だって言ってるのに。レツェルは心配性ね』 『姉さんに痛い思いはしてほしくないんだ。いつだって笑っていてほしい』 それが例え薔薇の棘につけられた、ほんの些細な傷であってもレツェルには許すことができなかった。 ドロッセルが傷つかないように、ドロッセルが笑顔でいられるように。 それが自分の存在価値であるかのように、彼の心は常にドロッセルを想い、彼女を守ることを優先した。 『レツェルったら…王子様というより、姫を護る騎士みたいだわ』 幼いドロッセルがからかうように笑えば、レツェルは恭しく彼女の傍に跪く。 『僕はそのつもりだよ。永遠の忠誠と敬愛を貴方に…僕の姫』 そしてドロッセルの小さな手に口づけた。 『レ、レツェル!?』 『ふふっ、顔がまっかですよ?ドロッセル姫』 『っ、レツェルのばかっ!』 『あっ、待ってよ、姉さん!』 「……ふふっ」 薔薇の茂みに消えていくふたりを見送って、夢の傍観者であるドロッセルは想い出を愛おしむように微笑んだ。 「レツェルったらあんなに慌てて…」 あの時、本当は怒ってなんかいなくて、去っていったのはただの照れ隠しだったのだけれど。 必死に追いかけてくれるレツェルが嬉しくて、拗ねたフリをして彼を困らせたんだわ。 『薔薇は紅い、すみれは青い、お砂糖は甘くて、そしてあなたも…』 しばらくして、庭園の奥から幼いドロッセルの歌声が聞こえてきた。 レツェルは姉姫の機嫌をとることに成功したらしい。 少女の口ずさむ歌が庭園の空気に溶けていく。 優しい世界で聖母への祈りを手繰るように花を編む姫君と、愛おしげに見守る小さな騎士。 幸せな日々の記憶がドロッセルの心を暖かく染め上げていった。 移ろう季節のなかで、まるでお伽噺のように、ふたりは幸せだった。 時が流れて花の色は変わったとしても、自分たちだけは変わらずに在り続けるのだと信じて疑うことすらしないほどに。 ずっと、このしあわせが、つづいていくのだと、しんじていた――――。 「姉さん」 変化は何の前触れもなく、急速に訪れる。 夢の宿主である『ドロッセル』の意思とは無関係に世界はガラリと音を立てて反転していく。 幼い姫にではなく、夢の傍観者である『ドロッセル』に対して呼びかける声。 妙な違和感を伴った、それでいて懐かしいその声にドロッセルが振り向けば、そこはもうあの庭園ではなく、彼女を呼んだのも想い出のなかの幼い少年ではない。 ドロッセルの前に立っていたのは今の彼女と同じ年頃の青年だった。 「レツェル?」 金色の髪、蒼い瞳、白純の肌。 想い出のなかの弟と同じ色彩を持ちながら、それらは先刻まで眺めていたものとはまったく違うもののように彼女には映る。 子供の頃よりも少しだけ硬くなった艶やかな髪、冬の星座のように静かに輝く切れ長の瞳、長くしなやかに伸びた指先。 蛹が蝶へと羽化するように。 それは共に庭を駆けた幼い少年ではなく、妖しいまでに美しい青年へと成長したレツェルの姿だった。 「ど、どうして………あっ」 ドロッセルは急な場面の転換に驚き、すぐにこれは夢の中の出来事だと思い出す。 夢では魚が空を飛ぶことも、鳥が海を泳ぐことも、太陽と月が同時に輝くことさえも起こり得る。 一瞬のうちに時が流れ、目に映る景色が変わったところでなんの不思議もないだろう。 それでも随分と脈絡のない夢であることに違いはないのだけれど。 驚いた…、あまりに突然だったんですもの。……それにしても――― 先程よりも幾分か落ち着きを取り戻した頭で考える。 ここはどこだろうか。どこかの城の広間のようだが、少なくとも自分たちの生まれ育った城ではない。 広大で天井の高い大広間を彩る豪華な調度品と、幾つもの燭台を擁する巨大なシャンデリアは舞踏会や折々の宴などの華やかな催しの際には眩いばかりにその栄華を示すのだろうが、自身と彼の他に生きる者の気配もなく、しんと静まり返ったこの空間でその存在は虚しいばかりか、見る者を寒々しく拒絶するようにも感じられた。漂う空気までもが敵意を持って肌を突き刺すようだ。 こんなに冷たい場所を彼女は知らない。知らないはずなのに……。 どうしてかしら?この場所を前にも訪れたことがあるような――― 全く見覚えのない場所なのに、目が眩むような既視感に胸が軋む。 心臓の裏側を噛まれるような不快感に眉をひそめた直後、目の前のレツェルの身体がぐらりと揺れて、そのまま前に傾いだ。 「レツェル!?」 慌てて彼を抱きとめようと腕を伸ばして、彼女は、はじめて、気付いた。 レツェルの胸を彩るアカイ、アカイ、イロ。 あの庭園の薔薇たちと同じ真紅の――――違う、これは薔薇なんかじゃなくて、 「姉さん」 絞り出すように紡がれたレツェルの声は低く、掠れていて、 ぽたぽたと、 彼の左胸から零れる血が、まあるい水溜りを、ふたりの足元につくっていく。 「――――――っ!!!」 声をあげることもできなかった。 驚愕、怒り、悲しみ、恐怖、絶望。 自身をも飲み込まんとする大きな感情の揺らぎに、彼女の身体はただ震えるばかりで慟哭を放つことすら放棄した。 レツェルの身体から迸る鮮血だけではない。 何よりもドロッセルを戸惑わせたのは、いつのまにか、彼女の手が、血で真赤に濡れた白銀の剣を握りしめていたこと。その切先が、レツェルの身体を貫いていたこと。 「姉さ、ん…っ」 「っ!レツェルっ!喋ってはダメっ!」 もう呼吸をすることも辛いのだろう。彼が口を開くたびに喉の奥からひゅーひゅーと喘鳴が聞こえてくる。 それでも慈しむように微笑みかけるレツェルがドロッセルには逆に辛かった。 「姉さん…」 彼の指先が愛おしげにドロッセルの頬を撫でた。 そのまま彼女の涙を拭い、掌でそっと頬を包む。 生暖かく濡れた感触。錆びた鉄の匂い。あまい、あまい彼の声。 「愛しているよ、永遠に…ぼくの、つぐみ……」 「――――――レツェル?」 「………………………」 そして彼は動かなくなった。 ―――――わたしが、レツェルを…? 「あ……わた、し…」 (私を裏切ったあなたを、許せない) 「!?」 雷のように閃いた記憶。背徳の咎に裁きを、と。 その憎しみは誰のモノだったのだろうか。 沈黙の悲鳴も、悔恨の嘆きも、鶫の囀りと呼ぶにはあまりに悲愴すぎた。 それはある筈のない記憶。 あってはならない記憶。 彼が彼女を裏切る筈がない。 彼女が彼を殺める筈がない。 何故なら… 「いや…」 彼は彼女を愛していた。 そして… 「……っ! いやいやいやいやいやあ!いっちゃ……駄目! レツェルっ!!私を置いていかないでっ!! 私を……ひとりに、……しないでぇ……っ……」 彼女も彼を愛していたのだ。 なのに、物言わぬ亡骸は言葉よりも雄弁に彼女の罪を告発する。 『貴方が僕を殺した』のだと。 「レツェル、レツェル……………いやああああああああああああ!!!!!!!!!!」 ************************************ 「姉さん!姉さんっ!」 「はあっ、はあっ、…っ、は…っ」 目覚めはまるでレコードの針が上がるように唐突に訪れた。 乱暴に現実世界に突き返された身体が悲鳴をあげる。 「っ、は、っはあ、くっ」 鼓動が痛い。息が苦しい。頭が軋む。 寝ている間にずいぶんと汗をかいたらしく、額や背中の冷たく湿った感触が気持ち悪い。 こんなに気分の悪い目覚めははじめてのことだ。 「姉さん、落ち着いて」 「っ、はあ、は……っ、レ、ツェル?」 自分を呼ぶ声に目を向ければ、心配そうにこちらを覗き込むレツェルと目が合った。 「レツェル…どうして…」 「大丈夫?ひどくうなされていたけれど」 「……あ、…わ、たし…」 掠れた声が唇から洩れる。 寝起きだからだろうか?妙に喉が渇いて、声が思うように出ない。 「怖い夢でも見た?」 「…………ゆ、め?」 ゆっくりと言葉を反芻する。 夢……そうだ、確かに自分は今までなにか夢をみていたはずだ。 それは確かなのだが………… 「……覚えてない」 つい先ほどまで見ていたはずの夢の内容が思い出せない。 強く目を瞑り記憶を辿れば、断片的に幼い自分と弟の姿が瞼の裏に映りこむが、無理に細部まで思い出そうとすると息苦しさが肺にずんと圧し掛かる。 まるで先の見えない夜の底でもがくように。 「………」 「姉さん?」 「…いいえ、大丈夫。思い出せないのなら大した内容じゃないのよ、きっと」 戸惑うように呼びかけるレツェルの声に、軽くかぶりを振って継ぎ接ぎのような記憶と僅かな違和感を無理矢理に打ち消した。 「ごめんね、姉さん。疲れているところを無理に誘ってしまったかな?」 乱れてしまったドロッセルの髪をレツェルが優しく梳く。華奢な指の隙間をさらさらと音を立てて金色が流れていった。 「そんな…謝るのは私のほうだわ。ごめんなさい、せっかく貴方が誘ってくれたのに」 言葉に出せば、少しずつ靄の晴れてきた頭が眠る前の状況を思い出す。 確か……執務に追われる自分を気遣ったレツェルに誘われて、ふたりでお茶をしていたはずだ。 彼の部屋に招かれて、紅茶を用意してもらって、そして………… 「いつの間にか眠ってしまったのね…本当にごめんなさい。私ったら」 どれほど眠っていたのかわからないが、窓から差し込む光は既に柔らかく茜を帯びている。 自分が眠っている間、きっと彼は退屈だっただろう。淹れてもらった薫り高い紅茶も、ティースタンドに並んだ時は焼きたてだったスコーンもすっかり冷めてしまった。………せっかくレツェルが用意してくれたのに。 彼の気遣いを無駄にしてしまったこと、何より久しぶりに過ごす二人っきりの時間を居眠りに費やした自分が腹立たしく、申し訳なく、情けなかった。 「気にしないで、姉さん。毎日、王女として頑張っているんだから、僕といる時ぐらいは好きなように寛いでくれたらいいんだよ」 「………レツェルは、私を甘やかしすぎよ」 昔からこうだ。 レツェルが自分に本気で怒った試しなど一度もない。 いつだって自分を慕い、気遣い、受け入れてくれる。 それは勿論、嬉しいことなのだが、今はそんな彼の優しさに自責の念が深まるばかりだった。 「ドロッセル、そんなに落ち込まないで」 「でも…」 「………ふう、しょうがないなあ」 小さくため息を吐いてドロッセルの傍を離れるレツェル。 とうとう呆れられてしまったのだろうかと、さらに心が沈んでいく。 自己嫌悪とは厄介な代物で、一度嵌まり込んでしまうと、容易に抜け出すことは困難だ。 レツェルが自分を嫌うはずないことを頭では理解していても、遠ざかっていく弟の背中に、得体のしれない悪夢の残滓に、喉の奥が引き攣れるように痛んだ。 レツェル、いやよ。おいていかないで―――――――――――― 私をひとりにしないで―――――――――― 「―――――はい」 「え?」 突然に真紅が視界を埋め尽くした。 驚いて顔を上げれば、いつのまにか戻ってきていたレツェルが大きな薔薇の花束を抱えて微笑んでいる。 「冬薔薇がとても綺麗だったから、庭師に頼んで庭園のを分けてもらったんだ。本当は、帰り際に渡して驚かそうと思ってたんだけど」 レツェルはすこしはにかみながらも、恭しく気品に溢れた動作で薔薇をこちらに差し出す。 花冠をくれた幼い少年の姿が今の彼と重なり、懐かしさと愛おしさですぐには言葉が出ない。 「レツェル…」 「姉さん…受け取ってくれる?」 「……っ、レツェル!」 胸にこみ上げる気持ちのままに花束ごとレツェルを抱きしめる。薔薇が潰れてしまわないように気を付けながらその胸に顔を埋めれば、子供の頃よりもすこし逞しくなった彼の腕がそっと抱きしめ返してくれた。 「レツェル、ありがとう……大好きよ」 「姉さん……ありがとう。僕も姉さんが好きだよ。誰よりも、何よりも」 「レツェル……」 ああ、何故少しでも疑ったりしたのだろうか。 彼は昔と何一つ変わらない。 レツェルは如何なる時も誰よりもドロッセルを愛し、慈しみ、彼女のためだけの騎士で在り続ける。 今までも、これからも。 「贈り物はお気に召されましたか?」 「ええ、本当に嬉しいわ。ありがとう、レツェ………っ」 伝えきれない感謝を告げようと顔を上げたその刹那。 薔薇の花が、その真紅の色彩が、ナニカと重なった。 雷のように閃く記憶。 生暖かく濡れた感触。錆びた鉄の匂い。あまい、あまい彼の―――――― 「姉さん?」 「っ!」 追憶は再び騎士の声によって妨げられた。 ナニカの残像たちは、その正体を掴みきる前に霧散する。 それでも胸に残る違和感。 思い出せない夢が、ある筈のない記憶が抜けない棘のようにドロッセルを苛んだ。 ―――――――――だって、今のは じゃないの? 「姉さん、やっぱり疲れているみたいだね」 「……い、いいえ。大丈夫よ」 「無理しないで、今日はゆっくり休んでよ……ほら」 「えっ……きゃっ!?」 レツェルに抱きかかえられて、ふわりと体が宙に浮く。 華奢に見えるが、鍛練で毎日のように剣を振るっている腕は、ドロッセルの体を抱き上げることなどなんの苦にもならない程度には力を備えていた。 繊細な硝子細工を扱うような慎重さで、二人が掛けていたソファを離れ、ゆっくりと寝台に向かっていく。 「あ、あの…レツェル?」 「僕も付き合うよ。一緒に寝よう」 「え!?だ、だめよ!はしたないわ!」 仲の良い双子とはいえ、同衾を許される時期はとうに過ぎ去っている。 レツェルの申し出でも、こればかりは受けるわけにはいかない。 「あれ?せっかくのティータイムに居眠りをしていたのは誰だったかな」 「そ、それは…レツェル怒ってる?」 「怒ってないよ。反省してるなら態度で示してもらいたいとは思ってるけど」 「…やっぱり怒ってるんじゃない」 「怒ってないってば。姉さんの可愛い寝顔をもう一度見たいだけ」 「なっ!?レツェルのばかっ!!」 「はいはい、文句の続きはベッドで聞きますよ」 「……もう、しょうがないわね」 先程の失態を持ち出されれば、流石に今回ばかりは自分が折れるしかなかった。 それに、内心では安堵もしているのだ。 彼の温もりに包まれて眠れば、きっと悪夢に怯えることもないだろうから。 「おやすみ、ドロッセル。よい夢を」 柔らかな寝台で、額にレツェルの唇の感触を受けながら瞼を閉じれば、不安の余韻は甘い空気に溶けていった。 ************************************ ――――――ゆめをみていた。 彼と共に生きる未来の夢。彼が息をしている夢。 醒めることのない夢のなかで、それでもドロッセルは幸せだった。 自分が本当に望んでいた世界がここにある。 それが幻影だとしても構わなかった。 夢と現実の境がわからなくなるほど、ドロッセルは夢に溺れていた。 在りし日の幸せのままに王女は微笑む。 ああ、なんて愛おしい未来(ゆめ)。 鶫の王女は愛する者の躯を抱いて、現実に還ることを拒み続ける。 彼女の腕の中で、騎士の亡骸が哀しく笑っていた。 鶫は花の褥で夢をみる 目覚めのときはまだ遠い。 「Story Teller」が好きすぎて、つい…。 |