なあ旦那、ミラー海賊団を知ってるかい?同業や市民から甘い汁を吸って肥え太った金持ちばかりを狙う一味で、俺たちみたいな民間人には決して手を出さない変わり者の集団さ。 なんでも船長は剣の達人で海軍も海賊狩りも残らず返り討ちにしちまって、これまで負けなしなんだと。ここらじゃ有名な話だぜ。えっ?いやあ、義賊ってわけじゃねぇよ。奪ったお宝のほとんどは船長の情婦に貢がれているって話だからな。正義の味方にしちゃあだらしないだろ。ま、愛人のドレスやらご馳走やらのために金を湯水のように使ってくれるからな。俺たち職人にとってはいいお客さ、ハハ…っと、憲兵どもには内緒にしてくれよ。海賊相手に商売してるなんて知れたら営業停止じゃすまねえからな。 あんた行商人だろ?でっかいリボンをつけた人魚像の海賊船を見かけたら声をかけてみなよ。御婦人の喜びそうな物なら買い占めてもらえるぜ。なあに、ビビるこたぁねえよ。言ったろ?民間人にとっちゃあ無害な連中だって。件の婦人に色目さえ使わなきゃ何も問題はないさ。 飛沫を上げる白波を切り裂くように進む一隻の船。マストに掲げるのは髑髏の旗印、船首では大きなリボンの髪飾りが特徴的な人魚像が水平線を見つめている。 ある者が見れば砲台を向け、またある者は一目散に逃げていく。大海原に悪名を轟かせるその船は噂に名高いミラー海賊団の根城だった。 甲板では一仕事終えたばかりの海賊たちが勝利の凱歌と美酒に酔っているが、宴の中心にいるはずの人物の姿はそこにはない。 「あの、船長はどこに行ったんっすか?最初の乾杯の時にはいたはずなんですけど」 「よぉ、新入りか。船長ならいねぇよ。乾杯だけ終えたらキャビンに篭っちまう。あの人はいつもこうなんだ」 今日いちばんの功労者の不在を古株の水夫は気にもとめない。久しぶりの酸っぱくないビールと、トマトやピクルスの入った温かいソースのかかったラム肉に齧り付くのに夢中だ。 「はあ、そうなんすか…騒がしいのがお嫌いなんですかねぇ?」 「そういうわけじゃねぇがな。ま、誰だって野郎と飲むよか愛しい女との逢瀬の方が楽しいに決まってら」 「愛しい女?」 「なんだ、お前ぇ知らねえのか?船長の愛人…俺たちの人魚姫さ」 甲板の喧騒から離れて、数ある船室の中でも一番奥まった場所。下っ端の乗組員は近づくことすら許されないその部屋にはミラー海賊団船長の何よりも大切な宝物が隠されている。 「リン!」 大きな音をたてて扉が開き、打ち出された弾丸のような素早さでひとつの影が部屋へと転がり込む。 この騒がしい人影の主はミラー海賊団船長−キャプテン・レン−。狙った獲物は決して逃がさず、その名を出せばいかに武勲をたてた名将といえども恐怖に膝を震え上がらせる悪党の親玉、大海の覇者である――――はずなのだが…… 「リン!ただいま、リン!ああ…会いたかった……っ!俺がいなくて怖くなかったか?寂しくなかった?待たせてゴメンなぁ、お土産いっぱい持ってきたからな!」 大きなズタ袋を肩に担ぎ、頭に花でも咲かさんばかりの満面の笑みを浮かべるこの男をサンタクロースと間違えても大海賊を率いるキャプテンだと思う人間はそういないだろう。彼と刃を交わし、敗れ去った兵つわものたちが見ればその不気味さに顔を青ざめるか、もしくは遣る瀬無さに涙を浮かばせるかもしれない。それほど締まりのない姿だった。 だが、彼を責めてはいけない。恋とは人を愚か者にする劇薬であり、彼にとってもそれは例外ではないのだ。 「おかえりなさい。今日も早かったのね」 レン船長が優しく、聞く人によればぞっと背筋を戦慄かせるような猫撫で声を向けた先、長い天鵞絨の帳と立派な象牙の柱を備えた、王族が身を横たえるようなベッドからひとりの少女が気だるげに身を起こした。 金色の柔らかな髪の上で揺れる大きなリボンを見て察しのいい人は気付くだろう。荒くれ者ばかりの海賊船には似つかわしくない、この愛らしい少女こそがレン船長の寵愛の君−レディ・リン−その人であることを。 「あんな雑魚ども相手に手間取ったりしねぇよ!それにリンをずっとひとりにさせるわけにはいかないからな!」 「ふふっ、ありがとう」 リンは誰もがうっとりするような笑みを薄紅の唇に浮かべて、白くしなやかな腕をレンの首に絡みつかせた。 まだあどけない少女が悪党の情婦であることに違和感を覚える者も、この姿を見れば考えを変えるに違いない。海の男を惑わす海妖セイレーンの如く彼女の媚態は艶めかしく、悩ましかった。 「私もはやくレンに会いたかったよ」 「…っ、はぁ」 陽だまりのような笑顔に体に凝った戦いの疲れが溶けていく。抱き返した掌から薄い布地越しに柔らかな感触が伝わる。さらには耳元で硝子の鈴を振ったような美しい声が甘く囁くのだ。レンはあまりの心地よさに魂を抜かれそうだとさえ思った。 甘やかに流れ始めたムードに心が熱く昂ぶる。どんなに価値ある財宝よりも、大海原を駆ける冒険よりも愛しい女の温もりこそが彼の血潮を巡らせた。 「リン…リン、俺も……っ」 「で、お土産は?」 台無しだった。 今すぐにでも恋人の身体を褥に押し付けようとしていた男の頬が引き攣るのを誰が見咎められよう。 だが、彼女を責めてはいけない。ほんの少しでも荒げた声を浴びせようものなら、その人物は海賊船のマストに吊し上げられることになるだろう。 「あ、ああ、そうだな」 そして彼も慣れていた。多少落胆するのは仕方ないが、焦ってはいけない。今までの経験上、ここで彼女の機嫌を損ねるのは最も避けたいところである。故人曰く、急いては事をし損じるのだ。 「よっと…ほうら、今日も大漁だ!あの浪費家の侯爵夫人、ドレスも宝石もこんなに蓄えこんでやがった!これなんか値打ちものだぜ!きっとリンにすげぇ似合うと思うんだ!着てみてくれよ!」 担いでいた袋を下ろせば中からは薔薇色のサテンのドレスや、金の花模様のコート、サファイアを鏤めた銀のアンクレット、螺鈿細工の宝石箱…貴婦人が悲鳴を上げて喜びそうな品物が大量に零れ落ちてきた。 その中からレンが手に取って広げたドレスは、なるほど目の肥えた海賊が自慢するだけのことはあった。 つややかな光沢を帯びた深い青色の生地にダイヤや真珠が惜しげもなく縫い付けられ、金と銀の華やかな刺繍が施されている。繊細なレースと柔らかな絹が絡み合った優美なドレープラインを描く裾を翻せば宮廷中の貴婦人、女王陛下からだって羨望を集めることができるだろう。華美でありながらも上品さを少しも損わないそれは美しいドレスだった。 だが、リンは受け取らなかった。それどころか眉をしかめて、溜め息まで吐いたのだ。 「あ、あれ…?気に入らなかった?」 「だってまた誰かのお古なんでしょ?確かにとってもきれいなドレスだけど、ちょっとデザインが流行遅れっていうか……あーあ、たまには自分の好みで新調したいなあ」 「え、あ、そ、そうだよな!ごめん、気ぃ付かなくて…すぐ陸おかにつけるから、そしたらリンの好きなモン何でも用意してやるからな!なっ!」 「そう?それならマダム・アンのお店に行きたいな。彼女のドレス、最近評判らしいの」 「そっかそっか!きっとリンに似合うな!何着でも買ってやるからな!あっ、ドレスだけでいいのか?帽子でも靴でもアクセサリーでもなんでも言っていいんだぞ?」 「え、いいの?」 「当たり前だろ!リンのためなら何だって手に入れてやるよ!」 「わあ、さっすがレン!……ふふ、惚れ直しちゃったか・も」 「!!ほ、ほんと?あ、いや、ま、任せとけって!」 必死になって少女の機嫌をとる姿に船長の威厳などもはや微塵も存在しない。そこにいるのは恋に翻弄される哀れな子羊だ。 それでも、くどいようだが誰も二人を責めてはいけない。彼らはこれで幸せなのだから。 「今頃、また船長の病気がはじまってるんだろうなあ。泣く子も黙る天下のミラー海賊団の頭領も惚れた女の前では形無しだもんな」 「なあ知ってるか、船長が海賊になった理由。リンさんに十分に貢げるだけの収入のためだって話だぜ」 「そんなのとっくに。入団する前は眉唾だと思ってたんだがなあ…あ、帰ってきた」 「野郎ども!いつまで飲んだくれてやがる!全速力で陸おかを目指すぞ!面舵いっぱーーい!」 「……アイアイサー」 「声が小さあああああい!!!!!!!!」 「アイアイサー!!!!!!!!」 海賊たちが慌ただしく動き出す。すべては彼女の気に召すままに。 進路を変えて漕ぎ出す船の先頭では麗しの人魚像が無邪気に笑っていた。 Hot Shot Mermaid いつかシリーズ化するかもしれないシリーズ。 童話風レンリンギャグのつもりだったんだけど、なんか違う。 |