豊臣軍の忍の長に命じられた甲斐の虎の若子の治める上田城下に潜入し、武田軍の動向を調査しろと言う任務を私の所属する隊は請け負った。一部は虎の治める地へ、もう一部は甲斐各地へ、そして残りはここ、上田へ。気付かれはするだろうがこんなにも忍が放たれているとは思わないだろう。それに、甲斐は人通りが多い地域でもあるから、紛れる事は容易であった。私は上田城下の団子屋で看板娘に扮する事になった。この団子屋は真田幸村の使いが毎日八つ時の団子を買いに来る団子屋の隣である。比較的この団子屋の店の者はころころと変わる事が多いとの情報もあり、正面を切って情報を聞き出すよりも安全策だろう。忍であれば隣の店の会話は聞く事も出来る。訪れた上田城下は活気のあふれる良い街だった。

私の勤める団子屋は隣ほど客が来るわけではないが、それなりに人は訪れた。そして私の看板娘の役が板についてきた頃、普段真田忍隊の猿飛佐助のみが団子を買いに来ていたが今日は珍しく真田幸村が猿飛を伴い、直々に買いに来ていた。客たちはちらちらとそちらを盗み見ているのを私も倣って一度だけちらりとだけ見た。なんということかちらりと見ただけなのに真田幸村と目が合ってしまった。まずい、ばれてしまったか。そうこう考えている内、真田の顔は着ている着流しと同じくらいに真っ赤になっていた。私はにこりと微笑み会釈をし、取っていた注文をしに店の中へと入る。これは色が使えるな、と一人笑んだ。それから真田は明くる日もそのまた明くる日も 団子を買いに来た、そして最終的には供すらつけず私の店から団子を買うようになってしまったのだ。こちらとしては有利ではあるが何せ展開が早く、やはりばれているかとさえ疑った。しかし、真田は私が忍かどうか疑うそぶりも見せなかった。なんとも計れない。隣の女将は、なまえちゃんが可愛いからよ、と妖艶に笑うのだった。

真田はいつも大した会話もせずに帰って行く。わたしが痺れを切らし話しかけてみるも真田は顔を真っ赤にし、言葉を盛大に噛み、迷わした上で切れ切れに言葉を繋げるだけで全く進展しなかった。私ではどうにもならないのかもしれないという考えに至るほど何をしようにも本当に何も無いのだ。初心すぎる青年だった。それから幾日か過ぎ、真田が団子を買いに来た昼下がり、真っ赤な顔をして真田は口を開いた。某と共に団子を食べませぬか?と。思わず耳を塞ぎたくなるような声量だった。私が黙っていると真っ赤を声段々と青くなっていった。あまりにも可哀相なのか店の大将が一緒に食えと言ったものだから、真田と二人、少し手触りの悪い赤い布を敷いた腰かけに団子を挟んで座った。二人、ましてやほぼまともな会話すらした事のない中無言で団子を食らい、茶をすするのはなかなか奇妙だ。時たま私が団子は何がお好きで?餡子ですかみたらしですか?と聞くも、う、うむ・・・しか答えなかった。見やれば、普段買っていく量を考え、大目に更に載せた団子は私が一本と半分、真田は一本と言う驚くべき状態であった。なんせ、猿飛は真田に日に30、40は団子 を買っていくのだ。八つ時に食べきらないとしても早い調子で食べないと次の昼までには余るだろう。それが、一本のみしか減っていない。反応から見て真田は私に恋を患っていると考えてもよさそうだが、恋とはここまで人を変えるものか。私が二本目の最後の団子を食べようとしたとき、とうとう真田が口を開いた。某、緊張していて中々上手く話せないのだ、申し訳ない。そう言ってちらりとこちらを見た顔に思わず顔が綻んだ。中々良い人ではないか。いいのですよ、と私はそう言ったはっとなった。思わず顔が綻んだ事にだ。この男にほだされているのではないのか?これはまずい、いやしかし忍として生まれて生きてきたのだ、人間の感情を知る筈もない、恋などする訳がない。なまえ殿?と顔を覗かれ 、我に帰る。私は戸惑いを隠すように空を見上げお団子、美味しいですねと紡いだ。それから、茜が射す頃になってやっと言葉数の少ない茶会は終わり、真田は私にまた共に団子を食べないかと誘って来た。任務が容易に進む、と考える陰で他の事を考えていると感じながら、また食べましょう、と笑った。それから真田が団子を買いに来る事数日、真田と団子を食う事数日、隣の女将には、輿入れはいつなのかしら?と聞かれたり、店の大将には仲良くな、と声をかけられたり、はたから見ればまるで恋仲のような関係になっていた。同時に私にも変化が起きていた。明日が待ち遠しくなり、昼過ぎを楽しみにして、団子と日の当たる腰かけが大事になって、真田が恋しくなった。これが、忍の三禁の一つ色 か、と冷静に考えてみるも、もしかしたら私は三つのうち二つ犯しているのではないだろうか。私は恋をし、彼のそばにいたいと欲しているのではないだろうか?酒、欲、色。これが三禁である。どうせ叶わぬ恋なのにな、と私は自分を嘲笑った。そして、店すらまだ開かないまだ薄暗い朝早く、なんということか真田が私を訪ねてきた。店の大将やその奥方は、驚いてはいたが微笑ましそうに私たちを見つめていた。少し恥ずかしく思う。真田の用件は遠乗りに行かぬか、と言う事だった。本当にまるでこれでは恋仲の男女のようではないか、と心の片隅が叫んだ。私にとってはそれはもうどうだっていいのだ。近くにいれればいい。私は二つ返事で誘いに乗った。
馬が早朝のひんやりと澄みきった森をさほど速くもない速さで駆け抜ける。景色が程良く見える速さだ。真田の腹に回した手にどちらかのか分からない心音が響いてくる。馬に乗っているからか些か速いように感じた。真田の背に当てている肌はほのかに暖かく、そして熱くも感じられた。私はくすりと笑った。

「何を笑っておられるか?」
「なんでもない、些細なことですよ。」

私がそう言うとふ、と息を吐いた。彼も笑ったのだろうか。なんだかそう思うと少しくすぐったく感じて、隠すようにぎゅと少し強く手に力を込めた。すると真田の体が強張ったように見えて、また笑った。

「おなごといるとどうしても緊張してしまう。なまえ殿といればなおさら。きっとこの距離では某の心臓が速いのもお分かりになってしまうでござろうな。」

あぁ、なんという殺し文句だろうか。私はだれよりも特別だと、そう言われているようだ。顔に熱が宿る。頬が熱い。少し見上げれば真田の、幸村の赤い耳が目に入った。しばらく馬を走らせて辿りついた先は、湖だった。水面はおどろくほど静かで、鏡のように景色を映していた。静かながらもゆらゆらと揺れる水面に映る日の光はきらきらと反射してまばゆく、そして美しかった。そして霞がかった山々は水面と光の明瞭さを引き立たせていた。これほどまでに美しい景色を見るのは初めてだった。そもそも景色を美しいと感じた事は今まで一度もなかった。日が徐々に登って行く。光が木々の合間を縫って私たちを照らした。幸村を見やれば私の視線に気づいたのか幸村は私にほほ笑みかけた。また、陽に視線を戻そうとすると幸村の声が鼓膜を揺らした。

「某は、・・・俺はそなたのことを。」

ずらした視線を続きを促すように幸村に戻した。幸村は間を置いてまた口を開いた、いや、開こうとした。その時鳶の高い声が響き渡った。

「・・・・・・もう、帰りましょう。」

続きを聞きたかった。けれど、その間は失われてしまったようだった。私の言葉に幸村はうむ、とだけ答えて再び馬に跨った。帰り道は、私の腕に力がこもるだけで会話は一切なかった。

それから数日経ったが、あの日以降幸村の姿を見る事も猿飛の姿を見る事もなかった。店の大将や奥方、隣の女将は私がなにかしでかしたんじゃないかと言われたが私は曖昧に笑うだけだった。それからしばらくして私は暇を貰った。それまでも幸村や猿飛を見ることはなかった。私は闇夜に紛れて報告書をつけた鳶を大阪へ飛ばした。私は指令が書かれた紙を見る。私の情報収集の状況が芳しくないと感じたのか、豊臣の忍の長かはたまた軍師の竹中か分からないが、上田城に潜入せよとの命が下った。決行は今日。見つかってしまえば私はきっと殺されるだろう。私はなぜか今が夢のように感じられた。数日前までの遠乗りまでが現実だったようなそんな風に思う。夜の冷たい風が私の頬を撫ぜた。
武田お抱えの真田忍隊の本拠地とあってかなりの量の忍がいる。気づかれないように私は一人一人を始末していった。城のあちこちを回っても、十勇士に巡り合わないし、城の見取り図以外大した情報も得られなかった。これは罠なのか、どうなのか。安全を考えてここは引くべきだろう。しかし、私の忍としての理性はもう利かなくなってしまったのだろうか。私は幸村の書斎の目の前にそびえ立つ木の上に立っていた。音もなく幸村と紡ぐ。そんなことをしたとしても彼に届く筈も聞こえる筈もなく。私は一人自嘲して踵をひるがえそうとした。その瞬間、私の身体は白砂の上に叩きつけられた。気づかれたか!痛みに耐え、硬くつぶる眼を開けると橙の頭が見えた。猿飛佐助か、また厄介な奴に見つかった。私の身体は身動き一つ取れないほどに拘束されていた。首に当てられた苦無が首に食い込みチリリと痛みが走る。猿飛の眼は感情もなく私を見ていた。

「・・・旦那、もういいだろ。こいつは女と言え忍だ。あんたや大将に仇をなす。」

横目で幸村の書斎を見ると障子は開け放たれ、袴姿の幸村が立っていた。その顔は無表情にしかめられていた。

「・・・あぁ、処分しろ。」

そうとだけ告げて、書斎に入りすぱんと障子は閉め切られてしまった。私はようやく気がついた。なぜ猿飛と言う手練れの忍が町の団子屋の看板娘が忍だと気がつかなかったのか、なぜ、真田は私に会いに来たのか。私は元々割れていたのだろう。そして、真田をいいように扱ってやるつもりが私がいいように扱われたのだ。三禁を犯し、忍として戻れなくなるまで。私は口元で弧を描いた。下らぬ、全て。己のこの情もこの愚かさも。本当に愚かしい、愛だ恋だと一人舞いあがっていたのだ。忍と言う道具の分際で。人が道具に愛を告げるか、恋をするか。そんなもの考えるまでもない。私は依然私を押さえつけたままの猿飛に、お前の望むものを吐いてやろう、だから殺せ、と言った。猿飛は聞いているのか聞いていないのか不明なまま口を開いた。

「あんたも、馬鹿だ。あんたもこの世に生まれた事を恨みなよ。」

こいつは今までに恋を味わった忍を見てきたのだろうか。そんなこと今更私にとっては取るに足らぬ。道具が生まれた世を憎むものか。この世でなければ私はいなかったろうに。猿飛は私に何か情報を吐かせないのだろうか。そんなこともどうだっていい。猿飛の忍刀が鈍く光る。私はまた哂った。


(彼らの愛に誤差などなかった)


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