そこにあるのは、たった一筋の瞬き。

熱帯夜のむせ返るような熱い風に嫌気がさし目を覚ましてしまった。窓から見える天井に昇った凛とした月でさえじりじりと焼き尽くすように乾き切った身体を包み込む。

私は昔から夏というものが苦手で。代謝が悪いとでもいうのか、汗をかきにくいのは子供の頃からの体質だった。
熱を吸収するばかりで放出というものを知らないような身体が今は恨めしい。


母屋を誰も起こさぬよう抜け出し、水の流れる音に誘われるようふらりと乾いた草道を歩いていく。
河の畔の少し大きめな岩に腰掛け両足を恐る恐ると揺らめく水面に付けてゆく。爪先から浸食されていく冷たさに心臓が小さくちくりと痛んだ。

水の流れが足を心地よく掠めていき、包み込まれる感覚に満たされる。
心地よい水の音と薫り。総てが暑さをかき消してくれる。


『ゆや‥――。』

愛しい人が私の名前を呼ぶ声がする錯覚に息が潰れそうになる。
あれからあの人の姿は消えて、気配さえも消えたと誰かがいった。あの人が消える恐怖に怯えながら探し続けてふた月、いまだ手掛かりすらない。
ただあの時の声が耳に焼き付いて離れない。
初めて呼ばれた名前のそれは水の音に良く似ている。

水の流れを追い掛ける目尻にぼんやり涙が浮かんだ。


水面が揺らいだ刹那。

「何してんの?」

聞き覚えのある低い声に身体が小さく震える。視界に揺れる水面を覗き込めば灼熱のような人が自分の後ろに映っていた。

「ほたる、さん。」

「風邪、引くよ。」

「‥え?」

腕を引かれてようやく気付いた。先程まで腰掛けていた岩ですら水面に浸かり衣の裾がしっとりと濡れていた。なぜそうなるまで気付かなかったのか。なんて考えるだけ愚弄だと思った。

「あ、すみません‥。」

「…狂じゃなくて残念?」

「!…そんなこと、」

ほたるの言ったことは間違ってはない。けれど心を易々と読まれた気がして、否定したくなった。
捕まれた腕が少し痛んだから、離してもらうように視線を送った。
先程までの暑さは水に浸けた足と濡れた衣ですっかりと冷めてしまった。吹き付ける風も心なしか冷たくて素っ気ない。
ほたるの少し体温の低い掌でさえ冷たく思える。

「熱、欲しい?」

「え、」

「だってあんた、すごく冷たくなってる。」

唐突に投げられた言葉に次に待機していた痛みを訴える言葉は消えていた。

「わけてあげようか。」

「ほたるさ‥、」

言葉を紡ぐ前に広い胸板に抱き寄せられた腕の中で、反転した世界。

「あんた、冷たい。まるで死んでるみたいだ。」

ほたるがそんなことを言った間もなく、めまぐるしく自分の体温は上昇して。暖かさから熱へと、熱から灼熱へと移り変わる。込められた腕の力に締め付けられる身体。
それでも痛みは感じない。

返事をする代わりにほたるの背中に両腕を回した。ほたるの思いがとても悲しかった。

「……ごめんなさい。…大好き、よ。」

「それは俺に対して?それとも狂に、なの。」

胸が、締め付けられる。
いっそのことあなたの炎でこの身も思いもすべて焼き尽くしてほしい。
骨も肉も残らないように。

「私はずるいんです。」

(ごめんなさい、ごめんなさい。)

「だから‥。」

「いいよ、」

腕から解放された身体はそれでもまだ抱き締められた感覚がじんじんと肌に残って離れない。

「あんたのその残った俺への感情で俺を壊してよ。」

触れた唇と唇の感触に、涙がこぼれた。

昇り続ける体温に、やっぱり夏の暑さが苦手な私は彼の優しさは壊せないと思った。


まるで灼熱の世界
(一途な思いさえ陽炎にゆらいでしまう。)



end


BGM:樹海の糸/Cocco

2008/07/05
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