その身に焼き付けてしまえば、どれほど良かっただろう。

「ほたるさん、ねぇ。」

聞いていますか?と、少しだけ怒ったような言葉の羅列が、声が頭上から降ってきた。

「うん。聞いてる。」

閉じていた目を、ゆっくり開くと、思っていたような表情の女がこちらを睨み付けていた。そんな顔をじっと見つめる。永遠にこの光景が続けばなんて思う。相手はそんなこと微塵も思っていないんだろうけど。

「…可愛い。」

「な、何言ってるんですか!冗談言わないでくださいよ!」

不意に出た言葉は、女の感情を逆撫でて、更に怒りに拍車をかけてしまったようだ。
たぶん、女が怒っているのはこの状況。
夏の暑さに目眩を起こした俺を介抱してくれた。その貸してくれた膝が想像以上に心地よくて、眠っていたようだった。
それで怒っていることは容易に想像がついた。

「ごめん。もう、大丈夫。ありがとう。」

身体をゆっくりと起こす。少し名残惜しい気もしたのは気のせいじゃない。重い頭をゆっくり持ち上げて女の身体を自由にしてやる。
痺れを切らすまでは、俺が起きるまで、静かに待ってくれていた優しさもちゃんと理解していて。その優しさに触れる度に心は穏やかになる。その感触が堪らなかった。

「よかったです。先を急ぎましょうか。」

先程までの表情はへらりと笑う顔に移り変わり、また目眩に似た感覚がして頭の中がぐらりと揺れた。



狂を探して数日。
二人で探すことになった経緯は、灯が大きく関わっている。狂が家を空けて数日経ち、居ても立っても居られなくなって探しに行くと言ったこのひとに着いていってやれ、と灯が指名したのは何故か俺で。一番無害そう。という理由をうんうんと頷いて納得して背中を押された。
まあ、あまりいままで大きく関わりがあった訳ではなかったけど、暇だからいいか、と軽い気持ちで着いていくことにした。
最初こそ、向こうも緊張した面持ちでいたが、話す相手が俺しかいないので徐々にお互いのことを話したりする内に関わりもそれなりに自然に関われるようになった。まあ、ほとんど話をしていたのは女の方だったけど。俺は相槌を打ったり、一言二言話すくらいだったが、それでも女は嬉しそうに話をし続けた。
慣れとは不思議なもので、それが普通になってきて、女の表情がころころと移り変わるその様は見ていて面白いものだった。

「ほたるさん」

名前を呼ばれることも違和感なく、当たり前のように受け入れて、そして自分では気が付かない内に育っていたのかもしれない。
いつの間にか。


女が、先を急ぐ理由は、わかっている。
誰を探しているかも理解した上で一緒にいる。
そのはずだった。

(もっと、俺の名前を呼んでほしい。)

(触れたい。)

(嗚呼、なんて、)

邪で強欲なんだろう。灯は俺がこんな感情を持つなんて思いもしなかっただろう。何せ自分も気が付かなかったのだ。今の今まで。
つい数分前、女の体温に触れたとき、きっと引き金になったんだろう。そんなことを前を歩く当人の背中を見てぼんやり思う。

自分でも知らなかった部分。無意識にかき乱してくる。

心に手は届かない。届く筈もない。

それでも、奪ってしまいたくなるのは、何故。
手の届く距離、奪えてしまえる危うさ、それらがそんなことを思う理由だと気がついてしまった。わかっていても頭を上手く制御できない。それともさっきの目眩のせいかも。いや、それよりもずっと前から気がついていた。
理由なんていくつでも探せる。それなのに彼女を奪う手段はみつからないままだ。

焼き付けたかったのは俺のこと。
けれど実際に焼き付いたのは俺の方。



焼 き 付 け る



(欲しい。あの柔らかい体温が。)


end

2024/03/03



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