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 ゆれるサイリウムの色が目の中に焼き付いていく。まばゆい檸檬色の灯り。この色は自分のものだと思っていた。だけど、アンコールまで歌いきったステージを降りようとしたその時、隣に立つリンが笑いながら言った。

「レン、一番さいしょにかけた呪いをとくよ。もうわたしと同じじゃなくていいんだよ」

 実にあっけなく、かんたんに、おれの片割れはそう言ったんだ。





***





 クリスマスが終わると、街はひと息に装いを変える。まとっていたきらきら輝く電飾だらけのドレスを脱ぎ、単衣一枚を羽織っただけのような姿はやけに寒そうに見えた。
 殺風景になってしまった街を彩るように、赤のマフラーやブルーグレーのコートを着込んだ人びとが枯葉を踏む。ベージュのダッフルを着てその中に混じるリンは、不思議なぐらい機嫌がよかった。数歩先を歩いていると思っていたら振りかえり、ぐいとおれの腕を引く。

「もう、レン! もっとちゃんと歩いてくれなきゃ。まだ駅にもたどり着けてないんだよ?」
「わかってるけど、やっぱりまだねむいんだよ。リンこそなんでそんな元気なの? 昨日の今日だって言うのにさあ」

 昨日、おれとリンはボーカロイドとして生まれてから十回目の誕生日を迎え、マスターが手配してくれた大きな会場で十周年記念のライブを行った。この十年を振りかえるような多種多様なセットリストに加え、二回もアンコールに呼ばれたライブは大盛況だった。おかげで一晩経っても体がだるい。
 それなのに、お昼も過ぎたころに目が覚めて顔を合わせたリンは、開口一番、「レン、ちょっと出かけるからついてきて!」ときた。昨日あれだけ体力を使ったのに信じられない。さてはこいつ電気とかを補給して動いてるんじゃないだろうか。

「ほら、レンとは日頃の鍛え方が違うから!」

 疑いのまなざしを向けていると、おれの腕を引くリンはなぜか得意げになって答えた。レッスンの時はいつもおれより先に音をあげるくせに、いけしゃあしゃあとよく言える。あれだけ寝たのにひ弱だなあとかなんとか続く言葉を聞かなかったことにして、おれは反論を試みた。

「そもそも、買い物ならリン一人で行けばいいだろ。どうせ荷物もち扱いするくせに」
「えー、レンくんは疑り深いなあ。今日は違うよ。ひとにお返しするものを買うから、レンの意見も聞きたいの!」

 拗ねてみたり笑ってみたりとくるくる表情を変えてリンは言う。楽しそうなその横顔を見ていたら、ささいなことを気にしている自分がなんだかばからしくなってきた。







「ねえ、どっちの柄がいい?」
「んー……たぶん、右かなあ」

 本日何度目になるかわからない質問。そろそろ返事も適当になりつつあったけど、気にしていない様子のリンは「右ね!」とうなずいてレジの方へ走っていく。耐熱性のタンブラー、缶入りの焼き菓子、木製の日替わりカレンダー、エトセトラエトセトラ。リンのお返しの相手はいったい何人いるんだろう。いろんな店でプレゼントを買っているから、けっきょく、おれが荷物の半分を持っていた。
 数時間前に言ったことを忘れたのか気づいていないのか、プレゼントを買って戻ってきたリンは次の店に行く気満々だ。はいはいと言いながらついていく。この街にはおれたちみたいなボーカロイドがたくさん住んでいて、一般の住人も見慣れたものだから歩いていても驚かれたりしない。昨日が誕生日だったお陰でちらほらとおめでとうを言ってくれる人がいるけど、いつもならちょっと手を振られるぐらいのものだ。

 次はどの店に行くんだろうと遠い目をしていたら、リンがとうとつにCDショップの前で足を止めた。おれは目を瞬いてたずねる。

「どうした? ここにもなにか買うものがあんの?」
「ううん、そうじゃなくて、ほら!」

 リンの指差す先には、見覚えのある黄色いフライヤーが置かれていた。見覚えがあるというか、おれたちが十周年記念で出したCDの宣伝フライヤーだった。玉座に座って王冠を被って、本日の主役と言わんばかりの顔をしている。

「そういえば、店に置いてあるのを見るのは初めてだな」
「わたしも! このレンくん、実際よりイケメンなんじゃない?」
「そういうリンさんこそ、写真だとけっこう美少女に見えるんじゃないですか?」

 くだらない冗談を口にして、同時に笑い声をあげた。写真の中の自分はいつ見ても他人みたいな顔をしている。撮った時のことは覚えているのに不思議だ。笑いの発作でこぼれた涙を拭いつつ、リンがしみじみと言う。

「このCDの収録、懐かしい曲ばっかりだったよね。十年ってすごい!」
「昔を振りかえるなんてお年寄りっぽいなあ」
「ふふん、もう大人だからね。わたしも成長したんだよ! レコーディングに一人で行けるようになったし、楽譜を読めるようになったし、自分の声も好きになったし――」

 指折り数え、胸を張る。

「――つまり、わたしももう一人前でしょ! ソロ活動も夢じゃないよね!」

 その瞬間、昨日ライブの時にリンが言った言葉が耳の奥で再生された。胸が嫌な音を立てて鳴る。ソロ活動がしたい、おれと同じじゃなくていいなんて。なんでそんなことを言いだすんだと、いつもみたいに笑いながら聞くことができない。急に口が重くなる。

 店内にはミク姉のあまい歌声が流れていた。昔ならそれを聞くたびに悔しそうな顔をしていたリンが、今は気にした風もなく、おれの腕を引く。







 しばらくしてリンの買い物が終わった後のこと。外に出ると、いつのまにか外には夜が来ていた。冬の日は短い。つめたい空気に触れたとたん、暖房に慣れた体がぶるりと縮み上がる。
 バス停の時刻表を確認すれば、次のバスが来るまでにまだ三十分もあった。バス停の前には雨風を遮断するボックスタイプの待合室があり、折りよく他に人はいない。おれは紙袋の山を置いてベンチの上に腰を下ろした。おれの前に荷物だけ置いたリンは、近くのコンビニで飲み物を買ってくると言う。なにか買ってこようかと聞かれたけれど、いらないと首を横に振った。

 リンが行ってしまった後の待合室はしんと静まりかえり、空気中の埃や黴の匂いが鼻についた。一人になると、またばかみたいなことを考えてしまう。リンがおれにもう同じじゃなくてもいいと言ったこと。どうしてそんなことを言いだすのかわからない。
 そういえば、まだ鏡音の名前をもらったばかりの頃、おれは自我が目覚めるのが遅くていつもリンに手を引かれていた。喋ったりうたえるようになるのもずいぶん遅かったような気がする。あの頃はマスターでさえおれのことを持て余していたのに、リンは当然のように自分のすることをおれにもさせようとした。リンにできるんだからレンにできないはずないよ、なんて言って。だからぜんぶ、おれの身につけたことはリンの期待に応えたくてはじめた真似ごとばかりだ。あの頃のおれはリンになりたかった。だけど今は。

「……! う、わっ」

 とつぜん冷えきった頬に熱いものが触れて、思わず肩が大きく跳ねた。見上げると、小さいペットボトルのホットレモンを手にしたリンが目の前にいる。いつのまに入ってきたんだろう。そう思ったことが顔に出たらしく、リンは怪訝そうに眉根を寄せる。

「レン、やっとこっち見た。さっきからスーパーアイドルのリンちゃんが君の前にいるんですけどー。……どうしたの、魂が抜けたような顔しちゃって」

 なんか今日ずっと変だよね、と気づいていたことをあっさり明かす。言いたくなくて視線を逸らせば、「別に言わなくてもいいけど。まあ、場合によっては覚えたての格闘技を急に使ってみたくなったりするかもなー」なんてわかりやすく脅しをかけられた。言わなくていいとは一ミリも思っていないらしい。言いづらいしかなり不本意だったけど、重い口をのろのろと開く。

「リンのせいだぞ、リンが変なことばっかり言うから……」
「え? なに、変なことって」
「昨日から言ってただろ。おれにもう同じじゃなくていいとか、ソロでやってみたいとか……もうおれとうたいたくないなら、はっきりそう言えよ」

 口にしてから自分で呆れる。リンにははっきりしろと言いながら、本心と逆のことを言っている自覚があった。そんなことは言ってほしくないし耳を塞ぎたいぐらいなのに、口を突く言葉は拗ねたような始末の悪いものばかりで。
 リンはうなずくだろうか。昨日、おれの呪いをとくと言った時のようにかんたんに。それとも違うと言うだろうか。これがおれの勘違いなら、きっとリンは怒る。グーで殴られる時にそなえながら――そうなればいいと思いながら、リンの反応を待つ。

 だけど、予想は外れた。リンの顔には困ったような笑みが広がる。

「そっか、そう受け取られるのかあ……いや、ううん。レンとうたいたくないなんて思ったことないよ」

 言いながら、持っていたホットレモンをおれの手に握らせた。てのひらにじわじわと熱がつたわってくる。あったかい。おれがそれに気を取られているうちに、リンはなぜか紙袋の一つを開けていた。中から青とグレーのチェックのマフラーが出てきて、それをとうぜんのようにおれの首に巻く。一瞬反応が遅れた。

「ちょ、ちょっと待って。これってお返しじゃなかった? おれに巻いちゃだめだろ」
「だめじゃないよ。レンのために買ったものだから、レンがつけてなきゃ意味ないし」
「……は?」
「だから、レンへのお返しなの。これもこれも、これも」

 言いながら紙袋を引き寄せてまた開けようとしているので、今度こそストップをかける。

「待った。え、これぜんぶ? じゃあ、おれはおれのためにプレゼント選びをしてたってこと?」
「そうだよ。レンへのお返しだし、レンが選べば間違いないかなって。だから今日はどうしてもレンと買い物に来たかったの。今までレンからもらったものを返そうと思って。……できればぜんぶ、返そうと思って」

 気持ちも、時間もと指を折って言った。

「だってさ、わたしがレンに同じものになってなんて言ったから、レンはほんとうにそうなろうとしてくれたんでしょ。今ならわかるけど、そんなのってまるで呪いみたいじゃんね。だから、わたしはもう大丈夫だよって言いたかったの」

 ああ、なんだ。やっとリンの言いたいことが腑に落ちた。リンがおれに同じじゃなくなってもいいと言っているのは、なにもおれと離れたいからじゃないらしい。おれ自身の可能性を潰したくないと言っているんだ。おれに似て回りくどいからわからなかった。いや、似せていたのはおれの方なんだけど。
 そうと気づいたら胸に滞っていたものがたちまち溶けていった。狭まっていた視界が広がる。今のおれがどう思っているかなんて考えるまでもない。リンがおれと目線を合わせるように屈んだから、勝手に巻かれたマフラーをといてその首にかける。首のうしろでリボンの形になるように結んで、おれは笑った。

「なんだ、おれもリンも考えすぎなだけじゃん。呪いだなんて思ったことないから」
「え?」
「おれは鏡音リンになろうとしてたこともあるけど、もうとっくに鏡音レンとしてリンの隣でうたってるってこと。リンと同じになろうとしてたことはかんたんには切り離せないし、そうする必要もないよ」
「……ほんとうに?」

 聞き返すリンの口もとがふと弛み、瞳の中が揺れている。感情が透けて見える表情だ。やっぱりこっちの方がいいと思った。回りくどいことを言って、むりをして、手を離そうとするなんてリンらしくない。

「うん。おれにこうなれって言ったのはリンなんだから、ちゃんとこれからも責任とって」

 目には目を、呪いには呪いを。呪いをとくと言っているリンに、今度はおれから呪いをかける。こんなのって反則技だろうか。聞いてみる前にリンは立ち上がり、身がまえる間もなく体当たりしてきた。ぎゅうと抱きしめられて息が苦しい。
 でも、このぐらいの距離がちょうどいいんだって。もうリンになることはできないけど、くっついていられるぐらいの距離にはいたいんだってことに、ようやく気がついたんだ。





***





 まだうたい方もよく知らなかった頃、わたしは毎日の練習にすぐに音を上げていた。マスターに渡された音源を片っ端から聴きながら、こんな風にうたえるようになる日はくるのかなあと思っていた。同じボーカロイドだというミク姉はすでに名を上げていて、その時のわたしにはひどく遠い存在に感じられて。だから、つらいことも嬉しいことも同じように感じる誰か――口に出し合える誰かがほしかった。

 そんなある日、マスターから実はわたしの他にも鏡音がいるのだと聞かされた。最初はリン一人でうたわせるつもりだったけど、男女のツインボーカルもいいなと思って増やしたらしい。
 初対面の男の子なんて大丈夫だろうかと心配していたわたしは、はじめて顔を合わせたレンにおどろいた。まだ髪をおろしたままで、表情に男の子らしさのなかったレンはわたしとそっくりだったのだ。わたしと対になるようにつくられたわたしの半身。きっとそうだとすぐにわかった。だから、その時のわたしは、深く考えずに呪いの言葉を吐いたんだ。

「ねえ、君ってわたしの鏡なんでしょ? じゃあわたしと同じものになってよ! 君と一緒にうたってみたい」

 はじめて繋いだ手のひらが吸いつけられるように重なって、ここにもう一人のわたしがいるという実感を得た。一拍遅れ、わたしの目を見返したレンの目の中にも感情のようなものが浮かんだから、胸がとけそうなぐらい嬉しかったことを覚えている。

 だけどわたしは知らなかったんだ。呪いはかけた当人にかえるってことを。レンがわたしに近づけば、わたしもレンに近づいて。どんどん距離が近くなる。だから呪いをとくと口にした時、ほんとうは胸が焼けるように痛かった。





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