パラサイダー来襲!



 デルタチームのAI入れ替わり騒動は無事収束した。チームの解析とメンテナンスを済ませたアキラたちも、ここへ来てようやく肩の荷が降りた気分になれたものだ。三体共に問題はなく、バグや破損したプログラムもない。全く今まで通りである。あの事件によって引き起こされる可能性があった諸所の問題を憂慮していたGODにとっては、今回の件がすんなり片付いたことはまさに不幸中の幸いと言えた。
 とはいえ緊張の一日の後、ぶっ通しで何日もアフターケアに掛かり切りだった職員らの疲労は濃い。特にテクニカルチームは全員オーバーワークでへとへとだ。中でも、チームを率いて奮闘していたマツウラは特別疲れた様子で、手にしたカップが空なのにも気がつかず見えないコーヒーを何度も口に運んでいる有様である。

「・・・マツウラくん、生きてる?」
「・・・・・・・・・ふぁい、いきてまふ」
「ダメだわ。死んでるわね、これ」

 のろのろ視線を上げ、たっぷり5秒掛けてから答えたマツウラに、ユイリがあちゃーと天を仰ぐ。

「・・・・・・・・・あ、コーヒー空だった・・・」
「マツウラくんはもう帰った方が良いかもね」

 その様子を見て苦笑したアキラが言ってもやはり彼の反応速度は変わらず、 「こりゃ末期ね」 とユイリは目を丸くした。

「アキラの声に反応出来ないなんて相当キてるわ。ほら帰んなさい! 後はあたしたちがやるから!」

 ぱぱんっと威勢良く背中を叩かれてよたよたと動き始めたマツウラを、後ろからきびきび追い立てるユイリ。彼女がついていれば帰り支度は問題ないだろうと、アキラはサンクタム・フラットで緩慢に片付けをしている職員たちを見下ろした。

「みんなもお疲れ様。マツウラくんも上がったし、後は私たちが引き受けるわ。今夜はゆっくり休んでちょうだい」

 くたくたした足取りをしていた職員たちが、やはりくたくたした顔を一様に上げ、 「すみません」「お願いします」 と口々に述べては去っていく。
 やがてサンクタム・フラットはがらんと静まり返った。デルタチームもスリープしているので、賑やかさはいつも以上になりを潜めている。
 夜勤のスタッフに助力を請い、片付けの残りをやり切ってしまわねば。今夜はアキラも久々に自宅に帰ることになっていた。そうしたら、タカシのために明日の朝ご飯を作ってあげよう。機材を載せた台車を押しながら、彼女は小さく笑みを浮かべるのだった。



***



 GODは眠らない。いつも職員が詰めており、緊急の連絡が入ればいつでも出動出来る体制を取っている。アキラを始めマツウラ、ユイリ、ミズキ、カシイはほとんどGODビルを離れることはない。事件に際し迅速な対応をするためである。パラサイダーの襲撃が始まってからは特にだ。更に、不測の事態に備えて通信機を手放すことはないので、連絡があればコンタクトを取ることは容易だ。  だから連絡がつかないなどという状況は、甚だおかしいのである。

「・・・・・・おかしいなあ」
「アキラ、ケータイにも出ないの?」
「うーん・・・留守電にはなるんだけど・・・」

 ぱたんと携帯電話を閉じたマツウラが首を捻る。いつも通り朝には出勤してくるはずのアキラが、いまだに現れないからだ。ミズキが通信機に連絡を入れたが繋がらず、プライベートの携帯電話に掛けても結果は同じ。

「あの子に限って遅刻なんて・・・」
「アキラさんがどうかしたんですか?」
「あ、イグニス! うん、ちょっと連絡がつかなくて」

 すると、イグニスの目が驚きで丸くなった。

「アキラさんが、ですか?」
「やっぱりあんたもそう思うでしょ?」

 ユイリの声音はいつものようでいて、微かに不安を醸し出している。彼女は強がりだが、人一倍仲間を心配する性格でもあるからだ。

「オレ、パトロールしがてら家まで見に行きますよ。もしかしたらまだ眠っているだけかも」

 そうは言いながら、彼にさえそれが的外れな推論だとは分かっていた。けれども、まずは何かの間違いだったと信じたい。
 ――きっと寝坊しただけだ。きっと、きっと。
 イグニバイクを駆る間も、イグニスはその可能性ばかりを願っていた。家に着いたら、アキラが笑いながら謝ってくるのだろう――と。

 しかし、見上げた友信家はしんと静まり返っていた。チャイムを押すのを躊躇い、指先をうろうろさせた後で、彼はようやくボタンを押す決心をした。
 ――キン、コン。
 響くチャイム。ガチャッと応答のノイズが鳴った。・・・だが、聞こえた声は期待とは違った。

『ふぁーい・・・どちらさまぁ?』
「タカシか? オレだ、イグニスだ」
『イグニスっ?』

 眠たげな声は一瞬で明るく変わり、パタパタ足音を響かせて、少年は玄関に顔を覗かせた。

「朝からどうしたの?」
「ちょっと、パトロール中に通り掛かったから。・・・なあ、アキラさんは居るか?」
「姉ちゃん?」

 キョトンと首を傾げたタカシは、一旦家の中を振り返り、首を横に振った。

「姉ちゃんは居ないよ。昨日も帰ってないと思うけど・・・姉ちゃんがどうかしたの?」

 不意に少年の顔に不安が浮かんだ。だから、慌ててイグニスは首を振った。

「いや、何でもないんだ」
「・・・ほんとに?」
「ああ。ごめんな、朝から押し掛けて。学校行く支度があるだろ? それに朝ご飯も」
「うん、パン焼いてる最中! あっ、焦げてないかなぁ。見てこなきゃ」

 訝しげな表情は少し和らぎ、子供らしい笑顔に変わって、それから焦ったように後ろを振り向いた。ころころ変わる百面相を見て、行っておいでとイグニスが言った。その言葉に頷いて、少年は家の中へ駆けていった。
 それを笑顔で見送ったイグニスだったが、ドアが閉まった途端、不安でちりちりする胸へ手を当てた。一つ深呼吸をしてからバイクに跨がると、通信機の電源を入れる。小さなノイズの音と共にミズキとマツウラの会話が飛び込んできた。

『やーっぱり繋がりませんよぉ、電源切っちゃってるのかなぁ・・・』
『うう、どうしちゃったんだろう・・・』
「こちらイグニス。アキラさん、家にも居ないみたいです。タカシの話だと昨日も帰っていないかも、と・・・」

 ええっ――とマツウラから泣きそうな声が飛び出した。ことによると、もう半分は泣いているのかもしれない。横から 「頼りないわねぇ・・・」 と呟くユイリの声も混ざった。
 いつも通りのやり取りなのだが、彼らの間に流れる微かにピリついた空気に、イグニスは否応なしに不安を感じてしまう。
 アキラというトップの行方が分からない。
 その事実にみんな混乱しているのだ。誰もが、アキラが居なくなるはずがないと信じている。――にもかかわらず。

(アキラさんは、どこにも居ない・・・)

 胸で燻る不安の焔が大きく育つ。
 無性に居ても立ってもいられなくなり、イグニスはバイクのスピードを更に上げた。
 こんな時は一人で居てはダメだ。早く仲間の元に帰りたい。
 不安に駆り立てられるまま、タイヤのゴムが焼けるほどの速度で、彼はGODビルへと疾走したのだった。



***



 ――その、数時間後。アキラの失踪により捜索願いを受けた警視庁には、GODに負けず劣らずの張り詰めた空気が漲っていた。手の空いている者は総員――否、現在手掛けている事件を脇へ置いても捜索に携われとの命令は、尋常ではない。

「たかが民間人一人の捜索でしょう。誘拐か事故か、はたまた迷子か知りませんが、これだけの人数を投入する理由があるのですか?」

 デスクに両手をつき、剣呑な口調で言ったトクノを、課長は冷たい視線で睨みつけた。その視線の厳しさに、彼は慌てて 「迅速な発見を目指すのは当然ですが」 と付け加える。
 けれども課長はそんな言い訳にも構わずすっと視線を外し、硬い口調のまま言った。

「理由などない。職務だからだ。それに何より・・・これは上からの命令だ。全身全霊で捜索に当たれ」
「・・・・・・分かりました」

 渋面をしたトクノだが、上からの命令とあらば退かざるを得ない。渋々とした調子を隠そうともせず、高価な靴の踵を忌ま忌ましげに鳴らして背を向けた。コートを引っ掴み廊下へ出ていく彼を追い掛け、部下たちもバタバタと外へ飛び出していく。
 彼らの背を見送りながら、課長は溜息を落とし、窓の下に広がる街並みを見下ろした。
 ――現在、友信アキラがGODのトップであると知っている者は限られた極一部の人間だけである。課長にもその事実は知らされていない。彼もまたトクノと同じように、今回の命令には違和感を感じているのだった。



***



 寒波の寄せる東京で、事件は密やかに始まり、水面下で進行する。行方の知れないアキラを中心に物語は始まった。
 そして――局面は急展開を迎えることとなる。

『――トクノ警部!』

 パトカーの無線から酷く焦った部下の声がしても、トクノは冷静にハンドルを切り続けた。ただし、端正な顔にくっきり眉間のシワを刻みながら。

「何だ、騒がしい・・・手短に報告しろ」
『大変な・・・大変なことになってるんですよ!』
「だから何がだ。手短にと・・・・・・、ッ!?」

 的を射ない返答にイラつき、舌打ちをしかけたトクノだったが、唐突に視界を横切った影に舌も声も止まってしまった。慌てて急ブレーキを踏み、ハンドルを大きく切って体勢を立て直す。無線の向こうで部下が何か叫んでいるのだが、今の彼の耳には届いていない。
 目は、眼前の光景に奪われていた。

「何だ・・・これは・・・・・・」

 うじゃうじゃと蠢く黒い影。
 まるで虫だとトクノは思った。
 ――これは虫だ。とびきり気色の悪い、機械の虫だ。
 大変なことというのは――このことなのか。
 フロントガラス越しに広がっている光景を、彼はにわかには信じがたい気持ちで凝視した。どこから湧いてくるものか、パラサイダーがわらわらと溢れ、街を覆っているのだ。
 いや、覆っているというのは比喩だが、実際覆われていてもおかしくないように思える量である。以前どこかでマンホールから虫が湧き出す映像を見たが、それと同じように奴らはどこからともなく噴き出しているように思えた。
 暫し声を失っていたトクノを正気に返らせたのは、一足先に我に返り、同時にパニックに陥った相方の刑事の悲鳴だった。助手席で彫像のごとく固まっていた彼は、今度は壊れたスピーカーのように叫んでいる。

「落ち着けサクラバ! 叫んでいる場合じゃないっ! ・・・おい、大変なことというのは街に溢れてる虫のことだな!?」

 隣にそう叫んだ後、トクノは同じ声量で無線にも怒鳴った。

『そうっ、そうです! あちこちから噴き出して・・・生き物に寄生し、巨大ロボットに――ぎゃああああっ!!』

 悲鳴と共に無線は途切れ、雑音に変わった。舌打ちする余裕もないままトクノはその無線を台座に叩きつけ、改めてハンドルを握り直してアクセルを踏み込んだ。タイヤの軋む音を聞きつけたパラサイダーが何体か車へ向かって飛び掛かってきたが、意に介さず急発進する。ガラスに当たった一匹がそこにヒビを入れた。

「け、警部・・・」
「サクラバ、周囲の民間人に避難を促せ。失踪人の捜索どころじゃないぞ。とにかく一旦戻って対策を考えないと。こいつはGODが指揮を取ることになりそうだ・・・。
 ――おい、何をボーッとしてるんだ! 警察がボヤボヤしてる場合かっ!!」

 ヒステリックな怒声にどやしつけられてようやく、サクラバの呪縛が完全に解けた。弾かれたように無線を取り、パトライトをルーフに掲げて、外へ向けて注意勧告を始める。その横でトクノは無言でハンドルを握り締め、一目散に警視庁への道を飛ばした。



***



 パラサイダーの大量発生――前例のない事態は正に空前絶後。アキラを欠いたGODでは、唐突にあちこちから湧いた反応にミズキが必死の対応を見せていた。緊急警報は常に鳴り響き、救急チームを始めとするGODのスタッフたちは上へ下への大混乱だ。
 それと言うのも、指揮を取るべき者の不在が原因である。且つ、副主任のマツウラがパニックになってしまっているのも、混乱に拍車を掛けているのだ。

 ――どうしたら良いのか、分からない!

 最初に警報が鳴り響いた瞬間から、マツウラの頭の中はその言葉でいっぱいになってしまっていた。

 命令を出すにも、
 対策を立てるにも、
 チームを配備させるにも、
 ――どうして良いのか、わからない。

「マツウラくんッ!!」

 完全に動きを止めてしまったマツウラをユイリの怒鳴り声が叩いた。平手で打たれたようにびくりと肩を跳ねた彼へ、追い打ちを掛けるように彼女は叫ぶ。

「あんたがしっかりしなくてどうすんのよ!」
「でも・・・アキラさんが・・・」
「アキラが居ないならあんたがトップでしょうが! 警察消防と連携取るのは誰? 現場のチームを指揮すんのは誰よ!? あんた以外に、この状況どうにか出来る奴は誰が居んのよ!!」

 まくし立てるユイリの顔は悲愴だった。そして、それを見つめ返すマツウラの顔もまた悲愴だ。何ともならない状況を、何とかしなくてはならない現状。
 しかし――ぐ、とマツウラは唇を噛み締めた。

「・・・・・・ミズキくん、テラスのモニターにデータを送っておいて」
「はぁい! 了解ですっ!」

 エレベーターに駆け込み、テラスへ上がる。光るモニター画面にはもう、パラサイダーの出没地域のデータが転送されていた。見る限り、パラサイダーが居ない場所を探す方が難しそうな有様だ。

「機動隊はどうなってる? ユイリさん」
「みんなそれぞれ・・・この地域で戦ってる」

 ユイリからも地図データが届き、ミズキからのデータと重なる。出現数が多い場所へ重点的に派遣されたようだ。
 泣きそうなのをぐっと堪え、必死で思考する。今、何をすべきで、どう指示をすれば良いのか。

「警察と、消防と・・・あと、うちのチームも揃えて・・・みんなで、対処すれば・・・・・・」

 終息させられる。いや、させなくてはならない。
 この非常事態に後手を取れば、東京は壊滅するだろう。パラサイダーが寄生したロボットを倒すには、GOD機動隊の力が不可欠なのである。
 しかしこうも数が多いとなると、手の打ちようがない。

「・・・・・・そうだ、ミズキくん! パラサイダーが湧き出してる中心を特定出来ないかい?」
「発生源ですね? やってみまぁす!」

 相変わらず明るい声を上げるミズキだけれども、彼女とてコンピューターに向かう顔は真剣そのものだ。ムードメーカーの彼女はただ、雰囲気に飲まれないよう無意識に声のトーンを上げているだけである。

「機動隊のみんな、聞こえるかい?」
『マツウラ! ・・・アキラさんはまだなのか?』
「ごめん・・・・・・」

 繋いだ回線からは、真っ先にイーガルの声がした。声から微かな落胆を感じたマツウラが謝ると、イーガルが小さく唸る。

『謝ってどうにかなるもんじゃねーよ』
「う、うん・・・」
『それより、連絡なら急いでくれ。こっちもわりとヤバいんだ、ぜッ』

 無論、戦いながらの通信なのだ。イーガルの声は所々で途切れる。パラサイダーの攻撃を避けているのだろう。微かに雑音のような音も混じっている。それは恐らく、パラサイダーの立てる破壊音だ。次々に応答を返す機動隊の声を聞きながら、マツウラは無線機を握る手に力を込めた。
 ――弱音を吐くのは簡単だ。背を向けるのも、逃げ出すのも、見て見ぬふりをするのも。けれどそれでは、責任が果たせない。

(僕は・・・・・・アキラさんたちとGODを立ち上げた時に・・・そして、機動隊のみんなを生み出した時に、決めたじゃないか・・・!)

 逃げてばかりの自分を変えよう。弱い自分を変えよう。アキラやユイリ、ミズキやカシイ、トーゴーやショーコ、そして大勢の職員に恥じないように。イグニスやイーガル、デルタチームを支えられるように。ずっと弱音ばかりだった自分を変えたい――そう、マツウラは思っていた。今踏ん張らずに、一体いつ踏ん張ると言うのか。

「今、ミズキくんがパラサイダーの発生源を探してくれてる。これだけ多くのパラサイダーが一度に現れたんだ、反応も当然大きくなる。今まで見つけられなかった敵の『巣』を見つけられる可能性は大きいんだ。そこを見つければ、この被害も食い止められるかもしれない」
『それでは・・・私たちは』
「うん、それまで――僕らがそれを見つけるまで、頑張って。僕も、頑張るよ。警察消防と連携を取る。・・・守るんだ、僕らが」

 この、街を。

 マツウラが言葉に込めた想いは、通信機を通しても薄れることなく伝わった。

「・・・言うじゃねーかマツウラ! 見直したぜ。戦闘は俺らに任しとけよ!」

 パラサイダーの幾つかを踏み潰しながら、イーガルが笑う。

「大丈夫大丈夫、オレたち最強だからなーっ!」
「バカールズ、真面目にやれ」

 カールズの軽口を、パラサイダーロボを押さえ込むブローがなじる。途端始まった口喧嘩を諌めるエースの叱責。緊張していた機動隊の雰囲気が、確かに少し和らいだ。イーガルもデルタチームもこの戦いの先にある希望を信じたのだ。
 ――ただ一人、イグニスを除いて。
 イグニスだけは、胸中にわだかまった不安感を拭い去れずにいた。何か悪いことが起きる気がしてならない。アキラの所在が分からないからなのだろうか――知らず知らずの内に注意が散漫になっていた彼の真横からパラサイダーが飛び出し、逃げ遅れたカラスの一羽に取りついた。

「しまった・・・ッ!」

 あっという間にケーブルに覆われるカラス。断末魔の一声を上げる暇もない。そのケーブルの塊はどんどん膨らみ、いつか見たパラサイダーロボの姿へと変わっていく。

 ガアァァァァァァッ!

 天を劈く咆哮――黒い翼を力強く一閃させ風を巻き起こしたパラサイダーロボの周りで、路駐されていた車が木の葉のようにぶつかり合った。

「くっ・・・・・・近づけ、ない・・・!」

 宙で砕け散ったフロントガラスの欠片を浴び、下がるイグニス。いくら敵が巨大とは言え、以前彼はこの相手を撃破している。しかしそれはイーガルと一緒だったからだ。

(オレ一人じゃ、こいつを倒せない――!)

 だが・・・・・・だからと言って、このまま手をこまねいていることも出来ない。GODが戦わなければ、この街を守ることは出来ないのだから。意を決し、彼は両腕をイグニブレードへ換装し、アスファルトを蹴って飛び上がった。
 両者のぶつかり合う火花が、東京の空に激しく散った。



***



 ――街から、人気が絶えた。幾度目かの弾の充填を終えたイーガルはそう思った。パラサイダーの立てる破壊音とこちらの発砲音、そして遠巻きに聞こえる仲間たちの戦う音――その最中に、人の声はしなくなった。
 いや、実際は混じっている。警察や消防の人間が叫ぶ声はそこかしこにある。だが、人気はめっきりと減っている。

(みんな、避難し終えたのか――)

 もう何匹めか知れないパラサイダーを踏み潰し、周りを見渡す。瓦礫の山だ。倒し切れなかったパラサイダーが他の生物に寄生するために、被害がどんどん膨れ上がってしまうため、街の破壊は刻一刻とひどくなる。

「待てよ・・・イグニスは?」

 先ほどから通信に彼の声は上がってこない。どうしたのだろう――にわかにイーガルの胸を不安が満たした。

「おい――イグニス?」

 個人チャンネルに呼び掛ける。――反応はない。

「イグニス!」

 呼べど叫べど、答はない。その代わり彼の個人チャンネルへ、ユイリからの通信が飛び込んできた。

『イーガル! イグニスの状態がヤバイの、すぐ向かって! ミズキが場所を送信するから!』
「――ッ!」

 位置情報が届いたと同時に、彼は走り出していた。しかしこれでは遅い。瓦礫を飛び越える間にビーストモードへチェンジして舞い上がる。風を切り、青く尾を引いて、一直線に現場へ向かう。
 ――見えた!
 黒い巨大な影。あれは以前にも見たパラサイダーロボだ。そして、その足元に倒れるオレンジ色は――。

「てめぇえええッ!」

 空中でヒューマンモードへ移行し、落下しながら腕を敵に向ける。

「シュトロム――キャノン!」

 空気を切り裂く熱線が、今正にイグニスを踏み潰そうとしていたロボットの肩を貫き、風穴を開けた。慌てて跳び退る敵になど目もくれず、イーガルが駆け寄ったのはイグニスの元だ。

「大丈夫か!?」
「・・・あ、ああ・・・大丈夫」

 抱き起こしたイグニスは、確かにあちこち破損をしているものの、危機的な傷は見受けられない。むしろ危ういのは彼のエネルギー残量の方だろう。立ち上がろうとするイグニスの足は、目に見えてふらついている。

「体力ギリギリなんだろ? 無茶すんな、俺がやるって」
「一人じゃダメだ・・・・・・二人なら・・・」
「つってもお前・・・」
「イーガルだって傷だらけじゃないか。一人でなんて、やらせられない」

 そう言われて初めて、イーガルは自身の身体を見回した。いつの間にかボロボロになっている。今まで必死に戦っていたせいで気づかなかったが、体力の残量は自分も似たり寄ったりだった。
 きっと、散らばって戦っている仲間たちも同じなのだろう。

「――分かった。二人でなら、な」
「・・・ああ!」

 二人で同時に巨大な敵を見上げる。その時にはもうイグニスは、それを倒せないなどとは思わなかった。
 二人ならば、必ずやれる。そう、信じている。

「行くぞイーガル!」
「おうよ!」



***



 点滅する光。無数に散らばるそれは、時に消え、時に質量を増し、時に増殖する。刻一刻と変化するパラサイダーの分布を映し出すモニターを凝視しながら、ミズキの指は猛烈なスピードでコンソールの上を滑り、コンピュータに指示を与えていた。
 類稀なる集中力。普段の姿からは想像のつかない圧倒的な思考力。それらが余すところなく発揮された時の彼女の能力は、実に超人的だ。丸く瞠られた目は休むことなく左右に動き続け、データは絶えず彼女の要求に応えて変動を続けた。

「――・・・ありましたーっ!」

 反射的に立ち上がった彼女へと、マツウラとユイリの視線が一瞬で集まる。

「地下です! パラサイダーは地下から湧き出してるんですぅ! すごく大きな空間が地面の中にあるんですよぉ!」

 ミズキの言葉に、今度は二人が顔を見合わせる。

「大きな空間・・・って、地下鉄とか色々あんのよ? そんな大きい場所、あるわけないわ」
「それがあるんですって! だって、パラサイダーの反応があるんです。今まで見たことないくらい、大きくて強い反応ですよ! そこから湧き出してるとしか考えられません・・・・・・私も信じられないですけどっ、東京の地下には大きな大きな隠しスペースがあるんですー!」

 見合う二人は、お互いの表情にありありと 「そんなことあるわけがない」 と書かれているのを見た。けれども、まず最初にその疑念を振り払ったのはマツウラの方だ。

「とにかく調べよう。あるもないもそれからだ。ユイリさん、機動隊全員に連絡をお願いします」
「・・・分かったわ!」



***



 ――地下に巨大な隠しスペースだぁ?
 オペレーションルームから入った通信に、真っ先に素っ頓狂な声を上げたのはイーガルだった。

「いくら何でもそりゃあ――」
『あたしだって信じらんないけど! ・・・でも、ミズキの調べたところによると、そうとしか考えらんないのよ』

 ユイリの声にも迷いが窺える。未だに彼女は信じ切れていないのだ。それは機動隊も同じである。
 しかし。

「・・・探してみよう。何にしたって、地下にパラサイダーの反応はあるんだ。そっちだって倒さなきゃならない」

 イグニスの声で、通信回線に満ちていた空気が少し変わった。ぴりっとした緊張を伴う、前向きなものに。

『そうですね』
『オレ行きたい! 隠しスペースなんてカッコいいじゃん!』
『何言ってんの、デルタチームは地上担当よ。入り込むなら、イグニスとイーガルが適任。・・・そうよね、マツウラくん?』

 通信に間が入った。恐らくユイリはテラスを振り返ったのだろう。直後、マツウラの声が回線を通った。

『うん。その方が良いと思う。地下は狭いかも知れないし、パラサイダー本体なら二人でも充分対処出来るはずだから』
『地下にゃ、寄生するための生き物もいねーしな』
『・・・そうとは限らない。注意してくれ』

 楽観的なイーガルの笑い声に被ったのは、カシイの声だった。珍しく通信チャンネルを開いているのは、この非常時だからである。
 そのまま彼は、地下にはネズミや虫といった生き物が多いことを言葉少なに伝え、回線から声を消した。通信を切ってはいないが、これ以上横槍を入れるつもりもないのだろう。

「カシイさんの言う通りだったにせよ・・・地下が狭いなら、楽に動けるのはオレとイーガルくらいだ」
『その場合、パラサイダーロボの動きも制限されるはずです』
『いくらデカブツでも、動けねえなら倒すのは楽だろ』
「言えてる。――とにかく、オレたちは地下へ。エネルギーを補充したら向かうよ。その間、デルタチームは地上を頼む!」
『了解!』



***



 ――ここは、どこなのかしら。
 ――私は・・・・・・眠って、いるのかしら。
 ――目を開けているのか・・・閉じているのか・・・分からない。瞼の裏も、外も、同じ暗闇に融けている。
 ――ここに居てはいけない。
 ――帰らなくては・・・・・・。




***



 人気のなくなった地下鉄というのは何だか気味が悪い。まるで悪い夢を見ているようだ。そうイグニスが言うと、見捨てられた缶コーヒーを踏み潰したイーガルも同意した。

「タチの悪ぃゾンビ映画だぜ、これじゃ」
「映画じゃないから余計にな・・・」

 その言葉でまた沈黙が落ちる。
 ――これは現実だ。
 改めて感じることで、静寂が悪意を帯びているように思われた。がらんどうの空間では小さな音も大きく響く。沈黙をもたらした彼の言葉もうわんうわんと反響しながら奥へと消えた。
 さて、ここから更に下へ下りるにはどうするか。答は二人の目の前に広がっていた。

「でっけー穴だな」
「ここから湧き上がってきたのか・・・」

 眼前にぽっかりと口を開ける奈落。線路を突き破り、地の底へ導く大穴。既にパラサイダーを吐き出し終えたのか、今は静穏に満ちているそこは、逆に静か過ぎて不気味だ。
 けれども二人は臆さない。

「掴まれ」

 短く告げられた言葉を皮切りに、イグニスはイーガルの腕を掴んだ。そのまま二人で穴の中へと飛び込む。
 吸い込まれる感覚が全身に纏わりついた。自分が闇に融けていくのではないか――そんな不安が一瞬だけ過る。しかし、その怖れもすぐに消えた。

(――大丈夫。オレは・・・オレたちは、独りじゃない)

 今隣にいるイーガルだけではない。地上で戦うデルタチームも、彼らと共に奮戦しているであろうGODの職員も居る。警察と消防の人々もだ。そして、GODビルにはマツウラたちも居る。タカシやその友達もきっと無事でいて、機動隊の応援をしてくれているはずだ。

(でも・・・・・・)

 そこに一人だけ居ない人物を想ったが、イグニスは急いでそれを振り払った。折しもイーガルがバーニアを蒸かせたので、思考を切り替えるのは思ったよりも容易だった。

「どうやら、ここが底みたいだぜ」

 兄を抱えながらゆっくりと足を着いたイーガルが言う。光の届かぬ穴の底は、そうして地面を踏みしめていなければ、まだ下へ下へと落ちていきそうな感覚にさせる。
 すると、不意に辺りが輝いた。イグニスが懐中電灯を点けたのだ。眩さにくらめいた視覚はすぐに馴染み、二人の先に道が続いていることを知らせた。顔を見合わせた彼らは、どちらともなく頷き合った。

「行こう」

 音の反響を追って、奥へ。
 二人の歩き去った後を、暗闇が元通りに覆った。



***



 天地がひっくり返るほどの混乱をもたらしたパラサイダーの襲撃は、GODと警察の奮闘により次第に終息のきざしを見せ始めていた。機械虫の数は無限かと思われたものの、実際には限りがあったようで、現在パラサイダーロボと化している分以外は既に殲滅し切ったらしい。新たに反応がないことをミズキが知らせたのだ。地下にあった大きな反応も、今はないと言う。
 それを聞いたマツウラは、被害状況の確認と機動隊の燃料補給の手配に取り掛かり出した。ひとまず危機を脱することが出来そうだけれど、この後事態が悪化する可能性もある。ゆっくり修理をしてやりたいところだが、万一に備えておかなくてはいけない。
 崩れ落ちそうな精神を奮い立たせ、彼は今、動き続けている。

「デルタチームから連絡はあったかい?」
「それはまだ――あ、今入ったわ! 終わったの、エース?」

 ユイリの問い掛けに、きびきびした声が答えた。

『はい、終わりました。他に反応はないんですね、ミズキさん?』
「ありませんよぉ!」

 間髪入れずに、ユイリの隣から声がした。画面を埋め尽くしていた光の点は消え失せ、危機が去ったことを示していた。
 ――ひとまずのところは。

「じゃあ、きみらはそこで待機していてくれるかい? ドリンクを持っていくからエネルギーを補充して、街の修復の手伝いに回ってもらうよ――」

 ――このまま何も起こらなければ。
 そう続くはずだったマツウラの言葉は、無情に遮られてしまった。
 彼の声に重なって、通信回路から飛び出したのは――、

『大変だ――みんな、聞いてくれ・・・!』

 切迫したイグニスの声だ。

『発生源と思われる地下空洞に入ってみたんだけど、ここは――間違いない。大変なことになってるんだ!』

 声は、微かに震えながら続けた。

『――ここには・・・・・・』



***



 ――まるで悪い夢のようだ、とイーガルが呟くのが聞こえた。イグニスも同じ感想を抱いていた。・・・否、その感想しか抱くことが出来なかった。
 道の先は急に開け、ミズキの割り出した通り大きな空洞となっていた。ぽっかりと空いた無の空間が東京の地下にはあったのだ。
 二人はその大空洞の中で足を止め――息を飲んだ。

 ――何かが、おかしい。

 何がおかしいのだ――? 始め、イグニスには分からなかった。しかし違和感の正体に気づいた瞬間、思わず一歩後退りするほどの衝撃に見舞われた。

 ――ツタだ。

 そう、思った。そうとしか見えなかった。
 天蓋を覆う木の根――彼にはそう見えた。無数に絡み合った根っこがあるように。
 しかし、違ったのだ。それは根などではなかった。

 ――それは、金属で出来ていた。





To be continued...



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