Starting madness



 ――溜息を吐くと幸せが逃げる。何処かで聞いたそんなジンクスを思い出して、レオハルトはまた一つ重い息を吐き出した。ここ、軍の資料室には許可のない者は立ち入ってはならないという軍法があるのだが、今の彼は忍び込みも同然に入り込んでいた。今までにも入室したことは幾度もあるが、そのどれも正式に許可を取っての入室だった。今回は違う、許可を取っていない。明白に軍規を犯すのはこれが初めてだ。心臓部動力回路の駆動音が、厚い装甲を抜けて表へ聞こえてしまうのではないかと不安が過ぎる。

 それもこれもグランハルトのせいなのだ。軍が確保するはずのスパイを横取りして匿うだなんて無茶にも程がある。シェイディアとの国交に支障が出なかったことが不幸中の幸いだが、何にしてもグランハルトが前回の件に関わっていることは明らかで。
 それをひっそりと揉み消すために、レオハルトはここに居るのだった。流石に自分が入室する度に資料改竄の疑いがあるとなれば、風当たりは一気に悪くなる。ある意味、この違法行為は賭けも同然だった。
 資料に手を加え、なるべく事を穏便に済ます。グランハルトのグの字も出ないよう、上手く隠蔽せねば。
 これは無駄な努力かもしれないが、何か出来る事をしなければ治まらない自分がいるのだ。レオハルトは今でも、グランハルトを数少ない友人として想っていたのだから。
 けれど彼は、グランハルトが今も軍につき従っている自分のことを良く思っているはずがないとも考えていた。だから気づかれないよう密やかに、彼らの手助けをすることだけを考えてきたのだ。
 今も、それは変わらない。彼が気づいてくれなくても良いのだ。私は、私の心に従えば。そうレオハルトは考えていた。

「――・・・よし、後は辻褄を合わせて整えれば・・・」


「何をしている。」


 ぎくり、とレオハルトの手が止まった。資料室の重い扉の軋む音と共に、逆光に浮かび上がるロボットの姿。芯の通って見えるほど背筋の真っ直ぐな、目つきの鋭い男だ。
 レオハルトの顔から、表情が消える。

「・・・グラッジバルド」

 ――グラッジバルド。セントラル軍第13師団副隊長だ。彼の隊を有していた隊長が脱走してからはレオハルトの隊長がその座を兼任しているが、昔からそれなりに交流はあった。
 故に分かる。厄介な相手に遭ってしまったと。
 名を呼ばれた彼は口元を不快そうに歪めてレオハルトを睨みつけ、それからその手元に視線を落とした。

「それは先日のスパイ騒動の報告書だな。そんなものに何の用だ?」
「大した事ではないよ。ただあの事件は私も関わっていたし、情報を整理したくて一読しただけだ」

 無表情のまま淡々と告げたレオハルトの前へ、カツカツと靴を鳴らしてグラッジバルドが立った。じっと視線を絡ませる。そしておもむろに資料を取り上げ、ペラペラと捲りながら芝居がかった声を上げた。

「はっ、おやおやおかしいなァ。貴様は一読しただけと言ったが、この資料は改竄されているようだ。――何故そんなことが分かるか? ・・・・・・この報告書は俺が作製したんだよ!」

 突然声を張り上げ、肩から提げていたライフルをガッと掴んで振り上げる。ドゴッ、と重い音がレオハルトを直撃した。

「ぐっ・・・が・・・、」
「報告書改竄は重罪! 加えて資料室への無断立ち入り、軍部機密の外部漏洩の疑いあり!
 ――この裏切り者が。」

 床に倒れ伏したレオハルトの身体を、ライフルの銃底で狂ったように叩きのめしながら、グラッジバルドは薄笑いのまま叫んでいる。がは、とレオハルトの口から、濁ったオイルが吐き戻された。そこでようやく、叩く手が止まる。しかし、冷ややかな視線は変わらずレオハルトを射止めていた。

「軍法会議で貴様の処罰を諮ってもらおう。処刑に決まってるがな。どう殺してもらうんだ? 銃殺? 絞殺? ギロチンというのも悪くないな」

 ニタニタと責める彼と真っ向から見つめ合って、レオハルトは穏やかに零した。

「・・・・・・友の為に殺されるなら、私は怖くない。本望だよ」

 ギッ、とグラッジバルドのフェイスが歪む。見上げるレオハルトの頭を思い切り踏みつけ、絶叫。

「貴様は気に食わん!! 偽善者ぶりやがって、何が友の為だ! そんなことをした所で、報われるわけもないというのに!!」

 掻きむしるように叫び散らした彼は、もう一度足を浮かせて振り下ろし、静かになったレオハルトを見下ろすと、くるりと踵を返した。

「死ぬのを恐れないというなら、軍法会議から逃げるなよ」

 ニタリと笑ったのが、背中越しでも分かった。ギイギイと不協和音を奏でる身体を動かすこともできず、レオハルトはただぽつりと、

「・・・君には、分からないのかな。」

 と呟くのが精一杯だった。


***


 その頃、セントラル軍に不穏な雲が立ち込めていることなど露知らず、ジャンクポットは今日も賑わいを見せていた。テーブルに並ぶのは湯気の上がる食事。久々に鍋以外のメニュー。

「スゴいやヒナギク! キミ、料理ができたんだネェ!」
「おいしそうです〜!」

 きゃっきゃとはしゃぐマディとミアに、グランハルトとエマージも思わず頷いていた。それを見て、ぼろっちいエプロンにお玉を持ったヒナギクが満足そうに踏ん反り返る。

「こんくらいできなきゃシェイディア諜報員の名が廃るぜ! 材料が乏しくてまともなモンは出来なかったけどさ」
「これだけ出来れば十分だ。お前は知らないだろうが、今まではずっとこいつの鍋を食べていたんだ」

 くい、と右手の親指で医者が示したのは、キョトンとカメラアイを瞠るグランハルト。

「あんなものは料理と呼べない」
「失敬なヤツだなあお前! 食えただろうが!!」
「食えるだけで料理とされるなら、野菜の切れ端も肉くずも料理だろうが!」

 心外だとばかりに立ち上がったグランハルトに、彼の上背を更に上回る巨体のエマージが迫る。お互いの肩を掴んだ二人、あわや乱闘――というところで、呑気なマディと呆れたヒナギクの声が介入してきた。

「ヒエー、これほんとにおいしいヤ!」
「おーいお前ら、ボヤボヤしてっと食われちまうぞー?」

 え、と顔を向ければ、マディとミアの箸は快調に食事を進めており。顔を見合わせた二人は慌てて席に着くと料理に手をつけた。
 その様子を、まだ満足そうなヒナギクが見下ろしていた。


「――ふー、食った食った! いやあ良い拾いモンしたなぁ!」

 食事を終え、片付けに勤しむヒナギクを横目にグランハルトが笑う。不機嫌そうな声が洗い物の合間から聞こえてきた。

「人を物みたいに言うんじゃねえ! 洗い物くらい手伝えよ、家神様じゃあるまいし」
「ははは、そりゃすまねえなヒナ!」

 からからと告げられた言葉に、今度は怒号がすっ飛んでくる。

「だから俺はヒナじゃねえっ! ヒナギクだっつって・・・・・・おい、客みたいだぜ?」

 ヒナギクの言葉に振り返ったグランハルトの耳にも、表のドアを叩く微かな音が聞こえた。彼は僅かに眉をしかめ、 「あいつじゃないなあ」 と呟いた。しかしヒナギクが誰のことかを問い質す前に、いつも通りの飄々とした態度で歩き去ってしまったので叶わなかったが。

「はいはい、今開けるよ」

 苛々したノックの音に急き立てられる様子もなく、グランハルトはゆっくりとノブを捻った。
 開いた先には、如何にも軍人然とした姿の男が立っている。

「・・・おいおい、副隊長様が何の用だよ?」

 そこに居たのは、やはりいつも訪ねてくるレオハルトではなく、かつての同胞グラッジバルドだった。
 僅かに絞られたカメラアイの照準に、彼はニヤリと癇に触る笑みを浮かべてみせると、グランハルトの胸にずいっと何かを突きつけた。

「なん――、」

 ――だ、と続けようとしたグランハルトの口は止まり、カメラアイの照準が一気に絞られた。グラッジバルドの手の中にあったのは、削り取られた隊章。それも、良く見慣れたもの。

「・・・お前、これ」
「お察しの通り、貴様の友人レオハルトの隊章だ。これが意味する所を知らんわけじゃないだろうな?」

 ニヤニヤと覗き込む視線を感じ、グランハルトはぐいと隊章から視線を剥がして笑った。飄々とした、感情の読めるようで読めない笑い顔。

「知ってら、隊章剥奪は処刑ルートまっしぐらだ。あの真面目なレオハルトが一体何したってんだ?」

 馴々しく肩に伸びた手を力一杯叩き落とし、再びニヤリと嘲笑を浮かべたグラッジバルドは、まるで鼻歌でも歌うような調子で言う。

「度重なる軍規違反による重罪判決だ。資料改竄、無断外出、情報漏洩も裏が取れた。――全て貴様の為だとさ」

 カチリ。グランハルトのカメラアイが瞬いた。その呆けた顔に、グラッジバルドの高笑いが被さる。愉快で仕方ないと言わんばかりの声音は、急にぐっと潜められた。

「無駄な事をしたものだ。報われん想いの為に、身を滅ぼすなど愚かなもんだな」

 暫し、痛い程の沈黙が流れる。その後、拳を握るでもなく、罵倒するでもなく、グランハルトはふうっと緩く息を吐いた。

「・・・そうか、あいつ、俺のことまだ見捨てたわけじゃなかったんだな」

 その言い様はまるで、迷子になった子供がようやく母親を見つけた時の安堵に似ていて、けしかけたグラッジバルドの方がむしろ眩暈のような感覚を覚えた。ばっと迫っていた身体を引き剥がし、去り際の敬礼も忘れて背を向け、駆けるようにしてその場を後にした彼を、グランハルトは何も言わずに見送る以外無く。

「――やあ、君!」

 と、ぼうっとしていた横から明るい声が響いて、思わずグランハルトの身体が跳ねた。びくりとした肩を宥めるように擦りながら路地裏を覗き込んだ彼は、途端大きく口を吊り上げて笑った。

「よお、セントリックス! 久し振りだなあ!」

 セントリックスと呼ばれたロボットは、白のすらりとしたボディをしているものの、左腕には不似合いな程大きなペンチのようなものを取り付けた、一風変わった風体をしている。彼はこれでもセントラルの軍医である。しかし仲間内にチェーンソーを装備した医者のいるグランハルトが、そんなことに頓着するわけもない。
 何より彼は、宣伝の為、グランハルトにラジオ電波のジャックの手解きをした張本人なのだ。

「本当に久し振りだねグランハルト、いやいや幾度か君の仲間には会っていたんだよ? ほら、エマージに頼まれている薬品なんかをちょっと失敬してきたりなんかした時は、カフェで優雅な一時を過ごしたくなったりするものだからさ。そんな折に偶然、本当に偶然彼が通りがかったりする奇跡がセントラルでは良く起こるんだ」

 ペラペラと機銃掃射の如く回る口を前に、グランハルトはうんうんと相槌を打つだけに留め、言葉の終わりを待ってすっと身体を横へ寄せると上がっていくかと中を示す。けれどもセントリックスはふるりと首を振った。

「いやいや遠慮しておくよ! 最近外出に関して実に厳しくてね。何処かで長居なんてしようものなら――やあエマージ! 相変わらず不機嫌そうな顔だね!」

 またもマシンガントークが始まりかけたのを制すかの如く、客の目当てである医者が奥から姿を現した。仏頂面に何の感慨も浮かべないまま、つかつかとセントリックスに歩み寄り、ずいっと手を差し伸べてみせる。
 その傍若無人さに、客の顔は苦笑いでいっぱいになった。

「ははは、君は相変わらずすぎる。私が旧友の為に、どれほど苦労してるか分かってない」
「感謝はしているさ」

 受け取った薬瓶を掌で遊ばせながら、ニヤリとエマージが顔を歪める。軍部でなければ手に入らない貴重な薬品ほど、医者の仕事には不可欠なものだ。
 本当にしているんだか! と零し、セントリックスはゆるりと彼らに背を向けた。

「茶は?」
「残念だけど遠慮するよ。さっきも言った通り、監視の目が厳しくてね。・・・ああそれと、もし振る舞ってくれるならコーヒーが良いよ。それじゃあね!」

 かつかつと足早に立ち去っていく背。その背に向かい、エマージが揶揄うように 「カフェイン中毒者め」 と呟いた。その口元は僅かに優しげな微笑に染まっていて、見上げたグランハルトは少し肩を揺らしたのだった。

「ところで、あの挑発はどうするんだ?」

 見送りを終え、バタンと閉めたドアに被るように発された言葉に対して、グランハルトはあっけらかんとした口調で、

「ああ、あれ、ハッタリだ」

 と言った。傍らのミアへと薬瓶を預けながら、エマージはちらりと視線だけ彼へ流す。そのアイモニターには驚きの色が見え隠れしていた。

「何故そう思う?」
「だってよ、もし本気で処刑されるんなら、セントリックスが言わねえはずねーだろ」

 ヒナ!コーヒー! と叫ぶこのロボットの素行はフランクでジャンクなことこの上ないのに、時たま思うよりずっと賢いことに驚かされる。
 エマージは何処か満足げな溜息を零した。

「ヒナギク、私にもコーヒーだ」
「テメーら俺のこと飯炊きか何かだと思ってんじゃねーだろーな! ポットに淹れてやるから勝手に飲みやがれ!!」

 そう・・・この男でなければ、今ここに、このジャンクポットに、はぐれ者たちが居着くことはなかったのだろう。
 現に居着いた我が身を振り返り、カップに注いだコーヒーを傾けた。苦い味は、舌の上で少しだけびりりと暴れていった。


***


 そんな折、間髪を入れずにドンドン! と強く扉の叩かれる音。顔を見合わせた仲間たち、腰を上げたのは珍しくエマージだった。コーヒーを空にしていたから引き受けた面はあったが。尚も続くノックに答えもせず、おもむろに扉を開く。
 訪いを告げていたのはネイビーブルーの鮮やかなロボット。帽子の形状からするに恐らくはアクアリアの海賊だろう。

「なにそれ! チョーカッコイー!!」

 途端、ロボットのアイモニターが輝いて、間髪入れず飛びついてきた。ヒナギクが背後で 「命知らずだ!」 と呟いたのが聞こえたが、エマージ自身この行動は全く予想していなかったし、何より忍の意見と同感だった。酷く嫌そうにフェイスを歪めた彼は、グイッと小さな身体を引き剥がして家主を呼ぶ。
 すると、驚いたことに海賊は彼目指して駆け寄り、いかにも親しげに声を掛けた。

「グランの兄貴!」
「・・・お前・・・・・・ああ、バルゾフ親父んとこの坊主か! ひっさしぶりだなあ、元気してたか!!」

 ガルバートだよ! と口を尖らせる海賊を見て、ミアがくすりと笑った。何でも宿がないから泊めてくれという話だったので、勿論グランハルトが追い返すはずもなく、暫くの間ガルバートはジャンクポットに身を寄せることに決まったようだ。

「とはいえウチもかなり定員オーバーだ。代わりに厄介になれそうなとこに心当たりがあるから、そこに行けよ?」
「分かった! ありがとな、グランの兄貴はやっぱ頼りになるぜ!」

 やはりな、とエマージはその様子を見ながら口元を緩ませた。この男には人を寄せつける力がある。くつくつと肩を震わせながら、医者は賑わう面々のやり取りを眺めていた。
 やがて小さな嵐のような海賊は無事にグランハルトの知り合い、同じく路地裏の民となっている元同胞の元へ送られて、ジャンクポットに束の間の平穏が訪れた。


***


 ――しかしその直後に軍部を賑わせたのは、エストランド一の反政府活動者(テロリスト)の逮捕報告。
 セントラルに刃向かう者には粛清を。今、じわりじわりとにじり寄る暗雲。少しずつ、力ある者の狂気が現れようとしていた・・・・・・。



To be continued...



→long
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