Black kitty bird



 ぜえはあと息を切らしながら入り組んだ路地裏を駆け抜け、追っ手の来ないことを確認して初めて、グランハルトはヒナギクの腕を引くのを止め、足を止めた。糸が切れたように、壁伝いにずるずると座り込んだ忍を心配してか、暫く沈黙した後、手を差し伸べる。
 しかし、その手はヒナギクに鋭く撥ねつけられてしまった。目を瞠るグランハルトに構う様子もなく、ヒナギクは膝を抱えたまま顔を上げようとはしない。小刻みに震える肩を見て、グランハルトの口元に微笑が上る。するとその気配を察知したものか、キッとヒナギクが顔を上げ、グランハルトを真向から睨みつけた。アイモニターから零れる涙が淡い月光を受けて仄かに光っている。

「そんなにおかしいかよ!」
「いいや、そんなこっちゃねえさ、勿論な。お前連れ出して正解だったと思ったんだ」

 にい、と笑った元軍人の顔を、信じられんと言わんばかりの呆け顔で見上げるも、それでもやはり忍は忍らしく、どういう意味だとの追及は忘れない。噛みつきそうな勢いを受けても、尚グランハルトは楽しそうな表情を崩さなかったが。

「俺は見ての通り退役軍人だが、暇持て余してちょっと面白えことやってんだ。はぐれ者を助ける何でも屋・・・ってとこかな。ジャンクポットって聞いたことねえか?」

 ――諜報に長けたシェイディアの者なら、耳に入れたこともあるだろう。そんなニュアンスで放たれた言葉に、ヒナギクの顔が怪訝そうに歪む。

「確かに聞いたこたあるが・・・・・・あんた、俺の国を良く知ってる口振りだな。あそこは隠れ里だぜ、他のワールドの一般人が知ってるはずねえ。それが例え軍人だってな。あんたがここの総統様ってんなら別だが?」

 睨む眼差しを緩めないのも気にしない様子で、グランハルトがけらけら笑った。

「顔が広いってのが俺の強みでな! 秘密の話ってヤツも、良く耳に入ってくんだよ」

 とんとんと頭を指で叩きながら言う姿に、ありがちな見下しも自慢もなく、若干胡散臭いとは思ったものの、彼を信じる以外になさそうだとヒナギクは結論づけると腰を上げた。いつの間にか、流れていた涙は乾いていたようだ。

「・・・なあ、そのジャンクポットってとこに、俺を置く気はあるか?」
「よし来た! 元々そのつもりで首突っ込んだようなもんさ!」
「・・・・・・あんた・・・っくく、ほんと変わり者だな!」
「おお、やっとこ笑ったなぁ。その方が良い顔してるぜ? さて、自己紹介は俺の仲間も含めてやるとして、さっさと帰るか!」


 ――そうして二人がジャンクポットに帰り着く頃には、そろそろ向こうの空に曙光が差し始めていた。群青の中にぼんやり滲む白を眺める余裕を取り戻したヒナギクと、相変わらずのグランハルト。二人の影が薄ぼんやりと路地に染み込んでいる。
 ここが根城だと、グランハルトが錆びたドアノブに手を掛けた。ボロっちい寝ぐらだなと呆れたような、半ば感心したようなヒナギクを促し、中へと滑り込こむ。

「お帰りなさい、グランさん!」

 途端、ミアがぱたぱたと足音響かせて駆け寄ってきた。無事な姿を見て、彼女の身体から力が抜ける。余程心配していたようだ。今にも泣き出しそうなミアの頭を、よーしよしと撫でてあやすグランハルトの背に、疑いをたっぷり含んだ視線が突き刺さる。何だと振り向けば、腕を組みフェイスを歪ませたヒナギクの姿。

「誰、お子さん? いや違うな、カノジョ? ロリコンたぁ随分なご趣味で」
「バカ、んなわけあるか。それにそういうこと口にすると、ロクな目に合わねーぞ!」

 慌てて口を塞ぎにかかるグランハルトの必死さを、ヒナギクは照れ隠しと判断したのだが、それは大きな間違いだった。小憎らしい笑みを浮かべてグランハルトの腕を躱したヒナギクの背が、どん、と何かに当たる。壁か? と振り返ったヒナギクの顎――正確にはもはや首だったが――がぐいと掴まれ、身体が少し宙に浮いた。

「だっ、何しやがる! 離せ!!」
「これはまた小煩いのを拾ったな、グラン? 躾のなっていない黒猫か、んん?」

 ニヤリと口の端を歪めながら近づく顔に、ヒナギクの本能が危険信号を発した。こいつは洒落にならない。逃げないとヤバい。そんな思考とは裏腹に、捻ろうが捩ろうが大男の腕の力は一向に弛む気配は無い。首の関節がみしみし軋み出し、本気でまずいと感じた時。

「おいおいエマージ、やり過ぎだ! 幾らミアちゃん絡みだってお前、手加減くらいしろよな!」

 ようやく我に返ったグランハルトが文字通り救いの手を差し伸べた。力強い腕が、ヒナギクとエマージを引き離す。キッとエマージを睨みつけた忍をどうどうと押し戻し、苦笑を僅かに浮かべてグランハルトが言った。

「悪いなァ、こいつとミアちゃんは同じ国から来た、パートナーみたいなもんだ。ちょっとこのデカいのは過保護で――、」

 おどけ気味に発された台詞に、コホンとエマージの意味深な咳払いが被る。ピシッと顔を引きつらせたグランハルトを見て、ヒナギクは思わずくすっと笑った。
 死にそうな目に遭ったものの、この妙ちきりんな取り合わせは案外面白そうだ。居場所をあっさり奪われた自分に、新しい場所をじんわりと染み込ませてくれるような。あんなに心を満たしていた空虚感や強がりが消え失せていることに、少なからずヒナギクは驚いていた。

「おいエマージ、マディはどうした? こいつの紹介したいんだ」

 ヒナギクを指差して言う相手へ、無表情のままエマージは奥に続くドアを指差した。新参者には分からなかったが、グランハルトにはジェスチャーの意味が通じたようで、にかっと笑うとずかずかドアへ近づき、開けると首を突っ込んで誰かを呼んだ。

「おーい、マディ! 新しい仲間が来たんだ、紹介するからこっち来い!」
「アァーイー、ちょっと待っててヨ、コードがこんぐらがっテ・・・。アア、取れタ取れタ、今行くヨォ」

 グランハルトの大声に続いたか細い声は、不思議なイントネーションをしている。まるで発声機能がイカれているような声に、ヒナギクが小さく首を傾げた。
 ガチャガチャと騒々しい音と共に現れたマディは、ラップトップを掲げ持ち、きょろりと揃った面々を眺め回した後、見慣れぬ顔に目を留めて、ニコリと笑顔になった。

「ホントダ、新しいお客サン! 暫くココに居るのかナァ?」

 ギイギイと身体中を軋ませながら椅子に座るマディを助けながら、グランも嬉しそうに答える。

「おう! ジャンクポットに置いてほしいんだとよ!」

 ――やたら豪快で快活で、だからこそなのか頼りになりそうな元軍人。
 ――出会い頭の印象は最悪の大男と、その横でニコニコ笑ってる可愛い少女。
 ――何処かぶっ壊れているらしい、変わった声の男。

 そうそれぞれを認識し、ヒナギクは腕組みを解いたが、またすぐ組み直した。グランハルトをちらりと見ると、自己紹介、と促されたので、改めて全員と向き直る。
 前にずらりと揃った面々は、彼らなりに興味津津といった様子で、その無言の期待めいたプレッシャーはヒナギクを戸惑わせるのに十分だった。
 すうと息を吸い、ヒナギクは、

「俺は火奈菊。シェイディアから逃げてきた」

 と、短く告げた。今まで情報を奪いこそすれ、自身の情報を流すことなどなかったヒナギクにとって、名前を明かしたこと自体が驚くべきことだった。だがそれ以上は何を言えば良いかも分からず途方に暮れていると、すかさずグランハルトから助け船が入る。

「何で逃げてきた?」

 まだ真新しい傷を抉られた気がして、意図せずグランハルトを睨みつけてしまう。が、そんな視線に臆さず、彼は大仰な仕草で両腕を広げてみせた。

「言いたくなきゃ別に良いんだ。ただ、ここに居る奴等はみーんな訳アリよ、心配するこたねえ。
 例えば俺は元軍人。ま、あっちのやり方が気に入らなくって辞表叩きつけてきたってことだな。
 ちなみに名前はグランハルトだ。グランで良いぜ!」

 にいっと屈託なく笑われ、肩透かしを食った気分でヒナギクはちらっと隣りの大男へ視線を走らせた。それに気づいたエマージがふっと息を吐き、への字に曲げた口で言う。

「私はドク・エマージ。安楽死という大量殺人罪で、助手のミアとメディアルドから亡命してきた」

 手短なエマージの言葉が終わると、傍らの少女がぺこりと頭を下げる。思わずへこっと会釈を返してしまい、複雑な表情を浮かべるヒナギクに、ニコニコと場違いなほど満面の笑みを浮かべたマディが手を振って、

「ワタシはマディ! 造りかけのまま廃棄されるトコを、ココまで逃げてきたんダ」

 言いながらひらりとマントを捲ると、細く脆そうなフレームボディに、幾本もコードが繋がっているのが見て取れた。このマントが無いと死んじゃうんダヨ、と笑いながら言うのを聞いているヒナギクの表情は、 「そりゃ笑い事じゃねえだろう」 と如実に物語っていたが、生憎マディは全く気づいていないようだ。
 とにかく、誰も彼もがそれぞれ理由を背負っていると分かると、少し強張っていたヒナギクの身体からほっと力が抜けた。小さく頷いて先を促すグランハルトに励まされるように、躊躇いながらもヒナギクはとつとつと自分の理由を話し始める。


「俺はシェイディアの諜報員だ・・・・・・った。セントラルの情報、特に軍部の機密を探るのが俺の使命だった。けど・・・裏切られた。長老は俺を売ったんだ、俺にセントラルの情報を集めさせたくせに! 俺一人を悪者にしやがって、殺そうと、しやがっ、て・・・・・・!!」


 一旦口に出したら止まらなくなり、次第に激しさを増す語調を鎮めることも出来ないまま、最後は喚き散らすように吐き出したヒナギクは、暫く荒い息で肩を上下させて俯いていた。その肩を、グランハルトの掌が撫でる。がばっとヒナギクが顔を上げると、今度はがしがしと頭を撫で回し、呆気に取られている相手の胸をコンコンと叩いて、言った。

「ようこそジャンクポットへ! 宜しくな、ヒナギク」

 グランハルトの言葉が皮切りだったようで、他の仲間が次々に握手を求めて集まる中心で、未だにぽかんとした顔のヒナギクの口元は、次第にゆるゆると吊り上がって、最後には笑みを形作っていた。
 ――ここには、どうやら場所があるらしい。今まで持ったこともなく、ましてや存在すら知らなかった感情が何故こんなにもすんなりと馴染んだのか分からないが、それはきっとあのリーダーのせいだろうと、ヒナギクは目星をつけていた。
 何となく人を惹きつける男。傍に居ると安心する。一見バラバラなこの仲間らが共に居るのも、きっとその辺りが理由なのだ。

「楽しくなってきちまったや」

 ぼそりと呟いたヒナギクの背を、マディがとんっと軽くタッチし、にいいと笑みを見せた。

「ホントに楽しくなるヨ! ワタシはココに来てから、毎日楽しくて仕方ナイ!」

 ラップトップを小脇に抱えて力説したマディの身体は、次の瞬間ヒャッと声を上げて宙に浮いた。何事かと上へ目をやれば、不機嫌そうな表情のエマージが彼の首根っこを摘み上げていたのだった。

「楽しむのは結構だが、羽目を外すのは感心せんな。ただでさえお前はスクラップになりかけなんだ、自覚があるなら大人しくしていろ」
「ハイハイ、分かってるヨォ、エマージ! ・・・アノネ、エマージはワタシの主治医気取りなんダヨ・・・アイタッ!!」
「気取りじゃない。実質そうなんだ」

 ぐうっと眉根を寄せた凶悪な顔をし、エマージは宙ぶらりんのマディを制すとさっさか奥へ引っ込んでしまった。その後ろをちょこちょこ小走りについていくミアが、扉を閉める手前でにこっと笑い頭を下げたので、ヒナギクも少し笑ってみた。

「ミアちゃん、可愛いだろ。でも手ェ出すなよ? エマージに細切れにされっぞ」
「あいつ、医者じゃなくて殺人鬼だな」

 呆れてそう言うと、グランハルトがけらけらと笑った。

「あれはあれで良いとこあんだよ! まー気をつけねえとスクラップにされちまうが」

 何処に良いとことやらがあるのだろうともう一度視線を奥のドアに投げてから、ヒナギクはグランハルトへ視線を戻した。余裕が出てきた今、一つ気になることがあるのだ。

「――なあ、グラン。ちょっと聞いて良いか?」
「おう、何だ?」

 相変わらずの笑顔に少したじろぎつつも、問い掛ける。

「ここ・・・ジャンクポット、っつーんだろ? はぐれ者集めてるってことは何か分かったけど、何でその・・・・・・ゴミ溜めなんて名前なんだよ?」

 あんまりじゃないか、と続けたヒナギクに、グランハルトはぽかんと口を開いたまま少々固まった。それからおもむろに小首を傾げた。

「・・・・・・ジャックポットみたいで縁起が良いだろ?」
「・・・・・・・・・・・・はぁっ!?
 お前・・・お前っ・・・・・・頼れるツラして阿呆なんだな!!」
「な、阿呆って何だ阿呆って! 俺はこの名前気に入ってんだぞ!?
 大体、ヒナギクなんて女みてーな名前してるお前に文句はつけられたくねえ! お前なんかヒナじゃねえか!!」
「ヒナじゃねえっ!! 俺はヒ、ナ、ギ、ク、だーっ!!」

 子供じみた言い合いを続けるグランハルトとヒナギクは、あまりの喧騒っぷりに奥から顔を覗かせた三人が呆れ果てた表情で首を振っていることに気付かないまま、暫くの間ぎゃあぎゃあと騒ぎ続けたのだった。



To be continued...



→long
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