Crazy shadow



 セントラルは、幾つにも分かれたワールドの中心地である。それぞれのワールドは独自の文化と政府、権力構造を持っているが、その多くはセントラルの傘下に置かれていると言っても過言ではない。何故なら、セントラルに盾突けば、それだけで他のワールドは殲滅されてしまうからである。長い物には巻かれるべきで、強い者には従うべきなのである。
 そのワールドの一つに、暗殺・諜報を生業とする国がある。国が、というよりは、里がある。エディゼーラというワールドの中にひっそりと存在する、自然を多く残し、秘境がごとき風貌を醸し出すその国の名はシェイディア。影の国という異名を持っていた。


***


 机に頬杖をつき、グランハルトは軽いスリープモードに入っていた。ここ数日、ろくな休息を取っていない。理由の大半は、数週間前にここへ流れ込んできた脱走ロボット、マディを匿うのに神経を尖らせていたせいだ。
 セントラルは少々はぐれ者を嫌い過ぎる節があるんだよ、いい加減放っておいてくれ、と苛つきに任せてレオハルトに言い放ち、殴られたのはつい先日の事だ。『お前に私の気持ちが解るものか!』 と言ったレオハルトが、酷く悲痛な声音と表情だったことが引っ掛かる。
 奥の部屋から足音が聞こえ、グランハルトのアイモニターにゆっくりと光が戻る。肩越しに振り向けば、ニヤニヤ笑いを浮かべたエマージが歩いてくるところだった。一見すると凶悪な顔だが、こういう時はもっぱら上手くいった時なのだとグランハルトは既に重々承知していた。

「どうだった、なんて訊くまでもねえなあ」

 その顔、と続けられ、エマージのニヤつきが一層強まった。後ろから、ミアに連れられてマディも出て来たようだ。随分と憔悴した様子である。

「おいおい、平気かよ?」

 心配そうに労うグランハルトに弱々しく片手を上げ、マディはよろよろ部屋の隅へ向かうと、畳んであった毛布の山へどさりと倒れ込んだ。

「処置が長すぎテ・・・、ワタシの体力じゃとても保たないかと思ったヨ。・・・まあ、首尾良くいったようだケド」
「身体に刻まれていた製造番号、AIにプリインストールされていたデータも調べ終えた。追跡の手掛かりになりそうなものは、全て消去したぞ」
「そうか! 何はともあれ、これでまあ晴れて外を歩いても文句言われねえ身になったわけだ! おめでとうな、マディ」

 もはや応える気力がないらしく、ちらちらと手首の先だけ振ってみせる彼に苦笑したグランハルトの肩を、エマージが強く掴んだ。何事かと顔を向けたグランハルトに、お馴染みの無機質な表情のままエマージが言う。

「お前も休んだ方が良い」

 簡潔に纏められた結論に、グランハルトのアイモニターがちらりと光った。まるで驚いて目を見開いたような反応に、くつくつとエマージが笑う。毛布を敷き終えたミアに手招かれるまま、グランハルトは素直に忠告に従うことにして、ごろりと横になった。
 ひんやりとした硬さの床を背に感じながら、グランハルトは自身をスリープモードへ切り替えた。いつもよりも少し深めに。隣りに眠るマディも深い眠りについているようだったし、何より、それは仲間への信頼の現れでもあった。


 微かな駆動音だけが満ちた部屋に二人残され、エマージとミアはふと顔を見合わせた。口を開く気は、最初からなかった。目が合った瞬間に、大体お互いのことは把握出来るほどの付き合いなのだ。にこりと笑ったミアが奥へ引っ込み、暫くして二人分のコーヒーを持って戻ってきた。一つはブラックに砂糖を一欠け。もう一つは甘ったるいくらいにミルクと砂糖を入れたもの。
 マグに口をつけてから一瞬置き、エマージが口元に笑みを浮かべた。ほんの些細な変化ではあるが、ミアは気づいてにっこり笑った。美味しいですか、と視線が問い掛け、ああ、ともう片方が応える。
 ――二人はジャンクポットへ転がり込む前から、揃ってジャンキーだったのだ。何をやっても失敗ばかりするミアは、医者たちの下をたらい回しにされ、最後はエマージの下につかされた。エマージもエマージで、型にはまらない治療法と患者の扱いのせいで、周りから煙たがられていたところだったからか、二人は妙にしっくりきたとお互いに感じたのだ。

「そういえば、先生はミアを食堂に連れてってくれましたね」

 甘いコーヒーを飲みながら、ミアが懐かしそうに言う。こくりと、エマージが頷いた。
 普通ならば点滴に看護士ロボットを繋ぎ、医者のみが食堂で食事を摂る。だがエマージは良くミアを連れ出しては食事をさせた。それは、エマージの不在にミアが苛められるせいもあったが、むしろミアが寂しがるからというのが大きかった。
 エマージにはミアが必要であり、ミアにはエマージが必要だったのだ。

「故郷が恋しいか?」

 ちらりと視線を落として、エマージが問い掛けた。びっくりした様子で医者を振り仰いだミアは、一息後に首を横に振った。

「先生の居る所が、ミアの居る所なんです、先生」

 そうか、と呟いて、エマージがミアの頭を撫でる。その口元には、先程見せた柔らかい微笑が浮かんでいた。

「先生はどうですか?」

 撫でてくれる手に甘えながら、ミアが問いを返した。僅かに首を傾げたエマージに、更に言葉を紡ぐ。

「向こうにいるお友達に、会いたくなりませんか?」
「・・・・・・ならんよ。そもそも友人など一人しかいないし・・・私たちは、それで構わんのだ」

 ふいと顔を背けながら言い放った彼を見上げ、ミアは嬉しそうに笑った。私“たち”と何気なく言うのは、本当に信じているからだと分かるからだ。大好きな先生に、大切な友達が居て、ミアは嬉しいです、と心の中だけで囁く。
 幸せな、時間だった。


***


 その夜、軍本部から黒い影が忍び出し、あっという間に闇間へ消えた。その後を大勢の兵士が音もなく追う。建物の屋根を伝って逃げる影へ、市街地故か発砲はしない。それを知ってなのか、影は攻撃を警戒するような素振りを見せず、ただ追っ手を撒くことだけを考えて動いていた。
 ふっと影が体を反転させる。隊列を崩さずに一瞬スピードを落とした兵士たちへ、影の投げた何かが着弾した。爆発音はなし。加えるならば悲鳴もなかった。だが、着弾した掌大の玉は一気に破裂し、大量の煙をその場に発生させている。その目眩ましに紛れて、影はまたも軽やかに夜闇に消えていった。
 ――外を走る僅かな靴音に目を覚まし、グランハルトはそっと扉を開け、外を窺った。ざっざっと、通りの向こうを軍が隊列を組んで走り抜けるのが見え、グランハルトのアイモニターがちらちらと光を照り返した。その最後尾についていた一人が、グランハルトを見留めると列を離れ、ドアの方へ近づいてきた。渋面を浮かべ、嫌そうに口の端を下げているレオハルトに、グランハルトが問う。

「何だ、何があった?」
「軍にスパイが忍び込んでいた。今、捕まえに行く所だ」

 もう良いだろう、と言って立ち去る背へ、ありがとうと言って戸を閉める。どうする、と己に問い掛けるまでもなく、答はもう決まっていた。
 もうあまり使うことのなくなった銃を手に取ったグランハルトへ、壁に寄り掛かって休んでいたエマージが声を掛けた。行くのか、と短い言葉に、はっきりと頷く。それ以上何も言わないグランハルトをじっと見つめ、医者はニヤリと笑みを浮かべた。その表情を見て、グランハルトが苦笑を浮かべ、背を向ける。
 少々癖が強いが、あれも医者なりの信頼の仕方なのだ。足音を立てないよう町を走り抜けながら、グランハルトは少し笑った。


***


 一方、まんまと追っ手を撒いた影は、シェイディアとの国境を越えていた。月明りに浮かび上がる姿は、濃紫色のボディ。正に忍というに相応しい姿をしていた。形の良い唇が、ニヤッと吊り上がる。帰るべき里が見えたのだ。
 ――彼の名は火奈菊。シェイディアに所属する暗殺者である。シェイディアに住む者は全て暗殺者であり、例外はない。幼い頃から修行を積まされ、里という居場所に貢献することだけが至高の存在意義だと教えられている。
 だからこそ――ヒナギクは戸惑ったのだ。目の前に現われた仲間から、ぎらりと光る小刀を突きつけられた今この状況に。

「な、何だ?」

 辛うじてヒナギクが吐けたのはその言葉だけだった。相対する仲間の、恐ろしく無表情な顔は、これが任務だと告げている。酷く狼狽えながら、ヒナギクは目だけで周りを確認した。左右にも数人、背後の気配からして、ざっと十人以上に囲まれているらしい。

「俺は、任務を終えて帰って来たんだ。追っ手だって、ちゃんと撒いた」

 首の関節を正確に狙って押し当てられている小刀を意識しつつ、小さくヒナギクは弁解を試みる。それでも相手はぴくりとも動かなかった。
 と、ヒナギクの前に、ざっと影が降りた。

「長老!」

 救いを求めるようにヒナギクが叫ぶ。長老はこのシェイディアで最も権力を持つ人物。彼が放つ言葉は絶対なのだから、きっと自分を助けてくれるだろうと。
 だが、すぐに自分の予測が誤っていたことをヒナギクは知る。長老が放った言霊は、とても冷たい響きだった。


「殺せ。」


 次いで、首元の小刀が一閃した。それを、身を退くことで間一髪避け、自分も小刀を抜きながらヒナギクは叫んだ。

「何故ですか長老! 俺はちゃんとセントラルの調査をした! 資料だって揃えてきた!!」
「状況が変わったのじゃ、ヒナギクよ」

 しゅっ、と鋭い音を立てて小刀が煌めく。キィン、と澄んだ音と共に手に走った衝撃で、ヒナギクは自分の武器が弾かれたことを知った。身を翻し、後方から走り来るかつての仲間たちの合間を抜ける。
 体が人の波を掻い潜り、抜け出す刹那、手首を引かれて振り向いた。その視界いっぱいに、飛び掛かる仲間の顔。

「うおあああああっ!!」

 咄嗟に出来たのは、手首を掴む手を振り払うと同時に飛び退がり、顔への直撃を避けることだけだった。
 ギャリィッと金属の擦れ合う音がして、額当てに一筋の傷が出来た。
 その音に弾かれたように、ヒナギクはバネの如く振り向くと駆け出した。かつての仲間であろうと、こうなってしまってはもはや聞く耳など持たない。悔しさと虚しさが織り混じり、畜生と何度も吠えながらヒナギクは逃げた。
 セントラルの国境が近づいた時、彼は足を止めた。背後から枝を蹴り、追ってくる音がしたが、もう構わなかった。軍の一部隊がずらりと包囲した関門を見て、絶望したからだ。

「畜生・・・・・・。」

 ぼろぼろと涙を零すヒナギクを、数人の忍が確保した。無言のまま取り押さえ、後ろから現われた長老を仰ぐ。部隊の兵士が、一斉に敬礼した。

「わざわざご足労痛み入る。こやつは我がシェイディアのはぐれ者でな。勝手に軍へ入り込み、内情を探っておった大うつけじゃ。
 大方、手に入れた情報をアクアリアにでも売るつもりだったのじゃろうて」
「違う! 俺は長老から命を受けたんだ! 任務だった、なのに・・・!」

 声を荒げ反駁したヒナギクを冷たい目で見下ろし、長老は馬鹿にしたような声音で一喝した。

「ハッ、そうとでも言えば何とかなるとでも思うておるのか?
 やはり貴様は大うつけじゃ。その罪、セントラルで存分に晴らすと良い」

 絶望的な気持ちで長老を振り仰いだヒナギクは、兵士たちへと視線を移し、それから口を噤んで俯いた。どうにもならない。誰もが、自分を悪人に仕立て上げている。
 ――このまま殺される。そう覚悟したヒナギクの上に、溌剌とした声が響いた。

「ご協力感謝いたします、長老殿。ではこいつの身柄は、我々軍が拘束します。さあ、立て! 早く来い!」

 最後の呼び掛けに、ありがちな侮蔑の感情を感じなかったことに疑問を抱き、ヒナギクはぱっと声の主へと顔を向けた。
 体格の良い、他と同じように肩から銃を下げた軍人が、つかつか歩み寄ってきていた。

「立て、さあ、立つんだ。早く来い」

 ぐいっと腕を掴まれ、引き摺られるようにしながら連れられる途中、ちらっと見た他の兵士たちが、呆気に取られたような顔をしているのが見えた。

「良いか、俺が合図したら走れ。傍を離れるなよ」

 こっそりと耳打ちされて軍人の顔を見ると、目線で胸を示された。言われた通りそちらを見たヒナギクは、その胸章が削り取られているのを見て、アイモニターをきらりと光らせた。

「――何をしている、グランハルト!!」
「今だ、走れ! 逃げろ!!」

 誰が叫んだものか、突然大声が轟き、続けて銃声が響いた。飛ぶように走りながら、グランハルトはヒナギクの腕を引いて弾を避けつつ、建物が立ち並ぶ町並へと消えた。
 後を追おうと息巻く兵士たちを宥めて、レオハルトが進み出て長老へ敬礼した。

「この失態、必ず取り返しますのでご心配なく。ご協力、心から感謝いたします」
「うむ」

 では、と足並を揃えて去る部隊を、長老はほくそ笑んだ顔で見送った。
 ――ヒナギクに任務を与えていたのは真実だ。ただ、それを軍に嗅ぎつけられたのが誤算だった。国の存続と面目を取り戻す為に打った一芝居が、今回の捕物だったのだ。
 くるりと踵を返し、長老たちもまた里へと帰っていった。



To be continued...



→long
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