ところが、ノブを回そうと力を込める前に、また向こう側から先にドアが開かれた。手を引っ張られる形になり、一瞬よろめいたレオハルトの前に、エマージとミアが姿を見せた。 ミアの腕には、前脚に包帯を巻いた子猫が抱かれている。 「手術は大成功ですよぉ、グランさん!」 「うむ、大事は無い」 じっと猫を見つめるレオハルトを、ミアが見上げて微笑んだ。後ろ手にエマージがドアを閉める。その音が、今回の任務の終了を告げていた。 ほっと息を吐いた後、レオハルトはくるりとグランハルトの方へ向き直ると敬礼をしてみせた。 「疑ってすまなかった」 ぴしりとした敬礼に、ちょいと手を翳すだけのラフなもので返し、グランハルトはにかりと笑みを浮かべた。 「なあに、気にすんなよ! 良かったなレオハルト、それ使わなくて済んで」 指差された先の、未だ引き金に掛かった指に気付いたレオハルトが苦笑した。素早く安全装置を掛け、背中へ戻す。ガチリと冷たい音を立て、背中にずしりと重みが戻るのを、グランハルトはあまり快く思わなかった。恐らく、レオハルトも同じはずだろう。 「脱走ロボットを見つけた場合、事情によっては射殺せよとの命令だ」 淡々と述べられた言葉に、ミアが小さく可哀相、と呟く。ちらりと少女へ目を遣ったレオハルトに、グランハルトの低い声が届いた。 「そのロボットが、何したっていうんだ?」 突然の問いに一瞬答えに詰まったものの、直ぐさまレオハルトは答える。 「脱走したということ自体が違反だろう」 「そうか? 俺はそうは思わないぜ」 いつもよりも強い語気に、レオハルトだけでなくその場にいた全員がグランハルトを見た。口をぴっと真一文字に引き結んで、彼はじっとレオハルトを見つめている。 「・・・・・・グランハルト」 先を促すつもりか、それとも口を噤めと諭したつもりか、それすら分からないままレオハルトが名を呼んだ。 ――昔から、グランハルトは事あるごとにああして厳しい顔をした。それは納得がいかないことがあった時だとか、自分の意志を曲げるつもりがない時だとか、時たま不機嫌な時にも同じ表情をするのだ。そういう時、レオハルトはいつも何某かの恐怖を感じているものだった。予測もつかない側面から切り込んでくるグランハルトの言葉に、自身の基盤を揺るがされるのが怖かったのだ。 今回も、その感覚を覚えていた。 「棄てられてぶっ壊されるのが分かってるのに、はいそうですかって大人しく待ってられるのか? 俺なら逃げる。壊されるのは真っ平だからな。 ・・・お前はどうだ、レオハルト。大人しく壊されるのを待つってのか?」 やはり、とレオハルトは若干の眩暈で微かにふらついた。やはり、彼の切り口は怖いのだ。考えたこともない所を開かされるようだから。 「・・・・・・それは・・・、」 本来ならばどう答えねばならないかを、レオハルトは知っていた。セントラルの軍人として、「それが定められた規約だ」と認めねばならない。軍の命令は絶対であり、揺るがすことは出来ない。しかし、グランハルトの前で、レオハルトは躊躇していた。予想外の側面から攻められたことに動揺しているのだといえばそうかもしれないが、グランハルトの言い分に素直に共感しかけた部分が、自分にあることを否めない。 それは、軍人にあるまじきセンチメンタルだと気付いていても。 「・・・・・・私には・・・、分からない。」 葛藤の末にレオハルトが言えた言葉はそれだけだった。軍人としての自分から、逸脱することが怖かったのだ。 「そうか」 対するグランハルトの言葉は簡潔だったが、非難の響きが無いことにレオハルトはハッと顔を上げた。グランハルトはいつも通りの笑顔を浮かべているだけだ。 「ま、俺はああ思ってるってだけだからな。それに何より、ここには犯人は居なかったんだ。それで充分だろ、なあ? レオハルト」 大きな掌で軽く肩を叩かれ、レオハルトは微かにアイモニターを煌めかせたが、ぱっと手を払い除けはしなかった。従軍時代には、良く交わした挨拶だったからだろうか。それよりも、漠然とではあるが安堵を感じたからかも知れない。 「ああ、・・・何よりだ。だがな、グランハルト、もし脱走犯を見つけても、匿おうなんて思わないでくれよ」 念を押すように告げると、レオハルトは外へと早足で去っていった。また町中を周りながら、脱走ロボットを探すのだろう。 完全に彼が去ったのを確認した後、グランハルトが大きく溜息を吐いてしゃがみ込んだ。 「あーもう、今度ばかりはダメかと思ったぜ! 野良ネコの話出したまでは良かったが、あいつ退かねえんだもんよ。 それにしても、良く機転利かせてくれたなあ!」 にかりと笑って見上げるグランハルトに応えるように、エマージも口元を吊り上げながら言う。 「裏口から出て、外にたむろしていたのを一匹拝借してきた」 「へえ、裏口のドアって錆び付いて動かなかったろ?」 驚きにアイモニターをちらつかせたグランハルトを見て、エマージはしたりといった様子でくつくつと肩を震わせた。 「先日の掃除の際に、無理矢理こじ開けておいた。ついでに外から判らんように細工もしておいたぞ」 すげえなあ、と苦笑を浮かべながら、しかしそれに助けられたのだからありがたいとグランハルトは大きく頷き、立ち上がった。 しかしそこでふと不安そうに口を曲げ、 「・・・・・・なあ、そのネコ、怪我させたわけじゃないよな?」 ネコの脚に巻かれた包帯を指差し、恐る恐る問い掛けるグランハルトに、エマージがニヤリと笑った。まさか! と息を呑んだ瞬間、ミアののびのびした声が響いた。 「勿論ですよぉ、ほら、元気ですよっ」 するすると脚から包帯を取ってやり床に降ろすと、ネコはみゃあおと一声鳴いてさっさと奥へと姿を消してしまった。グランハルトはじとりと恨みがましい視線を医者に送ったが、既に相手の顔にあの笑みは無く、無機質に固い仏頂面が張り付いているだけだった。紛らわしいんだよ、と小突きたくなる衝動を抑え、代わりにグランハルトは先程から気になって仕方が無かったことへと意識を逸す。 「ところでさ、あいつは? 治ったのか?」 グランハルトの問い掛けに顔を見合わせたエマージとミアだったが、今度はミアの方がにっこり笑った。輝かしい笑顔に、グランハルトの全身から緊張が消える。これで首でも振られたらどうしたものかと心配していただけに、反動の安心が大きい。 「いろいろ繋ぎ直して、とりあえずは動けるようになったはずですよ!」 「設備不足にしては上出来だ。機能維持用のマントもあるし、あれならかなり保つだろう」 「そうか! ・・・・・・今、会えるのか?」 少しわくわくした声音で、グランハルトが問い掛けた。実はまともに脱走ロボットの顔すら見ていないのだ。自己紹介のこともあるのだから、ぜひとも会っておきたい。 「構わんだろう。目覚めていれば話も出来るだろうな」 助かるぜ、と言うが早いかすたすたと奥へ向かう広い背中を、二人も追いかけた。その背に届かないような小さな声で 「世話焼きめ」 と呟いたエマージは、言葉面とは裏腹に愉しそうな笑みで顔を染めていた。 手術台代わりにされたテーブルの上では、ちょうど患者が身を起こしたところだった。マントを肩に羽織っているが、現われた時と違い、前はだらしなく開いたままだ。恐らく今し方身に着けたばかりなのだろう。 キョロキョロと訝しげに部屋を見回すロボットに、警戒させないよう笑顔でグランハルトが近づく。 「よう、気が付いたみたいだな!」 ハッとそちらへ顔を向けたロボットの表情が、一瞬固くなった。が、すぐに削り取られた胸章に気づき、ほっと胸を撫で下ろしたようだ。明るい笑みを振りまくグランハルトに、すっかり気を許したように笑い掛ける。 「どうも・・・。ここは、ジャンクポットですカ?」 きょとりと首を傾げて問われ、グランハルトがそうだとばかりに頷いた。その肯定の仕草に、ロボットがふーっと息を吐く。 「良かっタ・・・。ワタシの最後の希望だからネ。でもどうやら、希望というのはあながち間違ってはいないらしいネ? ワタシを助けてくれたようだカラ」 キーの高い声は、語尾に差し掛かると音を外して跳ねる。独特の調子で喋るロボットを見つめるグランハルトのアイモニターに、きらきらとした光が宿っているのを確認して、エマージがまたもひっそりと口の端を吊り上げた。 「ああ、あんたを治療してくれたのはこっちの・・・、」 「ドク・エマージだ。こちらは助手のミア」 「よろしくお願いしまぁす!」 紹介の言葉を引き取り、簡潔に済ませたエマージへと、ロボットがにこやかに手を差し出す。ちらりとそれへ視線をやったエマージだったが、笑みこそ浮かべないまでも好意的に握手に応じた。大きなエマージの手と、フレームだけのロボットの手がミスマッチに見えた。 そんな二人の挨拶が終わるのを見計らって、グランハルトもロボットと握手を交わしながら、 「ようこそジャンクポットへ! 俺はグランハルト、元軍人だ。グランで良いぜ」 握った手の脆さに多少面食らいながらも笑顔で自己紹介を済ませると、ロボットの方も軽いジェスチャーを交えながら話し始めた。 「ワタシは製造番号M‐1325648795、残念ながら名前はまだ無いヨ。しかし幸いなことに、ワタシのAIにここの電波ジャック事件の記録が入っていてネ。僅かな望みに懸けて逃げてきたのサ。 ワタシは見ての通り、まごうことなきジャンキーだヨ。面倒を見てくれると信じているんだけどネ?」 かくりと首を傾げて、ロボットはグランハルトをじっと見つめた。そう言われて引き受けないはずがない、とエマージとミアが思った矢先、案の定満面の笑顔でグランハルトが両腕を広げてみせた。 「もっちろんだ! 俺たちゃあんたを歓迎するぜ!」 なあ、と同意を求めるように二人へ振り向いたグランハルトに、ミアが弾んだ声で賛成を示す。続いてエマージも無言で頷き、自らも同意見だと教えた。二人分の歓迎をも携え、再度ロボットの方を向いたグランハルトは、安心させるような笑顔で親指を立ててみせる。それを受け、相手のロボットもにこりと笑った。 「感謝感激、恩に着るヨ、グラン」 そう言ってロボットはマントの前を掻き合わせ、ぴったりと閉じた。 *** 「――そうだ、あんたの名前決めねえとなあ。さっきの製造番号じゃ呼びづらくて敵わねえから」 テーブルの上からロボットを降ろし、もののついでだとそのまま食事を始めた席で、今思い出したという表情でグランハルトが言い出した。どうするよ、と意見を求める傍ら、手と口は止まることなく鍋から食材を取り上げ、咀嚼していく。冷蔵庫にあった分の材料を詰め込んだ豪快な鍋からは、所々鍋に入れるまい物も飛び出しているのだが、エマージもミアも何も言わないことにしているらしく、新参者のロボットだけが気にした様子で箸を操っていた。 それぞれ黙々と箸を動かしながら、提示された問題を思案する。もしかしたら、医者は考えすらしていないのかも知れないが。 「でもでも、あなたはどんなお名前が良いんですか? 私たちで決めちゃうのは、何だか変ですもんねー?」 溶けたチーズの横から卵を救出しつつ、ミアがロボットに話し掛けた。少女の言葉に、グランハルトも頷いて同じくそちらを見た。 二人から視線を向けられ、ロボットは 「んぐ。」 と喉に何かを詰まらせたような声を出したが、気を取り直したらしく腕組みをして考え始めた。 「ウウム・・・・・・、名前も何も、ワタシにはさっぱりなんだけどネェ・・・。 あ、デモ・・・・・・」 思い付いた、と付け加えられた言葉に、向いた視線に期待が混じる。ロボットはギギギギッ、と耳障りな声を上げた。どうやら笑っているらしい。 「変わり者の愛称にマディというのがあるそうだカラ、それがぴったりだと思うのだけどネ?」 「おお、良いんじゃねえか? 変わり者なら揃い踏みだし、ジャンクポットらしくて良いや」 けらけらと笑い声を上げながら、グランハルトが箸を鳴らした。 「うむ、似合いだろうな」 先程から沈黙を守っていたエマージがぼそりと呟けば、ミアも可愛らしい笑顔を輝かせて頷く。 「そんじゃ、これから宜しくな、マディ!」 改めて差し出されたグランハルトの手を、マディが握る。宜しく、とにこやかに言った言葉には、膨らんだ希望の響きがあった。 To be continued... →long |