PICO



 彼の名前は、PICO。起動する時に必ずピコッ! と音がするからそう呼ばれた。
 PICOはいつも小さな手足をばたつかせながら走っていた。小さくて可愛いわねとホップ夫人に揶揄われると、彼は首をクルクル回して照れていた。

 そんなPICOが眠りに就いてから、もう数万年経とうとしていた。地上にはもう人っ子一人残っていない。みんなだんだん少なくなって、ついにはいなくなってしまったのだ。PICOを創った科学者のキュロイさんも、とっくの昔に白い髭をたくわえた亡骸になってしまっていた。キュロイさんは死ぬ前に、PICOが目覚めないように凍結してやっておいた。この星に一人残されたら、きっと寂しがると思ったのだ。



 けれどある日、カチリと小さい音を立てて、PICOの眠る保管庫が開けられた。眠っていた彼の頭に起動信号がパチンと走る。ピコッ! と音を立てて、PICOは飛び起き、小さな手足をばたつかせながら、床をグルグル走り回った。
 そんな彼を驚いた顔で見つめる少年が、一人。ぱちくりと瞬いてから、少年は小さな口でこう言った。

「キミは、だあれ?」

 PICOはぴたりと足を止めた。大きな目で声の主を見上げた彼は、こくりと右に首を傾げた。

「キミは、だあれ?」

 それを見て、声の主はもう一度同じ問いを繰り返した。PICOはしばし考え込み――それから両手を元気良く振り上げて、

「PICO!」

 そう名乗りをあげた。名前を尋ねた相手は、大きな瞳を驚いたように瞠ってからぱちりと瞬き、そしてけらけらと笑った。

「そうか、ピコか! ぼくはレイチェル。遠い遠い銀河の向こうの、そのまた向こうから、色んな星を調査しに来てるんだ。
 この星には、誰もいないと思ってんだけど、会えて良かった。よろしくね、ピコ」

 差し出された手に、PICOは自分の手を重ねた。軽く二、三度振ってから離す。誰もいないとレイチェルが言ったのに、PICOは周りを見回して首を傾げた。

「みんな、どこ?」

 キュロイさんの白ひげに覆われた優しい笑顔や、ホップ夫人の控え目な笑い声、ボートレック氏の黒い背高帽から飛び出す色とりどりの紙吹雪。PICOには、懐かしいものの記憶がたくさんたくさん詰まっていた。
 けれども見渡す限り、ここには誰もいないようだ。いつもはPICOの目覚めに立ち会うはずのキュロイさんですら。――レイチェルを除いては、誰も。

「残念だけど、この星にいるのはキミだけみたいだ。ぼくはここに来る前、この星をスキャンしてみたんだけど、」

 レイチェルは人さし指の先と先を合わせ、スーッと上下させてみせた。

「――どこにも生き物のいる気配はなかったよ。この研究所はそこそこ無事に残ってたから訪ねてみたんだ」

 そこでちょっと息つぎをしてレイチェルは、「調査に役立つ資料があるかと思ったからね」 と弁解するみたいに付け加えた。
 PICOは相変わらずキョロキョロ大きな目をさまよわせていたが、どうやら小さなロボットにも天涯孤独の意味は分かるようで、終いにガックリと肩を落としてしまった。その姿があんまり哀れに見えるものだから、口数の少なくないレイチェルまで、なぐさめも出来ないまましばらく立ちぼうけてしまった。PICOは小さな腕を、いつも元気いっぱい振り上げていた腕をしょんぼりと垂らし、大きな目をハの字にさせて、今にも泣き出しそうなあんばいだ。

「ピコ、ねえ、泣かないで」

 レイチェルがそう宥めても、PICOの目は綺麗にハの字になったまま。弱ったなぁと呟いて、レイチェルは土埃にまみれた床を軽く払うと、PICOの隣に腰を下ろした。

「・・・ぼくもね、独りぼっちなんだ。調査船も一人で乗ってる。
 ぼくの故郷はひどい流行病に冒されて、ぼく以外はみんな病気になっちゃったんだ。ううん、ぼく以外にもまだ病気じゃない人もいたんだけど、調査船に乗って旅が出来るほど元気な人は居なかったんだ」

 ぽつりぽつりと、彼の口から言葉が生まれ落ちていった。
 流行病のおそろしさ。調査先で見た不思議なモノの話。ずっとさかのぼって、自分のパパやママ、生まれてくるはずの妹の話まで。少年に似合う、少し掠れたソプラノの声で語った。
 ――自分は病を治す薬を探していること。
 ――まだそれは見つかっていないこと。
 ――早く故郷に帰りたいこと。
 たくさんたくさん、彼の口からこぼれ落ちた。

 ふと話し止んで、レイチェルはPICOを見た。PICOはもう泣きそうな顔はしていなかったが、代わりに寂しそうな表情を浮かべていた。

「分かるよ。ぼくも寂しい。ぼくもパパやママに会いたい。早く薬を見つけて、戻りたいんだ」

 レイチェルがPICOの頭を撫でると、ロボットは首を軽くすくめ、クルクル回した。ホップ夫人に揶揄われた時のように。

「PICOのパパは、キュロイさん」

 PICOはそう言って、腕をグルリと回した。

「すごく大きい」

 クスッとレイチェルが笑った。

「背が高いの?」
「背は低い。お腹が大きい」
「あはは、そっか!」

 ――優しい優しいキュロイさん。PICOを作ったキュロイさん。白いおひげのキュロイさん。
 ――それにポンパドールヘアーに結い上げたホップ夫人の髪型は素敵だったこと。
 ――夫人の子供の双子の姉妹は、とてもよく似ていたこと。
 ――レミーとレニーという名前だったこと。
 ――ボートレック氏の手品の手伝いをしたこと。
 ――氏は小さなカフェーを切り盛りしていたニーニャが好きだったこと。

 彼の中の懐かしい思い出は、鮮やかに記録されていた。まるで写真で撮ったかのように。
 ――その時、パタンとドアが音を立てた。

「キュロイさん!」

 ピョンと飛び上がったPICOは、小さな足を出来る限り早回しして、表へ向かって飛び出していった。残されたレイチェルが慌てて後を追うと、彼は研究所の出口で足を止め、腕も下ろしてぼんやり立っていた。

 ――茫漠とした風景。
 綺麗だった自然も、
 鮮やかだった色も、
 素晴らしかった建物も、
 優しかった人々も、
 影も形もない世界。
 それをただひたすら見つめるPICOを見下ろして、レイチェルは悲しそうな声音で呟いた。

「ここにはもう、ピコの会いたい人はいないんだよ」

 PICOは、遠くを吹き抜けていく小さな砂嵐を見ていた。

「分かってた。キュロイさんはいない。ホップ夫人も。みんないない」

 ――だけど、もしかしたら、と思ったの。
 肩を落とすこともなく、ぽつんと溜息をこぼすように言ったPICOを、レイチェルはもう一度撫でてやった。

「・・・・・・ねえピコ、ぼくと一緒に来ないかい?」
「レイチェルと?」
「そう。ぼくも一人は寂しいんだ。ピコだって、この星に独りぼっちは嫌だろう? 何にしたって、せっかく会えたキミを、ここに残していくのは心苦しいよ」

 PICOは、レイチェルの顔を見上げて、それから自分の爪先を見て、そしてずうっと黙ってしまった。レイチェルは何度か返事を促そうと口を開いたけれど、何だか急かしては悪い気がして、その度また口を閉じた。
 そうして長い長いだんまりの後、PICOは大きな目をパチクリとさせた。

「分かった、PICOも行く。そしたら、PICOも、レイチェルも、もう独りぼっちじゃないよね」
「ありがとう、ピコ、ありがとう!」

 レイチェルは嬉しそうに目を弧の形にして、小さな口をめいっぱい半月形にして、PICOの頭をぎゅうっと抱き締めてやった。拍子にPICOからは、ポスンポスンという音と共に、節々から煙が漏れた。

「おいで、ぼくの船に案内するよ」

 そう言って手を差し出すと、PICOはそれをキュッと握った。



 レイチェルの宇宙船は、昔映画館があった場所に停まっていた。今はまっさらな台地になってしまっているけれど、わずかに残った建物の壁はうっすらと顔料のにじみを見せていた。かつては綺麗に装飾され、子供たちがワイワイと集まっては映画を見ていたに違いない。
 宇宙船は埃っぽく灰色に濁った映画館跡地の中で、一際ピカピカと銀色に光っていた。それは在りし頃のキュロイさんが良く使っていたスパナの銀色にそっくりで、PICOは少し懐かしさが込み上げたりした。

「来て、ここが入口なんだ」

 レイチェルが船のお尻側をトントンと叩くと、ブゥンと金属の唸る声がして、その場所に入口が現れた。タラップをタントンと上がってゆくレイチェルの後ろから、PICOもカタンコトンと階段を上がった。
 中は、外見と違って銀一色ではなく、心地よいベージュを基調にした柔らかな色合いで占められていた。運転室にも案内されたが、座る椅子はたくさんあるのに使う人は誰もいなくて、レイチェルが独りぼっちだということが否が応にもわかるのだった。

「運転は船が勝手にやってくれるようになってるんだ。オートパイロットってやつだよ。ぼくが使ってるのはもっぱらこっち」

 明るいシャンデリア型の照明が下がる部屋の真中で手招きしながら、レイチェルはそう言った。ソファやテレビ、ローテーブルといった家具が、各々壁や床に固定されている。色はやっぱりベージュ。小綺麗に整頓された本はテレビ下のキャビネットに収納されている。

「テレビは点く時と点かない時がある。ご飯は好きな時に作って食べるんだ。ピコには必要なさそうだけど、ぼくには必要なの」

 好物はサニーサイド・ベーグルだと彼は言った。PICOは頷いた。目玉焼きはホップ夫人の得意料理だ。ポフンと心地よい音を立ててソファに腰掛けたレイチェルの傍で、PICOはキョロリと大きな目を回してみた。
 広い部屋。綺麗な調度品。誰もいないけれど。

「そろそろ出発するよ。外を見ようか。ピコのいた研究所が見えるはずだよ」

 彼がピッと手にしたリモコンのボタンを押すと、壁だった所がスウッと透けて、外の景色が全面グルリと現れた。埃っぽい廃墟が、ずっとずっと向こうまで続いていた。

「あそこが、ピコのいた研究所」

 PICOが腕を伸ばした。コツンと見えない壁が邪魔した。透明な壁を隔てて向こう側には、PICOの大好きな人たちが大好きだった町があった。フッと空気が重くなり、船が宙に浮かび始めた。もうもうと砂埃が舞っているけれど、船の中までは音が届かないようで、静かなものだ。PICOはジッと外を見た。見慣れていた世界の成れの果てのような、朽ち果てた風景を。埃っぽく、赤茶けた、色のない町の残骸を。

「・・・・・・ピコ、寂しいかい?」

 ソファから少しだけ腰を浮かせてレイチェルが尋ねた。PICOは首をクルリと回してから、カタコト音を立てて透明な壁から離れ、彼の足元へ座り込んだ。

「だいじょうぶ。レイチェルがいるよ」

 プシューッと白い煙を上げた頭に手の平を乗せて、レイチェルはニッコリと笑ってみせた。

「ありがとう、ピコ」

 宇宙船は惑星を離れ、次第に暗い宇宙への旅を開始し始めた。光る星々にちらつきはなく、幻想的な灯をまっすぐに飛ばした。静かに次の星を目指す船の中で、一人の少年と一体のロボットは、いつか巡り逢うに違いない希望を信じて、夢を見るように次の停止地を待つのだった。



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