目の前が回っている。足がちゃんと地面についてるのかがわからない。終いには歩くこともできなくなってしまった。
「酒だ!」
「は?」
声もかけずに襖を開けて入ってきたと思ったら輝かんばかりの笑顔で言い放つ新八。
ついこの間近藤さんに「断りもなく女子の部屋に入るなど何事か!」と叱られたばっかりなのに。頭は良くてもマナーがなっていない。マナーが。礼儀。
「左之が奢ってくれるってよ!」
あいつも太っ腹だぜ!と喜ぶのは大いに結構なのだが、
「なんで私も?」
少し前に新八と左之さんが島原へ繰り出すとき、私も行きたい、と言うと左之さんは快く連れてってくれようとしたけど、新八が許さなかったのだ。
「この間はダメだったのに…」
そう言って口を尖らせると、新八は偉そうに腰に両手を当てて、
「今日は左之の奢りだからだ!」
最低だこの男。
そんなこんなで左之、新八、平助、わたしの四人で島原へ。
総司や一くんも誘ったけれど、総司は「新八さんがうるさいからいいや」と、一くんは「副長が隊務に勤しんでいる中行くのは悪い」と断られてしまったのだ。
「久しぶりの酒だなあ!」
「新八っつぁんまだ飲んでねーのに酔っちまってねーかー?」
「馬鹿野郎!俺は酒でも酔わねえ屈強な漢だぜ!」
誰かこの馬鹿を止めてください。
新八の相手は平助に任せてわたしはのんびりと膳に箸を運ぶ。
屯所では自分の作ったものだから、こうやって作ってもらうご飯を食べるのは久々だ。
そうして次第に顔に赤みを差してきた新八たちを尻目にわたしは食事を楽しんでいたのだが。
「おい名前!なんだあ?お前全然飲んでねえじゃねえか!」
酔っぱら…新八が絡んできた。肩を組まれたのはいいけれど漂ってくる酒臭さに思わず顔をしかめた。
「ほら、まあ飲めって!」
お猪口を持たされて酒を注がれる。思わず左之さんに助けを求めたけれど、左之さんもすでに出来上がっていて平助にご自慢の腹芸を見せていた。
「いやわたしはいいって、」
「俺の酒が飲めねえのか」
なんだこの典型的な酔っ払いの絡み方。
そもそも左之さんの奢りだし。
呆れた私を尻目に新八はお猪口をわたしに押し付けて酒を注ぐ。
「ほら、飲めって。たまにはいいだろ?」
「………しょうがないなあ」
そう言って飲み始めたのだけど。
飲めば飲むほど新八は酒を注いできて終いには全身真っ赤になってしまったわたしに気付いた左之さんが慌てて新八を止めるまでに至った。
「おい名前、大丈夫か?」
「はいはい新八っつぁんは俺とこっちねー!!」
心配して背中を擦る左之さんになんとか大丈夫と手を挙げて席を立つ。
とたんに目の前がぐにゃりと歪んで足を踏ん張る。
「…ちょっと外の空気吸ってくる」
そう言って襖に手をかけると左之さんを付いてこようとしたので新八のお守りを頼んで押し止めた。
部屋の外へ出ると中よりか少しは涼しい空気が火照ったわたしの体を冷ます。
どっかに空き部屋ないだろうかと一歩踏み出すと思った以上に平衡感覚がないらしく、体勢を崩してしまう。
慌てて踏ん張って立ち直したところで肩に手を置かれた。
「ねえ、ちょっと、大丈夫?」
咄嗟に振り向いて声の主を見れば、そこには予期しない人物が。
***
少し広めの座敷に3つの影。
一人は位の高そうな遊女、もう一人は幼い顔立ちながらも凛とした雰囲気を漂わせる少女、そして私。
世界がどう回ってこういう状況になったのかはわからないが、あの鬼の頭領達に会った時からなんとなくこうなる気がしていた。
「落ち着いた?」
先ほど千と名乗った少女はにっこり笑ってわたしを見る。
「はい、ありがとうございます、助かりました…」
数分前、フラフラの状態のわたしを助けてくれたのはこの二人だった。
「酒に酔っているところを助けてもらうだなんて…お恥ずかしい限りです」
もう一度礼を言いながら頭を下げると、千は笑いながら、
「いいのよ、酔ってフラフラな人なんてよくいるし。
………それに、あなたみたいな人に会えるなんてなかなかないわ」
「………!」
それは、紛れもなく風間が私に示した反応と同じだった。
私の少しの驚愕を感じ取ったのか千は慌てて両手をあげる。
「あ、別に怪しいとかどうこうしようってわけじゃないわよ?
ただ、不思議な匂いがするなって」
「…匂い?」
「なんと言ったらいいかしら、……でもあなたは自分が違うってわかっているでしょ?」
"違う"。それは風間に言われた"異質"と全く同じ意味なのであろう、すこし探るような瞳にゆっくりと頷いて肯定すれば、千は微笑んだ。
「…確かに、わたしは他の人とは少し違うし、あなたたち…鬼、とは違います………千姫」
突然出てきた鬼、千姫という単語に千は目を見開き、君菊さんは警戒して少し千の方へ近づく。それを見て慌てて両手をあげて危害を加えないことを示した。
「なんで、」
「ごめんなさい、言えません。
ただ、あくまでもわたしは人間です。…少し特殊だけど」
自分でもよくわからないですけどね、と仕方なく笑えば千は驚きで開いていた口を一度閉じて、もう一度開く。
「…わたしの勘も当たるってことね」
ね、お菊。と笑いかけられた君菊さんは警戒を解いて静かに微笑み頭を下げるだけ。
よくわからなくて顔に疑問を浮かべるわたしを他所に、千は立ち上がる。
「さ、そろそろ連れの人も心配するんじゃないかしら?」
「あ」
慌てて立ち上がるともう一度二人に向き直る。
「介抱、本当にありがとうございました…千姫」
「いいのよ!それにそんな堅苦しい物言いやめて?千でいいわ。
…あなたとはまた会う気がする」
じゃあね、名前。そう言って片目を瞑って笑った千と、妖艶に微笑み一礼した君菊さんは去っていった。
そうして部屋に戻れば新八は爆睡していて、側には疲れきった顔の平助。
入ってきた私に気がついた左之さんはまだ1人お猪口を傾けていた。
「大丈夫か?なかなか戻ってこねえから心配したぞ」
「うん、ごめん。もう大丈夫」
そう言って笑えば左之さんが少し怪訝な顔をする。そのまま口を開きかける前に平助がわたしのほっぺをつねってきた。
「いたたたた」
「お前いなくなって新八っつぁん拗ねて大変だったんだからな!」
見れば疲労感でいっぱいの顔をしている。島原にきてこんな顔になる客も珍しいなあ、と考えていると新八が大きくいびきをかきはじめて思考を中断させられる。
「もー新八っつぁん!起きてても寝ててもうるさいなあ!」
「うっし、帰るか」
その馬鹿起こせ、と左之さんが立ち上がり、新八を叩き起こした。そのまま寝ぼけ眼の新八を連れてみんなで帰路につく。
少し寒くなった空気に見上げれば澄んだ夜空に綺麗な星が輝いていてなんだかうれしくなった。
隣を歩いてた左之さんが急に頭に手を置いてきたから見上げれば優しく笑っている。
「楽しかったか?普段来てなかっただろ?」
「うん、楽しかった」
そう言えば左之さんはそうか、と笑って頭をくしゃっと撫でた。慌てて左之さんの手を握れば、暖かくてそのまま左之さんと手を繋いで帰った。
見えない重力
(つながりが増えていく)
20121031
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