長崎屋の手代である仁吉は今日もしっかりと働いていた。


「仁吉や」
「おや、若だんな
今日はこちらに来ても平気なのですか、咳はでませんか?熱は…」
「ああもうっ、大丈夫だよ」


最近は特に体調を崩さない若だんなはやけに張り切った顔でやってきた。
体調が良いことは仁吉にとっても万々歳だが、こうして歩き回られるといつどこで何があるかわからなくて肝を冷やす。


「今日は私がこれを作ろう」


若だんなが作りかけの薬剤の前に行きそう言うか否やすぐに仁吉が若だんなを遠ざけた。


「いけません、若だんな
ここはあたしらがやるから大丈夫ですよ」


そう言われた若だんなは拗ねた顔をして店頭へ戻っていった。

が、すぐにその若だんなが慌てた声で自分を呼ぶ。


「どうしました!?
気分でも悪く……!!」


若だんなの身に何かあったのかと慌てて店頭へ向かうとそこには全身を汚し、所々擦り剥いている名前の姿があった。


「名前!」
「仁吉さぁぁぁん…」


半べそをかきながら歩いてくる名前に呆れながらも彼女を抱き上げて店の者に声をかけてから離れの己の部屋へと向かった。


「何があったんだい」
「…転びました」
「……転んでこんなひどくなるのかい?」
「土手で転んだから。どろんこ」


それを聞いてため息をつきながら治療の準備を進めると名前に向き直った。


「…どこまで怪我してるんだい」
「はは…」


擦り傷以外にも打撲をしていてすでに青くなっている部分もあった。

「…しょうがない」
「へ?……ぎゃ!!」


仁吉は名前に近づくと青いものが浮かび上がっている胸元に手を掛けた。


「にににににきちさんっ」
「うるさいねえ。
あたしゃ何も感じないよ。
それと出すんだったらもっとましな叫び声出しな」
「…そこまで言わなくてもいいじゃないですか」


半ベソをかいた名前は大人しく仁吉の手を掴んでいた腕を下ろした。


「最初からそうしなさいね」
「うう…ごめんなさい」


そして仁吉が痣のヶ所を確かめ、何もないところも痛いかどうかを聞いた。
そうして傷の治療も終わった。


「仁吉さんすごーい…」
「褒めてもあたしゃ喜ばないよ」


それで、と片付けの終わった仁吉が名前の目の前に座った。


「どうして転んだんだい?」
「…どうして、って…普通に躓いて」
「お前さんは平衡感覚だけは抜群じゃないか」
「だけってなんです…いだっ」


反論する名前の額を叩いて黙らせる。


「妖の所為ではないね?」
「ああ…なるほど。違いますよ」
「そうかい」


少しだけ安堵した仁吉を見て名前は礼を言って立ち上がった。


「待ちな」
「わあっ!」


その名前を仁吉が引っ張って引き止める。
はずみで体制を崩した名前はそのまま仁吉の膝に落ちた。


「ちょっと仁吉さんなにするんで…」
「その腕じゃあ夕餉の準備は無理さね」
「大丈夫ですよう!」
「他の女中の邪魔になる」


それでも行こうとする名前に呆れて怪我した腕を握ると、途端に、


「いたたただたたっ!」
「ほら。大人しくしな」
「仁吉さん扱い悪い」
「うるさいね」


未だ騒がしい名前に顔を近付けると、


「…いつまでも騒がしいと若だんなが心配するだろう?」


低く小さく呟かれたその言葉と目の前にあるその恐怖心を煽る顔を見た名前はすぐに黙った。
その様子を見た仁吉は顔を離した。


「いい子さね」
「うう…でも部屋にいたら暇なんですよ?」
「鳴家と遊んどきゃあいいじゃないか」
「鳴家はお菓子ないと遊んでくれないんですよ」

頬を膨らまして拗ねる名前にため息を吐くと


「じゃああたしのところに居な」
「へ…、なんで」
「帳簿の付け方を教えてやるさ」
「……げ」
「ほう、嫌なのかい?」


帳簿、という言葉を聞いたとたん嫌そうな顔を隠さず素直に頷く彼女に仁吉はもう一度ため息をついた。


「本当に困った娘っ子だ」
「へへ…」
「褒めてないよ」


ぺしっ、と額を払えば楽しそうに笑って仁吉の上半身に擦り寄る。


「ふふ、仁吉さんのにおいがする」


そのまま猫のように何回も仁吉に擦りよっていき、仁吉の膝の上から降りる気はないようだった。


「……………」


仁吉はそんな名前に何回目かわからないため息をついてから目下にある頭から首筋を眺めて不意に意地の悪い笑みを浮かべた。


「名前、そんなに暇なのかい」
「……?夕餉の準備がなかったらそりゃあもう」
「そうかい……なら、」


わけがわかっていない名前のうなじに唇を寄せて、ベロっとそこを舐める。


「ひゃあっ!?」


突然のことに慌てて膝上から逃げようとする名前の身体を抱きすくめて拘束する。
当然手足をばたつかせて逃げようとするがそもそも妖と人間の女とでは力の差が歴然としている。


「にににに仁吉さっ……!!!」
「そうさねえ……、帳簿の練習が嫌なら、あたしとイイことでもするかい?」
「〜〜〜〜っ!!!」


既に真っ赤になっているうなじを何回も舐め、次第に同じくらい真っ赤な耳へと到達する。
耳朶を軽く唇に挟み、すぐに甘噛みすると肩を震わせてそれに耐える。


「仁吉さ……っ、ひ、あ、」


もう充分だと耳から唇を離して俯く名前の顔を覗き見ると、耳や首筋よりも真っ赤な顔をして目を固く瞑っている。


「ふ、」


思わず笑ってしまった仁吉の声を聞いて名前が潤んだ目を開ける。
笑いを堪えている仁吉の顔を見てさらにこれ以上はないというほど顔を赤くさせて、


「〜〜〜〜っ仁吉さん!!!!」


と怒鳴った。
当の怒鳴られた仁吉は尚も笑うことをやめず名前に回していた腕に力を込める。


「ふふ、名前、ははは」
「もう笑わないでください!ていうか何してくれたんですか!!」


もー!と言って怒る名前も仁吉の腕からどかずにその胸元へ顔を埋める。


「………本当に、…本当だと、思ったじゃないですか」
「本当だったらこんな時間にしないよ」


軽く笑って名前の頭を抱くとその耳元へと唇を寄せて、


「…まあ、そのうちに」


とだけ囁いた。
案の定名前は真っ赤な顔を持続させたまま仁吉に頭を押し付けた。




金鳳花はいらない
(仁吉さんの馬鹿馬鹿バカ)
(ほう…言うようになったねえ)
(ひっ!)





20120812




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