失声
応援して下さっている皆様に大切なお知らせ。
―急ではありますが朔麻(Vo)は2月4日を持ちまして、Neogym脱退を決定致しました。
ただ単に歌うことが好きだった。父親の影響で海外メタルにどハマりしてからはバンドってもんに憧れて、初めてバンドを組んだのは中学二年の頃だった。学校もろくに行かずスタジオでの練習に明け暮れる日々を見兼ねてか、憧れから始まるよくありがちな失敗パターンだと俺の親も先輩も口を揃えて言った、みんなが反対した。
でも俺は本気で音楽をやっていきたかった。なぜだかわからないけれど、俺には自信があった。
出席日数が足りず二年生の冬に高校を中退してからは今まで以上に時間も労力も費やした。努力の甲斐もあってかバンドも右肩上がりに勢いを増したが、他のバンドを蹴り倒してのし上がることには何も快感は得られなかった。むしろこれが現実だと自分に言い聞かせることに必死だった。
ファンが増えるにつれ何度も押し潰されそうになった。初のワンマンでは現実の厳しさを目の当たりにして、自信がなくなった時もあった。それでも、支えてくれるメンバーやファンの温かい言葉、反対した親や友人、先輩への見返しを糧に俺は今までやってこれた。バンドという強い絆があって、歌さえ歌えれば俺は幸せだった。
休息の暇などなくステージに上がっていない時間は移動とリハーサルで潰されていくような、無茶苦茶なスケジュールで進められた一ヶ月間のインディーズでのラストツアー。それも今日で終わった。
外は珍しく雪が降っていた。決して積もることのない白い雪がネオンに照らされて落ちていく。
機材を車に詰め込むメンバーより先に俺は後部座席に乗り込んでいた。真っ黒い衣装の上から重苦しいコートを着て、マネージャーの気遣いでさらに毛布もかけられた。身体は熱を帯びているのに寒気が止まらない。メンバーが投げかけてくる言葉にすら俺は返事を出来なかった。
気づけば俺は病室のベッドで寝ていた。腕には点滴が施されていて、動かそうとした右腕が痛んだ。俺はライブ中に倒れたことを思い出す。
窓を開けに来たナースが俺に気づいて、どこかに誰かを呼びに行った。
しばらくして、病院にはあまりにも不似合いな全身を黒に包んだ派手な頭をした男が2人が入ってきた。
一番仲の良い上手のギターと、ドラムのリーダーだった。
「朔麻、大丈夫か?」
その問いかけに俺は深く頷いた。
「サト君」
そう呼んだつもりだった。
実際には呼べていなかった。
サトは読唇したんだろう、途端に溢れ出した涙で顔をぐちゃぐちゃにして、うん、と返事をした。
声が、出なかった。わかっていたんだ。
ツアーの後半からこの喉の違和感には。
過度の疲労と喉の酷使によって出来た声帯のポリープが手術を免れない程進行していたなんて思ってもいなかった。手術は無事に成功したものの何度も再発するであろうと言われ、精神的なショックによる心因性の失声症とも診断された。重なる不運に絶望しか感じなかった。メジャー目前にボーカルの声が出ないなんて笑えないジョーク、俺はボーカルとして失格だと自分を罵る他なかった。
もし続けたとして、きっとこの先何度もメンバーに迷惑をかける。待ちわびたファンに公演延期の知らせだって何度するかわからない。俺は自分が歌えないことより、周りに迷惑をかけることがショックだった。俺を支えてくれるメンバーを、バンドを応援してくれるファンを、裏切ることだけはどうしてもしたくなかった。
後日リーダーにだけ伝えた。俺の考えを、一方的に。
殆ど音にならない言葉を拾って、リーダーはただただ頷いて聞いてくれた。そして子供みたいに泣きじゃくる俺に、「お疲れ様」そう言って抱きしめてくれた。
辞めたことが裏切ったことになると思わなかったわけじゃない。けど俺の不調の度に裏切るよりは辞めて区切りをつけたかった。俺は確かに歌が好きでバンドを始めたけど、歌さえ歌えればいいって思って今までやってきたけどそれ以上にバンドが好きだってことを教えられた気がする。
本当に、本当にネオジムには感謝してる。
あの後ネオジムは解散した。メンバーはそれぞれにバンドを組んで活躍してる。朔麻脱退、と評したものの「ネオジムのボーカルは朔麻しか考えられなかった」と後日解散に纏わるインタビューでリーダーが答えていたのを見て、不謹慎ながらに安堵した。あの夢のようだった日々を、俺の声をネオジムの最後に思い出として終わらせてくれてありがとうございます。と、込み上げてくる思いは感謝しかなかった。
数年後、ふと立ち寄ったのは以前よく利用していた新宿のスタジオ。業界から完全に立ち去った俺も、もう歌うことはなくても音楽からは離れたくなくて、ネオジムのリーダーに教えてもらったドラムを趣味としてやっていた。なんだかんだで音楽に執着していて、まだ夢は諦めきれてなくて。
奥の部屋から僅かに漏れる重低音に耳を澄ます。
がちゃん、と鈍い音がして、人が1人こちらに向かって歩いてきた。煙草片手にすれ違い様、その金髪の男は立ち止まった。切れ長の大きな目を見開いて俺の顔を凝視。ああ、もしかしてファンだったかな、とか期待してみたり。
そしてその金髪は冷静さを取り戻すかのように息を吐きながら、ピアスが並んだ唇に煙草をあてがいながら俺にこう言ったのだ。
「…入りませんか」
見た目に似合わない敬語で、緊張した面持ちで。
そうして俺は、またバンドという集団の一員になる。形は違うけど、同じステージに立てることを夢見てさ。