【蠍誕】海の色に恋をした


※原作生き返り設定



沈みかけた夕陽の中、特有の音を立てて揺れる列車に乗って、海へ向かった。

「海が見たい」

まるで泣き出す寸前の子供のような瞳で、目の前の青は、確かにそう言った。



* * * * *



冥王を倒し平和の訪れた世界で、初めて『誕生日』というものを祝ってやりたいと思った。

戦いに明け暮れていた今までとは違い、任務だって毎日あるわけではない。

決して暇ではないが、それでも戦いの他に目を向ける余裕だってできたし、誰しもの表情が穏やかになったと、思う。

実の兄であるサガでさえ冗談の一つや二つを言うようになったくらいだ。

ただし、生まれてこの方、戦士として生きてきた、あの男を除いて。


「ミロ」

「…カノンか」


天蠍宮に繋がる階段の途中、探していた男が目の前を歩いているのが見えた。

少し足早に階段を上り声を掛ければ、億劫そうに振り返り名を呼ばれる。

その声色に感情は篭っていない。

これが例えば親友であるカミュであったり、アイオリアであったならその言葉は違ったものだったのだろうか。


「何の用だ」

「お前に渡したいものがあってな」

「…それで、わざわざ此処まで探し回ったというわけか」


確かに昼過ぎ辺りから、この聖域を数回は往復している。

他人から見れば誰かを探しているということは一目瞭然だったし、ミロの行きそうな場所では本人が訪れていないか聞いて回った。

目の前の男は確かに、探し回った、という表現をした。

それはつまり、それを知っていてわざと俺の前に現れなかったということだろうか。


「俺は何か、お前の気に障るようなことをしたか?」
「いいや、何もしていない」

「ならば何故避ける」


返答は、無い。

外された視線と、一度開かれてすぐに閉じられた唇。

音を成さなかった言葉が、沈黙を作り上げる。


「……カノン」


どのくらい待ったのか、埒が明かないと溜息を漏らす寸前、ミロの方が先に折れた。

予想外の事に多少の驚きを隠せないまま目を合わせれば、その瞳には迷いが映されていて。


「海が、見たい」


普段の自身に満ち溢れた尊大なミロの姿はどこにもなく、まるで風に掻き消されてしまいそうな声で、目の前の青は確かに、そう言った。


* * * * *


海と言うからには当然のようにスニオン岬のことなのだと思っていたが、ミロが見たい『海』というのはそうではないらしい。

切り立った崖から臨む荒れた波ではなく、細波の聞こえる穏やかな砂浜が良いのだと言う。

何事も一人で決めて矢のように真っ直ぐ進んで行く男が、他人に望みを漏らすなどという珍しい事態に動揺しなかったと言えば嘘になる。

だが今のミロはどこか物憂げな表情で、下手をすれば容易く手折ることが出来てしまうのではないかという錯覚に陥らされて、深く追求してはいけないのだと思った。


「たまには汽車も悪くないな」

「…そうだな」


半歩前を進むミロの表情は判らないが、いつもの声色に戻っていることに安心した。

沈みかけた夕陽に照らされる海岸は季節外れとだけあって、誰もいない。

二人分の足音と優しい波の音だけが響く。

海岸に下りてからペースを落とし、距離を空ける。

ミロは足が濡れるか濡れないかの波打ち際で立ち止まった。


「…ミロ?」

「カノン、お前が聖戦の最中に言った言葉を、覚えているか」


振り返ることをせずに放たれた言葉は、疑問詞を含めているにも関わらず、返答を必要としていなかった。

数秒待って、ミロは続ける。


「聖戦は終わった。戦士である俺を必要とする場所は、もう、無い」

「…そんなことはないだろう」

「気休めは止せ。似合わんぞ」


ふっ、と小さく笑って、ミロがこちらを振り向く。

逆光によって表情は読み取れないが、自嘲的な笑いが、らしくない。

――らしい、というのはこちらの勝手なイメージ像から来るもので、もしかしたら普段は気丈に振舞っているだけなのかもしれないが。


「これで俺はお前の望む『蠍座のミロ』ではなくなったわけだ」

「……それでも、お前が欲しいと言ったら?」


平然を装い続けた小宇宙が、揺らいだ。

ゆっくりと距離を詰める途中、ミロが数歩後ずさった。

足が波に触れて、その足を濡らす。


「……カノン…」

「確かに初めは、お前の崇高な生き方に惹かれた。だが聖戦が終わっても、平和な世界が訪れても、俺の感情は何も変わらなかった。つまりは、そういうことだ」


背の高さが幾分か違うため、見上げるような形で視線を合わせてくるミロ。

その瞳は夕陽のせいか、年齢より幼く見えた。


「…っ、俺は、戦う以外のことを知らない。だから聖戦の終わった今、俺の価値など…!」

「価値などという他人の評価はどうでもいい。そもそも、裏切り者であった俺に女神の聖闘士としての価値を与えたのは他ならぬお前だろう。ならば聖戦の終わった今、俺の方が無価値ではないのか?」


ちがう、と言いたかったのであろう唇を塞いだ。

そうしなければ、自らが誰にも必要とされていないのではないか、なんて、そんな言葉が続く気がして。

触れるだけのそれを離したら、胸に頭を押し付けられた。

恐らく顔を見られたくないのだろう。黙ってその髪に指を差し入れた。


「ミロ」

「……何だ」

「俺のものになってくれないか」


返答は、無い。

だから、少しの沈黙の後、背中に回された腕が返事と受け取ることにした。


* * * * *


「ミロ、お前が欲しい」

「ふん、馬鹿も休み休み言え。俺たちは女神の聖闘士なのだ。そんなくだらないことに現を抜かしている暇はない」

「お前らしい答えだな」

「…もし、」

「もし?」

「もしも聖戦が終わって、生き残ることができたなら。その時は考えてやらんでもない」

「お前に価値を与えられた命だ。易々と討たれるわけにはいかんだろう」

「……そうか」


* * * * *


「帰りも汽車で帰るのか?」

「いや、歩く」

「ここから聖域まで歩いたら朝になるぞ」

「構わん。嫌なら勝手に汽車で帰れば良いだろう」

「…いいや、付き合おう」


ぱしゃぱしゃと波を蹴りながら歩く姿が可愛くて笑ったら、何がおかしいと照れ隠しに飛沫を飛ばされた。


海の色に恋をした
(そういえば渡したいものがあるとか言っていなかったか?)
(あぁ、そうだ。誕生日おめでとう、ミロ。)




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