【天秤×魚】fragile



「童虎、いるか?」


カツン、と軽快な音を立てながら天秤宮の入口で立ち止まり、主の名を呼んでみる。
暫く待ってみても返事は無い。

教皇より頼まれた書簡を手に、ゆっくりと辺りを見回しながら歩いてみるが、小宇宙も気配も感じられない。

――留守か。

そう思いながら引き返そうとした矢先、一番陽の当たる柱の下に人影があることに気が付いた。


「……なんだ、いるなら返事を…」


近付いて覗き込めば、その理由をすぐに把握できた。

いつも雄々しい彼にしては随分と幼い…いや、むしろ年相応の、柔らかな表情で小さな寝息を立てている。

そういえば、昨日は遅くまで任務があったと教皇が仰っていた。

隣に腰掛け、普段まじまじ見ることのない顔を目の前にして気付いたのは、所々に残る小さな傷跡。

聖戦前とはいえ、候補生の訓練や世界各地での救護活動など、日々肉体を酷使している。

その中でも彼は特別危険な任に就かされることが多い。

――いや、自らを省みず、望んでその任に就くことが多いと言った方が正しいか。


「ははっ、私とは正反対だな」


呟いた自嘲に返答は無い。

けれど、真っ直ぐで優しい虎が何と言い返すかくらいは予想できた。


「なぁ、童虎。お前のそういう所が羨ましいよ」


ふわりと花の香りを含んだ風が前髪を撫で、童虎の目元を隠してしまった。

――あぁ、残念だ。

彼の無防備な寝顔などそうそう見れるものでは無いのに。

そう思った矢先、ふと、乾いた唇が目に止まる。

何となく。ただ何となく手を伸ばせば、その指が眠る彼の唇をなぞった。

やはり乾燥していていたが柔らかく、自分より少し温かい熱が指の腹から伝わってくる。

あぁ、まるで幼い子供のようだと思いながら、その指を自らの唇に運んだ。

視線を落とし、まるで口紅でも塗るかのように同じ行為を自らに繰り返す。

もし私が、直接触れたいと望んだら、彼は一体どんな顔をするのだろうか。


「随分可愛らしいことをしとるのう、アルバフィカ」


顔を上げた先にあったのは、悪戯が成功して喜ぶ子供のような、無邪気な笑顔。


「っな…!? 童虎お前、起きていたのか…!」


慌てて手の甲で口元を隠すが、その腕を掴まれてしまった。

背けた顔を反対の手で向き直され、瞬間、柔らかで乾燥したものが唇に触れる。

少し高かかったはずの熱が同じくらいに感じる今、きっと自分は耳まで真っ赤になっているのだろう。

刹那的に共有してゆっくりと離れていく、確かに触れていた時間。

心臓の早鐘が、現実であることを告げる。


「ば…っ、馬鹿者! お前、毒で死にたいのか…!」


拘束された腕を振り解いて離れる。


「それはそれで本望じゃが、生憎お主の香気で死ぬほどヤワな作りはしとらんよ」

「そういう問題では…っ」

「そんな事を気にしておっては口付けの一つも出来んじゃろう?」


そう言いながら普段の無邪気な笑顔を向けられる。

毒に染まった躯で誰かに触れるなんて、許されるわけがない。

だって、そうだろう、私の躯は容易く命を奪ってしまうというのに。なのに何故。なぁ、お前は私が怖くないのか。


「アルバフィカ?」

「……あ、いや、」

「なんじゃ、怒ったり暗い顔をしてみたり、忙しい奴じゃのう」

「お前が気楽過ぎるんだよ、童虎」


溜め息を一つ吐き出したら、また唇を塞がれた。

あぁ、この奔放な猫の前では深く考えるだけ無駄なのかもしれない。

ならば神様、今だけは、その熱に酔う事を許してくれますか。




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