37℃



瓶の中で液体が音を立てて揺れている。

まだ封の開いていないそれを二人の間に置いて、カルディアは上機嫌に言い放った。


「土産だ、受け取れデジェル」


褐色の瓶に貼られたラベルから察するに、どうやらブランデーらしい。

私が元々、好き好んで酒類を呷るタイプではないことくらい、カルディアだって知っているはずだ。

それに加え、あのカルディアから『土産』だなどとは。

これは天変地異の前触れではないだろうか。


「何だよその顔! 折角一緒に飲もうと持ってきてやったのに!」


教皇に報告するべきだろうかなんて見当違いなことを考えていたら、続けざまにカルディアが吠えた。

なるほど、つまりはそちらが本性か。


「教皇やシジフォスから酒類は控えるよう言われているだろう」

「だが禁止とは言われていない。ってことはつまり、たまになら良いってことだろ?」


なっ! 等と宣っている心臓病持ちの友人は、ボトルをくるくると回しだした。

肯定以外の返事を許す気は無いらしい。


「……何を言っても諦める気は無いのだな」

「お前がどうしても嫌だというのなら、蟹の所へ行く」

「それで、もしお前が倒れたら私が巨蟹宮まで足を運ばねばならんわけだ」

「そういうこと」


まだラベルをしっかりと見たわけではないが、ブランデーは最低でも30度以上のアルコール度数を誇る。

普段アルコールをまともに口にしたことのないカルディアが無事に済むとは考えにくい。

ましてや相手がマニゴルドとなると、煽られて無茶な飲み方をする可能性もある。

結局私が付き合うしかないのだと思うと、溜め息が零れた。


* * * * *


チューリップを模したグラスに少量のブランデーを注ぎ、手の平の体温で温めながら香りを楽しんで飲むのが、ブランデーの正しい飲み方である。

しかし味覚がお子様かつアルコール慣れしていないカルディアに同じものを与えるわけにはいかず、適当に貯蔵してあった林檎ジュースで割ってやった。

香りも趣も無いが、この男にそんなものは必要ないと断言しておく。


「しかし何故、こんなアルコール度数の高いものを持ってきたんだ。もう少し軽い、ワインや果実酒でも良かったのではないか?」

「んー…、この前の任務先がフランスでな。確か、お前の生まれはフランスだろう?」

「…あぁ、よく覚えていたな」


他人のことには大して興味を持たないカルディアが、自分の生まれ故郷を覚えていたのは存外だった。


「それで、折角なら飲んでみたくなってな」

「そうか…」


少し上気した顔で笑ってみせたカルディアは、普段より幾分か色気を纏わせている。

ふと、長く癖のある蒼い髪から覗く、白い肌に目を奪われた。

――私も随分酔いが回っているらしい。

衝動を振り払うように、グラスをゆっくりと傾けて飴色の液体を流し込んだ。

灼けるような熱が、喉から胸へと下る。


「……、」

「デジェル?」

「…え? あぁ、すまない。大分酔いが回ってきてな」


空になったグラスを置いて、ゆっくりと息を吐き出す。

動悸が早く、心臓がやけに煩い。


「おいおい、大丈夫か?」


テーブルを挟んだ向かいから身を乗り出したカルディアが、私の頬に手を当てた。

普段なら幾分か高く感じる体温が、今は差ほど変わらずに感じられる。


「……カルディア」

「ん、どうした?」


その手を握り、ゆっくりと立ち上がった。

――これは多分、酒のせいだ。

だから決して正常な判断の元から来ているわけではない。

理屈では判っていても、その衝動に抗うことは出来ずに。


「デジェル…?」


空いている方の手でカルディアの顎を捕らえ、唇を重ねる。

啄むように何度も重ねては軽く吸って離して、その感触を楽しんだ。

やがて我慢出来なくなったのか、うっすらと開かれた隙間から容易く舌を侵入させる。


「……んっ、…ふ…ぁ…」


内部をなぞり舌を絡め、その息を奪うように貪り、存分に堪能して離れた。

名残を惜しむように繋がった銀糸が、落ちて切れる。


「…っは、ぁ……デジェ、ル…?」


忙しなく荒い呼吸を繰り返しながら、何が何だか理解できていないと云った顔で、カルディアが眉を顰めた。

酸欠で目尻に浮かんだ涙が扇情的に欲を誘う。

長いこと『友人』という単語で繕ってきた関係は案外脆く、隔たった壁が音もなく崩れて行くような感覚に、自嘲的な笑いが漏れた。


* * * * *


らしくなく顔を真っ赤にしたデジェルが、らしくない行動を起こした。

尤もそれは俺が仕掛けたことで、故郷の、なんてのは半分言い訳だ。

『友人』だなんて言葉で距離を置いたつもりだったのかもしれないが、その境界なんて些細なもので、いつ何処でどちらが越えてもおかしくないような、その程度ものだった。

恐らくデジェルの方もそれに気付いていただろうに、それでもお互いがその一歩を踏み外せずにいた。

いい加減 誤魔化し続けるのも面倒で、適度に酔わせて本音を吐かせようと思っていただけなのに、殊の外、デジェルは積極的に本性を曝け出してくれた。

ただ一つ計算外なことと言えば、不意打ちなキスの、その、後。

ゆっくりと顔が離れたかと思えば、銀糸が切れるのとほぼ同時に、デジェルの身体がテーブルに突っ伏した。


「……は?」


状況を把握できず、声を掛けようとした寸前、規則正しい寝息が耳に入る。

――こいつ、寝やがった…!

つまりは、あと一歩という所で酔いが回り過ぎ、堪えられなくなったらしい。

そのまま情事に縺れ込んでもおかしくない空気の中、一人取り残されたわけで。

行き場の無い怒りと持て余した熱をどうすることも出来ないまま、せめてもの報復に、服を脱がせてベッドで一緒に寝てやることにした。

目を覚ましたデジェルが、どれだけ取り乱すことか。

眠っているのを良いことに、おやすみ代わりのキスを落として、睡魔に意識をくれてやった。


37度のブランデー
(それは禁断の美酒。)





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