アンチ・ガストロノーム | ナノ

アンチ・ガストロノーム
※現代






焼き尽くされたヴェリーウェルダン。炭のように黒焦げの肉。お前の皿に定期的に積み上げられるそれ。


銀色の箸がまだ熱い黒い塊を一枚摘み上げる。煤けた匂いが鼻先を掠めるが、白い歯は気にも留めず招き入れ、肉――だったもの、を咀嚼していく。食べ方は綺麗だ。唇は油に濡れることも無いまま固く結ばれている。微かな音を立てて波打つ喉。砕かれ飲み込まれ体内に落ちて行く証。美食家の類が知れば眉を顰めそうな行為を、けれど諸葛誕は非常に満足げに繰り返している。


金属の箸をわざわざトングに持ち替えて次の犠牲者を掴む。薄らと血の滲む分厚い生肉は店からサービスされた上物だった。鮮やかな紅色の身。食べるならミディアムレアだ。表面を色付くまで炙り、程良く温まった中身を味わえば、内から甘い油と肉汁が溢れることだろう。しかしながら広がる眼前、憐れな肉は業火に蹂躙され黒く身を縮めている。滴る雫には余分な脂と共に旨味も流れ出ているはずだ。熱に捩る身はトングに押さえられ、赤みが失せるまで解放されることはない。


視線を上げれば肉を焼くその顔は真剣そのもの。すべてを黒く染めなければ気が済まないと言うのか。落ちた油が灰を巻き上げ肉を苦く汚しても、諸葛誕はトングを離さない。灰も焼いて消し去るつもりか。裏に表に何度も返しては肉を炭に変えていく。此処まですれば上等も安物もあったものじゃない。ついでに言えば、お前がトングを渡さないせいで、俺が箸で肉を焼くしかないことにも気付いていない。



そうして俺が先程から三枚目の肉を皿に引き上げた頃、漸く諸葛誕は獲物を仕上げたらしい。肉とは中々に言い難い塊を受け止める皿はまっさらなものだった。使い続けても皿にこびり付くだけの油が残っていないのだろう。トングを箸に持ち替えて諸葛誕はそれを摘み上げる。前と同じ仕草で、満足げに口に運んでは嚥下する。


「お前それ旨いの?」
「嫌いなんですよ、中途半端に焼けた肉」


だって体液を滴らせて、下品で、だらしない――と。問いかけの答えは明瞭でいかにもお前らしいものだった。ウェルダン未満はすべて生焼け、調理者の怠慢だとでも言いたげな口ぶりで淀みなく次の肉を生贄にする。何処までも黒い肉を口にして、これで不味そうな顔を見せるならすぐに食事を切り上げるのだが、見開いた瞳には自信さえ溢れているのだからどうしようもない。美味い不味いではなく、正しいか正しくないかを判断基準にしている顔だ。


「食べ物の趣味は合うと思ってたんだけどな」


肉への同情を口にすればお前は眉間に皺を寄せる。不満げな表情を見せられても確実に俺が焼いた肉のほうが旨いよ、諸葛誕。愛想笑いを浮かべると返答に溜息が届く。


「なに言ってるんです、私が買ってきた肉まん好きでしょう? しかし調理の好みは話が別です」


諭すような言葉に反論の余地を失くす。確かにあれは旨かった。納得しつつ次の肉を箸で摘む。いい加減にトング返せ、箸で生肉触りたくないのは俺も一緒だ。睨めつけても無視を決め込んだお前はこちらを見ようともしない。機嫌を損ねただろうか。わかったよ、喜んで食べるから今度また肉まん買って来てくれ。けれども諸葛誕の手料理は――作る場面が想像できないが、この先も決して口にしないでおこうと心に決める。



じりじりと火に炙られ黒く染まっていく肉。次第にトングでひたすらに押さえ付けるその行為が儀式めいたものに思えてきた。その脇で自分用の肉を仕上げながら真剣な眼差しを見つめる。集中しているのか焼いている最中は口数も少ない。焼き切るまで口に出来ない姿は非効率で、器用な手元に比べて不器用な心理が垣間見えるようだ。牡丹を象って並べられた生肉の皿はもうその花弁の半分をもがれたが、半数以上は俺の腹に収まっていることだろう。


炭のような肉が出来あがって嬉しいのか、僅かにつり上がった口角。調理法は相容れないとして、食事相手としてのその顔は嫌いじゃないよ。白い歯と黒い肉、微かに覗く赤い舌、コントラストは鮮やかだ。見入っていると、箸、止まってますよ、と無骨な声。お前よりだいぶ食べているから仕方ないだろう。摘んだままだった肉から透明な油が垂れる。なるほど、だらしないとはこう言うことか。


ならば次の獲物へと伸ばされる手はまるで粛清を掲げているようだ。――そう言えば、鍾会は逆に焼き過ぎた肉は食えたものじゃないという顔をしていた。レアにも満たない炙っただけの肉を次々と口へ運んでいた姿を思い出す。肉汁よりも血ばかり滴るブルーレア。ガラス細工の眸に似合わず濡れた肉を好む癖。あれを悪癖と言うならば諸葛誕とも充分に並ぶだろう。


――と、考えたところで鋭い視線に眼球を射られた。反射的に見せた愛想笑いに今度は舌打ちが返る。悪かった。食事中に他の男に現を抜かすのは流石にマナー違反だ。心の中で反省してみるが、目の前にはあきらかに不機嫌な顔。ごめんな、もうしないから。浮かんだ殊勝な謝罪の言葉を、さてどのタイミングで口にすれば、この深い眉間の皺を解すことができるだろうか。視線を漂わせ思案していると、これ見よがしな溜息が一つ。


「謝るぐらいなら最初から慎んで下さい」
「……勝手に俺の心読むなよ」
「読まれたがっているあなたが悪い」


さも当然と言わんばかりの口ぶりに少しばかり腹が立った。言おうとした言葉を俺はまだ口にしていないのに、勝手に推測した言葉に満足して機嫌を直している様子にも不満が募る。加えて言えば、読まれた心が正しいことにも。


「お前にいったい何がわかる?」


箸を置き、口角を歪めて問い質す。交わる視線の鋭さは審問の場のようだ。焦げ付いた肉の匂いが漂う。俺から紡いだ言葉を奪ったのだから、答えを逃げたら許さない。細かく繰り返される瞬きを見つめる。小さく、諸葛誕の眉が困惑に動いた。


「あなたが私に解らせたくて仕方が無いことぐらいは」


めんどくせ、は甘えでしょう。独り言のように続けられた言葉には微かな嫉妬が滲んでいた。誰にも彼にも甘えるなとの苦言。そんなつもりは無いと言っても否定されることだろう。第一、言われてしまえば自覚はあるのだから、返す言葉が無い。



感情を言葉に整え曝け出すという行為は存外に心を削る。喉を震わせずとも正しくそれを理解して貰えるなら、どれほど楽をしていられるだろう。父上の懐に、兄上の背中に、元姫の傍らに、本当はいつまでも身を委ねていたい。


誰もが濁ったフィルターを取り除いて心を読んでくれるなら、俺は声帯を失くすこともできるのに。それが叶わないと知っているから、甘える代償も払っているさ。言語化を拒んだ心の真実を路傍のものにまで知られたいと駄々を捏ねはしない。身を投げ出すそれも、お前は怠慢だと憤るのだろうか。大きな眼でよく俺を見ようとしている。だから本当は、とても、嬉しい気持ちもあるのだけれど。



それでも今回は声にしようと思っていたのだから、間が悪い。不満を顔にあらわしても諸葛誕は困惑を深めるばかりだ。深いところは読めるのに、細かい部分を見落とすあたり、お前の視野はどこか死角が多い。けれどそれを不快には思わなかった。心を必死に推し量ろうと頭を回す男の顔は、実のところ可愛いものだ。思考を止めた人間ほど憐れでつまらないものも無い。


ただし、ならば込み上げる怒りが一つだけ。お前、俺がトング欲しがってたのも気付いてただろ。


「傲慢」


笑って言ってやれば、慌てたように焦った声が耳に飛び込む。


「語弊だ。私がいつあなたを侮った?」


見開かれた眼は驚きに染んでいる。目を細めて視線を逸らし、置いた箸を再び手に取る。この調子ならもう一皿追加したほうがいいか。考えながら肉を焼き始めた俺から視線を逸らせないまま、冷静さを欠いて繰り返される反論を聞き流す。トングの先には炭を越えて灰になりそうな肉。お前それ幾らなんでも流石に回収したほうが良いぞ。顎で促すが気付く様子はない。


私はあなたを軽んじたことも無ければ、見縊ったことも、見下したことも無い! 絞り出した語彙で繰り返される言葉。冷静になるべき場所で吠えるから狗と言われるのだと思いつつ、それには触れずに店員を呼んで追加の注文をする。わざわざ大きな声を出さなくても知っているよ。それよりお前の肉も頼んだから食事に戻ろう。このペースだとお前だけ夜中に空腹に泣くことになる。



相も変わらず俺ばかり見る諸葛誕の手元に箸を伸ばし、固まったままのトングの下から肉だったものを救出する。比喩を越えて完全に黒くなった片面は見なかったことにしよう。油に濡れた取り皿に引き上げると、当惑した顔のお前は漸く声に冷静さを取り戻した。


「司馬昭殿やめて下さい。それ私の肉です」
「知ってるよ、そんなこと」


当たり前の言葉を呟きながら薄い睫毛をゆっくりと瞬かせるお前が愉快で笑んでしまう。ああそう言えば、お前の手料理は食べるものかと思ったばかりなのに。あっさりと反故にしてしまった誓いを思いながら、黒い塊を口元に運ぶ。鼻先を擽る強く煤けた匂い。躊躇いたくなる気配越しに、こちらを食い入るように見つめる諸葛誕が視界を掠める。


「お前、これ旨いの?」


返事を待たずに口に入れた。予想通りの歯応えと、思ったよりは残っている肉の味。上等さは此処に出るのか、ならさっきの注文は取り消して、もっと良い肉を頼んでやろう。噛むほどに薄まる肉としての味を惜しみながら顔を上げると、思いもかけない表情が飛び込んできた。これだけのことで、なんて顔するんだよ、お前。


「好きですよ。あなたの口に入っても許せる程度には」


司馬昭殿がだらしない肉を口にするなんて似合わないでしょう? 気を抜けば随分と我儘な言葉を投げかけられてしまった。不満を声にする余裕の無い口内は炭化した肉に苦く染め上げられる。限度を越えたヴェリーウェルダン。やっぱりどう甘い目で判断しても旨くはないな。でも楽しそうに笑うお前のその顔は、嫌いじゃないよ、諸葛誕。






[END]
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