ひとでなしの餐 | ナノ

ひとでなしの餐






薄灯りに照らされた閨へ、立ち込めた匂いの甘さに、目が眩む。芳しさも限度を越えれば暴力と同じだと思い知らされる。顰めた眉には澄んだ嘲笑を投げつけられた。見開かれた濡れた眼。窓から零れる月明かりを拾い瞬く双眸。噎せ返る芳香を肌に染み込ませ、予期せぬ夜半の訪問者は横柄に長い髪を揺らした。


「お前に分けてやろうと、持ってきた」


自室であるかのように寝台に腰掛け、姜維は腕に抱えた荷物を腿に下ろした。膨らんだ乳白色の布地。内に匂いの源を包んでいるのだろうそれは、本来はこのような用途に使うはずもない上質な絹の繻子だった。


自分は勿論、本当ならばこの男も手にするはずのない代物。出所を思案し結んだ口元に謗りを含んだ視線が刺さる。艶めく布をこれ見よがしに見せつける仕草は、先手を取ろうとするためのあからさまな挑発だった。自慢げに――あるいは、自慢げだとこちらが感じるように、静かに口元を歪める。



いつからこうした顔を覚えたのだろうか。辿った過去のなかには殺気を剥き出しにした眸ばかりがこびりついている。身一つでどう生きてきたかを考えたならば、謀りなど手慣れたものだろうと感じるにも関わらず、不思議と合致する記憶を思い出すことができなかった。いつだとて自分の前では、この男は愚かしいほど本心を垂れ流していたように思う。


強く覚えている光景は、取り繕う術を忘れ咆え立てる姿と、それでもなお熱源の知れぬ光を宿し続ける眼。国を亡くした夜でさえ、轡を噛み締め空を見上げていた。静かに見開かれた視線の先に何があったのか。星に囚われた瞳孔には、それこそ妄執と言うべきものが映っていたのかも知れない。



「……迷惑だ」


だが逡巡を重ねようと口にした言葉は受容にしかならなかった。そもそも押しかけられるまま邸内に通してしまった時点で拒絶の機会を失っている。諦めを込めて吐いた溜息には喉を震わすだけの微かな笑いを返された。視線もくれず、滴るような芳香を撒き散らして、姜維は上等な布地に守られた甘い荷物を解く。


不遜な態度に似合わず、ひどく大切なものであるようにそれを扱う手が、やけに白く視界に映った。長い時間をかけてこびりついた血と脂を、強制的に洗い落とされて。あの日から槍を取り上げられた手は、傷が無い分だけその指の歪さを際立たせていた。


結びを解こうと指先が動くほどに品の良い衣擦れが室内に広がる。儀式のような姿を遮る気にもなれず見つめていた。腰掛けた椅子が鈍く軋んだ音を立てる。やがてひときわ甲高い衣擦れが響くと、眉間を押さえそうになる甘さと共に、幾つもの桃が寝台に転がった。


柔らかな皮に深い紅色を滲ませる、見るからに、あまく熟した桃。


姜維は満足げに息をつくと、役目を終えた布を握り締め、その匂いに埋もれるように寝台に体を横たえた。目を閉じ、漂う香りを体の奥まで深く吸い込んで、ゆっくりと目蓋を開く。投げ出したままにしていた視線が交わると先程と同様の挑発を形にして口元を歪めた。薄い睫毛を震わすたびに濡れた眼が淡く瞬く。


「こうしていると伽にでも来てやったようだな」
「下らん戯言を。何が目的だ」


思わず声に混じった怒気に、乗せられたと口を噤む。愉快で仕方が無いと言いたげな笑い声が室内に響く。視線を逸らさぬまま、姜維は転がる桃をひとつ拾い上げ、大事なものを扱うように差し出した。投げれば容易に届く距離を長い指が拒んでみせる。


「言ったろう? 分けてやると」


下げる気配の無い腕に誘われ、立ち上がってそれを受け取る。この男にそうまでしてやらねばならぬ理由など無いだろうに、何ゆえ拒めずにいるのか。探った原因は同情に塗り潰され本当の顔を見せようとしない。桃と引き換えに掠めた指先の冷たさが掌にこびりつく。人の腕に抱かれていたとは思えぬほど冷えた桃。指の腹を擽る産毛は柔らかだ。少しでも力を込めれば潰してしまいそうな儚い感触を確かめる。


歩み寄った場所まで椅子を引き寄せ、軋ませながら腰掛ける。これほど熟してしまったのだ、取って置いても腐らせるだけだろう。傷付けぬよう薄い皮に爪を立てる。――と、僅かに姜維の表情が安堵に緩んだ。予想もしない表情に、訝しんだ眼を受け流される。なにを、考えているのか。



「……美味しそうな桃」


長い指が敷布を辿り、冷えた桃をその手に捉える。肘を突き、姜維は伏せっていた上体を起こす。寝台は鈍い音を立て思考を麻痺させる芳香を散らした。結われたまま、乱れた髪が肩から鎖骨へと一房落ちる。掌で桃を転がす仕草に不安を感じた理由はその指の微かな震えを見て取れたからだろうか。灯りが揺れるほどに伏せった睫毛が落とす影を深める。表情は読めない。あるいは弄している企みも、窺い知ることができない。


やがて、愛撫するように、姜維は桃を指で拭った。触れるほどに産毛が寝かされ紅色が深みを増す。満遍なく触れ確かめる姿。それを何度か繰り返すうちに、不意に、指の腹に押された皮がずるりと剥がれた。


小さく息を呑む音が聞こえる。その表情を陰に隠したまま、剥がれた皮の纏わりつく親指を、姜維は果肉に食い込ませる。音を立て醜く潰れた果肉から汁が滴る。整えられた爪が外皮を突き破り果肉に沈む。熟しきった柔らかな果実は完成された姿を崩し、腐肉のようにその身をひしゃげてしまう。果汁は指から腕へと伝い、真新しい袖口を汚した。濡れた手首が月明かりに暴かれていた。


「ああ、ほら、だめだ」


抑揚も無く言い放つ自嘲。汚された白い指。姜維、お前は――、


込み上げ、喉に痞えた言葉を声にすることができず、ただ手のなかで温まった桃の皮を剥いだ。熟した果肉から抵抗も無く剥がれる外皮。潰さぬよう指を動かすが、僅かな力にも傷を深めるのか、果肉を顕わにするほどに桃は歪に形を崩していく。溢れる果汁が指の間を伝う。立ち昇る香りだけで舌に甘さが纏わりつく。


どうにも巧く動かせない、不格好な手元にひりつく視線を感じた。顔をあげると、桃を握り潰しかけたまま手を凍りつかせ、瞬きを忘れた姜維の双眸が黒く染まっていた。思わず、その視線から逃れた。痞えた言葉が喉を圧迫する。呑み込むように、歪んだ桃に歯を立て、咀嚼する。飲み損ねた果汁が服を汚す。固い種から果肉をこそげ、剥ぎきれなかった皮ごと嚥下する。味わう余裕も無く噛み下す。


体面など忘れ、甘さに舌を痺れさせつつ、無心に桃を食らった。そうすることしかできなかった。やがてひとつを食らい尽くしたとき、濡れた咀嚼音が耳を擽った。


窺うように意識を向けた視界の端に、果肉に這わされる赤い舌が映った。白い歯が薄い皮を食い破る。そうして姜維は、外皮も果肉も、或いは種さえ噛み砕かんばかりに、縋りつくように桃を食らっていた。果汁を吸い込んだ袖が重く手首に貼りついている。視線の行方はわからない。滴る汁が敷布にまるい滲みを落としていく。何ゆえかそれを涙と紛い目を見開いた。見やった目元は同情を拒み乾ききっていたが。



喉を鳴らして最後の欠片を嚥下する。深い息を吐き出すと、思い出したかのように荒い呼吸に喘いだ。手の甲でべたついた口元を拭う。汚れた掌で弾む胸元を押さえる。額から濁った汗が伝い涙のように瞳に沈んでいった。濃密に淀んだ芳香を煽り、昂った体温が空気を震わせ皮膚に伝わってきた。


姜維。漸く喉を越えた言葉はただ小さな名を紡ぐことしかできなかった。呼ばれるままに姜維は視線を交える。放心しているのか、無防備な表情が目に映る。何かを言おうと動きかけた唇が緩慢に噤まれる。姜維。再び名を呼び手を伸ばした。思案に僅か眉を顰めたが、静かに新しい桃を差し出してくる。触れた果実は先ほどよりもぬるく感じられた。漂う熱に反し、指先だけが変わらずに冷たかった。


己のためのふたつめの桃を手に取ると、姜維は舌先でその産毛を辿った。桃の紅色と赤い舌が交わる。視界をそちらに奪われたまま、神経を研ぎ澄ませ爪の先で外皮を剥がす。つられるように姜維も犬歯をやわく立て薄い皮を剥ぎ取っていく。果肉を傷つけぬよう目を細め、溢れる果汁を舌で舐めとる。煽情的だと錯覚した。怯えた瞳がそれを助長していた。居た堪れずに、視線を外した。


手のなかに果肉を晒す。先程よりは歪さを抑えられただろうか。それでも所々に残る指の痕を、隠すように歯を立てる。


舌が甘さに麻痺するほどに自分が何をしているのか思考までも鈍っていく。ばら撒かれた果実を消費する、この行為にどのような意義があると言うのか。現状に理解が追い付かない。分けてやると告げた、その相手がなぜ自分なのか。姜維は語ろうとはしないだろう。ならば。指を濡らして果肉を食む。いま垂れ流している感情は本心なのか。知ってやれば何かが変わるのか。結論は出ない。自分には無理やり絞り出すこともできはしない。


熟した桃。高級な果実。上質な生地に包まれたそれを、どのような顔でお前は受け取ったのだろうか。種が歯を掠める。どこまでもあまい桃。他人に与えるべきものではないだろう。聡明な頭はそれを知っているだろうに。なぜ分けねばならなかった。なぜ自分と分かち合おうと思った。言葉にならぬ問いを繰り返す。姜維、お前は、



「あ」


途端、声に、思考が止まる。聞き落としそうな声音の悲痛さに慌てて顔をあげた。小さな声は叫び損ねた悲鳴の最初の音なのだと感じた。


見ればすぐに原因は知れた。どこで誤ったのか、震える手のなかで無惨な桃が醜く歪んでいた。どうして、と。音を出さず唇が呟く。続く言葉を押し留めるように、血を吐きそうな歯軋りが響いた。呆然と青褪めていた頬が朱に染まる。溢れる感情は怒りや悲しみでは無かった。目を逸らしてやりたくなるほど、食い縛った歯が、顰めた目頭が、謀りを忘れ羞恥を晒していた。


喉を震わせて姜維は唸る。掌が乱暴に桃を潰す。飛び散った果肉は床まで汚し、拉げた実はやみくもに果汁を滴らせ、白んだ手首をどろりと舐めた。濁った眸が月明かりを拒んだ。濡れた袖の内に舌を差し込む。汚れた腕にそれを這わせ、へばり付いた残骸を啜る。赤い舌が呼び込む音が酷く下品に耳を撫ぜた。


腕、手首、掌から指へ。腐肉を食む獣のように音を立て、食らう仕草。


絞り尽くされ縮れた果肉を歯が断ち切る。頬を染めたまま余さず食おうとしている。薄紅の肉を咀嚼し、紅い芯に舌を差し込む。すべて食らえば恥が消えるとでも思っているのか。そんなものはまやかしだと、知らずにいられぬお前が憐れだ。歯を立てる。深く皺の刻まれた種が覗く。止まらずに姜維は桃を食らう。


姜維。違和感に名を呼んだ。姜維の瞳孔は桃に囚われたまま微動だにしない。嫌な音が響く。果肉を奪い尽くされた種になおも白い歯が立てられる。姜維、何をしている。応えること無く、固い種に無理やり歯を立てる。無謀な行為に呼吸が止まる。身動きができない。姜維、やめろ。届かない呼びかけは拒まれることすらない。酷く不快な音がする。白い歯に血が滲む。犬歯が殻を突き破る。砕けた種が口内に広がる。散らばる桃種。毒。


「馬鹿なことを!」


引いた血の気と共に呪縛が解けた。反射的に伸ばした手で顎を掴む。閉じようとする歯を抉じ開け指を捻じ込んだ。恫喝に驚き見開かれた眼。突き込んだ指の腹で舌を拭い唾液ごと散らばった種を掻き出す。首を振るって唸る頭を寝台に押さえ付ける。


されるが儘に動く体は、本当に種を呑むつもりは無かったのだと知らせていたが。えずく呻きを無視して喉の奥へ指を差し入れる。頬をなぞり歯肉を拭い、残った殻の破片を吐き出させる。顎を伝い喉から鎖骨を汚す果肉は唾液と混じり、甘さに乱れた奇妙な臭気を鼻につかせた。死にたいのか。問うた言葉には否定が返る。


ちがう、と。その言葉を口にしたとき、漸く姜維は視界に自分を映したようだった。見開かれた眸には込み上げた涙が膜を張り、今にも零れるのではないかと感じさせた。血と唾液に汚れた口元を拭う。長い指に喉を掴まれる。だが締め上げる力を込めようともしない手が不気味なほど冷たい。


身を乗り上げ、片膝をついた寝台が音を立てて軋む。傾いだ敷布に誘われ、桃がひとつ転がり、朱を帯びたままの頬に触れた。姜維は視線だけをそちらに向け。きつく目蓋を閉じると獣のように唸った。痛々しい声だった。慰めることもできず頬に触れる。同時にからとなった掌に気付かされる。手中にあったはずの自分の桃はいつの間にか落としてしまったらしい。傷の染みついた指に若干の果肉と果汁が纏わりつくばかりだった。



「どうにもならぬと知っているはずだ」


目を覚ませ、姜維。そうして何度目か知れぬ名を呼びかける。閉じられた眼に浮き上がる涙を零れ落ちぬよう拭う。指の腹で濡れた睫毛を確かめる。顰められたままの眉間に触れる。長く伸びた髪を掻き分け、汚れたままの手で額を撫でる。繰り返す、うちに、爪を立てていた冷たい指が喉仏をなぞり肌蹴た胸元へ落ちる。睫毛が震えた。怖々と目蓋を開く双眸。無防備な顔を月明かりが照らした。


眩しさに目を細め、姜維は細かい瞬きを繰り返す。一筋、溢れた涙を伝わせぬよう食い止めた。喘ぐように開かれた口内に赤い唾液が糸を引いた。白い歯を汚すそれを喉を鳴らして飲み込む。濡れた鎖骨から砕かれた種の破片が落ちる。無理に頬を歪め姜維は唇を動かす。胸を締めつけるその顔は、微笑んだ、つもりだったのだろうか。



――鍾会殿からいただいた。消え入りそうな声でお前は告げる。


知っていたと応える代わりに汗に濡れた髪を梳いた。袖が敷布を掠める。淑やかな音を立てて乳白色の美しい繻子が床へ滑り落ちた。初めからそれだけはわかっている。この部屋には勿論、自分にも、お前にも、似つかわしくない上質な絹地。


「美味しそうだろう。みたこともない。こんな芳しいあまい桃。柔らかくて簡単に潰れてしまうから、どうして良いかわからない」


たどたどしく続く言葉を頷いて促す。頬に触れる桃に、擦り寄る仕草は穏やかだった。


「……いただいたのは随分と前だ」


落とした声に耳を寄せた。べたついた指を姜維は握り込む。縋るような声音。甘い匂いに意識を囚われる。


「きちんと食べて美味しかったと伝えたいのに、どうしても食べられなかった。巧くできない。綺麗で、好い香りがして、眺めているだけならば大丈夫なのに。触れると手が震えた。ひとつだけ試したが皮を剥ごうとすると何処かが潰れてしまう。そのうち果汁が滴って腕に袖に机に、床にも垂れて部屋を汚してしまう。啜って齧り付けば良かったのか。あのひとはそんな食べ方はしないだろうに。迷っているとますます崩れてしまう。どうしても巧くいかない。はしたない部屋を誰に片付けさせれば良い。知られたくなかった。傷をつけて、食べ損ねた桃はすぐに腐ってしまった。それでもこれだけ残っていた。躊躇えば熟す。あまくなる。柔らかくなる。せっかくいただいたのに食べられもせず潰してしまう。巧くできない。うまくできない!」


その先は言葉にはならぬようだった。頭を振るう姿は記憶を振り払っているのか。癇癪を喚く子供のように、姜維はただ涙の無い嗚咽を唸った。かけてやれる言葉は無いか、思案するが頭には何も浮かばない。……鍾会殿ならばと、掠めた考えを打ち消す。正しい答えを導き出すほど、それは、此処でお前が一番聞きたくない言葉になるだろう。



昂った呼吸に跳ねる喉元に触れた。鎖骨に貼り付く欠片を払い落す。握り込んだままの手を捕らえ、開かせる。案の定、爪を深く食い込ませた掌。それでも熱を取り戻さない手をきつく引き寄せる。


甲から指を絡め、傷口に舌を這わせる。息を呑み込んだ音が耳元に響いた。滲み付いた桃の甘みが舌を占める。乾き、へばりついた果汁を余さず啜り上げる。痕を残すように強く吸うと、滲んだ血の味が傷口から広がった。外皮のこびりつく爪の間にも舌を這わせる。微かな指の震えを、抑えようと甘噛みする。微かな抵抗に込められていた力が抜ける。


なにをしているのかと、思う。だが先程の悲鳴がお前の本心ならば。乗せられてやろう、分けてやると身を預けた虚勢に。できないと震える指の助けになどなれん。だが共に余さず食らい尽くしてやることならば。指先を吸い上げ、舌を伝わせ手首に柔く歯を立てる。雲の切れ間に押し倒した皮膚が白く照らされる。想像できぬ表情には敢えて視線を向けなかった。果汁に汚され甘く浮き出た血管の筋をなぞる。


儘ならぬものを分かち合いたかったのだろう。ただその相手に、自分しか思いつかないお前が、憐れだ。


袖を捲り肘の内側に舌を這わせると、身動ぎした姜維に腕を掴まれた。訝しむが、抵抗はせず成り行きを見守る。導かれるまま腕を引き寄せられると、次は軋むほど手首を握られた。力加減ができぬのか、するつもりがないのか。


そのまま姜維は自由を奪った掌に唇を寄せる。擽られる感触に背筋を震えさせられた。重ねた行為をやり返すように舌を這わせる。僅かにこびりついた果肉を食われる。指の間を舐める舌が温かい。指の腹を啜られる。呑み込み損ねた唾液が手首を伝う。爪を舐められる。窄めた舌に指先を巻き取られ、途端、関節に深く歯を立てられる。痛みに息を呑む。思わず見やったお前が、挑発めいた笑みを無理に浮かべていた。



残滓を食らい尽くした手を解放すると、姜維は腹を抱えて大げさに笑った。引き攣った頬に触れる。絡む視線。双眸は光を取り戻していたが、歪さを隠しきれてはいなかった。恥ごと呑みこもうとしたあの桃のように。抑えたはずの羞恥が込み上げたのか、再び朱を差した頬。そこに寄り添う果実を手に取り力を込めて無理に皮を剥ぐ。濡れた中身が晒される。薄紅色の肉を口に含む。


「下品だと、野蛮だと、嗤われるだろうな」


自嘲と共に吐き捨てられた言葉を唇で塞いだ。そこに絶望が混じる前に塞いでやらねばと義務感に駆られた。舌で歯をなぞると抵抗も無く口内に招かれる。繋がった舌から唾液と共に甘い汁が落ちる。微かな血の味を濃密な香りが封じ込める。捩る身体を押さえ付ける。汚れた手を重ね合う。


噛み砕いた桃を、絡め取った舌に伝わせ流し込んだ。苦しげに喉が動き胸を弾ませ嚥下する。そのひとつを食らい尽くすまで、注ぎ込む行為を繰り返した。零れた果汁が敷布を濡らし、髪に絡まり、溢れた唾液がひどく身体をよごしていた。何処に触れてもべたついた寝台。芳香は熱に淀み息苦しさを増している。乱れた呼吸が猥雑さを煽る。



人ならばこれほど不様な食い方はしないだろう。獣ならばこれほど滑稽な食い方はしないだろう。だとすれば私達はなんだ、と、濡れた眸でお前は問いかける。桃さえまともに食えぬ痴態。ならば人よりも獣よりも恥ずかしい生き物だと釈明すれば良い。答えの代わりに果実を含まぬ口付けを絡める。


大きく軋む音を響かせ寝台に全身を乗り上げる。膝を割って組み敷いた身体、月明かりを受ける皮膚に芳香が滲み付いている。果汁に染まり体液に汚された項に唇を落とす。肌蹴た胸元を掌で弄る。逃れようともせず受け入れるお前が小さく微笑んだ。


あわれな男だと背を撫で、あまいからだを抱き寄せたとき、均衡を崩した寝台がぎしりと音を立てひときわ軋んだ。残されていた桃がふたつ、縁を転がる。咄嗟に伸ばした手は虚を掠めた。救い損ねた桃は床に叩きつけられ、醜い音を立てて潰れた。


紅色を散らし、ひしゃげ潰れたふたつの果実。


息を呑んだ体に冷たい手が縋りついた。背中にきつく腕を回される。姜維の視線は色を失い、まっすぐに落ちた桃へと向けられていた。歪む口元。ほらみろ、と。絞り出した声が心臓に爪を立てる。腕のなかで震える唇を噛み締める、お前は凍り付いた眸を見開き、ただ静かに、己をわらった。






[END]
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