受胎告知 | ナノ

受胎告知






開いた腹に幾ら指を差し込もうと子宮なんて何処にも無かった。



* * *



そんなものは見つかるはずがないのだとあなたは困った顔をしてみせた。あるはずのないものを追い求めても傷を増やすだけだと私を諌めた。それでも諦める術を知らない私が何度も転ぶ姿に歩調を合わせてくれた。躓くたびに撒き散らした泥を傍らで被ってくれていた。その眼がとうに冷めきっているのではないかと思うほどに、あなたの顔を見れなくなる私の名を、繰り返し呼びかけてくれた。


「幸せになってしまえよ」


けれども遠い場所であなたは笑う。その甘言に肯定は返さないから、もう少し近くに来てほしいと願う。警戒しないでくれ。その掌に触れようとは決してしないから。幸せにして欲しいなんて言わないから。


いつも私の傍に居てくれる優しいあなた。その関係が、泥道を走り続ける私でなければ成り立たないことを知っている。血を洗い落としたこの歪んだ指先にあなたはいつも怯えていた。だから証明に、槍を握る。安心してくれ、私の両手は塞がっているから。浴びた血肉を見せつければあなたは眉を曇らせる。晒される矛盾。筋道の立たない偽善に安堵する。恥ずかしい飯事遊びに依存し合う。


あまい、だらしない、記憶。



* * *



「あの国が憎いか?」


いいえ。中傷と共に幾度も耳を嬲った言葉に否定を返す。少しだけ動揺した。あなたがこれを口にするとは思わなかった。平素よりも強く眉を顰め、あなたは困った顔をしてみせる。節目となるだろう戦の前にこんな顔をさせてしまって、心が苦しかったけれど、この姿に謝る言葉を私は持ち得なかった。いま視線を逸らさないことだけが、あなたに伝えられる唯一の誠意だった。


「なら、世界のすべてが憎いのか?」


そんなことは無い。憎しみなど何処にある。憎悪に駆られて戦を重ねているのではない。これはすべて目的のための手段。私はただ……、知って、いるだろうに。誰より深く見つめてくれていたあなたがどうしてこんな質問をするのかわからなかった。強張った頬を爪先が掠める。どうして今になってその掌を無防備に晒すのかも、わからない。


気付かぬ素振りを徹した。これが慰みなのだとしたら、酷く冷淡な惑溺の切り上げだった。戯れの終わりに現を抱えさせられる。わからないのではなくて、わかりたくないのだろうと、その重みが私を苛んだ。立ち去る痕を残してもくれない。積み重ねた均衡を最後に音を立てて壊してしまうなんて、ずるいひと。


「知らずにつく嘘ほど哀しいものは無いよ。それぐらい、教えてやれば良かったかな。……大丈夫、火は俺がつけてやるから、煙を見ながらあの最後の砦で考えてみるといい。いつかお前がこの約束を心から後悔することを、願っているよ」


それが別れの言葉になった。これですべてが終いだった。死の淵にあなたは私を思い出さないだろうから。


遠い場所で燃えるあなたの狼煙は爛れた死肉の臭いを私に届けてくれるのだろうか。寄り添い歩む真似事はできても、共に生きることは叶わなかった。やさしい呪いを肌に刻む。誓いがまたひとつ肩に圧し掛かる。槍を握った。膝から崩れてしまわないように。無いものねだりではないと証明できたら、悔やみ方を知らない私を許してくれる?


走り続ける理由を増やす。あの男の血肉に染まれば、震える手足もきっと温まる。



* * *



詰まった内臓をすべて掻き出して空洞を作ってやったなら、そこは何かをおさめる場所になり得るだろうか。ほんの小さな部屋さえ持たないこの体。おまえは独りだと揶揄される。ひとりぼっちだと嘲笑が聞こえる。屈するものか。鼓膜を潰す代わりに腹の奥へと手首を捻じ込む。



* * *



「なにか欲しいものは?」


冷静を装って、けれど真剣に問いかける声が耳の奥を熱く滴った。膝から下にこびりついた泥が乾かされ剥がれ落ちるばかりの夜に、あなたは繊細な指をこの手に絡めてくれた。綺麗な指先だと思った。人の脂に汚れたことの無い手。腐った肉を掻き分けたことのない爪。私の指にはどう見ても不釣り合いで、それでも逃げ場を奪うほどに強い力で握られたことに、心がざわめいて仕様が無い。


促されるままに開こうとした口を、しかし脳裡に刻まれた言葉に塞がれる。もはや記憶のなかにしか存在しない声が喉を撫でた。視線を伏せて口を噤む。折れそうなほど手を握られる。骨と骨の継ぎ目が砕かれてしまいそうに痛んだ。あなたは飯事ができない人なのだと思い知らされた。やめてくれ、この手を壊されたら私はもう槍に縋れない。こんな醜い指だけを残してどうすると言うのか。


鎖骨に歯を立ててあなたは問いかけを繰り返す。私の体に傷を増やして答えろとせがむ。耳慣れた口上を囁かれる、私はすべてを手に入れる、と。


「だから、」


逃げた視線を捉え、覗き込む眼。――どうして? その双眸がこれほど私を射貫いていなければ、傲慢と切り捨てることもできただろうに。優しい顔を見せられたら理解してしまう。その言葉が誓いなのだと気付いてしまう。縋りたくなった。あなたに縋って慟哭することは幸せなのかも知れないと感じた。まっさらな掌に汚れた私を擦り付けたい衝動に駆られた。


けれどそれは許されないと知っているから、嗚咽を呑んで唇を噛む。舌打ちが聞こえた。骨が音を立てて軋んだ。もう触れないでくれ! 触れるな! 込み上げる悲鳴の代わりに力任せにあなたを突き飛ばした。声を出したら崩れてしまう。交わした誓いを嘘にしてしまう。妥協は決して許さないと、夜の空から影が落ちる。ひかりが私を責め苛む。


怯える私は滑稽だろう。嘲笑えばいい。わらってくれ、そうすれば、あなたを軽蔑できる。


稚拙な拒絶を、鋭い双眸に見据えられる。惨めな私を真正面から覗かれる。動けなくなる。伸ばされた均整な左手に顔を掴まれる。頬に触れる掌。逃れなければと焦る心を、体が裏切った。指の腹に睫毛を撫でられる。瞬きすらできなくなる。視界があなた以外を映さなくなる。


「目を醒ませ、お前の国はもう滅んだ」


残酷な言葉と共に、燃え盛る痛みが頬を襲った。見やったあなたの爪には血肉がこびりついていた。醜かった。きたなかった。汚れを知らない綺麗な指先はもう何処にも無かった。髪を掴まれ体を引き寄せられる。剥き出しの傷口に頬を寄せられる。細い睫毛に首筋を擽られる。強く、骨が軋むほど強く、抱き締められる。優しい影が私からひかりを遮った。促されるまま、あなたにすべてを預けた。


気が付けば、力が欲しいと叫んでいた。折られた足で走る力が欲しい。あの男の首を落とす力が欲しい! あるはずがないと言われた私の欲しいもの。手にするために、まずは世界を奪おうよ。微笑んで頷くあなたの頬が血と脂で真っ赤に染まっている。



* * *



手に入れたすべてを撒き散らかして、そこから幸せをさがしてみようか。それでも駄目なら一緒に不幸になろう。底なし沼に突き落とされても、あなたのこの手を離さない。


「好きなだけねだればいい、お前の欲しがるすべてをくれてやる。あの椅子を得るために採るべき道はひとつしかないのだから。日を食らおう。星を落とそう。世界のすべてに膝を突かせて、お前の天命を塗り替えてやる」


滾る血潮が、癒えない傷から赤く滲む。爛れた頬を汚れた指に愛撫される。はち切れそうに膨らむ野心には希望という名を付けようか。花も咲かせず結実する、歪な夢を二人で育てる。



* * *



場所が足りないならこの体の内側すべてを差し出すから。肉を食んで棲処にしてくれ。羊水の代わりに血液をあげる。それでも狭いと不満がるなら皮膚を食い破ればいい。どれだけ痛くても私は微笑んでいるよ。貪欲に広げた虚を残さず胎内にして良いから。


だから、此処に居ておくれ。



* * *



澄んだ瞳孔に思い切り鞭を打ち付けてやった。惨めなものを見るようなその眼がどうしても耐えられなかった。私に負けたくせに。私達に負けたくせに。縄に縛られ牢に繋がれ死を待つしか無いお前がなぜ私を憐れもうとする。高みから憐憫を振り撒いてやるのは私の役目だ、お前には許さない。私の道を何度も閉ざしたお前。そのお優しい顔にずっとあの男の真似事を唾棄してやりたかった。


「諦めろ。お前は王にはなれない」


痛みに呻くことも無く絞り出された声は明瞭だったが、見当違いの忠告に腹を抱えて笑ってしまう。肉を露出した傷口から涙のように血が滴っている。悲劇の名を冠した滑稽なそれを指に絡めて舌で舐めとった。その苦さにひどく愉快な気持ちになった。


王は私ではない。そう、口をついた声の高らかさに自らが驚かされる。お前は何を勘違いしている、私は私の王を見つけた。私の血潮で泳ぐ美しい魚を捕まえた。私を失くせば肌を焼かれ窒息してくれるあの人を手に入れたのだから!


「……余計に、性質の悪い妄執を飼ったな。それでもお前は独りなのだと何故気付かぬ。幸福ならばその足を止めて謳え。さもなくばお前は最後まで、なにも得られず朽ちることになる」


穏やかな声音でいやに饒舌な呪詛を吐く。溢した舌打ちには溜息を返された。その諦念に混じる悲哀が皮膚の内側を掻き毟った。腕に爪を立て己を抱いた。忘れたはずの寒さを思い出していた。焦燥に呼吸が震える。体内で激しく脈打つ衝動を抑える術がわからなくなる。


霞む視界を堪え、その場に蹲る。潰したはずの眼にこの姿を見られている気がして、声を殺して唸った。やめろ。お前に気の毒がられる道理は無い。睨めつけた視線を甘受される。羞恥に熱る顔を骨張った甲で拭う。その陰から、目蓋を震わせ幾度も頭を振るう仕草を、目を逸らせずに見つめ続けた。赤い涙の顔をして、濁った血がお前の頬を濡らした。乾いた唇が静かに言葉を紡いでいた。


「けれど自分は、焼べる滅びを慈悲だとは思えなかった」



* * *



瞬きを忘れ空を見上げていた。戦火の立ち消えた暗い夜に煌々と星が輝いていた。動くたびに後ろ手に打たれた縄が食い込んだ。きつく轡を噛み締めるたび頭蓋が鈍く軋んだ。踏み締めるほどに砕かれた足が酷く痛んだ。けれども、立ち止まるたびに流星が散った。夜空を裂いて光が落ちた。誓いを立てたあの場所から私を嗤う世界へと、燃える礫を投げつけて下さっているのだと、信じた。


「絶望の仕方を知らないのか」


背に浴びせられた問いかけ。冷たい言葉を緩慢に振り返り受け止める。聞き飽きたお前の声だった。夜空を背負う顔は闇に紛れ、表情を知ることができない。それでも瞳が情けを投げかけている心地がして、不快感に目を閉じた。絶望なんてするはずがない。瞼の裏の暗やみにも無数の星は輝いているから。このひかりを遮るものなどありはしない。だから、私はまだ闘える。お前には教えてやらないけれど。


……それが、国を壊された日の記憶。


天命に、反旗を翻す前の晩、落ちた成都を夢にみた。


遠い日の残滓。あのとき返事を拒んだ問いかけの答えは随分変わってしまった。あの夜、知りたがったこと、今なら微笑んで教えてあげるのに。死に寄り添うお前の幻に向けて、声を立てて笑う。体が熱を帯びていた。燃え盛る炎が身の内を焦がしていた。吐き出すように笑った。喉が裂けて血反吐に噎せようと、私を見れぬ幻影に腕を伸ばして、一晩中笑い続けた。



* * *




そして、すべての渦中で微笑むあの男に嫉妬する。




* * *



「滅ぼすことが、慈悲なのだ」


冷徹な声で私を生かした残酷な裁き。


天命に愛でられ大陸を侍らす美しい王よ、お前の居場所が欲しくて堪らない。私を愚弄する輝く玉座。譲れなどと下手に出て乞うつもりは欠片も無い。剣を持て。刃を向けろ。戦をしなければ。奪い取らねば気が済まない。衣を剥ぎ冠を砕いてその椅子を私に寄越せ!



私はね、叶うことなら孕めるものになりたかった。からだのなかに居場所が欲しかった。ご大層な願いではなくて。小さな部屋でよかった。空の見えない城でもよかった。もう大丈夫だと柔らかい肉を差し出して、優しく温かく包み込む力が欲しかった。弱くても惨めでも、此処に居ても良いのだと証明してあげたかった。天命に見捨てられても、世界に見下されても、生きることをやめられない心をゆるしてあげたかった。


居場所をください。価値をください。お願いだからこのからだをひとりにしないで!


腕をもがれようと、足が千切れようと、駆けることをやめられないほど欲しいものは、ひとつなのに。存在しないと憐れむのか。無謀な欲だと蔑むのか。諦念こそ正しいと苛むのか。けれど諦められるはずがなかった。ならば私は、私を嘲るすべてにこの槍を突き立てるしかない。



慈悲を振り翳す憐憫の王。お前の居場所を奪ったら、そこに私の王を座らせよう。甘美な光景に希望を馳せる。飛び散った肉を片付けて血溜まりの王座を丁寧に拭うから、この腕で包み込むことを許して欲しい。知略を費やし策謀を廻らせ、幾重にも血の壁を編んで、このからだであなたを守るよ。だから誓って、私のなかで世界を統べて。あなたを誰より大切に孕むから、希うことを認めてくれ。


どうか知っていて、私が欲しいものはたったひとつ。


泥に汚れ灰に淀んだ血肉の海にあなたを泳がせる。愚かな私に赦しをください。






[END]
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