褥に紅 | ナノ

褥に紅
※『幸福欲』06






途方も無い凍えに目を閉じた。寒いと不満を溢すたび幾重にも与えられた絹の敷布には汗が染み込んで不快に肌に吸い付いてくる。埋火のように熱を隠した体は、本当は酷く熱いはずなのに。誰もいない部屋、ひとりきりの寝台の上では、無防備な姿のまま雪の中に置き去りにされている心地がする。寒い、けれど。この雪には覚えがあった。まだ無防備に生きることを咎められなかった頃、あの淑やかな、東興の白雪だと感じた。


「あにうえ」


暗やみに愛しい人を呼びかける。手を伸ばしても何処にも届かないと知っていたけれど。分かっている、俺はもう独りなのだ。あなたが居て下さるならこの雪に凍えるはずがない。帰り着く場所をあなたはいつだって用意してくれた。元姫の肩を抱きながらあなたの庇護のもとに身を寄せる感触が俺は何より好きだった。天はどうしてあなたを奪ったのだろう。悔しいな。あの忌々しい天命に一矢報いることもできないまま、死の淵に佇んでいる自分が疎ましい。


唇を噛んで寝返りを打つと、湿った敷布に擦れた肌が悪寒に震えた。寒さは増すのに体の内側は渇いていくようだった。目蓋の裏に記憶に焼き付いた顔が浮かんでは消える。自らの手で屠った死者たちの顔に怯えることは無いが、彼らが一様に佇む真っ暗な場所が哀しかった。生をうけていた間さえ暗がりの中で生きていた彼らが、死してなおそこから逃れられない姿が、憐れでならない。


俺もこれからそこへ落ちるのだろうかと思い、それは仕方の無いこととしても、あんな場所に元姫を連れていくのは嫌だと眉を顰めた。大切な彼女には鮮やかな若葉が似合うのに。死出の途には澄んだ青空が欲しいと願う。元姫の髪がゆったりと靡くような、穏やかな風に包みたいから。傍らに彼女が居ない想像はしなかった。何が待ち受けていようとも、すぐ隣に彼女がいることは確信していた。これからもこの腕で彼女を守り続けられると思うと安心する。本当に大切なものは、自らの手でしか守れないと知っているから。


「さむい…なぁ」


降り積もる、見えぬ雪の気配を睫毛に感じる。死者の記憶が徐々に死を望まれた記憶に移り変わる。それは両の指を合わせても到底足りない数だった。燃えるような憎悪の顔。死を与えようとする彼らの気配はどれも熱さに染んでいて、けれど、幾ら過去を辿ってもその火が俺の裾を焦がした記憶は一つしか無かった。燃え盛る寿春のあかい城。閉じた暗やみに種火がともる。痛いほど手を伸ばした。あれが欲しい。あの炎ならばこの寒さを打ち消すこともできるかも知れない。


なあ諸葛誕、誇ると良い。あれほどの熱で心中をせがんだのはお前だけだった。


溢した名の熱さに雪が揺らいだ途端、千切れそうな腕の向こうに懐かしい姿が見えた気がした。忘れるはずもない顔立ちを、斜め後ろから追い求める。何処までも遠くに居座る横顔。こっち、見ろ。その炎が欲しいんだ。なあ、お前を追いかけて縋る俺なんて、嫌だろう? 静かに笑ってやれば、一筋すら乱れることの無い髪が闇に溶ける。振り向いた顔。昔と変わらない感触で視線に肌を撫でられる。なにお前、未だに仏頂面してるのか。まるで埋火だ。外面を取り繕うほどに身の内では臓腑を融かす血を滾らせている。


あたためて、と、あまい声を出してみた。手を伸ばすことはやめた。当然のように歩み寄るお前を疑いもせず待った。雪はすっかりお前の足取りを伝える水音に姿を変えていた。寒さは何処かに消え去って、代わりに背骨が甚く疼いた。襟を寛げて熱を欲する。お前のにおいを思い出す。腕を伸ばせば触れられる距離を、堪える快楽。


待ちわびたと言わんばかりにお前の眼は輝いたけれど。ただいまも、おかえりも言ってやらないよ。尾を振る狗を迎え入れる言葉なんて知らない。睦言が欲しいなら口説いてごらん。気取った台詞はいらない、いつものように中身をぶちまけて欲しい。凍えて燃えて大紅蓮。俺にくれないを見せつけて。噴き出した血色の熱を纏う、お前の焔に溺れてみたい。






[END]
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