もう一度 | ナノ
 



 質問をします。
 貴方にとって私はなんでしょうか。

 その答えを彼は曖昧に誤魔化そうとしていた。
 言葉なんかに表せるわけがない、と。
 形が無いものを例えるために言葉はあるのに、それすら拒んでしまわれては私も参ってしまいますよ。
 だから―――















 一度目を覚ました。時計を見ると、日付こそ変わっていたがまだ夜中の2時だ。まだ睡眠時間は2時間余りでしかない。
 勿論今から起床するつもりがないので再び枕に頭を置いて毛布に包まりながら眠りがやってくるのを待ってみるが、それを妨げる存在がやってきた。
 どんどん、と大きく扉を叩く音が響く。夜中で周囲の街音など消えている中でそんなに激しく叩かれてしまえば直ぐに誰かから苦情が来てしまうではないか。
 慌てて毛布から身体を出して扉のドアノブに手を掛ける。

「ああ、よかった起きてたね」

 外の空気と共に侵入してきたのは、乱歩さんであった。彼は普段通りの格好と少し酒の匂いを合わせながらも遠慮なく上がり込んでくる。家の主である私はまだ一つも了承していないのに。

「…お酒飲んだんですか?」
「僕は飲んでいないよ。少し警察等が食事を驕ってくれると云われたからその誘いに乗ってただけ。僕の家よりも太宰の家が近かったから来ちゃった」

 来ちゃった―――なんて可愛い声色を使われても困りますよ。乱歩さんは一体私を宿屋だと勘違いしているんじゃないのでしょうか。
 しかし宿屋であればもう少し遠慮というのものを身に着けているものか。現に今彼は寝起きの私など放っておいて冷水を冷蔵庫から取り出して飲んでいるのだ。また私の了承など訊く事無く。
 しかしこんな時間に人の家に上がっていくなんて乱歩さんは野良猫のようなことを誰にでもしているのだろうか。そうだとしたら少し不安になる。
 ただ、不安になるのは勝手であるがその行動を私は術など持ち合わせていない。

「……ああ、ひょっとして寝ていたんだ」

 乱歩さんはすっかり喉を潤してひとしきり満足感を味わい、漸く部屋の有様を確認してくれたようだ。

「いえ、寝つけていなかったので話し相手が出来て丁度良かったですよ」

 そう云って笑みを作ってみるが、それが彼に届いているとはとても思えなくて虚しくなるだけであった。
 こうして来訪してくるのはもう何度もあることだ。電話でも前もって連絡してくれればまだ多少は宿屋らしい接待を出来ただろうに、と最初は突然の来訪にドキドキしていたが、今ではその緊張すらも無くなってしまった。馴れてしまえばそんなもの消えて行くのだ。

「警察たちも僕が仕事をしてしまったからすっかり時間に余裕が生まれてしまったなんて笑い話にしていたよ」

 彼は眠気など一切無いらしく、昼同様のテンションを持ち込んで話始める。

『眠くないんですか?』

 前にそう訊いたことがあった。彼は寝る為の宿として活用しているのだと思っていたので布団も整えていたのだが、それは一切使用されなかった。

『今眠くないから誰かと一緒にいたくなるんだよ』

 その誰かに私が当て嵌っているというのなら大変名誉だ。仕事を終えて帰ってきた途端に一人になり虚しくなる気持ちは一人暮らしをしていれば判る。明かりも温もりも消えている家に黙々と入っていくと寒暖差を突き付けられて寂しくなる。その時、誰かがいてくれれば賑やかで楽しいのだろうと想像したこともある。まさに乱歩さんはそういう感情を持っていたから私の元へ来てくれたのだろう。
 それが判るから、夜中の来訪客を許してしまっているのだ。厭だと拒絶してしまえばきっと彼は引いてしまうだろう。そういう人なのだ、乱歩さんは。きっと顔色変えずにそのまま姿を消してしまうに違いない。

「先程までの宴会は楽しかったのですか?」
「まあ楽しかったよ。もう何度も事件の場で立ち会っている人たちだったからね」
「そうですか」

 乱歩さんの事件現場に共に立ち会うことは滅多に無い。仕事自体一緒に行動するなんて組み合わせは無い。大抵私の隣には国木田君が喚きながら並んでいるのだ。だから彼が私の知らないところで誰かと仲良くしていても不思議では無い。
 自惚れるな。彼がここに来ているのは、人が欲しかっただけなのだ。

「その人たちは乱歩さんにとってきっと大切な人たちですね」
「うーん、仕事において繋がりは大事だからね。大切なのかもしれない」
「…じゃあ、私は乱歩さんにとってなんでしょうか」

 乱歩さんは「え」と短く発した後にこちらをじっと見てくる。驚きで目が大きく見開かれた。それから下を向いて一人黙って考え事をして沈黙を作り出した。そんなに即答できない話を振ってしまったのだろうか。

「ごめんなさい!そんなに考え込まなくてもいいです」

 彼が困っている様を見たくない、と思っていたが違う。本当はそこまで悩ませてしまった後に何が出てくるか判らず怖くなったのだ。沈黙は本音を隠すための時間なのかもしれない。もしかしたら乱歩さんの中で私の存在など枠に嵌めるに値しない状態だった可能性もある。結局訊きたくない自分を守ってしまったのだ。

「………太宰は、一人だけだよ」
「………?」
「こんなこといちいち口にする必要ないだろ!」

 突然顔をあげて大きな声を出してきた。その時の彼の表情は、先程まで下を向いて見えなくて想像していた困った表情とは違い、林檎の様に赤面していた。

「私はちゃんと口にしてもらえないと判らないですよ」
「……う、でも……」

 それでも云いたくない、と彼の唇はきつく噛みしめられてしまった。互いに壁を作っていたのかもしれない。どこかで予防線を引いて安全圏を守っていたのだ。
 その壁を壊してしまったのは私が先で、乱歩さんを抱きしめて胸の中へと押し込む。

「乱歩さん、云ってください」
「無理、苦しいもん……」
「だって乱歩さんは自分の都合で何時も姿を現すじゃないですか」
「ちゃんと誘った時に断られたら恰好悪いだろう!それなら夜中に無理やり押し入って有無を云わせないで会いに行けばいいかな、と思って」

 乱歩さんの考えは飛躍的ですよ。

「私にとって乱歩さんは気を許せる存在です。だから貴方にとっても私が気を許せる存在になって同じ気持ちになってくれればいいなと思っていますよ」
「………多分、同じだよ」

 胸の中で彼がもぞもぞしながらも話してくれる。
 きっと彼はこのまま言葉になどしてはくれないのだろう。逃げてしまうのだろうから、せめて身体くらいは捕まえておかないと。
 よりいっそう強い力で乱歩さんを抱き締めて心臓の音も彼に伝えていく。

「僕の中で君はいっぱい役目を持っているよ。大切なんかでは云えないぐらいには。だから、これで勘弁してくれ」

 勘弁してくれ、とはどういうことかと疑問に持っていると衣服の背中に少しだけ皺が作られる。ぎゅっと握られる手は乱歩さんのものだ。彼が腕を回してくれた。

「それじゃあ、名前をつけましょうか」
「……名前?」
「私たちの関係に名前ですよ」

―――恋人、なんて如何でしょうか。








 もう一度質問をします。
 その時貴方はきちんとそう答えて下さい。