手をつないで | ナノ
 



 俺が乱歩と出会って早1年。今まで孤高の存在として他者と距離を取っていた自分としては、突然隣に人―――それも子供が添ってくるとは夢にも思っていなかった。だからこそ、今一つ距離感を掴むのが難しくて何時も試行錯誤しては、失敗をしてしまう。

「ねぇねぇ、福沢さん!ちょっと歩き疲れたよ。何処かで休憩したい!甘い物が食べられるところに行こうよ」
「後少しの辛抱だ。そうすれば仕事場に着く」

 今は乱歩と共に事件を解決した直後。徒歩でのんびり歩いて帰ろうとしたのだが、乱歩はそれがどうしても苦痛だと往来の場で嘆く。

「少しってどれ位なの?」
「………」

 乱歩は隣で俺の袖を思い切り引っ張る。口論を続けていくうちに、段々と強く引っ張り始めて、自身の身体の軸が揺れ動く。

「……そんなに煩いなら置いて行くぞ」

 少しきつめに言葉を投げると、乱歩は袖から手を離した。漸く理解してくれたのかと内心ほっとしていたが、それは間違いであった。

「……じゃあ、いいよ」

 理想としては大人しく後ろからついてきてくれると有り難かった。せめて文句を云い続けても歩き進んでくれるならば譲歩してこちらも文句を訊き続けようと思っていた。
 しかし、乱歩はそこから動かないで立ち止ってしまう。

「じゃあね」
「……乱歩っ!」

 一言だけ言葉を捨てて行った乱歩は踵を返して横道へと姿を消して行ってしまったのだ。売り言葉に買い言葉。あまり考えずに口に出してしまったから、乱歩がそれを真に受けてしまうとは考えもしなかった。
 そこで直ぐに自身が振り返らなかったのは意地だ。
 此処で乱歩を追いかけてしまえばきっと自身の放った言葉が負けてしまうと感じていたからだ。何時までも乱歩の云う事に全て了承していては、きっとあの子供が駄目になってしまう。―――そう、これは教育なのだ。
 とはいえ、このまま一人で帰れる筈の無い乱歩を置いて行く事も出来ない。電車やバスなどのものを利用する知識を持ち合わせていない彼を始めてきた地へ野放しにするのは非常に危険だ。

「………」

 立ち止まったまま後ろを振り向いてみる。
 しかし乱歩がこちらに戻ってくる気配など全く感じられなかった。彼が何処か電柱に隠れて様子を伺っているのではないかと注意深く周囲を見渡してみるが、その可能性も無い。

「…乱歩は金を持っていない」

 乱歩の金銭は共に出掛ける際には全て俺が管理をしていた。目を離すと直ぐに横道にそれて自由行動をし始めるからだ。
 今までの推測からも遠出が出来るわけでは無い。だとしたら、きっと乱歩は寄り道をしているのだろう。大方、俺が迎えに来るのを待っているのだ。
 そんな呑気な心持ちをしていると、徐々に歩いている人々が一つの場所に注目をし始める。
 ざわざわと小さな騒動を作っている。其処に自身も遠巻きながら確認をしてみると、その中心になんと乱歩がいた。
 まさに彼がこの周囲の人を集めた張本人なのだろう。

「……なんだよっ手前!」

 柄の悪い男が乱歩の向かい側に大股開いて立っており、彼に対して大きな声を出している。真逆、また乱歩が人を逆撫でさせてしまったのではないか。
 甘味店の前で喧嘩をしており、店側としても困惑しているのか、店員は乱歩の背後に隠れながらも、注意をしている。乱歩に引き下がる様に指示しているのだろうが、乱歩はその人に耳を傾けはしない。目の前の男に一言。

「正直にレジの金を盗んだって白状した方がいいと思うよ」

 乱歩は彼に指を刺して云う。きっと彼が云っているのだから間違いないのだろう。名探偵の力が確かであることは俺が間近で何度も体験をしており、乱歩の発言が虚言では無いと確信していた。
 きっと店の金を盗んでしまった彼は、乱歩によって大騒動にされてしまい、逃げられない状況をどうしたらいいのか必死に悩んでいるのだろう。相手が混乱しているのか、身体の震えを抑えられないでいる。
 何か厭な予感がする。
 その予感は秒単位で次の瞬間的中してしまう。

「……この野郎!」

 混乱している男は、乱歩に目がけて突進をして体当たり。乱歩は直撃してしまい、背中を地面に打ち付けてしまった。
 彼は推理力こそあれど、運動力はあまり高くは無い。ましてや自身の様な護身術を持っていないので簡単に男にのしかかられてしまう。

「ぅっ……ぐぅっ」
「いいか、手前ら!警察にでも連絡してみろ!この男が如何なるか判るだろう!」

 男は乱歩を人質として周囲の野次馬相手に大きく怒鳴る。
 その彼はきっと咄嗟の出来心からきた犯行だったに違いない。だからか、意外にも彼自身に隙は多くあり、直ぐに背後に回って彼の服を掴んで、乱歩から離す。距離を取らせる為に地面へと放り投げると、男は簡単に尻餅をついて固まった。
 きっと俺の存在など予想もしていなかったのだろう。野次馬らを見事固めて乱歩を人質にとって仕切り直しに掛かっていたのだ。その時間を与えないで直ぐに行動に移したのは幸いだったのだろう。

「かはっ……ごほっ…」

 乱歩は苦しさから解放されて、呼吸を無理矢理整える。店員は直ぐに警察に連絡を入れて事の全てを簡潔に報告をする。だが、その隙を狙って男は盗んだ金を置いてさっさと逃げ走ってしまった。

「……彼奴っ」
「大丈夫だよ。あの男は1時間もすれば捕まるよ」

 乱歩は自身の背中をぽんぽんと数回叩き、汚くなってしまった衣服を簡単に掃除する。地面についていた砂がついてしまい、汚れてしまっていたが、それよりも俺としては乱歩の身体の方が心配であった。

「無事か」
「うん。まあのしかかられるとは行動力のある男だったよね。もう少ししたら危なかったけれど…」

 乱歩は平然と俺に向かって話すが、この男よりも自身の方が遥に怒りに満ち始めていた。あの男が苦痛を与えていた時の乱歩は少し焦っていたのだ。呼吸が自由に摂れなくなり、身動きも出来ずに、顔色が悪くなっていく様。
 そんなものを間近で見せられてしまえばこちらとしても怒りを抑えられる筈が無かった。
 たった1年でも乱歩は今までで最も近しい存在となっているからだ。

「勝手な行動をするな!」

 怒りを何処にぶつければいいのか。上手く表現する事が出来ない俺としてはへらへらしている乱歩に向かって怒声をするしかなかった。

「え、だって福沢さんが置いて行くって云うから」
「だからと云って俺の見えないところで勝手なことをするな。事件を解明した時に、犯人が如何いった行動をするかは想像していただろう」
「そうだけど、でも福沢さんが来てくれるって判っていたんだよ」

 乱歩は俺の苦労や焦りなどきっと判ってはいない。この先も判ってくれる筈が無い。最初に出会った時も、銃を恐れずにただ俺の登場を待っている男だ。
 先が見えているから自分が大丈夫だと思っているのだ。

「………」

 この場を直ぐに去ろうと思った。
 このまま二人で不毛な発言を繰り返していたところで何も変わらない。野次馬は面白がって囃し立てる始末だ。
 ぐいっと手を掴んで足早に元の道へと体勢を戻す。

「ちょっと、福沢さん!歩くの早いよ」

 乱歩がてとてと、足音を何時もよりテンポを速めて動かしている。

「痛いっ!福沢さん!足疲れた!」

 段々と力が入ってしまったのだ。手を握る力が。

「ごめんなさいっ」

 ぴたりっその言葉を訊いた途端に自身の足が止まる。
 唐突にブレーキを踏んだものだから、乱歩も驚いて背中に頭を打ってきた。

「……ごめんなさい。福沢さんがそんなに怒るなんて思っても居なかった」
「なんで怒っているのか判っているのか」
「判っているよ。福沢さんを頼りにして解決してくれると信じていたからでしょ」

 判っているのか、判っていないのか。
 そっと手を離して、向き合う。
 まだまだ子供だ。1年の間に多くのことを学ばせて知識として与えてきたが、それでもこの少年は相手の気持ちを思いやる力が欠けている。
 如何して怒っていたのかなんて。

「乱歩、お前がああやって事件に巻き込まれると心配になる。事件を野放しにしておけとは云わない……」
「……うん」
「だから―――」

 だから、と云った後に。自分が何を云いたかったのか思い浮かばなかった。一杯云いたい事があるのだ。乱歩に自身のあの光景を見た時の心境を。それを上手く言葉に出来ないでいると、乱歩が手を握ってくる。

「もう、福沢さんの傍から離れない。それならいいでしょ?」

 上目遣いにこちらに願ってくる。眉が下がり、彼が叱られたことでしょんぼりとしている様を見せられてしまえば、それ以上何かを責める気になれなくなってしまった。
 全く、随分と甘くなってしまった。
 しかし……

「乱歩、もう離れるな」

 手を握り返す。
 こうして握って手から繋がりを作っておけば、きっと怖い思いなど作らなくて済む。
 そして自身も胸が痛むことも無い。
 これでいいのだ。
 ぎゅっと握り、これからはずっとこうして握って歩いて行こうと決める。







 その数分後に、乱歩に引っ張られて寄り道だらけになり、後悔するのはまだ後―――