溜息と共に | ナノ
 


『…え、デート?』
「そ、そうである…。その、二人でまだ出かけたことが無かったので良ければ明日にでも二人で出掛けてみないかな、と…」

 段々と尻蕾になっていきながらも、電話の向こう側に居る相手に向かって伝えていく。顔が見えない分、相手の反応が判りづらく、非常に緊張してしまう。

『明日…善いよ』
「……ほ、本当であるか?あの、乱歩君が遊んでくれるというのは本当に現実で間違いないのか?否、実は目が覚めたら無かった事になって居たり…」
『…ふっ、何それ。君が今を夢だと思うのならほっぺでも思い切り引っ張るといいんじゃないか?最も、それで痛覚を感じられなかったら夢だと諦めた方がいいよ』

 それだけ残して、乱歩君は直ぐに電話を切ってしまった。
 取りあえず、彼が云っていた様に右頬を引っ張る。

「……痛い」

 左も試しに引っ張ってみるも、矢張り同じ反応であった。赤く染まってしまった頬は確かにこれが夢では無いということを証明してくれた。
 つまり、明日は乱歩君とデートが出来るのだ。
 実際にはスキップが出来ないので、心の中でだけスキップをして、直ぐに明日着ていく服装を考える。何時もよりも人ごみに紛れても浮いてしまわない服装の方が乱歩君もきっと一緒に居て困らないだろう。とはいえ、部屋のクローゼットを開けても特に見栄えのいい服など持っているわけが無かった。自分が着用する服を前にして崩れ落ちる我輩は、晴天で誰も彼も照らしてくれる太陽の前に出る事を決意する。











 次の日。待ち合わせ時間の1時間程前。
 既にその場に辿り着いてしまった我輩は、道中の人を観察する事に集中していた。面白い推理小説が描ける材料として何か得るものがあればいいな、と髪の毛に隠れた目はきちんと左へ右へと動いていた。
 不審な行動だと思われぬように建物の陰に潜んでいるうえに、昨日何時もよりもカジュアルな服装を購入してそれを着用しているため、間違いなく通報はされないだろう。服装を変えただけで少しだけ胸を張れた気分でいる我輩であったが、それは直ぐ正されてしまう。

「………え」

 乱歩君から電話が来る。電話が来て、そして出て。こう一言。

『今日、約束の時間に間に合いそうにないんだよね。どうにも事件が長引いてしまって、中々返してもらえないし、退屈だし…全く今日はいいところ無しだよ』
「…あの、我輩なら気にせずに何時でも待っているから、終わり次第でも構わないのだが…」

 時間を確認する。建物に備え付けられている時計はまだ午後1時を指示していた。

『でも僕の仕事何時に終わるか判らないから別にいいよ。また今度時間が合う時に出掛ければいいんだからさ』
「…で、でも……っ」

 でも―――
 それでも、乱歩君は仕事で疲れているのか、苛立ちが増してきているのが電話越しでも充分伝わってきた。仕事が難航しているのは本当なのだろう。電話の後ろで非常に慌ただしい声が漏れてきている。

「……判った。それじゃあまた今度にしよう」

 これ以上何か我儘を云えるつもりは無かった。仕事終わりに彼が疲れているだろうに、これ以上歩き回ることになったらきっと彼は嫌がる。互いに楽しみたくて企画したのに、それでは意味が無いのだから―――そう云い聞かせることにした。
 そこへ数人の警察官が走っている姿が目に付く。隣をすり抜けて行き、険しい表情をしている。
 まさに乱歩君はこんな忙しないことに取り組んでいるのだ。また今度。そうだ、彼はそう云ってくれたのだ。これで終わりという訳では無い。まだ終わっていないのだから、きっと次こそは……
 そこで初めて太陽が珍しく照らしてくれた我輩を嘲笑っているように思えた。

「少しだけでも夢を見させてあげたよ」

 そんな風に。
 そうか、夢だったのか。
 それから我輩はそのまま帰宅することとした。大して小説の材料も得られぬまま、着慣れない服装を着てはみたものの、着心地も悪くて、早々に帰宅すべきだと税所から云われていたのだ。

「………何をやっているんだ」













「………ねぇ、ねぇってば」

 誰かの声が聞こえた。
 目を閉じているので、誰の声かははっきりと判らなかったが、ここが今どこに居るのかは大体判っていた。
 自宅。自分の家に帰ってきてそのまま床に倒れて意識が朦朧としながらも、起きて着替えなければ、と考えていた。それでも目を閉じる行為が優先されてしまい、そのまま脳もお休みになられたのだ。

「……ねぇ、起きてよ!」

 すると、軽く頬を叩かれる。

「……痛い…」
「いい加減起きてよ!」

 確かに痛覚は反応していたので、今自宅に居る人物は現実に居るものだ。

「……!?」

 そこで違和感に気づく。誰かが―――何かが―――異質なものが部屋に居るのだ。一人暮らしの生活をしている中で、自分以外の人物が居る事がこれ程怖いと思うことは無い。
 慌てて目を開けると、其処には見覚えのある顔が映った。

「……乱歩君?」
「そうだよ。ねえ、起きてよ。僕もうすっかりお腹ぺこぺこなんだからさ!何か食べに行こうよ」

 彼は我輩に跨り、そして胸倉を引っ張り上げて上半身を起これる。彼にこんな力があっただろうかと思いながらも、されるがままに彼の力に負けてしまう。
 漸く視界の焦点が定まり始めて、はっきりと乱歩君の顔を見る事が出来た。だが、そのまま乱歩君は我輩の頬をまた叩く。

「な、何をするんであるか!?」
「だってまた夢かもしれない、とか戯言を云われても困ると思って」

 容赦ないビンタであったが、確かに目は覚めた。一気に現実に戻ってきた。彼のおかげとは口にしないが、それでも理不尽な叩かれた行為は案外意味のある物だったのだろう。

「……なんで、乱歩君が我輩の部屋に侵入しているのか訊いてもよいか?」
「え、だって。鍵空いていたよ。ちゃんと閉めないと空き巣にでも狙われてそれこそ凶器を突きつけられて、目を覚ましたら痛覚も何もない世界へと連れて行かれてしまう事になるかもしれないよ」

 厭な笑みを浮かべられてしまった。
 しかし彼の忠告は確かなものであり、それに関してはこちら側に非しかないので、謝罪をしておくことにして。

「乱歩君は仕事は終わったのか?疲れているだろうと思っていたのだが」
「もう本当に疲れたよー。だってさ、刑事さんが僕の意見にいちいち口出ししてくるの。異能力の必要性を信用してくれていないみたいだからさ、そこに時間を取られて散々だよ」

 彼の溜まっている不満が一気に口から溢れてくる。
 そして、乱歩君は我輩の懐に身体を置いた。体重をこちらに預けてくる。

「……乱歩君」
「今日は約束守れなくてごめん。…だから、今からでもどうかなって思って遊びに来たら君は倒れ込んでいるしさ」
「そう、であったか」

 わざわざ仕事終わりに来てくれたのか。それを訊いて少し気持ちが上がってしまった。先程まで下がっていた気持ちが彼の行動一つでそこまで変化していくとは。
 我ながらなんて単純な男なのだろうか。

「………;っ?」

 我輩は乱歩君の身体を包み込むように腕を彼の身体に回していく。体重を預けてくるだけでも充分伝わっているけれど、それでも―――

「……暑い」
「……そうであるな」

 軽く文句を云われたが、それでも抵抗する素振りも見せない乱歩君は大人しく我輩の身体の中に収まっていた。

「また、今度……」
「んん?」
「また、今度…なんて云って今日みたいに約束守れなくなるかもしれないから絶対とは云わないけれど、今度はちゃんと一緒にデートでもしようよ」
「ら、乱歩君っ!」
「そしたら君が珍しく着飾った衣服を着て、僕を楽しませてくれよ」

 そこで自分の衣服の異様さに改めて恥ずかしくなる。
 けれど、今度こそ。あえて何時とは云わないけれども、今度こそは一緒に出掛けて行こう。乱歩君を楽しませてあげよう。
 その前に、取り敢えず眠りそうな今の乱歩君を安心させてあげる事から始めようか。