風邪だから仕様が無いな | ナノ
 


 ごほごほ、という口から発せられる声がどんどん大きくなる。大きくなればなるほど人の耳に伝わっていく。
 しかしこの場に居るのは二人。その二人にはしっかりと声が届いていた。
 一人は口にしたもの。
 そしてもう一人は砂糖菓子の型抜きを熱心に行っている。
 その両者にきちんと届いている筈の咳き込みではあるが、それについて何か討論する気配すら感じさせない。

「………乱歩さん」

 小さく、寝転んでいる病人はもう一人に声を掛ける。
 それでも何も反応を示さない事に病人である太宰はふくれっ面を見せる。頬を紅くしながらもゆっくりと上半身を起こして、砂糖菓子に目が入っている男の背中にもう少し声を大きくして名前を呼ぶ。

「乱歩さん」

 それでも反応なし。
 一方で乱歩と呼ばれているものは、しっかりと耳に名前を呼ばれている声が届いていた。肩一つ動かさずに手首を綺麗に捻らせている。それでも、その手首が動揺をしていた。

―――太宰の奴、煩いなあ

 決して集中している訳では無かったが、どうしても乱歩は声に返答をしようとは思っていなかった。思えなかった。
 病人の太宰はやたらと乱歩に絡んでいるのだ。
 38度後半の熱を帯びていながらも平気で平熱の乱歩に向かって声を掛け続ける太宰の行為は乱歩の苛立ちを募らせていくばかりであった。

「乱歩さん、乱歩さん」
「………煩い」

 遂に、乱歩が先に折れて反応を見せた。

「僕は今こっちに集中したいの!太宰はさっさと寝て風邪なんて治してしまいなよ」
「…でも乱歩さんは全然看病してくれないじゃないですか」

 痰が絡んでいる声を発してながらも、太宰は徐々に乱歩に近づいていく。

「寝ていてよ」
「寝れないんですってば。相手をしてくれたらそのうち寝ると思うので、乱歩さんに看病して貰いたいなあ」

 どうしても乱歩に構ってほしい太宰はしまいには乱歩に抱き付いた。背中からお腹に向けて回した腕はしっかりと彼の身体を抑え込んで密着していた。
 少し荒い吐息が乱歩の耳に吹きかかる。
 そんな状態じゃあちっとも目の前の事に集中出来ない乱歩は、太宰の腕に手を当てる。

「……判ったよ。ちょっとだけだからね」
「流石乱歩さんは話が判る人だなあ」

 結局折れるのは乱歩なのだ。
 身体を密着させながらも立ち上がる乱歩。それに引きずられるように太宰も起き上がる。

「それで、何をしてほしいの?」
「ちゅーしてください」
「却下。僕も移ったりしたら厭だよ。というか、離れてくれないと僕だって感染する恐れもあるじゃないか!」

 それでも力を緩めるどころか強める太宰。病人でも体力を余り持っている太宰は乱歩を離すまいとそのまま布団の元へと飛び込んでいく。
 布団の柔らかさがあるとはいえ、それでも二人の身体は少し痛みを伴う。

「ちょっと、太宰!」
「…じゃあ、子守唄でも歌ってください。そしたら眠りますから」

 今乱歩の頭の中では主に二択が用意されていた。
 素直に太宰の云う事を聞くか。それとも否か。

「……乱歩さん」
 しゅん、としてとろんとしている目が乱歩をしっかりと見つめていた。

―――なんで僕が病人の面倒なんて見なくちゃいけないんだ。

 本心は勿論面倒であった。
 しかし、密着している身体から汗が直に伝わっていた。乱歩の服にも太宰から出ている汗が届いていたのだ。そこで風邪で弱っている現状を知り、完全に折れた。

「あー…もう、判ったよ」

 仕方がない。
 病人なんだから。
 と心の中で云い聞かせながらも乱歩は恋人の頼みを断れなかった。二人は互いに向き合う体勢となり、乱歩は太宰の汗を拭いながらも寝付かせることに集中させる。歌ったことの無い子守唄を自作で歌う。

「ふふっ…なんですか、その歌は」

 ほころんだ太宰の笑みは次第に口角を下げて眠りを誘っていく。目を閉じて寝息を立てるまで僅かな時間。最後には乱歩の耳にも太宰の寝息が聞こえてくる。
 と、そこで漸く気づいたのだ。

「……出られない」

 しっかりと腰を掴まれている為、乱歩の身体も自由が利かない。寝ているとは云え動かない。それに折角寝付いた男が少しの動きでまた起きてしまったら今までの葛藤が無意味になってしまうと、一つ溜息。
 諦めるしかない。ここまで折れたのだから、と最後まで折れて乱歩もそのまま布団で眠ることにした。













 次の日。


「おはようございます、乱歩さん」
「………」

 元気になり、朝目を覚ますと太宰はすっかり熱を冷ましていた。汗こそ結構な量を消費していたので朝からシャワーを浴びてすっきりした身体。はっきりとした声と正反対で何も発しない乱歩。

「……あれ、乱歩さん」
「………」
「ひょっとして…熱、移してしまいましたか?」

 太宰も乱歩の気だるげな顔から察して額に手を当ててみる。太宰の厭な予感的中した。あれだけ病人と密着していればすっかり身体の体調が入れ替わってしまうのも無理はない。

「それじゃあ、乱歩さん。看病して……」

 意気込む太宰の手首を乱歩は掴む。

「……太宰の手、冷たくて気持ちいい」
「そうですか」
「此処に居て、僕の看病して」

 布団から出ている顔は太宰のことを懇願する。
 すっかり立場が逆転してしまった太宰と乱歩。

「そうですか。それじゃあ、子守唄でも」
「それより、何か食べたい」
「え、子守唄は…」
「いらないいらない!早く、食べ物頂戴!」

 とはいえ、何時までも離してくれない乱歩の手をどうしたらいいのか、太宰は頬を掻くしか出来なかった。