掴まらない | ナノ
 


※乱歩18歳時



 誰の手も借りずに、彼は両親を失ってからずっと生きてきたのだ。生きてきて、これからも生きていくのだろう。そうして俺と初めて会った時から変わらずに動いている。

「…ふーん、それで君は殺害したってわけだね?」

 そうだよね?証拠も真面に提示されていないというのに、乱歩は殺害犯に対して直接推理の詳細を説明していく。周りに居る俺や、刑事らの頭の上には相変わらずクエスチョンマークが浮かんでいるままだった。
 独りだけ先に向かって、それでそのまま乱歩は判りきった様な口調で進めていく。それと同時にどんどん青ざめていく殺害犯は逃亡を計ろうとするも、とっくに包囲されていたこの場から逃げるなんて無理な話だった。
 こうして俺は結局乱歩の保護者として閲覧しているままに事が済んでいく。ほとんど立っているだけで仕事が終わってしまうので自分としてはやりきった気分を感じられないのだが、それでも乱歩は腕を大きく上にあげればそのまま俺の腹へと向かって倒れ込んできた。
 大きく欠伸をしながら。
 すっかり体重を腹にかけてくるおかげで重さがこちらにまで伝わってきたが、乱歩を支えられない程にやわな体つきではないので、直ぐに支えてあげる。
 乱歩は顎を上げて顔を見合わせる体勢を取る。
 すっかり眼鏡を取り外していた乱歩の瞳が直接こちらを覗いている。この瞳が苦手じゃないと云えば嘘になるが、それでもあまり見つめられると何を見られているのか判らないので恐怖心が溢れてくる。そんなもの顔に出しはしないが。
 それでも異能力者では無い乱歩の能力は眼鏡という飾りなど無くとも無意識に発動させているのだからきっと乱歩の中では今も深いものを見ているのだ。
 そうやって生きてきたのだから、周りからも不審に思われて、環境から浮いてしまうことがあったという。

「……僕が今何を考えているか判る?」

 乱歩は唐突にそんなことを云った。

「………」

 表情だけで乱歩の内面を観ろ、と云われても…。欠伸をしていたから眠気が来ているのだろうか。それとも頭を使って糖分を欲しているのか?

「……喉が渇いているのか?」
「正解!さっすが福沢さんだね。矢ッ張り僕のことを良く見ているね。もう、さっきから沢山おしゃべりをしたからすっかり声が枯れちゃったよ」

 そのまま手を差し出してくる。飲み物を献上せよ、ということを遠回しに示しているのだ。否、そこまで云われれば遠回しでも無いか。
 何か持っていたか、と所持品を確認してみるも此処までほとんど手ぶらで歩いてきたのでその手における所望品は手元に存在しない。

「今は無い。後で買ってあげるからもう少しだけまて」
「はーい」

 ここで乱歩が大人しくなってくれるとは随分と変化したものだ。当初なら絶対にここで駄々をこねる。床に寝そべってごろごろ転がる行為すらやりかねない男だ。それだけ互いにの距離感を縮めることが出来るぐらいの月日が流れた。
 それでも、時々乱歩が目の前からいなくなる。勝手に歩み出す。

「乱歩さん。済みませんが、証拠品が何処にあるか教えて貰いたいのですが…」
「全く、仕様が無いね君たちは」

 警察官の言葉に乱歩は渋々体重を自分の元へと戻して後をついて行く。

「いやはや、福沢さんが居てくれてよかったですよ。乱歩さん一人じゃあ私達には荷が重すぎるといいますか」

 腰の低い刑事がこちらに来て感謝をしてくる。実際に事件に携わっていない者が感謝をされることに若干の不審感を拭えなかったが、それでも俺の役目こそそこにあるのだから、その感謝をきちんと受け止める。それすらなければ存在意義すら問われてしまいそうだからだ。

「それにしても乱歩さんは福沢さんのことなら素直に従いますね。何か秘訣でもあるのですかね?」
「秘訣?そんなものは無い。彼奴は少し突発的な男であるが、悪い奴では無い。それさえ判れば次第に彼奴にも慣れてくるものだ」

 攻略方法を教えてあげると、「なるほどねえ」と笑いながらも刑事は軽く流していた。きっと、諦めているのだ。最初から彼と向き合う気など無い。口には出さないが、人間性としては受け入れられないが、『超推理』は受け入れているのだ。だからそれだけあれば充分だと割り切っている輩も多い。
 そんな態度を取ってしまえば乱歩との距離は縮まりはしないだろう。大事なのは相手を見て接してあげることだ。とはいえ、初対面の時には自分自身も苦戦した男ではあるが、今となればそれも一興に見え……














「福沢さん!お腹空いた!何か食べに行こう!」

 遠くで大声を出す。枯れていると云っていた声を未だに貼り続ける乱歩は、とっくに帰宅する準備をいつの間にか済ませていた。

「それでは、失礼する」

 一礼して今回の事件現場から去る。乱歩と隣に並んで。

「何食べようかな。ハンバーグ…それともおそばとかかな。あ、でも…今の気分は麺じゃないかもしれない」
「蕎麦は中々いい名案だな」

 乱歩が一人で食事内容に悩んでいるところに口を挟む。こういうことは滅多に無いのだが、乱歩の上げた例の食品の中で蕎麦という単語に引っかかったので思わず口に出てしまった。

「蕎麦…?福沢さんは蕎麦がいいの?」
「たまにはいいのではないか」
「じゃあ、福沢さんがそういうならお蕎麦にしよう!」

 自由で気ままな男。一人で前を歩いて行き、これからもずっとそのスタンスが変わらない。

「いいのか?あまり気分が乗らないということを云っていたじゃないか」
「そう?でも、滅多に主張しない福沢さんが珍しく自分の意見を提示してきてくれたんだよ。多分今までで初めて?そんなこと無いかな?でも、たまには福沢さんの腹を満たしてあげてもいいかなって思ったんだよ」
「………」

 真逆、乱歩の口からそんなことが出てくるとは思いもしなくて、口が開いたまま閉じる機能が働かなくなってしまった。壊れた人形が思うように動いてくれない。それは目の前にいる子供が予想外の行動をとったからだ。

「乱歩、変わったな」
「変わった?僕が変わることなんて何も無いよ。だって今も警察官とかお偉いさんが良く怒鳴って来たりしてめんどくさいもん」

 自分では気づいていないのだろうけれど、それでも乱歩は変わっていた。それは、俺に対してなのか。
 少しだけ嬉しくなった自分が居て、無意識に口角が上がりそうになったところで直ぐに普段の表情へと切り替えた。全く、今日はやたらと故障してしまう。

「変わったっていうなら…福沢さんと出会ったからだろうね。僕と一緒にこうやって歩いてくれる人なんて今までに両親以外には居なかったよ。まあ、両親も僕の手を引っ張ってくれたみたいな感じだから隣に並んでくれた思い出は無いけれど」

 そう云ってはにかみながらも、隣に合った右手が乱歩の左手に握られる。暖かい乱歩の小さな手がしっかりと握ってくる。

「福沢さんが初めて僕をきちんと見てくれたんだよ」

 判れば次第に慣れてくる、なんて大口叩いて知った知識を披露していたが、慣れてきた証拠だろうか。乱歩のことを知って行った結果がこうして現れているのだ。まあ、最初に前を歩いて暴走する仔馬を何とか手懐けようと必死にもがいていたらしくも無い自分の功績として結果を受け入れよう。

「ぱぱー」
「そんな風に呼ぶな」
「しゃちょー」
「なんで社長なんだ」
「探偵社の社長でしょ?」

 大きく手を振って乱歩と繋がって居る腕が振り回されて行く。
 きっと、乱歩はこれからも変わらない。変わっている様で矢張り変わらない。けれど、ふと気が付けば変わっている。
 初めて出会った時から共に居すぎたから変わっていない様に感じていたが、確かに変わっていた。
 今では、きちんと手を握れているのだから。

「……ふふっ」

 手を強く握り返したら、乱歩が笑った。