嘘つき | ナノ
 


 別れようか。

 理由は判らなかった。けれども、乱歩からその話を始めた。
 付き合い始めて1年が経とうとしていた頃。二人で互いの部屋を行き来する程の仲で、まるで自室には二人分のものが色々と用意されていた。寝巻、歯ブラシ、カップ他、色々なものが二人分用意されていて、何時でも互いの家に行けるように置かれていた。乱歩は夜中にもお菓子が食べたくなるというので、彼の為のお菓子箱なんてものが部屋の隅を占領していた。それらまで在ったというのに、如何してこうなってしまったのか、未だに太宰にはその答えが判らないままにもう直ぐ三カ月経とうとしていた。

「…僕の使っていたものは自由に処分してくれて構わないよ」

 乱歩の私物は全て回収される事無く、そして太宰のものも乱歩の部屋に置いたまま手元には戻ってきていなかった。別に大切なものは置いていなかったので、生活に関して困ることは無かった。

 むしろ、太宰は乱歩の所持品すらも捨てられないでいた。
 すっかり使用されなくなった皿類は奥底にそれでも残されていた。
 中身は常にぎっしり入っていたお菓子箱も土地の一部を相変わらず占領していた。
 未練がましく、歯ブラシは何時までも太宰の使用するものの隣に並べられていた。布団に入る時にはやけに隣に空間を作ってしまう、なんてことも最初の1か月は続いていた。それだけ太宰は乱歩と別れた事に慣れていなかった。
 それでも太宰は別れを了承してしまったのだ。
 ろくに別れを切り出した理由も聞きだすことも無く、彼の一方的な発言を直ぐに受け入れて飲み込んでしまった。

「……別れましょうか」

 眉が下に垂れながらも、笑って二人は別れた。















「……あー、雨か」

 太宰は任務が終わってから直帰しようと考えていた処で、突然雨が降ってきた。勢いよく雨が降り始めて、太宰の頭を、肩をと濡らしていく。慌てて彼は走って近くのコンビニ駆け寄っていく。コンビニという施設は実に便利なものだ、と屋根一つで感心しながら雨宿りがてらに店内に立ち寄った。

「いらっしゃいませ」

 やる気があるのか否か、生ぬるい歓迎の言葉を軽く流しながらも、太宰は奥へと向かって行く。それ程大きくない店内に数人の客がいる。飲み物を選んでいる客や、これから夕飯をここで済ませようと悩んであちらこちらに動いていく客。それらを太宰は眺めていた。
 そこで店の入り口にビニール傘が置かれている事に気づく。コンビニは欲しいものが置いてある。それにまた感心して購入してさっさと帰宅しようと考える。
「ありがとうございました」
 おつりを受け取って商品を早速使用しようと、店外に出て傘を広げる。そこで、入れ違いに傘を閉じて店内に入ろうとしている人に出会った。


「あ」
「あ」


 互いに目が合って、思わず声が出てしまった。随分間抜けな声を出して。如何してそんな声が出てしまったのか。それは知り合いだったからだ。
 ラフな格好をしている乱歩がコンビニに立ち寄ったのだ。太宰と入れ違いだ。互いにこんなところで知り合いに遭遇するなんて思いもしなかったので他の人に邪魔になるかなんて気にもせずに立ち止る。

「……お疲れ」

 先に口を開いたのは乱歩であった。
 仕事帰りであることを容易に見抜いた乱歩からのねぎらいの言葉だった。一方で乱歩は今日は御休みであった為、これから夕飯をコンビニで済ましてしまおうと考えていた最中であったのだ。

―――そう云えばこの辺りは乱歩さんの家の近くだったか。

 太宰の頭が追い付いてきたところで乱歩は店内に入って行こうとした。
 特に会話をすることが無い二人は此処で立ち止る必要などないから、不思議な行動では無い。予想外の邂逅だったのだ。
 けれど、太宰は店内に入った乱歩をずっと、目で追っていた。
 乱歩の珍しく緩い格好。何時もネクタイを気だるげに着こんでいたりと自由を見せているが、私服…部屋着はまさにそれ以上に緩いものだった。
 しかし、太宰はそこを注目していたわけでは無い。服―――上着―――カーディガン。グレーのカーディガンを乱歩は上に羽織って尻まで隠していた。腕もだぼっと着ていて、要するにサイズが合っていないものだ。大きいサイズのカーディガン。それに太宰は見覚えがあったのだ。

「………」

 あのカーディガンが自分のものでは無いか。
 かつて乱歩宅で着用していたそれではないかと推測していた。やけに乱歩の身体に合っていないそれを購入する理由が乱歩には無いだろうとどんどん推測していく。

「………乱歩さん、なんで」

―――捨てていいよ。僕も、君のものは処分するから。
―――だから、それで終わりにしよう。

 乱歩は太宰にそう云っていた筈なのに。















「……なんで、まだ居るの?」

 あれから太宰は頭を使い続けていた故に、時間も経過していた。それに気づいたのは、乱歩がコンビニから出てきた時だった。コンビニから出てきた乱歩は片手にビニール袋を所持して、反対の手には自分の傘を。

「あ、あの…乱歩さん」

 聞きたいことがある。太宰は、乱歩に今聞かなければならない、と思ったのだ。

「……その服、ひょっとして私が使っていたものですよね」
「……え?」

 すると、慌てて乱歩はカーディガンを着用している時分を見つめた。
 乱歩は直ぐに気付いた。

「別に、僕の家にあったものだよ」
「昔乱歩さんの家で使っていたものですよね。異様にサイズが大きいからきっと……」
「だって君のものは処分していいって話だから僕が勝手に使っても文句は無いでしょ?それとも返してほしいなら洗濯でもして返すよ」

 乱歩は、太宰の言葉にどんどん不機嫌になっていく。
 傘を開いて先にこの場を去ろうと、雨音が酷くなる一方の最中足早に歩いていく。乱歩は太宰から離れようと急いで家に向かう。
 その背後を見て太宰は慌てて乱歩の後を追っていく。
 すっかり太宰に覚えられてしまった乱歩の家は最早先回りしてもいけるものだった。だから、彼を振り払う事が出来ない、というのは乱歩も内心判っていた。逃げられないのだ。それでも、乱歩は自分の失態を恥ずかしいと感じている今の表情を見られるわけにはいかなかったのだ。
 傘のおかげで誰にも乱歩の顔をよく拝見されずに済む。

「乱歩さん、乱歩さん!」

 後ろからしっかりと太宰は追いかける。
 もちろん、太宰もどうしたらいいのか判らないまま身体を動かしていた。此処で乱歩を引き止めて、カーディガンの所有者が誰だと明確に示したって、何かが変わることは無いんだから。
 そう、頭ではちゃんと分かっている。
 けれども、それでも。
 互いの身体は一直線に動いて行って……最後には乱歩の家の前にまで来てしまった。

「……なんでついてきちゃっているの」
「なんででしょうね。すっかり私と乱歩さんは別れたっていうのに…この場所も忘れられないし、乱歩さんの思い出を過去に出来ないでいるんですよ」

 女々しいでしょ?なんて傘を畳んで乱歩に向かった。
 女々しい?
 それはどちらを指しているのか。
 乱歩は、何時までも捨てられないカーディガンを使用している女々しさを思っていた。

「太宰と別れて…ちゃんと全うな人生を送るつもりだったんだけれども…如何して上手くいかないんだろう」
「乱歩さんが全うな人生を送れるわけないじゃないですか」
 茶化してやると、乱歩は太宰の足を勢いよく踏みつけた。
「どうして乱歩さんは私と別れたんですか?全うな人生を送りたかったというのは、どうしてですか?」

 はっくし。
 抑え気味のくしゃみを一つ漏らした乱歩は観念したように、口を開く。
 3カ月経っても変わらない想いを持ち続けていた太宰は、漸く乱歩から真実を聞くことができる。

「…太宰の性格に難があるとか色々軽い問題も積み重なっているんだけれども、それでも僕としては矢ッ張り付き合うのは異姓であるべきだと云うことをこの前探偵社で話していて。それで、太宰としてもこのまま僕と一緒にいても未来なんて真面に見えてこないんじゃないかなって…そんなことを考えていたら、別れるのが妥当だろうと思って。早いうちに切ってしまおうと思っていた」
「…………」

 前半のことについて太宰は眉間に皺を寄せては居たが、太宰は乱歩の口から真実を聞いて、呆れた。
 全う、なんて言葉を乱歩が使っていることに違和感があるのだ。きっと誰かにそそのかされたのに違いない、と推測しつつも…申し訳なさそうな顔をしている乱歩の前で追及するつもりは無かった。

「……乱歩さん」
「それでも、太宰のものを捨てられないで女々しいのは僕の方だよ」
「じゃあ、乱歩さん派別れたいと思って別れたつもりじゃなかったんですよね?嘘をついて別れを切り出したんですよね?」

 実際に嘘も云わずに別れようの一点張りだったのだが。
 その太宰のまとめに乱歩は固く頷く。カーディガンの裾を握りながら、家の前で立ち止っている二人。

「乱歩さんは今でも私が好きですよね」
「…なんで断定されているの」
「そりゃあ、断定しますよ。私のものを捨てられないなんて云っているんだから答えは既に出ていますよね」

 太宰と乱歩の傘はゆっくり地面に水滴を落としていく。一つ、二つ。地面を濡らしていき、それが染み込んでいく。
「乱歩さん、私も一緒ですよ。何時までも捨てられないで押し入れに仕舞っていたり…本当に使わないのに場所を取って困っているんですよ」

「御免。だから、捨ててくれて構わないって云ったじゃない」
「…そうじゃないですよ」

 太宰は遠回しに云ってみるも、乱歩には届いていなかった。乱歩が恋愛に疎い事は太宰も判っていたのに……そんな自分に太宰は苦笑した。

「もう一度やり直しませんか?」
「…でも、僕と居ると全うな人生は送れないよ?」
「もう既に異能力を所持しているんだから普通の人間とは違うんですから全うなんて考えていないですよ。マイノリティでいいじゃないですか。それでも居ないわけじゃないのだから」

 いつまでも了承しない乱歩にじれったいと思った太宰は勢いよく胸に彼を引き込んだ。背中に手を回して、抱きしめていく。
 力の強さに驚いて乱歩はよろめいて見事彼の胸中に入り込む。入れられて、鼓動が伝わってくる程に振れていた。

「乱歩さんの家に入れて貰ってもいいですか?」
「……夕飯、一人分しか買っていないよ」

 片手に持つビニール袋が主張をしていた。かさかさ、と。

「それじゃあ、一緒に買い物にでもいきましょう」
「えー、雨だし…今出てったばかりだから厭だよ」

 乱歩は嫌がりながらも、太宰が手首を掴んで傘を広げると、渋々ながら自分もその中に入っていく。乱歩の傘が二人を見送って。
 またおいで、と云っていた。