誰よりも近くに居た。誰よりも傍に居た。 気付けば、乱歩の隣には俺を、という配置を作らせてきた周囲は…それをごく普通の光景に仕立て上げていた。それを良しとしていたので、その関係性を壊す気は全くなかった。 一緒に仕事へ向かう時も、 お腹が空いたとぐちぐち文句を云い出す時も、 あいつが何時の間にか自立しようと努力し始めていた時も、 誰よりもお前を理解しているのは自分自身であると勝手に思い込んでいた。探偵社内にいる誰よりも長い付き合いで、互いに必要としてきて生きてきたのだ、大抵は顔色を見ればそれだけで通じ合うぐらいには成長していた。 「……もう、居ないのか」 だが、ほんのわずか一週間前だ。 「僕、付き合うことになったんだ!」 それが一体誰なのか、相手を聞くことは出来なかった。動転してしまった。あの乱歩に、恋人が出来たという事実を受け入れられなかったこと。そして、気が付かなかったことの両面から驚きを隠せずに、口に出すのが無理だった。 あの時におめでとうの一言も云えずに、うんと頷くだけの動きに乱歩はどう思っていただろうか。元来表情が強張っていると云われて他を引きつけない為、なかなか本心を理解してもらえない場合もあった。それでも乱歩は直ぐに内心に気付いて理解してくれていた。だからあの時も、内面をしっかりと見抜かれていたのかもしれない。 彼の恐ろしい観察眼を完全に把握することは当の本人ですら自覚していないのだから俺が判る筈もない。けれど、彼がにこりと笑って直ぐに話を切り替えていった。特に大事な話では無かったように。今日の出来事として添えられた話と成り果てていた。 だからこそあれが夢だったのではないかとすら考えてしまったが、云われてみればここ最近は乱歩があまり周りをうろつかなくなったのは、そういうことか。 傍にいたところで別に判っていた部分はほんの一部でしかなかったのか。 「しゃちょー?」 「………」 「泣いているのー?」 泣いている? 誰が涙を流しているのだ。 気が付けばすぐ傍に乱歩が座り込んでいた。何時の間に社長室に入り込んでいたというのだ。勝手に侵入してはいけない。大抵の社内では普通のことであるが、それでも乱歩はその普通を乱していく人物だ。それは判っている。それでも、判っていなかったのだ。 「何の用だ?」 「……んー、なんとなく社長の顔が見たくなって」 にこり、と屈託のない笑顔を見せる様は、初めて出会った子供時代の乱歩と何ら変わらない。あの時から然程変化を見せていない乱歩だが、隣に居るからこそ気付かなかった部分もあるのかもしれない。 久しぶりに会ったから身長の変化に気付くこともままある。毎日会っていれば気付かないことでも。 「今日は何も菓子を用意していないぞ。だから乱歩の望んでいるものはここにはない」 「僕が毎日菓子を求めて社長の元にやってきているみたいじゃないか。別にそんなことないよ。今日は仕事もひと段落したから少しお喋りでもしたいなぁ、と思って顔を見にやってきたの。ひょっとして今忙しかった?」 「……いや」 あの日の告白から二人でこうして顔を合わせることは無かった。すれ違う程度はあったけれど、それでも乱歩の顔をまともに見たのは久しぶりだ。否、今でもまともに見れてはいないのだが。 「社長が最近調子が良くないって聞いたから疲れてんのかなー?って」 「……そうか」 その調子が良くない、という情報は事務員の人から出た話だろうか。身体に不調は無い。身体は自分できちんと整えているのでそれに問題はない。 むしろ、精神に少し乱れが出ていたのかもしれない。碁を打ちながらも空虚になっていた。 「お前はもう、此処から離れる時が来たんじゃないだろうか」 「……え?なんで、急にそんな話になったの?」 顔を俯かせながら、会話を続けていく。 「乱歩には付き合う人が出来たのだろう。ならば、その人に気遣い精神を注ぐべきだ。何時までも俺に懐く必要はない」 すると、乱歩は不服そうに頬を膨らませていた。なんて顔をしているんだ。 「…そりゃ、確かに付き合う人が出来たけれども、それで社長との関係が粗末になるわけじゃないでしょう?」 「そうだが…」 「僕は、何時だって社長の傍に居るし。これを変える必要はないよ」 「だから、優先順位としてお前がもう少し此処から離れた方がいいのだと」 すると、乱歩は立ち上がってこう云い放った。 「僕は社長の傍を離れるつもりは無いからね!」 指を指して、これを宣言すると云わんばかりに。 「……ふっ」 どんなにこの場を離れろと示唆しても、決して離れないと乱歩は強情になる。それは、自分が乱歩との別れを悔やんでしまうから早々に決別をした方がいいと判断したからだというのに。 これじゃあ、また自惚れてしまう。 誰よりもお前を知っているのだと誤認してしまう。 「社長が笑った」 乱歩は乱歩のまま、俺の顔を見て笑っていた。 未だ見ぬ世界が、自分の知らぬ世界でも――― |