信じられない | ナノ
 



「好きです。貴方のその瞳は実に日本海を思い返すよ」
「……それは褒め言葉なのか?」

 僕は太宰の口説き文句を聞いて一人で呟いた。
 勿論その言葉が彼に届いていることは無い。何故なら彼との距離は部屋の端から端の間隔が空けられているのだから。そんなくさい科白を聞いているのは僕と、目の前で頬を赤らめている女性だ。

 太宰の女癖は本当に見ていて飽きない。
 事務員だろうと依頼人だろうと、ところ構わず女性に声を掛けていく。
 今だって新しく入ってきた事務員を口説いていく。最近の事務員は最早太宰の扱いすら雑になってきてしまっているからこういう反応は実に久しぶりだ。
 顎に手を置いてどこぞのホスト気取りだ。
 うわ、本当にああやって人を惚れさせるんだな、と僕は知識として身に付けるだけにすると、太宰が徐々にこちらに近づいてきた。

 ―――乱歩さん、見ていたでしょ

 僕の方へきて笑った。ゆっくりと近くの椅子に座り込んでこちらを向いている。矢張り僕から視線を離す事は無い。
 日本海の様な美しい―――だとかよく判らないけれど目と目が合った。

 ぎしぎし、と椅子の背もたれから音が聞こえてくる。

「……盗み見ですか?」

 太宰がこちらへ声を掛けてきた。

「暇だったから人間観察だよ」

 淡々と言葉を返す。
 しかし盗み見とは心外だな。こんな会社の中で口説いている場面を見ていたとしてもそれは仕方がない事だろう。まあ、太宰も隠す気は無いのだろうけど。
 僕はこの後も特に仕事が無くて暇を持て余していたのだから、丁度良い暇つぶしになった。それに対しては太宰に感謝してやってもいい。
 しかし太宰はこれで話を終わりにするつもりは無いみたいだ。

「それで、観察していてどう思いましたか?」

 どう思った?
 太宰の事をどう思った?
 別に真新しい光景では無いので今さら感想を求められても何も思いはしない。
 それでも太宰はやけににやけた表情を見せつけて、僕の回答を待ち続けている。

「よくもぺらぺらと口説き文句が出てくるんだな、と感心した、かな」
「それはお褒めに預かり光栄です」

 褒めてはいないよ。
 それでも前向きに捉えているのならばあえて訂正するつもりもない。

「それでも、乱歩さんが一番社内で素敵だと思いますよ」

 今度は僕を口説き始めるというのか。見境の無い男ではないか。
 そうやって女性を口説いている様を見ることは良くあったが、それでも同性に対して言葉を投げているのを見たことは無かった。
 あまりに相手にされないから目が濁ってきたのだろうか。

「僕は君の事をそんな風に思った事はないよ」

 同じ同僚としか考えていない。
 むしろ、少し距離を取っておくぐらいがちょうどいい。

「そうですか。まあ、私も男性は其処まで守備範囲にならないのですが、乱歩さんは当初から可愛らしい方だな、と思っていますよ」

 本当にまあぺらぺらと出てくるものだ。
 君だけだから、特別だ。

「乱歩さんだけですよ」

 君だけ、だとか特別、などの言葉は魔法を所持している。
 それを云われると人は好意的に変わるものだ。

「太宰は僕のことを好きなのは、同じ社内として、でしょ?」

 先程まで他の女性に言葉を掛けて、肩に手を置いていた人が。如何して数分後に直ぐ違う者へ切り替えられるのか。やはり、皮肉交じりにも褒められることかもしれない。
 可笑しい、と判断するのは常識を持つ人たちだ。

「社内…としても尊敬していますけれども、一人の人物としても私は乱歩さんの全てが好きですよ?」
「…それは、さっき口説いていた女性とどちらがいい?」

 選択。目の前に当人が居ながらも「妾とあの人、どちらが好き?」なんて女々しい女性が放つ科白を渡してあげた。

「勿論、乱歩さんですよ」

 まあ、妥当だな。当人を前にして別な人の名前を出すのは恋愛においてタブーだろう。何処かの恋愛小説で読んだことがある。あれは、直ぐに先の展開が読めてしまったのであまり面白くは無かったけれども。

「ふうん、有難う」
「ははっ、乱歩さん。本気にしていないですよね」

 そりゃあ、そうだろう。別の告白現場を見ていたんだから。それと同じ口が僕に向けられた処でどう本気にしたらいいのだ。信じられないだろう。


 もし、本気だとしても―――


「………?」

 本気だったら、どうだというのだ。どのみち僕は太宰をそういう対象として見た事がないんだから、何も変わらない。

「信じられないよ」
「どうしたら、信じてくれるんですか?私のこの乱歩さんを好いているという気持ちは、受け入れてもらえないのですか?」
「好いてくれていることは嬉しいし、それは受け入れているよ」
「その好きの気持ちを勘違いしているんですよ」

 わざとらしい溜息を付く。
 この展開をどうしたら切り抜けられるのだろうか。先程から一方通行だ。ここで太宰に身を預けてしまったらきっと騙されるのだろう。
 太宰が一人の人と交際が長続きしないのは、恐らくそういうことだろう。

 ……付き合っても、「愛している」の言葉が嘘に聞こえてくるに違いない。
 途中で、もしも自分が太宰と付き合うのなら……という前提の考えまで発展していたことに気づくも、その理由は判らなかった。
 ただの仮定に過ぎないのだけれども。

「…乱歩さん」
「僕は、君の言葉が信じられないよ」

 今度は僕が溜息を付いた。

 一方通行。

 並行歩行。

 どうやっても、君が変わらなければ僕は信じる事など出来はしないだろう。