自殺は現実 | ナノ



まだ彼は姿を見せない。

「あれ、太宰さんはまだ来てないンですね」

 閑散とした社内を見渡した谷崎君はそう僕の隣で聞いてきた。それにこくりと頷くだけにして、そのまま机の上で寝転んでいると、痺れを切らした谷崎君は、ついに太宰の元へ電話をする。
 そもそも今回は太宰が呼び出して来ているんだから待ってる訳で。僕は早く帰りたくて仕方がなかった。
 谷崎君は太宰の仕事現場に電話をしてみること僅か数ベルで相手は出た。

「はい…ええ、ぁっ…はい……」

 どんどん彼の声が小さくなっていく。あまりいい知らせを運んでくれそうには無い事は声色で直ぐに判断出来た。
 僕は、目の前に置いていたラムネがいつの間にか空になっていても、それを吸い続けていた。何か口に含んでいなければ落ち着いていられないのだ。それでも眼は自然と谷崎君の元へと向かい、その先の声の主を探ろうとする。
 それでも勿論見えないものを判断する事は流石に無理だから、何事か判らない。
 だから、谷崎君の言葉を待たなければならない。

「………判りました」

 一度こちらを見た谷崎君は漸く話終えて電話を切る。立ち上がって僕の元へやってきて今度は僕に向かって口を開いた。

「太宰さん、自殺未遂をして入院をしているらしいです」
「………え?」
「僕、今直ぐ与謝野さんを呼んできます!」

 すると、僕の言葉を待つことなく、谷崎君は一人で探偵社内に残して消えて行ってしまった。一体どこの病院に運ばれたのか、色々と聞きたい事はあったというのに、彼はどれだけ動揺をしているんだか。彼奴が自殺を目論むことなんて今に始まった事じゃない。ドラム缶にはまって抜け出せなくなった莫迦な奴だ。
 仕方ないな、谷崎君は。なんて心の中で思いながらも、足元に散らばったガラスの破片らはとっくに視界に映っていなかった。手に持っていた筈のラムネ瓶は最早原型をとどめていなかった。

「僕を呼び出しておいて、入院って…」

 如何いう神経をしているんだ。内容も判らずに呼び出されて、それで僕はこれから君を迎えに行かなければならないというのか。
 ソファに乱雑に置かれていた自分のコートを着用すると、直ぐにこの場を出て行く。推測して、此処から一番近い病院へ出向いて確認していくのが一番手っ取り早いのではないかと考えて自分の足を動かす。










 それからすぐに彼の居場所は特定出来た。誰よりも一番早く。与謝野さんの姿も見えずに、病室に居たのは太宰と、同室に寝泊まりを繰り返している人々だった。

「……何しているんだ」

 僕は彼の姿を確認すると開口一番にそう云った。それしか云えない。呆れて物も云えないところを無理矢理口に出したのだ。

「済みません」

 それだけだ。
 両脚に治療の跡がある。包帯を巻かれて、何時もよりも派手に失敗をしてしまったみたいだ。それでも、彼の容態の心配なんてしてやるものか。だって自殺するような愚かな人を如何して慰めなければならない。

「僕の事を呼び出しておいて一人で自殺を計るって莫迦以外表し方が判らないよ。ああ、気味が悪い事この上ない」

 僕は冷たく云い放った。
 鋭い科白はこれ以上太宰に言葉を発するなと隠喩する。

「太宰は僕なんか嫌いにでもなった?別に嫌いならそれで構わないけれども、勝手に死なれたらその答えも曖昧になってしまうだろう」

 水に流されるのは、君だけで。僕の中には何時だって君の事が詰まり続けてしまう。水に流そうなんて言葉がこの場に似合うものとは考えられなかった。

「……私は、乱歩さんを嫌いになった訳ではありません。好きです。愛しています」
「…………」

 愛しています、の科白が僕の元にまで届かなかった。確かに重くて思い想われている言葉だろうが、それが僕には見えてこなかった。所詮は言葉に過ぎない。形に残ることも無いのに質量を如何計ろうと云うのだ。
 愛の言葉囁いた太宰を一瞥した。
 隣には人の気配を感じるが、病人はすっかり眠っているらしい。それでもこの会話を気に起きてしまったら困ると僕は頬を思い切り殴ってやりたい衝動を抑えた。怪我人の太宰を思ったわけじゃ無い。
 だって、僕は思われていないんだから。
 病院独特の匂いをしっかりと吸い込んでから、僕は口を開く。

「…それで、僕を呼び出していた要件を教えてよ」

 予定ではこの時間には探偵社内で聞いていたことだ。それを聞こうとするも、太宰は何やら気まずい顔をした。聞かれたくないというのか。

「………あの、大したことじゃないので」
「大したことないのに、僕は待たされていたのかい?」
「あー…やけに乱歩さん、怒っていますね」
「怒っていないと思っていたのか?」

 声は怒っていないんですけど、怖さが伝わってきます、と正直に応えた。

「……僕は君が入院したという知らせを聞いてここまで来てあげたんだよ。わざわざね」

 押しつけがましい?そんな筈はない。

「乱歩さん、今日の日付は覚えていますか?」

 今日?
 今日の日付は何か判るものが無いか、と壁にカレンダーが掛けられていないかと探してみる。取りあえず月は判るんだけれども…

「ふふ、覚えていないものですよね」

 なんだ、莫迦にされた云い方。
 僕はむすっと太宰を見ると、素直に今日の日付を教えられた。なんてことのない、ただの平日だ。祝日でも無く、誰かの誕生日があるわけじゃない。二人の誕生日はまだまだだ。その日が一体何か、と太宰に問う。

「……答えを教えて」
「……今日、一周年なんですよ」

 それでも僕は理解出来なかった。何の一周年だろうか。何かお祝いをする日付なのか、僕には一周年という単語だけでは思いつかなかった。
「乱歩さんと、私が付き合って一周年ですよ。ちょうど今日で一周年だったので、乱歩さんと食事にでも行きたいかな、と考えていたんです。乱歩さんは恐らく覚えていないだろうからサプライズをしてやろうと思っていました」
 ああ、そうか。確か僕らが付き合いだしたのもこの季節だった。生憎雨が降っていた覚えがあるけれど、日付までは把握していなかった。
 そんなに経つのか、僕達は。

「僕達一周年も一緒に居たんだね」

 そう思うと感慨深い。…と思ったのは一瞬だけだった。
 今日これからの太宰の頭の中にあった予定表が実行されることは無い。

「如何して、そんな事を覚えているのに……自殺なんてしたの?」

 君は今病院に縫い付けられているじゃないか。

「済みません」
「済みませんって。食事はこれから行けるわけないじゃない。そんな足に大きな怪我を負っている人が今日これから退院できる可能性も無い」

 済みません、と会話の合間にも盛り込まれていた太宰。其れしか云えないのか、と苛立ちを余計に募らされていく。

「太宰は自殺を成功したら僕を置いて行くつもりだったんだ」
「………」

 だってそうだろう。一周年だと判っていてこの日何を植え付けたかったんだ。成功しても成功しなくてもどちらも笑えやしない。
 いっそ知りたくなかった。

「好きですよ、乱歩さん」

 そんな愛を囁かないでくれ。
 好きだと云われても、自殺をした過去は変わらないのだから。