偽りはいらない | ナノ
 


 人混みは酷く苦手である。
 その大群が会話等されてしまった時にはなお苦手である。頭を抱えて出来るだけ自分に音沙汰無く時間が過ぎる事を待つことしか出来ない。

「はあ……」

 そんなわけで、今まさに頭を抱えてしゃがみ込みたい気分を溜息一つに集約した。
 乱歩君と共に出掛ける予定があり、真逆の駅前で待ち合わせをする事となってしまったのだ。我輩が何か云う術も無く、乱歩君が一人でに決めてしまったのだ。
 そして約束時間になっても彼は来ない。そして我輩を見てない様に人々は右往左往と動き回り、どんどんその数は増えていくばかりであった。人酔いをしてしまいそうである。皆が騒いでいるのに、一人だけお通夜の雰囲気になっている。

「……乱歩君、まだであるか」

 好きなあらいぐまが街中を歩いている筈も無いので、癒しが全くない環境の中、必死に乱歩君の姿を捜していた。
 すると、隣で知らない人の声が聞こえてきた。

「済みません、ちょっとお時間頂いてもよろしいですか?」

 身長が高めの女性。かと思うと、彼女はヒールの高い靴を履いていたというだけのことであった。乱歩君よりも高いのかと思って少しどきりとした。
 ……それよりも、出来るならばこの場は静かに凌いで大人しくしていたい。そう考えてみても、隣の女性は見過ごせない程に会話を続けてくる。何もこちらから返事をしていないというのに、何か呪文を唱えている様である。

「―――で、よろしければ髪を切らせていただけないでしょうか」

 髪の毛?何の話であるか。
 閉ざしていた為、相手の話の内容が全く分からないが、神―――では無く、髪の話をしていた。
 結構だと断ってみるも、この女性は平気で私情を聞き出そうとしてくる。あれこれ彼女から逃げようと試案してみるが、互いの会話が上手く噛みあわない。
 取りあえずこの場を去ろうか、と動き出そうとした時であった。
 実にタイミングが悪かった。
 乱歩君とは待ち合わせ場所を変えれば善い、と思っていたのだが……

「……あれ、何してんの」

 漸くお相手の乱歩君が現れたのだが、

「……お知り合いの方?」

 乱歩君は近づいて、こう云った。
 どうやら乱歩君はこの顔も碌に見れていない、名前も話の内容も判っていない相手と知り合いではないかと誤解されてしまっているのか。

「ぃ、いや違うのである。乱歩君が…」

 小さな声で否定をしてみるも、乱歩君にも隣にいる女性にも聞き取られていなかったみたいで、首を傾げられてしまった。

「…この方とご友人ですか?今、少しお話をさせて頂いていまして…」

 乱歩君にも女性は声を掛けると、さも不服そうに乱歩君は表情が変わった。彼女を睨むかのように。小さな身体は彼女と張り合うように向かい合った。

「ご友人というか、今日は僕に付き合ってるつもりだったんだけど」
「つ、つきあっ…?!」

 乱歩君のその発言に非常に驚いてしまった。掠れた声のおかげで大声にはならなかったが、それでも我輩含め3人はやけに駅前で目立ってしまっていた。日本の駅前はこんなにも人が集っているものなのだな、と今になってどうでもいいことを考えてしまった。現実逃避…という様に。

「でも、君がこの人と約束があるんだったら僕は一人で出掛けるよ」
「え、乱歩君!我輩そんなつもりは…」

 乱歩君は今度は我輩を睨んできた。なんなのだ、この三角関係の様なものは。物凄く歪であるが。
 少し睨みつけてから、直ぐに乱歩君は何処かへ向かって行きそうになってしまった。こんな地理が判らぬ場所に一人にされるのは非常に苦痛だ。

「済まぬ…失礼する」

 女性に一言詫びを入れて我輩は慌てて乱歩君の背中を追いかけて走っていく。こんなに走ったのはいつ振りだろうか。

「ら、乱歩君…待って…息が……きれ……」

 はぁはぁ、と仕舞には膝を曲げて止まってしまった。乱歩君に追い付けることも無く。毎日本と原稿に向き合っていた生活を送っていたからか、体力に弱点があることが露呈されてしまった。このままでは乱歩君を見失ってしまうではないか。
 今日は乱歩君と出掛ける約束があるからこうして楽しみにしていたというのに、如何して…こんな展開になってしまったのであるか。恋愛小説はあまり得意ではないのだ。この時、如何したらいいのか判らない。

「何やってるの」

 すると、前で知っている人の声が聞こえてきた。
 今日はよく声を掛けられる日だ、とゆっくり顔を上げると、そこには矢張り知った顔の主がいた。

「乱歩君」
「凄い汗かいているけど、大丈夫?まあ、大丈夫じゃないか。無理して走るからいけないんだよ」

 莫迦だね、と云いながらも乱歩君は手を差し伸べてくれた。その手を無意識に取った。小さな手は、しっかりと我輩の身体を起こす助けをしてくれた。

「どうせ君の事だから変な勧誘に声を掛けられてもどうしたらいいのか判らずに戸惑っていたんでしょ?ああいう時はさっさと何処かに逃げるのが一番だよ」
「そうだったんであるか…」
「本当に君は人付き合いが下手だよねえ。もっと自分らしくいかないと後々悔いを残す事になるよ」

 それから彼は直ぐにこれから向かうべく場所へ方向を転換していく。真っ直ぐ進んで此方をもう見る事は無いようだ。
 けれど、一つだけ引っかかっていたことがあった。

「ら、乱歩君…あの時、付き合ってると云っていたが、それは如何いう意味であるか…?その乱歩君と我輩は其処まで…その……」

 うまく言葉に表すことが出来ないが、乱歩君は我輩をそういう対象として見てくれていたのであろうか。まあ、我輩は乱歩君の事をきっと友人以上に好きであると思うけれども、そこまで互いの関係性は発展していたのであろうか。
 そんな希望を少しでも思っていたが、

「え、買い物に付き合ってくれているんでしょ」

 乱歩君は淡々と云った。当たり前だと。我輩のこの甘い願望は幻想であると簡単に打ち破られてしまった。これは我輩の小説書きの妄想癖が行き過ぎてしまったのか。
 それよりも、と乱歩君は次々に行く目的へと連れて行く。手首をしっかりと掴まれて我輩は引っ張られている犬の有様だ。

「……あれ、ひょっとして何か変な事でも想像したの?」
「変な事って…我輩は別に、そんな破廉恥な事を考えてはいない!」

 そこまで、は考えていなかった。まあ、将来的に破廉恥的な事にまで発展できるとは到底無理だとは思うが、少しだけ願望が途絶えてしまった。

「まあ、また付き合ってくれたら君の事を考えてあげてもいいよ」

 ハートマークが付きそうな語尾。
 その表現はどの意味があるのか。まだ、途絶えられていないとでもいうことだろうか。

「取りあえず、今日は二人で楽しむとしようか」