たかが、お菓子の付属品だった。失礼な話だが、金を掛けた商品とはとても云い難いものであった。さらに昔のものだ。何年か前に乱歩と共にお菓子を購入したら、そこについていた。彼が、やたらと気に入っていたから、それを渡した。
そんな事、当の昔だと思い、つい先程まで忘れてしまっていた。福沢は、太宰から見せられた事で思い出したのだ。
乱歩はそんなおまけ一つに固執しているとは考えても居なかったのだ。あの男は気まぐれであり、飽きっぽい男だった。長い付き合いである福沢は厭でも彼の性格はしっかりと理解してしまっていた。
今では厭だとは思わなくなっていたのだが。
むしろ、今福沢は彼のことしか頭に入っていなかった。
あの後、無言のまま福沢と太宰は探偵社に戻り、即行で国木田に捕まってしまった太宰を横目に、福沢は一人個室に籠っていた。決して仕事が無いという訳でも無かったが、粗方仕事は終えていた為、さして支障はない。
彼は目の前に事務員が置いて行ったお茶すらも手に付けることは出来ないでいた。
椅子に乱雑に置かれたどら焼き。いずれも最早福沢の視界にはかすりもせずに完全に消滅していた。視界には、簡素な天井だけが映り、それすらも彼には認識されていないのだろう。
「あの……社長?」
「あ、ああ。なんだ」
天井の景色すらも消して目を閉じたところ、同時に室の扉から数回叩く音が聞こえ、開けられた。
「乱歩さんからお電話が来ているのですか」
まさに、今彼の頭の中に居た人物だ。
「そうか…貸してくれ」
「はい」
それだけ云い、小型機を渡されて耳元にまで運ぶ。
向こうから音が聞こえてくる。人の雑音や信号音など…様々な音が重なりあってこちらにまで伝わっていた。
だからだろうか。彼は大きめに声を出して話しかけてきた。
『ああ、社長?さっきまで横浜の公園でマジックをやっていてつい見ちゃったよね。皆何が起きているのか判らないって顔をして驚嘆していたけれど、少し考えれば答えなんて簡単に見つけられるのにね』
彼は相変わらずであった。莫迦だよね、と他人を下に見ては優越に浸っている彼らしい言葉であった。
「そうか。それで、何の用だ?」
『…何か冷たくない?何か厭な事でもあった?』
乱歩が電話越しであるというのに、彼の僅かな異変を感じ取っていた。しかし福沢は厭な事があったとしても、それを口にしようとは全く思わなかった。そんなに大したことでは無いのだ。
「…乱歩。お前は……」
そこで、福沢は止まってしまった。何を口走ろうとしていたのだろうか。彼は、途中で止まってしまう。
『それより、今太宰って事務所にいる?彼奴に少し用があるんだけども』
「太宰か?一度は此処に戻ってきたけれど、今日は直ぐに帰宅したはずだ」
国木田からの説教を上手く躱して、そのまま姿を消していた。先程まで騒がしかった空間も今では落ち着いている。それを報告すると、「そうか」と彼は云った。要するに、用事があったのは福沢では無く、太宰にであったのだ。それを判って少しだけ、悲しくなってしまっていた。その次の瞬間、自分の思考が奇妙な方向へと向かっている事に漸く気づく。
「そう云えば、先日お前が欲しがっていたどら焼き。購入してきたから好ければ食べに来ると云い」
『え、ほんとに?』
「太宰でも誘って食べたらいい」
『……ん?どうして太宰が出てくるんだ?だって社長が買ってきてくれたんだったら一緒に食べればいいじゃない』
それは至極当たり前の台詞だった。乱歩が福沢と一緒に食べる事を楽しみにしていたのだ。
「……だが」
『社長、今日は変だね』
すると、それだけ云われてそのまま電話が切れてしまった。ツーツーと切れた音だけが部屋中に響いてくる。
「………はぁ」
疲れた。福沢は、一人でいる事で油断して、椅子の背もたれに全体重を預けた。すぐ傍にはどら焼きがあったが、それをどうこうするつもりは無かった。
―――彼奴は、もう俺を必要とはしていないんだろう。
彼は、指輪を手放したのだから。きっとそれはそういう暗喩なのだろう。そう思い込んでいる福沢は、今自分の頭の中が空っぽになった感覚となった。
乱歩が太宰と恋仲であることは空の噂で聞いていた。本人から聞いていないが、気が付けば二人で仲良くしている事も多かったのだ。
ずっと、隣について相棒だと傍からは茶化されることもあったあの幼子が、もう手を離れて行こうとしている事を実感する。
「……子離れか。それとも…」
―――ただ、育てた子供が巣立っていくことなのか。それとも、それ以上に自分は彼を想っていたのだろうか。