横浜から離れた遠くの名前も知らない街を一望できる丘。横浜とはまるっきり別の世界ではないかと思う程に低い平家ばかりが立ち並んでいる。そう云えば、僕が育った街もこんな風に否かだったかもしれない。 昔を思い返していると、彼は漸く僕の元へと戻ってきた。 若干汗を流しながらも、両手には缶ジュースを持っている。一つはコーヒー、もう一つはオレンジジュースだ。何処まで買いに行ったのか興味はあるが、少し乱れている息からして太宰にしては珍しく働いたんだろう。その栄光はあえて聞かないでおくとしよう。 「遅くなってしまって、済みません。乱歩さんはオレンジジュースでいいですか?」 「うん、ありがとう」 手に渡された缶はしっかりと冷たさを保って、水滴が手に伝わってくる。太宰の汗では無いと思うけど、少しからかってやろうと聞いてみると、勿論直ぐに否定された。 プルトップを弄り、すっかり喉が渇いていた為、勢いよく体内に液体が浸透していく。全く、誰がこんな面倒な立地に来てみようなんて云ったんだか。 「太宰は如何してこんな辺鄙な街に来ようと思ったの」 「そうですねー…」 太宰がある日突然、観光をしようと提案してきたのだ。探偵社の皆に……では無く、僕だけに。僕と二人で仕事の合間に出かけませんかと聞いてきた。まあ、僕自身も詰まらない仕事をするぐらいならば面白そうだと思って二つ返事で答えてしまったから、特に中身も聞かなかった。それが、まさかこんな知らない土地に連れて来られるとは思いもしなかった。というか、太宰は車を運転出来るんだということにも驚いたけど。 「太宰って…こんな街並みとか好きなの?」 丘の端にまで歩き、落ちない様に建てられている申し訳程度の柵から身を乗り出してみる。丘の下に置かれているレンタカーが確認出来ると同時に、此処まで自力で登ってきたのか、と僕自身を褒め称えてやりたい気分であった。そもそも如何して車という便利な足が在るのに此処まで車は通れないんだろうか。全くこれだから田舎は嫌なんだ。 「街並みは好きですよ。こういう処から飛び降りたらどんなに綺麗な死に様なんだろうか、と想像をする事もあります」 太宰はゆっくりと僕の隣に並び、同じく柵に手を置いて下を見た。下を見て、感嘆の言葉のみ。 この男とは長い事隣に居たけれど、この自殺願望者の考えはさっぱり読み取ることが出来ないもんだな。 「………まさか、このまま死ぬわけないよね」 半分冗談交じりに云ってみるが、直ぐに彼はそれに否定した。「まさか」とは云いながらも、それでも彼は下を見る事を辞めない。 意外と彼の本心ってのは見えてこないもんなんだよね。推理してみようかと思ってもみたが、結局知りたい感情よりも知ってしまった後の恐怖を考えて留まった。 人は知られたくない事は恋人にも隠すという。だから、きっと彼もまた僕に云わないってことは云いたくないって事なんだろうね。それならそれで構わない、と僕はこの男と付き合う際に割り切っていた。 「……まあ、でも死ぬ際にはきっと笑って死ぬことでしょう」 少し黙っていた太宰が漸く喋り出したとしたら、君は一体何を云い出しているのだか。 僕は怪訝な表情を浮かべたままだんまりを通す。すると、少し困惑した色を浮かべて太宰は早々に口を開けた。 ……このままでは僕に愛想を突かれるとでも思っているのかもしれない。 「別に今すぐ此処で死のうだなんて考えてはいませんよ、勿論。今は乱歩さんと一緒に此処に来て何にも考えないで過ごせればいいかな、と思っていただけですから」 笑みを努めている。僕のご機嫌取りに違いないが、全く何も云っていない僕のご機嫌取りをする様にだんだん愚かで笑えてきた。 最終的には笑ってしまった。盛大に声をあげて。 この丘には僕らしか居ないのだから、別に誰も困りやしない。 「あははは、太宰は本当に愚かだねえ」 ………太宰は一緒に笑う努力をした。 この丘を少しは好きになれたかもしれない、と満足が行くまで笑わせてくれた。横浜のごった返した街中ではこんなに笑ったらきっと人目を集めてしまう。 「まあ、太宰が此処で死なれてしまったら場合によっては僕が逮捕されてしまうかもしれないから、僕の居ない処で太宰は死んでくれると助かるよ」 笑いながら云うと、今度はしばしの沈黙を作ってしまう。二人の顔から笑顔が消えて、風だけが音を立てていた。失言だったか、という事を全く理解していない僕には太宰が少し怒った表情になっている意味が判らなかった。 「乱歩さんは私が自殺をしようと構わない、と思っているんですか?」 「え、何…急に」 「乱歩さんは如何だと思っているんですか?」 ……風が冷たくなった。 同時に誰かに助けを求めたい程に太宰のテンションは変わった。彼は、一体何を怒っているんだろうか。 「自殺…したいって太宰が思ったんだったらそれは君の自由にしたらいいと思うよ。だって、僕に君を止める権利は無い」 入水でも何でもしていた処を目撃したとしてもきっと僕は彼を助ける事はしないだろう。遠くで眺めているだけだ。 横浜の某所。自殺を図った男が川に流されてた処を発見。その事件現場に駆り出されたりするかもしれない。少しだけイメージが出来てしまった。 その時、彼は果たして笑っているのだろうか。笑って死ぬだなんて最初に宣言したのは太宰じゃないか。 今如何して僕が太宰に責め立てられているのか、疑問に持つと同時に苛立ちすらも重なってきた。 「…乱歩さんは私が死んでも構わないんですか?」 「何度も同じ質問を繰り返さないでくれよ」 同じ質問をされてしまえば、同じ答えを出すしかない。何度も繰り返し口に出して伝えるしかない。 「少し意地悪してしまいましたね」 心が折れたのは、太宰が先だった。頑固になった僕はらしくも無い様を見せてしまった。 「私は、乱歩さんと一緒に居る間は死にませんよ。それこそ乱歩さんが先に死んでしまったら後追いはするつもりですけど」 「止めてくれ。僕はまだ長生きしたいと思っているんだから」 風の流れが変わった。僕の石頭を風で動かしていく。 素直になれていない、という訳では無い。ツンデレなんて肩書を請け負うつもりは無いけれど…多分、僕は君が死ぬ時を想像したくないんだ。気にしていない、なんて口にはしているけれど、死体だって別に見て怯える事も無いけれど、それでも太宰の死体なんて嫌だ。 「僕は、君が自殺したいと思っているのなら、止める事はしない。僕の意志だけで、君の将来をどうこうするつもりは無いからね。けど、さ。残された方の身にもなって欲しいとは思うよ」 気が付いたら、自分の考えている事が口に出てしまっていた。意図していなかったから、僕自身も驚いてしまったが、太宰も予想外の言葉が出てきたのか、驚いてしまっていた。 「乱歩…さん」 風でなびくせいで乱れている太宰は、目を見開いたまま、こちらを見て黙り込んでしまった。あんまり黙られると、僕としても次に何を云えばいいのか分からなくなるから気まずさを隠せないんだけれども。 「……あー!何かお腹空いた!何か甘い物でも食べたくなってきた」 空気を変える為に僕は大きな声を出してみた。 「そうですね」 太宰はすっかり空になった二人分の缶を持ち、そのまま丘から離れて行く。 「乱歩さんの為に、私はまだ生きていますよ」 「だから僕は別に……っ」 「私は残された人の事も考えた結果です。きっと乱歩さんが号泣すると思うのでね」 号泣…なんて、誰がするか! と、心の中で思いながらもそのまま二人で丘を降りていく。この後、甘い物でも食べてのんびりと観光をしていこう。 大丈夫。今はまだ君は隣にいて生きていてくれるのだから。先の事は考えないでおこう。 |