目を覚ますと、そこには一人の男がこちらを見ていた。我輩にはこれが何を意味しているのか、全く理解出来なかった。 真っ白な雰囲気に二人の身体だけが色を付け、一定の距離を保ったまま男はこちらを見ていた。だが、我輩は彼を見上げるように顔を認識しようと努力する。 しかし、彼の顔ははっきりと見えず。深く帽子を被っているから何者か分からない。その為、彼に大いに警戒心をむき出しにして相手の出方を伺う。身長は小柄で、細身だが…男であるだろう。 我輩はゆっくりと身体を立たせて、彼に何か話しかけようと近づく。一歩前に足を運ぶ。すると、それに倣って、彼は一歩後に下がる。 次に、数歩一気に動かしてみる。すると彼もまた同じく行動をした。絶対的な距離が何時まで経っても変わらない。彼は一体何をしているのだろうか。我輩の方を見ているのに、どうして近づけないのだろう。 「あの…君は一体何者なのであるか」 自分自身では大きな声を出してみたが、彼には全く届いていない様子であった。彼は大きな欠伸を見せつけて、つまらないのだと声を荒げた。 「ふああ、何だか何も無くて詰まらないんだけど。甘い物が欲しいな。ねえ、君は何か持っていないの?」 しゃがみ、子供の様にだだを捏ねて、泣き喚くこそはしないが、それでも彼は今の状態に酷く不満を訴えていた。そんな彼に対して我輩は一体どの様な態度を取ればいいのか、全くわからなかった。それでも、何か声を掛けなければ、と震える唇を動かす。 「君は…一体何をしたいんだい?我輩には君が何者か判らないのだ。せめて名前を教えて貰えぬか…」 我輩も同じくしゃがんで問うてみる。 「え、僕の名前?僕は乱歩。有名な名探偵さ」 「ら、んぽ君…?」 「あれ?僕の事覚えていない?まあ、一度しか会った事が無いから仕方ないか!」 「いや…乱歩君の事は覚えている」 「え?」 漸く乱歩と名乗った男は帽子を外して、我輩に素顔を晒した。すると、そこにいたのは紛れも無い、乱歩本人であった。かつて探偵勝負を行った相手。 ……忘れる筈が無かった。 云われてみれば、背格好もあの時の乱歩君そのものであった。一目見て気づかなかった自分が不肖の男であると反省をしなければならない。このまま一人でぶつぶつと反省をしてしまいそうな勢いになってしまった、だが…それは取り敢えず止めておこう。今目の前にはもう一度会いたかった人物が居るのだから。 「でも…如何して、今こんな処に君はいるのであるか?」 「なんでって、それは此処が『夢』だからに決まっているだろう?夢だから米国だろうと何処だろうと君の直ぐ傍にまで足を運ぶことが出来るんだよ。夢ってのは全く奇妙な物だよね?」 「…そう、か。夢か」 酷く納得をした。小説の読み過ぎかもしれぬが…脳内は酷く冷静な理解を得た。 「君は、何を荒げているのであるか…。先程まで散々大きな声をばら撒いていたが、我輩でも力になれる事は無いだろうか」 「力に?うーん…どうだろうね。ああ、でも面白い事件が在れば僕は凄く嬉しいよ。出来るだけ頭を使う難解な物で頼むよ」 「……難解」 彼は、事件が無い事で飢えていたのだろうか。 「我輩の持つ小説を読む、という事は如何だろうか」 とはいえ、今手ぶらである為、その様な物を提示することは出来ないのだが。そもそもこの空間こそが夢であり、小説に似ている。 「小説…?うーん、まあそれでも面白いなら読んであげるけど。詰まらないなら僕、破くかもしれないよ」 「え」 どうやら夢に出てくる乱歩君は小説ではお気に召さないのだろうか。 しかし、我輩の異能力では小説は非常に重要な物だ。 それでも、我輩はずっと乱歩君に出会って、敗北をしたあの時から…君に読んでもらう為に何年も掛けて作り込んだ物がある。そして、もうすぐ組合という組織を利用して、彼に再び勝負を挑もうと考えているのだ。 「…否、矢張り今回は止しておこう」 「えー?無いの?」 「今此処で乱歩君に紹介してしまったら、日本で君に挑む時にサプライズにならなくなってしまうから……それは止そう」 すると偉く不満気な表情を露わにした。 夢の世界なのだから、きっと目の前にいる乱歩君は我輩の中に残っている乱歩君の印象がそのまま目の前に映っているのだろう。あの時の乱歩君はまだ幼くて、それでいて自由奔放に動き回って、そして見事に解決をしていた。 そんな彼の姿は今も変わらず居てくれているのだろうか。目の前に居る偽物の様に、彼は元気にしているだろうか。 「……ふふ」 「え、何笑ってるの?一人で楽しみを独占しているなんて許せないなあ」 「あ、いや…済まない」 しかし、謝罪をした我輩を見て彼は笑っていた。 可笑しいな。何故君の笑顔を見て今我輩も笑えているのだろうか。 君には勝負を挑みに行くつもりだというのに、何だか君の顔が見たくなってしまったじゃあないか。 「…次に君に会ったら、君は笑ってくれるだろうか」 「さあ?君が僕を楽しませてくれるなら、きっと笑ってくれるだろうね」 それだけ、云うと…彼もまた白く世界に溶け込んでいった。夢の時間はもう御終いだと告げている様だ。 それならば、仕方ない。 「今度は、日本で君に会おう」 君と勝負を挑むまで、あと――― |