週明けの月曜日。天気は雲一つ見せない程に綺麗な晴れであった。 目を覚ますと、そこには雲も誰も居なかった。私だけが布団に寝そべっていた。真っ白な天井に殺風景な空間。 「もう朝か…」 そんな事を呟いてみたところで、誰かが声を返してくれることも無い。一人なのだ。独りで、この部屋に居るということらしい。自身の隣に手を当ててみる。違和感な程に布団の端に避けている身体。そして半分の空間に手を当てた処ですっかり身体が当たっていない部分は冷たく変わっていた。彼は、消えてしまった。この場から跡を残す事無く、私が寝ている隙を狙い。 「……はぁぁ」 大きい溜息すら出す事が出来なかった。 乱歩さんは一体何時にこの家を去って行ったのだろうか。 ゆっくりと上半身を起こして、何も纏っていない身体を、誰も居ない自宅であることで気にもせずにそのままでいた。今の身体は既に重くなっているというのに、如何して更に重い衣服など着ようか。 昨夜の出来事は果たして幻か。自身の抱いていた幻想か。 彼の居ない現実だけに在り得なくも無い事に一人で苦笑する。 昨夜、自宅に乱歩さんがやってきた。 あの時は互いに酒に酔って軽はずみに行動してしまったが、確かに二人で交わった。布団に身体を置いて、二人で肌を触れあった。酔っていたが、多分彼は此処に居た。情事を終えて二人狭い布団に身体を埋めて、嫌に恥じらいながらも睡眠をした。 「明日はちゃんと社に行かないとね」なんて会話をして。 「………好き、か」 乱歩さんは、今日社に顔を出すのだろうか。そして私と顔を合わせて、何時も通りの笑みを見せてくるのだろうか。何事も無かった様に。酒に全てを流して。 『昨日は記憶が無いんだよね』 なんてことを抜かして。なんて酷い人なんだ。 気が付けば、上半身は脚目がけて曲がっていた。曲がり、そしてそのまま停止した。このまま今日は仕事をサボってしまおうか。理想大好き人間辺りに跡でグチグチと文句を云われるかもしれないが、それで済むならそれでいいか。 「……顔、合わせたくないしな」 乱歩さんから何か云われるとは思っても居ない。それこそ無かった事にされてしまったら私はもう立ち直れない事間違いない。そのまま私は水死して、その死因を後に名探偵乱歩さんの手によって簡単に暴かれる。否、暴かれることは無い。 ―――失恋して、自害。 そんな事、乱歩さんが私の気持ちを知らないのだから、誰にも知られる事無く、そのまま墓場まで持っていく事となるのだ。 そんな情けない自身のミライを想定してみると、最早この体勢から起き上がることなど出来やしなかった。 確かにあの時、乱歩さんに好きだと云った。情事の合間に脳がショートしたままに、ただただ栗化して好きだと云った。そして確かに乱歩さんはその言葉に首を振っていた。うん、と頷いてくれていた。 けど、彼が口を開いて「好き」に応えてくれることは無かった。私のこの想いも彼の中からはとっくに酒の酔いと同じに混ぜられてしまっている。 今までの女性との付き合いだったら別に苦労する事など無かった。共にいて、愛を囁いて…そして時を共に過ごした。 けど、それは相手が男だからだろうか。乱歩さんという最難関門は今までの女性と違い、こんなに翻弄されて、自分らしくも無い。 けれど、仕方がない。たかが一夜の、誤り。あの時は互いに酔っ払っていたのだ。あの好きも、人違いなんだ。 多くのいい訳で頭を埋め尽くしたところで、この恋が終わりを告げたくない、と嘆いていた。 誰にも知られずに、 この恋が終わっていく。 そう、だろうか。 渋々、身体を起こして重たらしい服を身に纏った、その時だった。 ガチャリ、とドアノブが動く音がして、備え付けられていたドアはいとも簡単に開かれた。外の空気が少しだけ寒さを伝えながらも、部屋の中に無遠慮に侵入してくる。彼と共に。 「あ、太宰起きてた。全く、朝早くにコンビニに行こうと思ったんだけど、全く都会の人達は朝からせっかちだよね。もう出勤だ、なんて小走りなんだよ」 彼は、乱歩さんは今確かに私の部屋に居る。彼も風動揺になんて無遠慮なんだ。 乱歩さんに目を向けたまま動けなくなってしまった私に気づいたらのか、彼は不思議そうにこちらを見て、首を傾げた。傾げたいのは此方のほうなのだが。 ……なんで、まだ居るのだろう。 そんな事を口走ってしまったら、きっと今すぐにでも消えてしまいそうなので、心の奥底に鍵を掛けてしまっておくことに。それでもまだ彼が一体何者なのか確信が持てなかった為に、思わず彼の頬を引っ張った。 身体の重さもすっかり霊が抜け落ちた様に軽くなり、簡単に乱歩さんに近づけられることが出来た。 「い、いひゃい!」 直ぐに振れた手を叩かれてしまう。 「何すんだよ、いきなり。ひょっとしてまだ寝ぼけていたりするのか?確かに後ろの寝癖は大層滑稽だけれどね」 そう云われて後頭部に手を当ててみるが、自分ではそれを認識するのが難しい。それでも私の寝癖を見てにこりとご機嫌な彼の表情を見れれば、それで満足か。 「乱歩さん」 「待て」 名前を呼ぶと、手を伸ばして私の顔の前に手のひらを広げた。口を動かすな、という指示だろうか。 「―――あの…乱歩さん?」 「……呼ぶな」 何を?何のことを云っているのかさっぱり判らない私には、先程の乱歩さん同様に首を傾げてみる。 ……ん?すると、乱歩さんはいつの間にか顔を俯かせてしまい、目の前に広げられた手が維持出来なくなってきたのか、徐々に低迷していく。 「乱歩さん、大丈夫ですか?」 俯いた顔を覗こうとすると、今度は勢いよく彼の頭が降り上がる。 「だから!名前を呼ぶなって云っているだろう!何度も云うな!」 上げた顔は、目を開いて、綺麗な瞳がこちらを見ていた。私を見ていた。 「…いやいや、名前を呼ぶなと云われましても…何を急に」 「お前、昨夜散々僕の名前を呼んだだろ!その…布団の中で。節操無く呼ぶもんだから…なんか、頭の中に残っている…というか…」 珍しい。乱歩さんが歯切れ悪い。 けど、それ以上に。 彼は笑って、昨日のことを流さなかった。確かに昨日の出来事は幻想では無かった。二人が同じ幻想を見ていたわけでも無く。 「ふふっ」 先程まで自身が考えていた展開があまりにも情けなかった為に、過去の自分に笑ってしまった。何を心配していたのか、と後悔でもしておこう。 「…何が可笑しいの」 しかし、笑った意味を理解していない乱歩さんはきっと自分自身の事を小莫迦にされたのだろうと勘違いしているに違いない。顔を赤らめながらも、こちらを睨んでいた。 「だったら、乱歩さんは昨夜の事…はっきりと覚えていますか?」 絶対に逃げられないように、彼の身体を覆うように腕を壁に当てる。きっと、彼が頭脳を発揮すれば造作も無いだろうが、きっと今の彼にはそんな余裕は無い。余裕の無い状況に追い込んだのは、私だ。 「……覚えて、ない」 「ほんとに?」 「……ほんと」 「じゃあ、もう一度云ってあげましょうか、乱歩さん」 最後に耳元で名前を呼んであげると、彼の肩は敏感に反応を示した。そして上がった肩は硬直したまま、彼の身体を守った。 「乱歩さん、好きです」 誰にも知られずにこの恋が、終わることも無く。彼の元に、今確かに届いた。 |