「乱歩さん…矢張り、指輪を探しているのか」
あれから直ぐに川辺に逃げ込むように駆けてきた太宰。
こっそりと敦と乱歩の話を聞いてしまい、彼が指輪を事務所で無くしたと考えている事で、安心をしている反面、徐々に乱歩に返しづらくもなってしまっていた。
―――大切な物…なのか。この商品自体に価値があるとは到底考えられない……誰かからのプレゼントだと考えるのが妥当。
では、一体誰が乱歩に渡したのだろうか、と想像してみる。まずは身近な存在から推測してみようかと想像をする。乱歩の様に推理力は残っていないが、それでも一人一人名前を挙げてみることとしよう。
「……敦君…は、無いか」
敦には直接指輪探しを頼んでいた当たりから彼本人が渡している事は無いだろう。太宰は直ぐに彼を選択肢から除外する。
そうして次は国木田か、与謝野か、事務員か…と名前を連ねて行く。事務員までも枠に入れてしまってはもう両手両足があっても数えきれない。そんな冗談も思いついてしまい、乾いた笑いが聞こえてきた―――それは自分の声であった。
「………全く、私らしくないな」
一人でこのまま川辺で黄昏時になってしまっては、実に私らしくも無い。川に流れでもして、頭…もとい身体を冷やしてみようか。そうして指輪をコートのポケットに仕舞い込んで川に近づいて行こうとした。
「…太宰。何をしている」
そこへ、誰かが彼を呼び止める。
「5月と云えど、まだ川の水は冷たかろう。無闇に川に飛び込むものでは無い」
そう云われてしまい、太宰は背後に居る人物を見るため振り返った。
「…福沢…社長。これはまた偶然厭な場面に遭遇してしまいましたね。貴方に云われてしまっては、これ以上どうこうする事は出来ませんね。潔く川から離れる事としましょうか」
福沢社長。彼が散歩の途中で川に手を付けている太宰を見付けて、声を掛けたのだ。福沢も入水しようとしている男を視界に入れてしまっては、それを無下にしようとは出来なかったのだ。ましてや、その人物が知り合いであるというのならば尚更である。彼は若干眉間に皺を寄せていた。
「散歩でもしていたんですか?」
「…ああ、今日は人が集っていて中々趣があったな」
彼は特に多くを語る男では無い。だが、その笑みは少しだけ柔らかくなり、今迄通ってきた道のりを思い返していた。太宰にはその変化を判る様な判らない様な気持ちを持ちながら彼の性格を熟知している事もあり、そのまま黙っていた。
すると、彼の元からカサカサと擦れた音が聞こえてきた。
「……福沢さん。その袋ってあの最近出来たどら焼き店のものじゃないですか」
擦れた音、それは福沢が所持していたビニール袋であった。
どら焼き店が横浜の街はずれに新たに出来たという事は、太宰も知っていた。乱歩が何処から仕入れたのか判らないが、彼が意気揚々と話していたのだ。それを先日、酔いながらも顔をほころばせた中で話していた。太宰も今度購入してあげますね、と云っていた。
「まあ、乱歩がこの前から煩くてな」
「煩くですか」
「彼奴が探偵所内でずっと喚いて仕事に手が付かないと云い出しかねないからな。今後また煩く騒ぐようであればその時には此れを渡して大人しくしてもらおうと思ってな」
どうやらそういう事らしい。
その言葉に太宰はうんうんと頷きと苦笑いを見せる。彼にもそんな乱歩の姿が容易に想像できてしまったのだ。乱歩は面白い事件でなければ仕事に対する態度も一変してしまう気自由奔放な男なのだから。それは付き合っている太宰も…否、付き合う前から判っていた事だ。
「何だかんだ社長は乱歩さんには甘いですよね」
そうして彼の好きな物を買ってあげる辺り。乱歩も福沢に頭が上がらない様に、彼も乱歩の事となると厳しくもあり、甘くもなる。太宰もそれを傍から見ては嫉妬心を隠す事に尽力を注ぐばかりであった。探偵社の古参の結束は強く、それは恋人という男が乱歩の隣に出来たからといって何かが変わる訳では無かった。
こうして二人でずっと立ち止まっているのも、何かという事を太宰が云い、福沢と二人で横に並んでこのまま探偵社まで歩いていく事にする。実に珍しい組み合わせ…もしかしたら初めてかもしれない、と太宰は思い返す。
こうして福沢と二人で会話をする機会など滅多に無い。乱歩を含めた三人で会話をする事はあるのだが。
「…社長は、乱歩さんが所持している玩具をご存知ですか?」
「玩具…?どれの事だ」
―――どれって…そんなに乱歩さんて玩具集めているのか?
そんな返答が来るとは思わず、太宰は拍子抜けしてしまう。
一方福沢は顔を険しくした。
しかし、太宰は頭を使いながら福沢に話しかけ続けていく。
「…乱歩さんが持っている指輪の事ですよ」
「指輪…?乱歩は指輪をしては居ないだろう」
「いえ、手には付けていないですけれど、何時も所持しているんですよ」
しかし、福沢にはあまりピンときていないようであった。
実は、太宰は乱歩が持っている水色の指輪とは、彼から貰ったものでは無いか、と選択肢を挙げていた際に目星がついていた。
福沢と乱歩の間には太宰も割り込めない絆の強さというものは見えていたのが、それをあえて見て見ぬフリをしていた。
「此れですよ」
そこで、遂に太宰はその物を福沢に見せてしまった。
「水色の玩具…」
「……乱歩さんが持っていたんです」
「乱歩が…?」
そこで明らかに彼は険しさを増した。明らかにその玩具を見たことがある顔をしていた。無表情な彼の僅かな動きを太宰は見逃さなかった。何せ、コマ送りにでもしなければきっと判らない程に数ミリ単位の話なのだから。
「……そうか、乱歩が持っていたか」
そんな事を口にしてから、彼は手に持つ袋の取っ手を握り締めたまま、口を開くことは無かった。太宰もこのまま会話をする空気になれず、互いに黙り込んだまま刻々と探偵社へと近づいていく。
流石の太宰も今彼が何を考えているのか読み取れなかった。だが、自分の心の中はしかと理解していた。
『こんな事をして、一体如何したいんだ?乱歩さんが大切にしていた指輪の送り主が福沢社長で……それを如何するんだい?』
―――何処かの私が今の行動を嘲笑っていた。