『これは、大事な宝物なんだ』
そんな事を云われるのではないか、と布団の中に籠ったまま太宰は怯えていた。恐らくまともな睡眠を取っていないだろう。
しかしあの後二人は朝を何事も無く迎えて、二人で朝食を取って…そして触れるだけの唇。
「行ってくるね」
乱歩は先に警察から直々に頼まれた依頼があると云う事で、太宰を置いて家を出て行った。指輪の存在を覚えているのか、覚えていないのか、その存在を隠しているのか…どれにも見えてしまった。
「何をやっているんだ、私は…」
あれからずっと肌身離さず所持していた玩具の指輪は、形を変える事無く彼の手元に残っていた。
―――やはり、渡してあげるべきだろう
―――彼に問いただしたらいいんじゃないか
頭の中でどの選択肢にしようかと眼を閉じて、悩み始める。
幸せな二人。付き合ってから特に大きな破局問題も無く、平和な恋人関係を築いていた。乱歩も別段不満を持っている様子は感じることが出来なかった。
「…………」
一瞬。余計な気持ちが攻め込んできた。
このまま、捨ててしまってもいいのではないか。そんな事を考えてしまい、自己嫌悪に陥る。
「……仕事に、行くとするか」
何時も通りの服を着用し、この玩具はそのままポケットに仕舞い込んだ。
次に乱歩と会った際にはきちんと返却をして、聞きたいことは聞けばいい、と云う結論でこの話は終わりだった。
「太宰さん…昨日はよくも勝手に仕事を押し付けてくれましたね…」
事務所に顔を出した太宰は、早々に貴方を待っていたとゾンビに見える敦がお出迎えをしてくれた。
「ああ、すまないねー」
「全然心が籠っていないですよ」
猫背になっている彼は、謝罪を感じられなかったことに呆れてしまったまま、またそそくさと仕事を始めようと動き出す。
まずは机の下に身体を忍ばせて、小さく身体を動かして何かをしている。時々頭を机にぶつけているが。
「何をして居るんだい、敦君」
その珍妙な行為に声を掛けないという選択肢は無く、当然の様に彼の今の行動を問うてみる。すると、もう一度頭をぶつけながらも、太宰の方へ顔を向けて一度固まってしまった。
「……ん?」
何も云わないが、見つめてくる敦の視線に気まずさを感じ取りながらも、彼の返答を待ってみる。
「あ、いえ…特に何もありません」
「え、何今の間は。私には何か云えない隠し事をしているのかい?」
ますます探求心が増してくる。
「太宰さんには内緒なんですよ!」
今度は正面から内緒宣言をされてしまう。
「敦君も中々口を開くようになったじゃないか」
「あ、いやー…そ、そのぉ…」
敦はゆっくりと机から身体を出して、太宰ときちんと向き合っていく。逃げられない様にしっかりと彼を見据えていく太宰。逃げられないと分かって居ながらも、視線を逸らして戦う敦。
「たっだいまー!今日も見事に晴れてるねえ!」
二人の緊迫した空間を遮る様に、空気を読まずに登場した人物は―――乱歩。彼はつい先程太宰宅を出て事件現場に顔を出していた。
「今は連休なんだっけ?だったら僕達も何処かにお出かけでもして旅行でもしようとは思わないかい?こんな小さな場所に皆して集まって居たら勿体無いじゃないか」
その後は、横浜の人の多さにぐちぐちと文句を垂れ始める。
「旅行、いいですね。乱歩さん!これから一緒に何処か行きましょうか」
「おい、太宰。お前はまだ仕事が残っている。そんな状態で旅行になんぞ行かせられるわけが無いだろう」
敦から視線を変えた太宰は次に、会話に混ざってきた国木田を見る。
「全くそんな仕事ばかりしていたら疲れてしまうよ」
国木田の両手一杯に抱え込んでいるファイルの有様を見て太宰と乱歩は同時に、溜息を付いた。
「な、何も仕事を終えても旅行に行くなと云ってるわけでは無い!」
流石に二人から責められては何も対抗できなかったのだろうか、国木田は早々に台詞を吐き捨てて仕事に移っていく。そんな後ろ姿を見て、太宰と乱歩は二人向き合ってにやりと嫌な笑みを見せあった。
「まあ仕方ありませんね。仕事が終わったら旅行にでも行きましょうか」
さり気なく誘ってみる。
指輪の事などすっかり忘れて、何時もの二人の様に会話をする。
「如何しても僕の力を借りたい時は呼んでくれよ」
早く終わらせてね、と太宰に言葉を掛けてその後乱歩は敦を連れて何処かへ向かっていく。無理矢理連れて行かれる敦は、引きずられながらも足を上手に使っていく。
「さて、敦君」
人気のない、事務所間の通路で二人は立ち止まる。誰も居ない事をしっかりと確認した乱歩は敦に問いかける。
「僕が頼んだ物は見つかったかい?」
「……指輪、ですか?事務所内は探している途中ですけど今はまだ見つかっていないです」
例えば、事務所に並べられている机の下には無かった。それは彼が頭に怪我を負いながらも探し続けたので間違いない。
そう、敦が必死になって探していたのは、乱歩に頼まれた指輪であった。
早朝に出社した敦が事務所に掛かってきた電話に出た途端、指輪捜索係りに任命されてしまったのだ。
決して指にはめることも無く、只衣服に忍び込ませているだけの玩具の指輪。水色に彩られていた指輪。換金することは到底無理な商品ではあるが、乱歩はそれを今まで肌身離さず所持していた。偶にズボンのポケットに手を入れると、その中には指輪が入っていて、それを誰にも見られずに触っていた。誰にも云っていない、恋人である太宰にも何も云ってこなかった。誰にも知られずに、一人でずっと持ち続けていた指輪。
勿論、そんな事細かに告げられていない敦は、ただ一方的に命じられた事をこなしているだけであった。実物すらも見たことは無い。それでも敦は何となく察していた。それが乱歩にとって大切な物なのだろうという事を。現に、今敦の前に居る乱歩は少し指輪を思って切なそうにしているのだ。そんな姿を見せられてしまえば、今更辞退などする事なんて出来ない、と敦は頭を摩りながらも思う。
「乱歩さん、絶対に見つけ出しますね!」
「え、あー…うん」
敦のやる気に押し負けられそうな程にふわふわしている乱歩。
「指輪、乱歩さんにとって大切な物なんでしょう?」
その言葉に乱歩は一度固まる。それは単に敦の言葉に何か思ったという訳では無く、二人の傍に事務員が通りかかったからであった。
誰にも聞かれてはならない、と敦にだけ告げている乱歩。太宰にも云っていないこの秘密。
乱歩はそれからすぐに敦と別れて、定位置へと戻り、与謝野と共に会話を弾ませていく。ポケットに手を入れたまま、何もない空洞から寂しさを紛らわすよう手を深く入れ込む。
そして敦は再び乱歩から頼まれた指輪を探す為に他の未捜索地へと降り立って行こうと考える。
そんな二人のやり取りを二人の死角に潜んで聞いていた太宰を置いて。