僕の勇気を見ないで | ナノ
 


「あ、あのさ――」

 何時も何気ない会話だって沢山してきた。実の無い話益体の無い話役立たずな話を一杯してきたのに、大切な話は何一つしてきていないのかもしれない。












 僕は喋るのが苦手だ――なんて云ったら嘘だと即突っこみを入れられるだろうが、本当に喋るのは苦手だ。苦手でも人は喋らないといけないでしょう。面倒なことでもやらないといけないこともある。なんなら働くのが厭でも働いて金を稼いでいる人だっている。それと同じ感覚何だと思う。

「あれ、寝ているんですか乱歩さん。そんな腹を出して寝ていると風邪を引いてしまいますよ」
「……んー…?」

 誰かが耳元で囁いている気がする。耳馴染のある声がする。すっかり耳に残る――やけに居心地のいい声。
 その声が居心地がいいと称しておきながらも痒くなり、眉間に皺を寄せてから目をゆっくりとあげる。すると、その瞳に映ったのは、矢張り馴染みのある顔――太宰のものだ。すっかり暇だった僕は新聞紙を床に落としてソファで寝転んでしまっていたらしい。服の中に手が侵入しているので、その影響で腹が外気に晒されてしまっている。ふむ、その合間から入ってくる風が少し腹を刺激して寒気がやってくる。

「乱歩さんって可愛い寝顔をしていましたね」
「ふあっ?僕の寝顔なんて僕自身が確認するのは無理だから判らないけど、可愛いとかあるの?格好いい寝顔とかも見てみたい」
「ふふっ、そういう意味で云ったんじゃないんですけどね」

 どうにも噛み合っているのか合っていないのか不思議な空気感を纏っていたが、それでも太宰は表情を変えずに僕の前髪に触れて、それから後ろ髪にも触れた。
 その意図が判らないので取り敢えずされるがまま、経過を待ってみたがすると頭部の髪を摘まんで直線を描いた。てっぺんから引っ張られるみたいにつんっと伸ばされる。

「……何?僕の髪の毛が羨ましいのか、それとも何か変なの?」

 口にしてくれないと、何がしたいのか判りはしない。

「いえ、乱歩さん……無防備だなと思いまして」
「髪の毛もしっかり防備しろってこと?外に出掛ける時は帽子を被るから頭上からの攻撃の軽いクッションぐらいにはなってくれると思うけど」

 それとも室内――寝る時にも防具でも所持していろという注意だろうか。太宰の忠告が今一つ理解は出来ないし、きっと太宰も僕の発言を訊いて一瞬険しい表情へと変わったので僕の云いたい事なんて伝わっていないのだろう。
 本当に実の無い――実があってもそれは噛めない――噛み合わない会話だ。

「乱歩さんの後ろ髪が少し跳ねてしまっているのでそれが可愛いな、と思って触っていただけです」
「え、そうなの?後ろってどの辺り?」

 背中に手を伸ばして一束ずつ触ってみるけれど、視界に映らない部分はどうにも把握しづらい。目が後ろにあれば少しは楽なのかもしれないけれど、これじゃあ腕がつって寝癖うんぬんの笑える事態では済まなくなる。後ろに目は無いけれど、動ける目はある。

「太宰、触って?」

 太宰が代わりに見てくれればいいのだと、僕の手を動かしてそこへ誘導してもらう。そ
うしたところで直すのにもまた時間が掛かるのだけれど、別にこれから何も予定は無いし、何ならもう一眠りをしてもいいぐらいだ。このままでも大丈夫なのかもしれない、と思っていたが太宰は「直してあげましょうか」と先に云ってくれたので、暇つぶし感覚でお願いした。
 居眠りもいいけれど、誰かと喋るのも悪くは無い。
 すると、少ししてから霧吹きを持ってきて僕はソファに座って太宰が直してくれるのを待った。その間にも矢張り他愛無い話をしていた。

「太宰はこれから何も無いの?」
「ええ、私は書類整理を国木田君に無理矢理押し付けてきたので仕事が無くなって暇を持て余していたところだったんです。仮眠でみしようかと思ったら先客――乱歩さんがいたので、本当は大人しくその場を立ち去ろうとも思っていたんですけどね」

 だが、太宰は僕に声を掛けた。

「立ち去ろうとした瞬間に乱歩さんが可愛いくしゃみを発したので、そこで漸く腹部が少し見えていたのだと気付いて申し訳ないですが睡眠の邪魔をさせてもらいました」
「そんなに面白い夢を見ていたわけでも無いから別に起こしてくれても構わなかったよ。あ、多分机一杯に並べられた僕への依頼の束を見て楽しんでいた――そんな程度の夢だったよ」

 ああ、本当に現実だったらどんなに面白いんだろう。夢だから面白くないんだろう。

「乱歩さんは私と違って労働を苦痛に思わないんですね」
「まあ労働というよりも趣味に近いよね。そう云うと、社長に不謹慎だ、なんて昔云われたけれど、それでも僕の仕事に対する考えはそんな簡単に変わりはしない」

 はい、出来ました。という合図とともに僕は再び寝転がってしまった。

「乱歩さん、それじゃあ――」

 折角直した意味が無いじゃないか。苦笑いをした太宰は僕の所業を決して咎めも叱りもしなかった。
 それから僕と太宰はよくこの仮眠室で会話をするようになった。
 最初の頃はどちらかが既にやってきていて、それと被った際に時間を潰していた。それが次第にどちらか一方がその場に向かう姿を見れば後を追って自分も足を踏み入れる。そうしてろくに仮眠室としての本来の機能を果たさずにのんびり何気ない話をした。そして最終形態として菓子類を持ち込んで二人の時間が空けばそこで時間を過ごしていた。仮眠室の辺りは静かになるので、周囲から疎外された気分になりそれは二人きりの時間を味わうのに絶好の場所だった。そういう意味ではきちんと仮眠室としての役割を果たしているのか。その空間だけが遮断されているのだから。

「……乱歩さん、明日は何か予定でもありますか?」
「あした?明日は……特に緊急の依頼が無い限りはそれほど大きな事件も運ばれていなかった気がするなあ」

 明日の予定なんてはっきりとしていないけれど、多分予約が無ければそんなものだ。

「なら、明日は私と食事にでも行きませんか?」

 彼はそう云った。そう云うようになった。太宰が僕に食事を誘ったり休日を一緒に過ごさないかと誘ってくるようになった。積極的にその話を持ち込んでくる彼に、最初は少し鬱陶しいとすら感じていたが、徐々にその思いは消えており――二人の休日がやってくるのを楽しみにするようになっていた。僕は休日に一人家でのんびり過ごす、もしかしたら一日爆睡しているなんて予定が常に立てられていた。予定なんて大きく云えるものでは無いけれど、それでも誰にも邪魔をされたくないと思っていた。
 けど、太宰との休日はそれほど厭では無かった。

「乱歩さん、何処か行きたい場所はありますか?」
「乱歩さん、何が食べたいですか?」
「乱歩さん、

 そう云って、僕のことを常に考えて行動をしていた。
 太宰が僕に求めてきて、それに素直に答えて案内してもらう。そんな扱いをされてしまったものだから僕はある時不意に口にしてしまった。

「なんかデートみたいだね」

 何気ないと思っていた。けれど、その時の太宰は少し頬を赤らめて「そうですね」と肯定してきたのだ。いや、太宰が僕の発言に肯定した部分に驚いたのではない。驚いたのは太宰が柄にも無く頬を赤らめていたのだ。
 乱歩さんはその時から可笑しくなった。














 あれから太宰とまともな会話が出来なくなってしまった。別にあの日の外出は数枚の服を購入してそれで二度目の来店をした店で食事をして、それで僕の家の前でやってきて太宰と別れた。そんな予定は異常じゃなく通常となっていた。それでも、僕はあれから太宰を視界に入れると直ぐに目を逸らしてしまうようになった。

「………?」

 首を傾げてみても誰も応えてはくれない。

「乱歩さん、首でも痛めたんですか?」

 応えは確かに帰ってきたけれど、それは決して寝違えたわけでも首を怪我したのではない。怪我をしたのは、どちらかというと胸の内?自分でもはてなマークを付けてしまうぐらいに症状が何処からやってきているのか明確には判らないのだが、これはひょっとして何かの病なのだろうか。
 そう思いながらもちらりっと太宰が視界に入り込む。さっきは逸らした癖に遠くにいる彼は追ってしまう。何処に行くのだろうか。彼の行方が気になるが、大体の予想はついた。
 昨日から連日で敦君と大きな仕事をこなしていた。だからきっとその反動で眠気でもやってきて仮眠室にでも入っているのだろう。

「…………」

 僕は動かなかった。何時もなら僕は動いて一緒に休憩を過ごしていたのだけれど、それでも動けなかった。本当に眠いのなら一人になるのが何よりの薬なのだ。
 それに、話すことなんて無い。改めて何か話すのなんて歯ブラシが少し衰えてきたからそろそろ買い換えた方がいいのかもしれない、ぐらいの要らない情報しか提供できない。それぐらい、互いに会話をし過ぎてしまったのだ。

「――あ」

 だったら、太宰の病気の話でもしてみたらいいのだろうか。誰にも云っていない症状すらも今一つ掴めていない不明の病。それを僕は云えばいいのだろうか。
 脳はそれを必死に拒否した。無意識にそれは太宰に決して云ってはならないと警報を鳴らしてくれた。
 だったら僕は誰に云えばいいのか。
 またも首を傾げてしまう。首を傾げたところで何かが変わることは無い。視界が少し斜めになるもののそこに太宰はいない。取り敢えず社長にでも訊いてみれば少しは判るだろうか。きっと暇だろう、と決めつけて僕は社長室に無断で新入すると、彼は一枚の白い用紙を眉間に皺を寄せて睨みつけていた。

「社長、今暇?暇だよね」
「……なんだ。一回戸を叩いてから入れ、と……」

 社長は僕に注意をしているが、今はそんなものは欲しくない。きっと、年配である人ならば知識も豊富だから少しは病について知っている筈だろう。何せこの探偵社の社長なのだから。
 そうして事をある程度話をしてみる。最初は胸やら頭やらあちこちが痛くなるのだと部位について話をするも、社長も詳しくは無い。それなら与謝野女医に訊くのが手っ取り早い手段ではないかと告げられてしまう。だが、生憎彼女は今買い物に出かけて数時間は戻ってこないに違いない。此処まで来たのだから、と社長から書類を奪い取って更に詳しく話を進めて行った。何時からそれが発症したのか、如何いった時に起きるのか。
 症状は実に軽かったり重かったり昼間だったり寝る前だったり、探偵社にやってきた時だったりとまちまちだったのだ。
 だが、社長は更に眉間に皺を寄せた。あれ、可笑しいな紙は奪い取ったのに何にそんな険しくなるのだろう。

「…乱歩、余りこういった発言は第三者から云うものでは無い。だから、きちんとそれは本人に伝えてあげろ」
「本人って誰に?」
「そんなもの――」

 勿論、太宰にだ。
 社長は僕の話を訊いて何が判ったのだろう。あれほど身体は太宰に云ってはならないと告げていたのに、それでも社長は告げるのが一番の効果だという。そうなのだろうか。
 太宰を見ると、どきどきして。太宰のことを考えるときゅうっと締め付けられて。太宰に話すとうきうきする。そんな自分のまとまっていない感情を告げて太宰は僕の病気を治してくれるのだろうか。
 呆れながらに社長は僕の背中を押してこの場から追い出される。それと同時に太宰は仮眠室から出て来て、見事に目と目が合ってしまい、急に繋がってしまったものだから慌てて顔を逸らしてしまった。ほらまた心臓が小さく凝縮されて気持ち悪くなる。

「……………」

 話をしよう。
 今更だが、実のある話をようやっとしてみようか。

「…太宰、少し時間いい?」

 僕は外で話をしよう、と柄にも無く彼を誘ってみた。そう云えば、どんな形であれ僕から太宰を誘うのは初めてかもしれない。休日の外出だって何時も太宰からの誘いでそれに乗るだけの僕。それは彼の眼から一体どういった風に見えていたのだろう。怪訝そうな表情になりながらも太宰は僕の後についてきて社の入り口前で二人であると把握してから話を始める。

「あ、あのさ――」

 偶には大切な話をしてみよう。
 僕は一生懸命、苦手な言葉を使いながらもなんとか一生懸命社長に云ったみたいに一生懸命――一体いくつ一生懸命という四字熟語を使用したのか判らなくなるぐらいに僕はそれほど混乱してしまっていた。真面目な話をするのは苦手なんだ。何でも無い、日常を繰り返しているのが実は好きだ。何か面白い事件が起こればいいと思ったりする非日常性も求めるがそれだって今の僕にとっては日常の一部へと溶け込んでしまっているのだ。
 だから、真面目な話というのがどれだけ溶け込めていないのか。

「……僕、太宰と一緒にいると変な感じだから」

 だから――それ以上を口には出来なかった。
 すっかり先のことなんて考えていなかった。こうして気持ちを伝えて病気を改善してもらえればそれでいいと思っていたのに、すっかり心臓はバクバクと大きく音を流しているし、それにそんなことを云われてどうしたらいいのだろうか。だが、それから先は太宰が繋いでくれた。

「乱歩さんは本当に無防備ですよね。無頓着という単語が合うのかもしれないですけれど。そこまで判っていてその乱歩さんが掛かっている病の病名が判らないのですか」

 太宰は僕の顔を見ると口を抑えながらも全くその抵抗も無意味に笑い声が響く。あんまりその場で笑われると周囲が気づいて何事かと駆けつけかねないと注意をしながらも太宰に問う。

「何がそんなに可笑しいんだい」
「だって、こんなに長い感情の詳細すら見えてしまう告白されたのは初めてだったので」
「こ、告白…?」

 まあ、確かに病気に関する詳細なものを告白したけれど。

「全く、これ程自分の感情を伝えられているのに簡単にまとめられないんですか。普段はあんなに饒舌でいらっしゃるのに」

 なんだか段々僕が挑発されているのではないかと疑いたくなる。

「けれど、乱歩さんがそこまで赤裸々に告白してくれたので私も一言」

 僕がどれだけ長い言葉で伝えたのか、文字数はきっと未知数だけれど、太宰の場合は酷く簡潔に収められてしまっていた。

「私も乱歩さんが「好き」ですよ」
「好き……?僕を好いている?」
「そうですよ。乱歩さんも私を好きだからそんなに私を考えて鼓動が早く鳴ったり苦しんだりしてくれたんでしょ?可愛いなあもう本当に」

 だから、その病は治りませんよ。
 太宰は笑って云った。
 あれ、じゃあなんで僕は太宰に告白をしたんだ?治してもらいたかったから告白をしたのに、ちっとも治る兆しが見えない――それどころか悪化している気がする。

「な、なんか……変」
「変ってどんな風にですか?」
「心臓が凄い早くなっていく。僕、もう死ぬのかもしれない」

 そう云うと、また彼は笑った。腹を抱えて口も覆わずに声を枯らす寸前まで笑い続けた。

「きちんと自覚させるのはまだ時間が掛かりそうですね」

 その意味が判りはしなかったが、僕は取り敢えず云えるのは一つだ。
 僕のこの告白は病気を悪化させただけだ。