誉めて欲しいと叫んだあの日 | ナノ
 



「ふふーん、ねえねえ福沢さん!僕今回凄い活躍だったよね!」

 懐かれた、と気付いた頃から彼はずっと俺の周囲をうろついてはにこにこした笑みを浮かべる姿が多くなった。二人で探偵を営業するようになり、乱歩の異能力『超推理』が認知され始めてからあっという間に乱歩の力で稼げるようになった。
 そうして事件現場を後にすると何時も彼はこの調子だった。
 難なく事件を解決してみせた途端に、子供の乱歩は胸を張って仁王立ちをする。
 彼のその姿をすっかり見飽きてしまった自分としては少しぞんざいな扱いになっていた。

「またか」

 と心から吐き出してしまいたいぐらいだ。今は溜息と共に吐き出したので幸い本人には届いていないが、乱歩は相手の気持ちも知らずに服の裾を引っ張っては「凄いよね!」と連呼をする。
 一体彼は何を求めているんだ。
 覚えたての単語を使いたがる様に、乱歩は無視している俺を気にもせずに云い続ける。
 しかし彼が折れるよりも先に大抵此方が折れてしまう――外でああも大きな声を出されてしまえば目立ってしまい、窮屈な歩き方になってしまうのだ。矢張り子供が泣いていれば大人が何とか対処をしてあげろ、と遠くから視線を送ってくる輩も居るのだ。此方の事情など第三者にはお構いなしなのだ。
 だから、彼に近くの饅頭を購入してそれでご機嫌を取る。

「苺が入っているものと、餡子が詰まっている饅頭とどちらにする」

 乱歩が甘い物が好物であるというのは長い事連れ添っていなくても直ぐに判るだろう。誰だって好きなものを与えられればそれで態度は変わるものだ、と認識していたのだが、乱歩は今一つ乗り気では無かったらしい。

「………苺」

 ぶすっと既に饅頭が頬に詰まっている顔になっていた。先程までの笑みが一瞬にして崩れてしまった。饅頭の気分では無かったと云う事なのだろうか。
 とはいえ答えてくれた苺が丸ごと一つ入っている饅頭を購入して与えれば、それを頬張って歩き出す。生憎今自身は甘い物を口に含みたい気分では無かったので乱歩の分のみではあったが、こんな不愛想な乱歩に対しても親切に手を振って店員は別れを迎えてくれた。

「……何を怒っている」

 そんな事を彼に訊いてみるが、饅頭をしっかりと咥えている乱歩は横に首を振るだけだった。
 天真爛漫という四字熟語がこれ程似合う人物がいるだろう、という自然っぷりを見せる乱歩ではあるが、そんな彼でも本心は口にしてくれない。だが、これ以上追及するのも気が引けるので、「そうか」と一言口にして暫く無言で歩き出す。半歩後ろに歩く乱歩に時折目を配らせなが進んで行き、乱歩の家にまで送っていく。

「福沢さん、これ饅頭じゃなくて大福だよ」

 乱歩が最後に云った言葉は今の心境には関係ない科白だった。
 判らないのなら解らないで構わない。そう冷たくあしらわれた気がした。













「ええ、社長が探しもの?珍しいね、そういうの几帳面な人だからしっかり保存はしているものだと思っていたけど」

 ひょっとして老化かな、なんて探偵社内で大きく笑う乱歩。それをしっかりと本人の前で開けっぴろに発言する人間は知り合いには乱歩の他にはいない。周囲はその乱歩の言動に少し冷や汗を掻いたりと周囲が緊張感を保っていたが、別にそんな発言をされたぐらいで俺は叱りはしない。無礼だ、などと喝を入れる間柄では無いのだ。

「……それで、僕にこの素晴らしい超推理を使って探し当てて欲しいっていう社長からの依頼でいいの?」
「ああ――褒美はいくらでもだそう」

 大きく、格好良く発言をしてしまったが――乱歩はそんな大金を要求はしてこないのは判っている。欲しているのは階級でもお金でも無いのだ。偶に美味しいものを要求されて買ったこともあったが。

「社長がそこまで云うなら僕がひと肌でもふた肌でも皮が捲れあがってしまうまで脱いであげよう!」

 なんだその言葉は。しかし、乱歩が乗ってくれたのは思った以上に今の機嫌がいいらしい。機嫌が悪い時は社長命令と云っても渋る時もあるぐらいだ。そう云った場合は圧力を掛ける罪悪感を持ってしまう手段を取る場合もあるが、乱歩の力はそれほどに偉大なのだ。

「それで社長が探している物は?それとも捜し者?」
「………鋭いな」

 探し物では無く、捜し者。捜してほしいのは人物なのだ。もう数年出会っていない旧友ほどでは無い知り合い程度の人物だ。

「その人に何か用でもあるの?仕事絡みで訪ねたいことがあるんだ。まあ社長って友達が多い人間では無いから久しぶりに顔が見たくなった、なんて理由で動こうとは思わないだろうから、その人のコネで政府との関わりを持とうと―――」

 それ以上喋るな。乱歩に無言で目力で訴えた。すると、それに漸く気づいたらしい乱歩は唇を突き出して何とか封じてくれた。一見して乱歩にそこまで情報が見透かされてしまうのは時々怖いと思う時がある。頑張れば彼奴は未来を推測するなんて出来るのだ。昔、自身の過去を暴かれてしまった時の恐怖を未だに忘れはしない。
 超推理。
 そんな力を乱歩以外にも所持する可能性が無い訳では無い。実際に乱歩から幼少期の話を訊くに、両親もそれと同等の力を持っていたのだ。量産されてしまえば恐ろしい能力であるが、別に自身が怖いと思うのはその能力自体だ。
 だからといって乱歩を恐怖の対象にするにはあまりにも彼を知り過ぎているからだ。
 すっかり成人となった彼は身体こそ大きくはなったが、まだまだ子供に見える。

「……ふふん、社長が捜している人は此処に居るよ」

 大きく机に広げられている横浜市の地図のある一点を突き刺した。正確に云えば、横浜市よりも南方――鎌倉市を指し示していた。

「此処、いるのか」
「流石に僕だってその人の住所は判らないけれど、社長が提示してくれた情報を辿れば此処ら辺でのどかな生活を送っていると思うよ。まあ横浜みたいな都会はわちゃわちゃして煩いと感じたりもするからね。少し雑音が少ない生活を送りたいと思うんじゃない?」

 乱歩の推測はきっと当たる。直ぐに、調査員を二人派遣して面会を繕ってもらうこととしよう。乱歩を一度置いて周囲にそう指示をすると、乱歩はにっこりと此方を向いて笑った。

「社長、褒美頂戴!」

 褒美と云われてもお前の要求を訊いていないから何をあげれば――などと悩む筈は無かった。彼はお金にも興味は無く階級などに目を向けるわけでも無い。
 彼が欲しているのは、
 わさわさ、と何度も頭を撫でてあげると乱歩はそれにただ甘えて抵抗もせずに頭を差し出していた。
 乱歩が欲しいのは「褒められる」ことなのだ。まさに褒美の印。形に残りはしない、この行為で乱歩は満足するのだ。いや、きっと行為自体が形として彼の心の中には残るのかもしれない。

「助かった、有難う」

 乱歩は人から褒められたいと思っているのだ。














「福沢さん、僕凄い?」

 凄い――その言葉の意味が判らなかった。

「僕が解決してしまえばこの事件は解決する。ただ、それだけなんだよ」

 彼は当たり前、だと事件を解決する前から警察数人を前にして大見得を切る、そういう人間だ。だから、凄いと自分では思っていないのだと感じていた。
 事件が終われば警察に詳しい言及を受ける前に何度も此方に確認をしてきたのは、違和感だった。

「僕って凄いよね!」

 あの子供の笑みを今なら解るのかもしれない。
 凄い。
 褒めて。
 そう云っていたのだ。甘い物で褒美を済ますのではなく、もっと口にしてほしかったのだろう。

「お前は凄いな」

 そう云った一言で良かったんだ。
 今でこそ乱歩を直ぐに褒めてあげられるのだろうが、あの時はまだ乱歩が理解出来ていなかったのだ――今でもまだ判りはしないが。












 
「福沢さん、どう?福沢さんがやれって云った問題集全部解いたよ」
「ああ、お疲れ。凄いな」

 教養を与えようと基礎から叩き込んでいた乱歩に与えたのは、「凄いな」と褒めたことだった気がする。一緒に頭も撫でた気がする。子供相手にどう接して触れたらいいのか判らずに、不器用だった俺は数回撫でるだけしか出来なかった。
 だが、今思えばあの時撫でた感触を乱歩は未だに求めてくれているのなら、この先も彼を褒め続けて行こう。