盃に離別を | ナノ
 


 一人、二人、三人…四人?
 兎に角、一人でも、二人でも無く大勢とは呼べない人数ではあったが、成人している数人と酒を呑んで楽しんでいた。時間を忘れて夜遅くまで騒いだ。
 そこで失敗をしてしまった訳では無い。
 そこに原因はあれど、それでもその酔いに任せて失敗をしてしまった。国木田が珍しく自制せずに呑んでしまったので福沢社長が彼を支えながら、そして太宰は眠ってしまった乱歩を抱えてそれから与謝野や他の人々はそれぞれ帰路に向かった。
 そして太宰は眠っている乱歩を起こしてから足を進め始めるのだが、彼は生憎起きてもぼーっとしており、視界がはっきりとしていない状態で一人で帰らせるには罪悪感がある。そう思った太宰は、此処から近い太宰の家へと一時避難をする策を考えて乱歩の足を引き摺りながらもなんとか運び出す。時折太宰は乱歩に声を掛けてみるが、全く反応をせず――だが此処で声を掛け続けなければ再び睡眠へと乱歩が誘われてしまうと太宰は必死に声を掛け続けた。小さな街灯が照らす道路を歩き続けて周囲には猫が戯れているだけの間を進む。

「……ほら、乱歩さん。もう直ぐで家につきますよ。済みませんが階段を登るので足を動かしてもらえませんか?」

 ここまで云わねばならないのか、と乱歩はそれまでに眠気に襲われていた。決して悪酔いをしていた訳では無いが、福沢曰く乱歩は直ぐに眠くなるという情報なのだ。
 とはいえなんとか足を動かしてくれる乱歩を抱え込んで5分後、ようやっと二人は太宰宅へと到着する。家に入ってしまえば乱歩を寝かせても構わないと云わんばかりに玄関口で倒れ込む乱歩を置いておいたまま部屋へと入っていく。
 そして…布団を一枚急いで敷いていく。直ぐに乱歩を此処に連れて寝てもらおうと考えているのだ。

「……んー…」

 ぐずってしまう彼を廊下なので脇に手を回して身体を引き摺って行く。
 軽いな、なんて感想を持ちながらも太宰は軽々と乱歩を布団まで運ぶことに成功して衣服が乱れたままそれでも一先ず到着店まで辿り着く。
 ゴッ!
 右足が太宰の膝を直撃するぐらいにはすっかり寝てしまっていると確認は出来た。彼には悪気が無いのだ。痛みを声に出さずに唇を噛んで抑えたが乱歩の寝息を訊いて安心感と疲労感が次第に増していき痛みを振り払ってくれた。
 此処まで辿り着くのに普段の倍の時間を要したのだ。
 だからか、これ以上立ち上がる気力無くなっていた太宰は乱歩に寄り添う形で倒れてしまったのだ。可愛い寝顔を見て疲労を消し去ってしまおうと束の間の幸せを確認してそのままゆっくりと瞼を閉じて。
 さて、ここからだ。













 目を覚ました太宰は真っ先に違和感を覚える。否、違和感を覚えたから起きたの順序が正しいのかもしれない。

「ん…くるしっ……」

 苦しさに目を無理矢理開けざるを得ない結果となり、目を覚ますとそこには人が乗っていたのだ。お腹に人の上半身が乗せられている。よく今迄気づかずに寝られていたな――では無く、それよりもその人物が裸で寝込んでいる部分に目をつけるべきなのだ。

「ら、らんぽ、乱歩さ……え、なんで?」
「…んー…ああ、御免。太宰のお腹の上で寝てたのか。うん、だから寝心地が悪かったのかな、でも寝れたからそれ程悪くなかったかも」
「いえ、寝心地では無く…」

 全く記憶が無い。太宰は頭を抱えて寝る前の記憶を思い返してみるも、疲れて乱歩の隣で寝てしまった部分までしか残っていなかった。

「あれ、服どこだろう…」
「乱歩さん、なんで裸なんですか!?」
「なんでって……」

 訊きたくない回答が来てしまうのではないか、と唾を呑んで警戒する。
 いくつかの考えられる案を脳内で作っていく太宰。先ずは、最悪な考え。乱歩を裸にしたのは自分であり、酔った勢いで一線を越えてしまった。そして二つ目は、寝相の悪い乱歩が衣服を流れで脱いでしまった。

 ――後者は、余り考えられないか。

 寝相の悪さが衣服を脱ぐまでの発展するとは考えられないと太宰の脳内でもツッコミは行われる。

「そんなの…僕が裸で太宰の上に寝ていたんだから…判るでしょ」

 ――前者だ、間違いなく前者だ!

 慌てて太宰は乱歩の前に謝罪をする。裸の男に衣服を与えるよりも先に自分が謝罪しなければ、と先に動いてしまったものだからあまりにも異様な光景であった。
 太宰自身そこまで悪酔いをしたつもりでは無かったが、疲労感があったのは確かだ。だから強く否定は出来ないのだ。
 無言で土下座をするその姿勢を見下ろす乱歩はどんな表情をしているのか判らずに乱歩はただ旋毛を見ているだけ。

「……それより、服を着てもいい?」
「ご、御最もです」
「あ、それから太宰。お腹空いたから朝ごはん…じゃなくて昼ご飯か」

 乱歩はその謝罪を一瞥しただけで特に言葉を掛けるわけでも無く、さっさと散らかっている衣服を見付けて行きながら少しずつパーツを揃えていく。パンツを拾っては見たものの、シャツが見当たらずに上半身のパーツを探すのに苦労をしながらもズボン、靴下と少しずつ下半身ばかりが揃っていく。
 一方で太宰はすっかり乱歩に頭を上げられずに直ぐに飯の準備へと取り掛かる。
 だが、男の一人暮らしにそんな二人分の――ましてや他人に振舞える品など揃っていない。
 仕方ない、と自分の分は諦めてカップ麺を提出する結論に至り、お湯を作っていく。やかんに水を入れて火を点けてはあ、と大きな溜息を吐く。
 別に太宰はこういった経験は初めてでは無い。女に不自由していないと国木田に向かってドヤ顔を見せながら発言出来るぐらいに遊んでいる人間だ。だが、最近は仕事が続いており中々きつい日々を送っていた。

 ――だからって…乱歩さんを襲ったのか?

 自分の恐ろしい欲求にがっくりと台所で崩れ落ちる。まあ此処で男だとか仕事の同僚だとかの身近な人物へ手を出してしまった後悔よりも太宰を襲っていたのは「好きな人」へ承諾も無く手を出してしまった部分に着目していた。女に不自由していないと云っておきながらも、本心では乱歩を好いていた太宰としては大事に扱ってきた人物をこんな形で崩してしまったと頭を抱えざるを得ないのだ。

 ――思い出せない。

 以下も最初なのに全く太宰の記憶には残っていないのだ。それに勿体ないと感じてしまっている太宰の土下座は結局形だけでしかないのかもしれない。

「乱歩さん、カップ麺でも好ければ出来上がりました」
「あ、食べる!」

 乱歩は軽快な足取りでカップ麺のある場所へと小走りをする。よほどお腹が空いていたらしく、3分待たずに開けては箸を持って啜り始めた。「カップ麺だ」なんて感想を云った後には直ぐにお腹へと入れていく。
 そこに違和感を少し察知する。乱歩に酔った勢いで手を出してしまったというのに、何故か本人の元気ぶりにもう少し謝罪をした重みを問われるのではないかと覚悟をしていた太宰としては拍子抜けすらしてしまっている。
 このまま何事も無かった様に明るくふるまっているのか、それとも彼の中では最早無かった事になってしまっているのか。太宰としてはあまりよろしくない方向へと時間が流れているのではないかと危惧していた。
 本来ならそのまま忘れて今日もまたともに仕事をしていければいいのだが、乱歩を好いている身としてはもう少し何か反応が欲しいのだ。

 ――これではまるで相手にされていないも同然だ。

 それでは困る、と乱歩に追及をする。
 どんどんと麺が減っていき彼のお腹の中に溜まっていくその状況にも関わらず太宰は乱歩の手を止めさせて単刀直入に切り込んだ。まさに短刀だ。

「乱歩さんは私のことを如何思っていますか」
「どうって…どうだろ」

 麺を啜ってから答えた乱歩は酷く曖昧なものを渡した。真っ直ぐ見つめてくる太宰に何とも躊躇せずに見返す乱歩。とても一線を越えた仲とは思えないほのぼの環境に乱歩は太宰が何を云いたいのか次の言葉を待つ。
 欲しい科白を待つ。
 太宰としても一戦を超えてしまったうえでもう引かずに押して行こうと考えが進んで行き、ずかずかと話を盛り上げていく。

「乱歩さんは私を好きですか?」

 本当なら太宰は伝えるつもりが無かった。遠くでひっそりと思いを仕舞い込んでおけばそれでいいと思っていたのだ。

「……太宰は?」
「私は乱歩さんを好きですよ!」

 しかし此処まではっきりと伝えるつもりも無かった。本当は互いの関係性をはっきりとさせておきたかっただけだというのに、これは全く持って反射的に科白が先立ってしまったのだ。頭の片隅にあったその言葉がカップ麺を放っておいて放たれた。

「……ふふっ、そっか」
「あ、いや…その好きというのは乱歩さんを友人や先輩として好きという訳では無くて…」

 あそこまではっきりと言葉にしたのに、いざ後付をすると戸惑ってしまった太宰を見て一瞬くすりと笑った乱歩はそのまま太宰に口づけをした。
 微かにカップ麺の味が伝わったような不思議な感覚のキスは、太宰を固めさせてしまった。

「あははっ、君は案外単純な男だよね!ああ、それとも惚れた相手には弱くなってしまうのか?」
「ら、乱歩さん…?」

 なんでそんなに笑っているのだ。太宰には乱歩の反応に戸惑う。豪快に笑う乱歩は待っていたのだ。太宰から欲しかった科白を。
『好き』という二文字を太宰に云ってもらいたかったのだ。乱歩が云うのではなく太宰が乱歩に向かって発してほしかったのだ。

「仕方が無いなあ、太宰が僕を好きだというなら仕方が無いね」

 乱歩はすっかり呆けてしまった太宰のおでこに凸ピンをすると、大きく宣言をする。

「じゃあ付き合おっか!」

 それはあまりにも軽い言葉だった。ちょっとそこまで出かけようか、と誘われた感覚を与えられた太宰ではあったが、確かにその言葉は聞きのがさなかった。

「…乱歩さんも私を好きなんですか?」
「違う、僕は太宰に付き合ってあげるんだよ。太宰が僕を好きだというから僕はその好意を受け入れてあげる、それだけだ」

 にこり、と残酷な言葉を突き刺しはしたが太宰もそこまで莫迦では無い。微かに言葉の裏に愛情を察せたので太宰はそれを受け入れた。

「それじゃあ付き合ってください」

 乱歩は太宰から云ってほしかったのだ。乱歩が願いを請うなどの下手に出るのが厭だった彼なりの策略だ。決して「好き」とは云わない乱歩の不器用な男なりのアプローチだ。

「……黙っておこうか」

 あの含みのある発言はわざとだ、と。全て酒のせいにしてしまって。
 それで少しでも太宰がこちらに目を向けてくれるのであれば。