人から嫌われたいか好かれたいか、と問われた場合。大抵の人は好かれる方を好む。好かれればそれだけ世界も明るく見える。その味を占めてしまえばたちまち人は好かれる様に変化していく。 それが悪いことか、好い事か、そんなのは誰も裁けはしない。裁いてはいけない。 『愛している』 この言葉は偉大だ。口に出して好いているのだと示せば、それを云われた者はたちまち嬉しくなる。だから、人は口を使って言葉を相手に届けていく。無口でいればそれだけ損をするのだ。だからと云って無口な人物を裁いてはいけない。それもまた人の個性であり、 要するに――― 「乱歩さん、今日もお見事でした」 「乱歩さん、格好良かったですよ」 「矢張り、乱歩さんの『超推理』の能力は素晴らしいですね」 「乱歩さん、また今度異能力をお願いしますね」 「乱歩さん」 「乱歩さん――」 乱歩は口を開いたまま、半ば棒読みになりながらそう云った。次から次から自分を称賛する言葉を並べて、テーブルを挟んだ向かい側に座っている彼に向かって云った。 今日、仕事が終わってその疲れを家に持って帰るか何処かに寄り道でもしようかと、考えた末にポオの宅へとやってきていた。殺風景で辺りには何も無いこの安い一人暮らしのアパートに家を借りている彼の元へ行って、少し遊んでやろうと考えて来たのだ。ちょうど彼は乱歩に見せる為の小説を書いている最中で、乱歩の訪問を知って直ぐ様それを隠して、何とか彼の見えない場所へと忍びこませて、目の前にコーヒーを置いて誤魔化していたのだ。 だが、乱歩にその異変を気づかれるどころか興味を持たれておらず、目の前のコーヒーに手も付けずに座り込んではいきなり話出したのだ。 「…今日も全く、皆は僕の力に惚れてしまっていたらしいよ。本当に僕が居ないと探偵が成り立たないなんて笑っちゃうy」 頭を上に上げて笑って云った。よほど、嬉しいのだ。褒められた事が、喜んでもらえた事が、必要とされた事が。 そしてずっとその話を黙って訊いていた彼も漸く口を開ける機会を得たのでその隙間を狙ってすかさず何でもいいやと言葉を発する。 「あ…その……良かったね」 一方で口下手のポオは、上手いこと彼を褒められない。小説となれば自由に書き連ねられるというのに、いざ現実世界へとやってきてしまうと、それが実行できない彼。髪の毛で隠れ気味の顔からにこり、と笑みを見せてみるが乱歩はじーっと見て「うん」とだけ答えた。 それ以上は、何も無い。暫く二人の間に沈黙を作って、乱歩は目の前に出されていたコーヒーに一口つけると、「苦い!」と叫んで沈黙は無理矢理破られた。 とはいえ、それ以上話が弾むわけでも無く、乱歩は立ち上がって台所へと歩く。すっかり場所も把握するまでに何度も此処に来ているので砂糖の在処は簡単に見つけられた。 苦味を紛らわせようと砂糖を多めに入れて一つ飲む。 一方でポオは、何度も乱歩がやってきてコーヒーを提供していて彼が苦いというのを判っていたのだが、それでもそこまで配慮が足りずにまた一人で悩み込んでしまう。 ――また、乱歩君に申し訳ないことをしてしまった。 そうして俯いてしまい、自分の分のコーヒーに手を付ける。だが、口を付けられずに、妙にぬるくなっているそれで暖を取ってみる。 「あ、そうだ。今日このまま泊まってもいい?」 「――え、今日であるか?」 元々予定に無かったのだが、乱歩は何の気無く彼に訊いてみる。その為、ポオも予測していなかった言葉だっただけに、どきりっと心臓が一瞬激しく反応した。それからちらりっと、閉まっている小説へと目を向ける。 本当は今夜にでも小説の中身を完成させたいと考えていたので、出来れば一人になりたいと思っていたのだ。 「……あ、君が厭なら別にいいよ」 その戸惑いを乱歩は察知して、ポオの返事を待たずに自分から引いた。 ――違う、そんな悲しい顔をさせたかったわけじゃ無い! そうは思っても、悲し気な顔を見せた乱歩に何か声を掛けられるわけでも無く、そのまま帰っていく背中姿を目で見るだけしか出来なかった。 扉が閉まってしまえばまた一人になる。ふいの来訪者は、不意に帰ってしまう。 ばたん、と閉められた後になって乱歩が何をしに来てくれたのか、と考える。彼は何時だって自分の話をしては面白可笑しくポオを喜ばせていた。自分の身の周りに起きた出来事や、乱歩の活躍した話などが伝えられる。それを、ポオは黙って訊いている役目。 お喋りな乱歩と違って寡黙なポオとしては、自分の話をするのも、ましてや彼に返事をするのすら詰まってしまうのだ。 「我ながら……難儀な性格…である」 すっかり冷たくなってしまったコーヒーを飲んでそれから、小説の続きに手を出す。 それと変わって乱歩のまた、何時までも家に帰れずにかと云って行く宛も無くただただ歩き回っていた。退勤する人々が多く集う駅も遠くから眺めてなるべく人集りを避けて暗くなる道を無意識に選ぶ。 乱歩はただ、お喋りがしたかっただけなのだ。二人で会話をして、もっと思い出を作りたかったのだ。組合との決着もひと段落して、漸く二人でゆっくりする時間を得たのに、ポオは何時でも一人で小説に没頭してしまっており、乱歩としては寂しかったのだ。だから、少しでも会話をしたかったのだが、沈黙を作ってもポオはそれでも喋りはしない。 「何時だって僕ばっかりじゃないか」 乱歩はただ好かれたかっただけだ。だが、邪魔をしてしまったのではないかと思えてきた。本当はあの時一人になりたかったのではないか。だから、泊まりたいと少しだけ強引に願いを云ってしまったが、あの時の困った顔を見て失敗したと気付いた時に、乱歩はこのままでは嫌われてしまうと思ったのだ。怒られるのに慣れていたが、それでも口に出して怒鳴られれば相手の云いたいことは判るのだ。だが、ポオは何にも云ってはくれない。 だから、好かれているのか乱歩は怖くなるのだ。 あれから3日が経過して、今日も探偵社の皆でトランプをして暇を潰していた。 「乱歩さん、ババを持っていますか」 「さぁ、どうだろうね。賢治君がこれなら大丈夫だと思う紙を引けばいいんだよ」 「そうですね」 そうしてぴっと勢いよく数枚の中から賢治は選び取り、自分の手札から一組を完成させる。さて、次は乱歩が引く番だ、と隣を見ると硬直している国木田。緊張しているのがすっかり顔にまで現れて、三枚の手札を乱歩の前に出す。 「……国木田、ババを持っているだろう」 「そ、っそそ、そんな事はありません!」 最初の声が裏返っており、自分の今置かれている状況を見事顔に表してしまっていたので、乱歩は簡単にババを避けて引き当てる。すると、自分の残りの手札一枚と見事組み合わせられてババ抜きを一抜けした。 「流石、乱歩さんですね!」 「まあね」 その隣でがっくりと肩を落とす国木田。 これならば今日は平穏な一日を送れそうだ、と近くで事務作業をしている事務員達が微笑ましく見ていると、その視界の端――探偵社の扉の先に何か怪しい人物が居るのを見つける。 何かがやってきたのか、と恐る恐る扉を開けると、其処には身を縮めてびくびくしている男――ポオが居た。 「ら、乱歩君は……いるだろうか」 初対面の人を相手にして声が震えながらも、何とか目的の人物を呼んでもらえる様に頼むと、直ぐに事務員は乱歩の元へやってきて簡潔に話をした。 すると乱歩はポオへと視線を動かすとゆっくりと近づく。 「あれ、君がこんなところにやってくるなんて珍しいね。それとも僕に事件の依頼でもしにやってきたのかい?」 まあ取り敢えず、と乱歩はポオの腕を引っ張って近くのソファに座らせる。 「あ、そう云えば君は何か飲む?何時もコーヒー飲んでいるからコーヒーでいい?ちなみに僕はオレンジジュースが飲みたいなぁ」 「……あ、気にしなくても…」 「――ん?」 近くに居る人に乱歩は飲み物を頼んで二人分を用意してもらう様に指示をする。そしてそれが届く前に要件を訊こうかと乱歩は隣のソファに座る。向かいにもソファがあるのに、敢えて隣に座ってきたので、ポオとしては予想外の距離感にがちがちになってしまう。 「ら、乱歩君…」 二人の距離は僅か数センチ。二人で家に居る時ですらそんなに近い距離になったことが無いので、緊張してしまうポオは、何とか要件の品を取り出す。茶封筒に仕舞われているその中身には白い紙が沢山入っている。 そしてその白い紙には黒い文字が敷き詰められており、最初にはタイトルがつけられている。乱雑にぺらぺらと乱歩は捲ってそれが何かを確認する。 「ら、乱歩君が…楽しみにしていると云っていたのでまた物語を書いてみたのである。その、まだ本となっている訳では無いので出来上がったばかりの原稿であるが…」 「これ、僕に?」 「そ、そう」 「ふうん」 それを知って乱歩は一番上に書かれている小説を一から読み始めようとする。一文字目から目で追う。その分厚さから数分で読み終えられるものでは無い為、あまりじっくりと読まれてしまうとポオはこのまま居場所が無く困ってしまうので、もう一つの要件を用意する。 乱歩に直ぐに会いたかったのは、こっちが本命だ。 もう一枚、同じく紙を見せる。だが、その紙は一枚のぴらぴらとしたもので乱歩はそれを見て首を傾げる。 「――これ、なに?」 「これは、その…遊園地のチケットである。この前懸賞として当たったので、二人分の遊園地のチケットを貰ったのだが、生憎我輩はこの日本の地には詳しくない……その為、乱歩君が一緒に行ってくれれば……と」 思ったのだが。 ぽかんとしてしまった乱歩を見て、ポオは驚く。もしかしたら、迷惑だったかもしれないと次から次へと不幸な思考へと堕ちていく。即答してくれると期待していただけに、口を開けたまま黙られてしまうと怖い。だが、同時に先日の件も思い返す。乱歩が「泊まりたい」と云ったあの時、自分も同様に黙ってしまったのを。そして乱歩が結局引いてしまったのだということを思い返して、自分も引き返そうと口を開けるが、 「行く」 短い二文字。それだけが小さく帰ってくる。手に持っている小説よりも、ポオへと視線を移して、そのまま手が伸びてチケットを奪い取る。 一枚の紙きれをぴらぴらとさせて、乱歩はもう一度にこりと笑って「行く」と云った。 「は……はぁ、良かったである。断られたら如何しようかと思った…」 すると、乱歩は顔を近づけて云う。 「僕が黙ってびっくりした?」 それに素直にこくりと頭を縦に振る。ポオとしては、沈黙が長ければそれだけ不穏な方向へと持って行ってしまっていたのだから、そりゃあもう、早く判決を下してほしい気分だった。 「僕もこの前そう思ったよ。君が何にも云ってくれないからいいのか悪いのか判りやしない。僕だって人の考えていることを予知出来る超人じゃあ無いんだから」 こう見えてもね、なんて云った。珍しく自分を下げる発言をした乱歩に少し驚きをしながらも、ポオは反省をする。今まで黙ってやり過ごしてきていたが、それは乱歩が喋っているからだと誤魔化して、人の所為にしてしまっていたが、乱歩はポオが喋ってくれるのを待っていたのだと――少しだけその気持ちが伝わる。 「……ごめん、乱歩君。その……厭じゃなくて…乱歩君が…そうやって云ってくれたことが嬉しかったんだが、上手く云い表せなかったんだ」 「こんなに面白い本を作れるのに、当人は口下手なんだねぇ」 今度は分厚い本を持ち出してぺらぺらと話す。そして頼んでいた飲み物が漸くやってきて二人は同時に各々の飲み物を口に含む。 ――今度は乱歩君の為にオレンジジュースを用意しておこう。 ポオは学ぶ。今度こそ、再び不意の来訪にも備えておかなければと。 「それじゃあ…今日は泊まってもいい?」 「……汚いが、構わないだろうか」 「別にいいよ、気にしない」 乱歩は内心ではまた断られるのではないかとドキドキしていた。だが、今度はきちんとポオが言葉を繋いだおかげで、二人はこの後の約束を決めて他愛無い話をする。 それと同時に国木田がババを持ったまま倒れてしまった。 |