From you | ナノ
 



「…乱歩さん、好きです」
「うん」

 素直な言葉を相手に与えていく。すると、彼もまた照れながら「うん」と頷いてくれる。そんな会話をしたのが、昔の様で酷く懐かしい。












 乱歩さんに初めて告白をしたのは私だった。
 その時も照れて俯きながらも肯定してくれたのを今でも覚えている。
 今告白しなければいけない、と必死に彼を繋ぎ止めた記憶がある。

「さて、仕事も終わったかな」

 それから私達は仕事を終われば相手の仕事が終わるまで待ちながら一緒に帰宅しようと談合も無いけれど、それが定期となっていた。
 乱歩さんが自分の仕事が終わっても待っていてくれると期待はしていなかったが、何だかんだ口実を作りながらも傍にいて待ってくれていた。
 彼が直接言葉にしてくれはしなかったが、それでも乱歩さんは好きなんだと実感していた。

「乱歩さん、お仕事終わりましたか?」
「え、うん。そうだけれど…」
「ゆっくり帰宅でもしませんか…?」

 乱歩さんにそう提案すると、軽く支度をして二人で社を後にした。
 今日は何時もより仕事が大きくて疲れが溜まっていた。それは、隣に並んでいる乱歩さんにとっても同じこと。事務所総動員での大きな仕事を解決した後、本来なら少しパーティを開催しようかなどの話も浮かんできていたが、それよりも皆が早く自宅に帰り布団へ籠りたいという意見が大きかったので、それはまた後の機会という話で収縮した。
ひと段落したとしても、明日は明日でまた仕事がある。私の場合は多少の遅刻や姿を消したところで問題にはなりはしないのだが、乱歩さんは違う。名探偵として素晴らしい才能を持つ彼を求めている人は大勢いるのだ。警察からの依頼も山ほどあり、それを彼の興味心が捌いていく。それでも、忙しい日々なのだ。

「…乱歩さん、明日は何の予定でしたっけ」
「明日は確か―――横浜警察と一緒に一家殺人の件だったかなぁ、まあ安井さんは僕を良くしてくれるから非常に動きやすいんだよねぇ」

 安井さん。知らない名が出て来てぴくっと唇が動く。此処で嫉妬深くなってしまう自身はなんて心狭い男なのだろうか。
 それでも乱歩さんに何者か普段通りの声を作って訊いてみる。すると、応えは簡単に帰ってきた。偉い刑事さんらしい。彼のよき理解者であるということで親しみを覚えているのだという。
 ただ彼の淡々とした口調から次から次へと見知らぬ警察らの名前が飛び交ってきて、後に安井という名がその中の一人であると判り、ほっとしたりもした。
 気が付けば私の足は止まっていたらしく、思考もその所為で止まってしまったのだろう。否、思考が嫉妬にまみれて止まってしまったから足も止まってしまったのか。
 乱歩さんも途中で私の足が止まった事に気づいて前から名前を呼ばれて、そこで我に返り慌てて彼の元へと追いかけていく。

「疲れたのー?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「………そっか」

 あはは、と笑いながら口にすると乱歩さんはただこちらを見たまま何も云わなくなってしまった。彼の表情にも少しだけ疲れが見えている。
 本当なら此処で偶には家に遊びに来ないか、なんて誘いをしてみたいがきっと今は彼一人で休みを持ちたいと思うだろう。
 そう考えると、迷うことなく歩みは彼の元へと向かっていた。彼を送ってそれで自分も体力を回復でもするか。

「……あれ、乱歩さんそこを曲がるんですか?」

 すると、乱歩さんは突然帰路から逸れて右の細道へと変更した。

「なに?」
「いえ、乱歩さんの家から離れてしまいますよ」

 乱歩さんにそう云うと、「うん」とだけ云われてしまった。今の言葉の意味が判らない。彼は何時も大事なところで必要な時に言葉にはしてくれない。
 けれど彼の中では何か決まっているらしく、私はその後を追うことしか出来ず、特に追求もせずにそのまま黙って歩いた。黙って歩いていると、非常に長く感じてしまうこの距離。徐々に空も暗くなっていき、夜を呼び込んでいく。風も現れて涼しさを人々に与えていく。
 それに動じることも無く、他所に目移りすることも無く、乱歩さんは前を向いて歩いていく。それと違って私は辺りを見渡していく。見覚えがあると思うこの道路を思い返していくと、途中で気づくのだ。

「ら、乱歩さん!こっちは私の家の近くですよ」

 それでも私の声に気づかない振りをしてそのまま歩く。本当は耳が一瞬動いてきちんと声を取り込んでいたのに、それでも振り向きもせずに先を歩いていた。

「……此処だよね」

 乱歩さんが私の家に来たのは数回。確か片指を折れば数えられる程であったが、こうして彼が主導して歩いたのは初めてだった。私が前を歩いて、その道を覚える気が無いのか、乱歩さんは手に持っていた団子を頬張って居たりもした。なのでてっきり彼は道なんて覚えていないものだと勝手に思っていたが、きちんと覚えていたらしい。

「送ってくれたんですか」
「………っ」

 彼は俯いてズボンに皺を作って握り締めてしまった。両手をズボンの位置に当てて顔を逸らされて、何も云わない。
 私はそんな彼に如何したらいいのか判らずに、少しずつ近づいて顔を上げる様に先ず頬に手を当てる。

「…乱歩さん」
「……あ、あのさ。少しぐらい…もし良ければ、上がってもいいかな…なんて」

 それは願ってもいない言葉だった。
 何時も「うん」と頷いていた彼が、自分から要求をしてきたのだ。彼の性格上、強請るなんて発言は山ほど訊いていた。例えば横を通った美味しそうな商品を購入してほしいや、疲れたから公園で休憩したい、なんて彼の口からは何度も出て来ていた。だが、恋愛関係で何か欲を見せる事は無かった。

『キスをしていいですか』
『―――いいよ』

 私からだった。常に、何かを求める際には私が声を掛けていたのだ。
 そんな彼が赤面しながら云ってくれた言葉。何かを掴まなければ云えない彼の不器用さを、私はその時初めて知った。
 あまりの可愛らしい行為に私はきつく抱き締める。

「…ん、んぅ…く、苦しい…っ」

 腹の中で抵抗をしてくる乱歩さんであるが、それを許さないと堪えて抱いていると、その行為は収まり、ゆっくりとズボンから手が離れて今度は私のコートを握った。

「……疲れているのに、私を誘ってくれたんですね」
「そりゃあ疲れたけど、だからこそ一人でいるより一緒に居た方が……と、思っただけ!」

 最後になるにつれて自棄が混じり、大声に変わって行った乱歩さん。
 そしてゆっくりと互いの身体を離していき、私は自身の家の鍵を開ける。いけない、すっかり彼の照れに影響されて私までも顔が緩んでにやけてしまっていた。幸いドアを開けるのでそれに隠れて乱歩さんに晒す失態は無かったが、きっと彼に見せたところで何か云われるなんてことは無いだろう。彼は彼で自分で精一杯らしい。案内された玄関口で靴を脱ぐのに、やたらと手が震えていた。初めて家に招いた時はもっと雑に靴を脱ぎ棄てていたのに。

「…有難う、我儘を訊いてくれて」
「我儘だとは思いませんよ。それでも乱歩さんが感謝をしてくれるというのなら、今度は私の我儘を訊いてくれませんか?」
「―――うん」

 了承を得ると、一気に彼を部屋に押し込んでそのまま床に倒れ込ませる。予想をしていなかったとは思わないが、あまりにも早く目まぐるしい展開だったからか、乱歩さんは目をぱちぱちと瞬きを早めて状況を理解しようとしていた。
 だがその状況判断も過去に変わる。それだけ早く、私は直ぐに彼の思考を止めて唇を奪う。唇を触れ合い、そして彼をどんどん床に押し込み逃がすまいと両手両足がしっかり守っている。

「ん、んぅ……っあ、だ、ざぃ…!」

 名前を呼ばれて出来たその唇との隙を逃さずにそのまま舌が彼の元に入り込んでいく。
 疲れている、なんて身体が感じていたがそれは何時の間にか取れてしまっていたらしい。乱歩さんの我儘を―――私の我儘を叶える為に、二人は更に深くキスをした。