百年の恋をも冷めさせてほしい | ナノ



 百年の恋も一時に冷める。
 なんてことがあればどんなに嬉しいことか。
 食事を終えて事務所に戻ってきてまず目に留まった太宰を見てそう感じた。考える間を与えることも無く、冷めてしまえればどんなに楽だろうかと思う。

「あれ、乱歩さん。昼食は甘味処で済まされたんですか?駄目ですよきちんと栄養を摂取しなければ何時か倒れてしまいますからね」
「全く太宰は相も変わらず煩いね。まるで母親みたいだ」
「何を言っているんですか、母親じゃないですよ。恋人ですって」
「ん、んむ」

 太宰はいったい此処がどこか分かってそんなことを平然と言えるのだろうか。
 辺りを見渡してみると、幸い皆食事にでも向かったのか僕と太宰のみがこの空間を所持していた。そして何事も無かったかのように太宰は資料を見返す。

「乱歩さん、食事は良かったですか?」
「……まあね。今日は久しぶりに餡子を口に入れたいと考えていたからたらふく頂いてきたところだよ」

 僕も自分の定位置に座ればそこには何種類かの書類が既に置かれていた。これ、全て目を通さなければならないのか。肩を大袈裟に落としてみる。

「餡子と言えば、今度新しいお店が出来上がるみたいですよ。近いうちに一緒に視察にでも行ってみませんか?」
「それは僕も知らない情報だ。何処で僕よりも早くその情報を仕入れてくるのか全く気になるもんだね」

 すると太宰は一度書類を机に置いて、こちらに顔を動かしてきた。にこりと笑うその表情だけで何を言いたいのか解ってしまった。

「乱歩さんの為ですよ」

 ああ嫌だ嫌だ。こうして何食わぬ顔をして僕の為だとその口は堂々と抜かす。

「でも僕暫く休みがあんまり無いんだよね。皆僕のことを直ぐに呼んではこの『超推理』にばかり頼ってしまう。もう少しは自分のことを磨く努力もするべきだとは思うんだけれどね」

 椅子の背もたれに体重を掛けて背伸びをする。

「そうですね」

 太宰は同調するように頷いた。
 この感じだ。こうして太宰は僕に反論することも無く、僕の為だと情報を与えて、恋人だと堂々と口にする。
 どうしてこうも簡単に出来得るのだ。初対面こそ少し僕の事を疑ってはいたが、すぐに僕に従順となっている彼。太宰。この男はきっと僕の知らない一面を見せないように巧みに逃げ惑わす。惑わされているのは僕の方だ。

「乱歩さーん、険しい顔をしていますが眠くなりましたか?」
「太宰、勘弁してくれ。僕はそんな子供じゃない、もう立派な大人だよ。何なら太宰よりも年齢が上であり、先輩だ」
「ええ、でも恋人です」

 う。そう云われるとまた口を閉じてしまう。恋人、と云われてしまうとそれに返せる言葉がすぐに思い浮かばない。なんだなんだ、今まで僕が会話の主導権を握っていたというのにどうしていつの間にか掌握されてしまうのだ。国木田君や賢治君だと凄くやりやすいのに、太宰は僕を上手く取り込む。
 この男にはもう僕のおおよそは知られている。そりゃあ根掘り葉掘り探せば穴は出てくるだろうが、僕からすれば太宰は穴だらけである。見解するだけでは解らないものが沢山ある。過去の話もあるだろうが、そういうことでは無く。何か太宰の嫌な一面を見たい。

「じゃあ、僕に何か欠点を見せてくれ」

 すると、それしかないだろう。

「これまた唐突な話になりましたね」

 困ったなあ、と頭を掻きながら視線を机に落とした。
 しかしここで太宰から欠点を見せて貰えれば多少は冷めてくるだろう。

「僕が知らないことで、知りたいことだ」
「しかし大体本人が自分で欠点を口にするのは案外どうでも良いことだったりするもんですよ。出来れば人に弱みを見せたくはないですからね」
「それは恋人である僕にも、ということか」
「そうですよ。恋人にだったら尚更ですからね。出来るだけ格好良く相手の目に映っているほうがいいですから。それは私も同じことです。だから―――強いて言うなら自殺願望がある、といったところでしょうか」

 それは知っている。
 事務所の皆が知っていて、既にそれは欠点を通り越して太宰の特徴として捉えられているのではないだろうか。僕が言ったのは知らないことだというのに。会話が綺麗な平行線をたどってしまっている。

 ずるい。太宰ばかり格好良くては僕の方が冷める気配を見せないではないか。百年の恋も一時に冷める。一時が来る気配も無い。これじゃあ僕が百年どころか千年、億年…募るばかりだ。
 僕はあからさまに不貞腐れた顔を見せる。

「太宰ばかりずるい。僕はお前に欠点も見せただろうに。なのにお前はまだ格好良くあろうとするのか」
「乱歩さんの欠点。それは何のことでしょうか。私には乱歩さんを知り得る中で欠点なんてものは見つかっていませんよ」

 なんてことだ。
 にこりとこの鬼の笑みは僕の欠点を見ていないというのか。そりゃあ人間であろうと異能者であろうと完璧では無い。だからいろんな異能が存在しているのだ。僕にだって欠点はある。自分をそこまで買い被ってはいないから自分で認知はしている。自分の欠点を認知していない愚か者程目を当てられないからな。そんな輩は仕事で散々目に入れていたが。

「僕は太宰に欠点も見せた。だから太宰も欠点を見せるべきだろう」
「え――っと。乱歩さんは先程から何を頑なに私の欠点を知りたがるんでしょうか」

 さすがの太宰も僕が考えていることが分からない、と会話を遮り区切りを付けようとする。

「乱歩さんは、今一人で何を悩んでいるんですか?」

 悩み。悩んでいる、というか。
 別に悩んでいるというわけでは無い、はずだ。ただ単純に冷めたいだけで。太宰を少しでも嫌いになりたいだけだ。それだけで、それが直接的なものである。

「百年の恋も一時に冷めるというから、それを試したかっただけだ」
「ほほう、またそれは極論で」

 太宰はすっかり目の前の資料を忘れて目を開きこちらに身体ごと動かした。資料の上に肘を置いて。

「太宰ばかり格好良くて僕が冷める気配が無いのが悔しい」
「それは私も一緒ですよ。乱歩さんとこうして会話をしているだけでも冷めることは愚か、むしろ熱くなっていますよ」
「…会話の論争は熱くなっているとは思うけれど。そういうことなら僕も熱くなっていたかもしれない」
「いえいえそういうことでは無いですよ。まあそういうことも含めるのかもしれませんが」

 なんだその歯切れの悪い言い方は。僕は露骨に首を傾げて直訳をするように促す。

「乱歩さんは単純に自分だけ好いていると考えているみたいですが、私だって乱歩さんと同じ気持ちですよ。百年の恋、なんて思ってくれているなんてそれだけで高揚してしまいます」
「本当かい?だって何時も僕の為だと云って尽くしてくれるじゃないか」

 考えれば考える程に気分は落ちて行き、悪い方へと考えてしまい、僕ばかりが君を好きでいるみたいだと思ってしまう。それは嫌だ。

「尽くすのは好きだからですよ。だから云ったでしょう。格好良いところを見せたいから貴方の為に尽くすんですよ。私、結構恋人には優しいんですよ」

 言いながら立ち上がると、僕の方へと近づいてきて見下ろす。
 そしてほんの少しだけ唇が自分のに触れた。別にこれが初めてでは無いが、今ここで事務所内でされたことに驚いてそのまま椅子から転げてしまいそうになる。
 時間として換算すればそれ程経っていないことなんだろうが、それでも僕には予想出来ていないことであった。

「乱歩さん、勝手に一人で冷めないで下さいよ」

 熱い。頬が、首が、何もかもが。冷めないで、と云われてもお前のせいで熱はどんどん上昇をしていく。ほらまただ。またお前のせいで僕は。
 そこで口惜しさが増して、今度は僕から口付けた。強引に身体を起こして太宰の顔に近づいたため、ただ掠めただけではあったが。

「ら、乱歩さん…」

 するとどうだろう。僕の攻撃は見事に効いたらしい。おお、太宰の顔が赤くなっていった。これは僕の知らない太宰だ。知らなくて、多分知りたかった太宰だ。

「ふむ、安心した!」

 その顔を見れてあっという間に僕の熱冷まし計画は終わった。

「安心しましたか?それは良かったです」
「うん、太宰の良い表情が見れて僕は満足した。もう少しだけ百年の恋とやらを楽しんでみるとしよう」

 ものの数分の出来事。これを人は戯れと称するか、どう称するか。
 僕にはそれでもこの恋人という印に新たに大きく塗り替えられた気がした。