君がいつも隣に居るから | ナノ
 



「社長に恋仲は居るのでしょうか」

 暇を持て余していた社内のメンバーの中の一人。敦はふとこんな発言をした。彼の手には恋愛小説が持たれていた。それを見ていた影響が今ここに現れているのだろう。

「…社長か。そんな話を訊いたことなど無かったけれども」

 国木田も敦の言葉に対して「仕事をしろ」などと注意をせずに一緒に悩んだ。国木田も社長と数年の付き合いとなった中で、一度もそう云った噂など訊いたこと無かったのだ。浮ついた話の一つも二つも。

「そう云った話なら長年の付き合いを持つ乱歩さんが一番知っているのではないか」

 国木田が出した結論はそれに至った。自分ではその傾向も見つけられなかったが、探偵社の古参である乱歩ならば福沢の私情も少しは知っているのだろうと判断した。
 敦は一度気になってからずっと気になってしまい、耐えられずに自身の机でぼりぼり菓子を食べている乱歩の元へと近づいて訊いてみる。

「乱歩さん」
「んー?」
「あの、社長は独身でいますけれど、誰か恋情を持ったなどの話はあるのでしょうか」
「社長の話…?」

 乱歩は眉間に皺を寄せて敦の方を見た。目線は敦に向けられていたが、実際に見ていたのはその先に思い出していた福沢であった。
 乱歩が未成年の頃から誰よりも長いことを共にいた相手。その間に乱歩は福沢の隣にいたのだ。

「…社長は何度かお見合い話が来ていたよ。皆容姿端麗な人々が集ってきて社長との縁談を必死に持ち込んでいたかな」
「へぇ、矢張りそう云った話もあるんですね。それでも、今独身でいるんですね」

 乱歩は敦がまだまだ詳細を知りたいと思っている顔を汲み取って話をさらに盛り上げていく。そしてこの話を遠くで耳を欹てている国木田と仮眠をとっていた太宰。

「社長は今好きな人が居るんだよ」
「えっ、そうなんですか!?」

 敦は真逆な回答が得られたことで素直に驚いてしまった。勿論、遠くに居る二人も。国木田は平静を保っていたものの、耳にかけていた眼鏡を勢いよく落とす。そして寝転んでいた太宰はその場から床へと転がり落ちる。

「乱歩さん、その人を知っているんですか?」
「うん」
「ど、どんな人で…」
「非常に聡明な人だよ。成績も優秀だし、まぁ小柄であるけれど、彼の隣で何時も仲良くしているよ」
「すごいですね」
「もう社長なんてデレデレなんだよ。頭を撫でると嫌がる素振りをしながらもまんざらでも無いと云った風な表情をしているし、可愛く強請られると仕方なくと云って心が折れたりもするんだ」

 乱歩はあらゆる事実を彼らに対して述べた。国木田も敦も福沢の知らなかった一面を訊くことが出来て脳内で想像をしていく。しかし、普段から仏頂面を見せている彼からはとても事実に近い想像など出来るわけもない。かろうじて顔がモザイクを掛けられて想像される程度。
 そんな二人とは打って変わって無言で話を訊いていく。
 敦はお腹いっぱいに為るぐらいに話を訊けたところで一言。

「それじゃあ、もう少しで社長も結婚をされるのでしょうかね」

 純粋に楽しみだ、と敦は心を浮かせている。少女漫画を見てどきどきしている読者の様だ。それだけ先程まで読んでいた小説はのめり込める話だったのだろう。
 しかし、乱歩は敦の表情の陰の部分を露わにしている。

「結婚は、どうだろうね…」

 乱歩は急に調子を落としてそれ以上何か発する気など起きなくなってしまう。
 その時、話の中心にいた人物が登場する。

「乱歩、話をし過ぎだ」
「社長、お疲れさまです」

 社長の姿が見れた途端にまずは国木田が一声を出して、それに倣って敦も太宰もきちんと体の姿勢を整えていく。ただ、乱歩だけは福沢をただぼーっと見ているだけだった。
 乱歩のその姿勢に対する咎めも特にせず、ただ彼だけを呼び出した。

「乱歩、少し来い」
「ええー、なんで」
「いいから来い」

 圧力をかけたその言葉一つで、乱歩は渋々ながらに腰を上げて彼の後ろへと着いていく。
 その後ろ姿を見ていた三人はその後福沢の話をひそひそと続けていく。







「…なんで探偵社の人々にその話をした」
「だって訊きたいと云うからそれに応えただけだよ。僕は別に嘘なんて何一つ云っていない」

 それでも福沢の表情はあまりそれを露呈されることを良しとしていなかった。誰にも話してこなかった。福沢は普段から自分の私情を会社に持ち込まずに、後輩らに何も伝えてこなかった。
 それを好きな人―――乱歩から語られてしまったので、渋い顔をしているのだ。

「だって、誰にも云えないでずっとひっそりとしているなんて少し面倒だと思ったんだもん」
「だからと云って此処で皆に発表でもしてみろ。日本の世の中ではマイノリティであるのだからそれを公表して良しとしない者もいる。それが仕事に影響しないとは限らない」
「判っている…だから、確信はされない様に気を付けたよ」

 福沢が一体どこから訊いていのか、判りはしないが乱歩は怖くて福沢の顔をはっきりと見れなくて俯く。

「社長は結婚したいと思う?」
「………なんだ突然」
「さっき新人君が社長が時期に結婚するのではないかと楽しみにしていたからさ。矢張り結婚て素敵な行事ごとなんだなと思ったら、とても僕は叶えてあげられそうにないと思ってさ」

 乱歩の表情はどんどん影を作っていく。その表情を見れるのは床だけであるが。
 なので勿論福沢は彼の心中をきちんと理解してあげられるわけも無い。結婚願望があるかどうかと云えば別にそんなことを思っていなかった。結婚に夢を見ていればそれはきっととうに叶えられていたことだ。数回に渡るお見合いの話。それを全て蹴ったのは彼の隣に乱歩が居たからだ。
 未だ幼き頃からずっと二人で仕事をこなしてきていた段階から、警察関係者から何度も声を掛けられては、それを否定していた。

『今は、仕事で手一杯だ』

 そんな固い言葉で彼は全てお断りをしていた。
 それが数回にもなると、徐々にその話が広まっていき何時からかそう云った類の話が舞い込んでくることなど無かった。
 福沢は今隣に居る乱歩だけで十分だったのだ。
 だから、

「結婚をするつもりは無い。乱歩、お前がずっと傍に居てくれればそれでいいんだ」
「そうなの…?子供だって手に入れられないよ」
「別に構わない」

 ゆっくりと乱歩は顔を上げる。真実か否か、それを見抜くのは本人の顔を見るのが一番だからだ。
 顔を上げて見える福沢の表情。それにはくっきりと本物の決意が滲み出ていた。

「……そっか。社長は僕が隣に居てほしいんだ」
「乱歩は、如何なんだ」

 顔を合わせて安心したのか、乱歩の表情に陽が取り戻されていく。

「僕も、社長が隣に居てくれるのが一番だよ」

 決して普通な恋愛など望めないことは、「好き」と言葉にした時点で判っていたことなのだ。それを彼に伝えて決意は物になっている。

 ―――不安になるのなら、何度だって云おう。

 乱歩を手放すつもりなど無い福沢は彼の頭を数回撫でる。